川路の勤めた藤重工デジタルツールサービスには5人の同期がいた。
そのうちの一人が同い年の女性で、これがまた愛嬌のある美人だった。
川路も例に漏れず彼女に惹かれはしたが、じきに冷めていった。
彼女は能力も高かったが、それ以上に自分の魅力を活用していたのだ。
さすがに世に言う枕営業をしていたわけではないが、顔出し挨拶、接待その他自分の魅力を使える場面では存分に使った。
同じ資料でも、自分のは突っ返され、彼女が出せば通る。そういうことがたびたびあった。
「なんだか馬鹿馬鹿しくなったよ。」そういって一人の同期は3年目に藤重工システムズに会社を変えた。
5年目、彼女に不倫の疑惑が持ち上がった。
相手は取引先の部長ではないかと。
皆「一線を越えたかな。」と思わなかったといえば嘘になる。
しかし、いままで何をやらしてもそつなくこなし、自身の高い能力に魅力のバフをかけてのし上がってきた彼女が、今更取引先の部長と不倫だなどと、そんなことはするまい。
そんなことをする女だったら、とっくに馬脚をあらわしていただろう。
しかし、そのまさか。
彼女は陳腐で古典的な不倫劇の最中だった。そして相手の部長には捨てられ、社内でも問題になり、彼女の進退は窮まる。
その後、彼女はおかしくなったのか、比較的親しい男性の友人に片っ端からアプローチを始めた。
川路にもアプローチはきた。
すでに同僚から話は聞いていたので、川路は喫茶店で彼女の話を聞こうとしたが、話もそこそこに、彼女はホテルに誘おうとする。
なだめすかし、たしなめ、再起について話そうとしたが、とりつくしまもなく彼女は憤慨して去っていった。
その次の週、彼女は会社を去り、消息をたった。
入社直後に憧れた美しい同期のあさましい変わりように川路は、なにかかわらないものを見たくなった。
ふと見上げると夜空があった。
宇宙か…
宇宙なら変わらないのかもな。
宇宙開発は進み、月面基地が建設され、いまや常時三万人の人間が宇宙に常在している。
と、今朝のニュース番組で解説されていた。
変わらない場所
俺でもいけるかな。
そう思って航空宇宙自衛隊に入ったのだが…
「おはようございます!」
加勢が先輩に挨拶を飛ばす。
「おはよ!!」
後輩にもとぶ。
いつもと何ら変わらない。
だが
「おはよ……ございます。」
加勢は川路に敬語を使った。
目元に翳り。加勢は目をそらした。
川路が静かに返す。
「おはようございます。加勢士長。」
変えてならないものを変えてしまった。
上司に対する女の愛嬌なんて、所詮は宴席の座興のひとつ。あんなことをいうべきではなかったか。
明後日には第三次打ち上げで、宇宙ステーションタカマガハラに向かう。
加勢士長のメンタルがとにかく心配だ。
「アッハハハ!かってぇなあ!川路のヤロー」
津志田が加勢の相談を笑い飛ばした。
WAF隊舎の給湯室。休みの日なので二人の他は誰もいなかった。
「川路は悪くないんです。私、余計なことしちゃったって。それも。」
「いいって、いいって!あのまま宴会終わるまでお説教なんか、クラタンだってツマんねえだろうし、説教される方もたまんねえし。よかったじゃんかよ。」
「でも、でも。」加勢は戦闘服の袖で涙を拭う。
「わーってるよ。色仕掛けしたとか直球で言われりゃそりゃ凹むわ。デリカシーってもんがねえよ。」
「やっぱ川路さん…川路は大人だから。私がまだ子供に見えるにきまってる。」
「川路はお前のパパじゃねえよ。」
と、言って津志田は口を閉じた。
加勢は十年前の南海トラフ地震で父親を亡くしている。
「自衛隊は年の数より飯の数、だろ。それにあいつ案外怖がりなんだよ。お前がいろいろ指導してやんなきゃだめだよ、アイツ。」
「こわがり?」
「あの手のデカいのは案外怖がりって、決まってんだ。普段はああでも、いざとなりゃどうだか。クラタンに説教食らってたときだって、ビビリ上がってたんじゃねーの。」
そういえば…そうなのかも
加勢は思案した。そうかもな…
打ち上げ当日。
40人乗り人員輸送ロケットの座席にそれぞれが着席していく。
乗り際、津志田3曹が川路の尻をたたいて耳打ちした。「加勢の隣だろ。打ち上げ、怖いときゃ誰かさんの手でも握ってな。怖いんだろ!」
「はい!」
「よし、怖いんだな。いいぞ!」
と、返したもののなんのことやら。
津志田3曹のウインク。川路はなんとなく察しはした。
シートベルトを着用し、もうすぐカウントダウン。
隣の加勢士長は目をつぶって拳を握っている。
なるほど、恐ろしいのだろう。
怖くないと言えば嘘になるが、飛行機に初めて乗ったときほどの緊張感だろうか。だが。
目をつぶった加勢の肩をたたく。
「加勢士長、お願いがあります。」
「なに」
薄目をあけて加勢が応じる。
「その、恥ずかしい話なのですが。」
「恥ずかしい?」
「こわくてたまらないのです。」
加勢が意外なものを見る目になる。
「川路でも怖いものあるんだ。」
「世の中は怖いものだらけです。」
加勢の目に光がやどり、手を差し出してきた。
「握ってな。私も怖いけど、多分川路ほどじゃない。握ってれば着くよ。」
鼻息があらい。
「ありがとうございます!」
「声が大きい!」
川路は加勢の小さな手をしっかり握った。
やがてロケットは振動をはじめる。
日本の保有する宇宙ステーション「タカマガハラ」到着まで3日。