話はズヴェズダ大破までもどる。
楊は死に、空陸自衛隊がズヴェズダを制圧したときのこと。
ズヴェズダに着地したLOW-MACSは王が動かして基地に戻すことになった。
操縦手だった加勢が倒れたからだ。
川路とのハイタッチまでは上機嫌だった加勢。
だが、楊の死に顔を見た途端、体が固まった。
川路が加勢を気遣い、様子を見るが、加勢が震えているのは気密服からもわかった。
「加勢士長、加勢士長。」川路の呼びかけにもこたえない。
王は背中をさするが、これにも反応がない。
拘束された鄭達はLOW-MACSの女パイロットになにか異変を感じたが、気にも留めなかった。
まさか死んだ楊を見て変調をきたしたなどとは想像の外だ。
ズヴェズダに着地するまでにあいつはわが軍の戦闘車両を何台も破壊している。
ホッパーに至っては12機を一度に撃墜している。何人も殺したやつだ。
我々を下等生物みたいに見下したやつだ(これは明確に誤解だが)。
いまさら戦場で楊の死体をみたところでなんということもなかろう。
だが、張り詰めた緊張は川路とのハイタッチでぷつんと切れていた。
-これでみんな助かった-
安堵した加勢の目に飛び込んできたのは、ただ一人気密服のヘルメットをせずに椅子に座って死んでいる楊だ。
ここで一気に加勢に現実が襲い掛かる。
ずっと蓋をしていた感情
人を殺した。
人を殺した。
人を殺した。
戦闘車やホッパーは機械だからとりあえず気にならなかった。
でもあれだって中には人が乗っていた。
その時、デジタルグラスが加勢の視線を感知して楊の顔にフォーカスをあてた。
楊と目が合った。
胃液がこみあげる。
いやおうなく嘔吐がはじまり、うずくまる。
目からぼとぼとと涙があふれてくる。
人を殺した。
しかも
楽しかった!
ゲームみたいだった!
加勢は床に寝転がりのたうちまわった。
川路が体をおさえ、通信を送りつづけた。
「加勢士長、川路がいます。ここにいます。大丈夫です。」
加勢はいつしか気を失い、それっきりしばらく目を覚まさなかった。
しばらくしてズヴェズダから加勢を腕に抱いた川路が出てくる。
大谷がルナクルーザーをズヴェズダに横づけして待っていた。
川路に冗談をなげかけようとした大谷はすんでのところで思いとどまれた。
「川路、加勢だろ。大丈夫なのか。」
「多分、しばらくダメだと思います。」
「そのまま抱っこしといてやれ。妹だろ。」
「お姉さんです。」
「お姉さん」は川路に抱かれ、すうすう寝息を立てていた。
◆
シャックルトン基地再建は急ピッチで進んだ。
到着した米軍が基地工兵を支援に残し、手伝ってくれたことが大きかった。
完全な復旧には2か月ほどかかりそうだが、3日で最低限の基地インフラはよみがえった。
復活したインフラの一つに「シャックルトンの湯」がある。
一度に30人が入ることができる大浴場だ。女子浴場は少々小さく、一度に10人となっている。こればかりは人口比でいたしかたない。
ともあれ、これこそシャックルトンクレーターにある巨大氷床の恩恵だった。
戦闘から2日目。
戦闘に参加した隊員を優先に、入浴計画が組まれ、ローテーションで入浴が始まった。
やはり肩まで湯につかると疲れが取れる。
川路は無傷で済んだ己の体を湯にしずめ、感謝する。
入浴時間は20分厳守。
いささか気ぜわしいが仕方がない。月面基地の資源は潤沢とは言えないのだ。
川路の隣にアメリカ人と思しき男性が入ってきた。
シワがあるが、鍛えられたあとのある立派な体格だ。
「オジャマシマス。」
川路はこの老アメリカ人を知っている。
ジャクトン議員だ。
川路「You're welcome. Take your time.(どういたしまして。ごゆっくりどうぞ)」
川路はしばし英語で雑談をした。
柳沢るり子と一緒に風呂に入りに来たらしい。
ジャクトン議員は今回、柳沢るり子にあるお願いをしたとのことだ。
議員が笑いながらお願いの内容を語った。
「石鹸箱をカタカタ鳴らしながら外で待っていてほしい。」
川路「Councilor Jakton, why did you request that?(ジャクトン議員、なんでそんなお願いを?)」
「I wanted to recreate traditional Japanese culture.(古い日本文化を再現したくてね)」
その頃、柳沢るり子はシャックルトン浴場の外のベンチに腰かけていた。
対面のベンチに座っていた重原准尉は柳沢るり子が石鹸箱を手遊びにカタカタ音を鳴らしているのを見た。
「何をされているのですか。」
「ジャクトン議員に頼まれたんです。こうやって先に風呂から上がって石鹸箱をカタカタ鳴らしておいてほしい、ですって。」
重原准尉が間をおいて大爆笑を始めた。
笑いどころのわからない柳沢るり子。首をかしげて困惑。
しばらくしてジャクトン議員が昭和歌謡を鼻歌でうたいながら風呂から上がってきた。
続いてやってきた川路も、さてさてなにが起きているのやらさっぱりだった。
ジャクトン議員はベンチの柳沢るり子を見る。
「さあ、これからも優しくあろう。怖がられても。」と目を細めた。
◆
楊の第2航天合成営による侵攻は警備4中隊の奮戦によりまず予想外の遅滞を余儀なくされ、側面からの54連隊の攻撃、基地内潜入兵を早々に駆逐した3中隊の増援、あとちょっとではあるが保華援沙義勇軍の奮戦の前に粉砕された。
しかしこの戦いでは敵味方の別なく皆一致して「あれが活躍した。」と納得する兵器があった。
-5号庁舎の会議室-
加勢「えいや!って突っ込んでいって。王さんが射手だったからそっちは任せて。あ、でも王さんが射ちやすいように体ひねったり、ワーって
-あ、もういいです。次を-
王「仲間の仇うちだったんで頑張りました。」
-それだけ?まあいいや、次お願いします-
丸崎3佐「指揮官として抱いてはならない感情でしたがね、正直「もうダメだ」そう思いましたよ。でもね、あのロボットが突っ込んできてから持ち直したんですよ。」
-ありがとうございます、次お願いします-
富原3佐「我々楠部隊が最も奮戦敢闘したと言いたいが、偽りは逆に武人の恥だ。あのロボットこそナンバーワンだ。」
-いさぎよいご感想ですね。次お願いします-
鄭「こんなはずじゃなかったよ。あと一押しでシャックルトン基地に達していたはずなのだ。楊は好かんが、成算自体は合成営の参謀連中も合意していたし、我々軍士長部も説明された作戦と、実際の戦況を見て確かに達成できると確信していた。あのロボットがくるまではな。」
-あなた方でもそう思われましたか。では次お願いします-
劉「我が精鋭保華援沙義勇軍は堂々たる進撃をなし、偽華の楊率いる第2航天合成営の大軍団を撃破せし」ここで趙が劉の頭と口をおさえて代わりにしゃべり始める。
「あのロボットが開いた突撃路を利用し、我々は楊を追い詰めることができました。精鋭の我々でも流石に血路を開けるか否か五分五分の勝算でした。あのロボットはまさに驚異的な働きでした。」
-劉さん、またあとでお話聞かせてください。では次お願いします-
桜野曹長「あのデカいのがホッパーを大量に吐き出したときは流石に冷や汗が出たもんだが、ものの数分で叩き落しやがった。あれが敵じゃなくてよかったと心底思ったもんだ。」
-戦場の恐怖が伝わってきますね。ありがとうございます。次お願いします-
栗林2曹「がむしゃらでした。4中隊支援と命じられていましたが、割り当てのポストや警備線などもよくわからず、とにかく目の前の敵をやっつけるんだ、その一心でした。そこであのデカい戦車を見たとき、もう地球には戻れないと確信があったんですよ。でも加勢士長のロボットが躍り出て戦況が変わった。」
-錯綜する戦場の様相、ですね。では次の方お願いします-
岩倉1尉「加勢士長のロボットは許可をもらえたとはいえ米軍の兵器で、しかも明確に許可されていたとはいいがたい王中士が搭乗しておりました。もしあのLOW-MACSが誤って流れ弾で友軍を撃てばどうなるか。加勢士長が大怪我でもすれば、もし戦死でもしたらどうしようかと。またLOW-MACSがあえなく撃破されたらどうなるのか。いえ、決して保身と言うわけではなく、いえ、そんなことじゃないんです。私が懲戒免職になるかならないかという心配がなかったというと嘘になりますが-
「はい、中止!やりなおし!」
柳沢るり子がカチンコをカンッ!と鳴らしてカメラをとめさせた。
出席者からそれぞれ大きなため息が出る。
「るり子、だめだった?」
「ダメすぎます。情けない述懐。あんなの流せません。」
岩倉1尉がしゅんとうなだれる。
「でもね、私はそんなあなたがいいのよ。」柳沢るり子がウィンクした。
岩倉1尉がニマっと笑う。
劉がちょっとふてくされる。
園部1尉「るりちゃん。これJHKに送るやつだけど、もう少しくだけた感じでもいいよ。」
令和後期に半官半民の毀誉褒貶著しい放送協会は再編され、半スクランブル化。世界中で国の別なく、個人ごとの契約ができるようになった。
視聴料は各国市町村単位での支払いとなり、徴収はそれら自治体との契約に依った。
そのJHKから「史上初の月面戦闘」という番組を制作するので依頼が来たのだ。
鄭「趣旨はわかるが、私のような捕虜に自由にしゃべらせていいのか。」
園部「いいんです。それに鄭さんは捕虜ではないのですよ。なんせ中国は今3つにわかれてしまって、鄭さんの軍籍がどこになるのかは未確定ですので。」
鄭「一応、民主中華共和国軍人、だと思うのだが。」
柳沢るり子「民主中華共和国は2つに分裂して片っぽはもう滅びました。」
劉「やはり中華人民共和国しかないな、鄭。ワシに降れば今ならとりなすぞ。」
園部「中華人民共和国も4つに分かれて2つは滅びました。」
劉・鄭「初耳なのだが。」
「僭越ながら。」
柳沢るり子がホワイトボードに錦凌事件以後の中国に起きた主な事変と、政治勢力の興廃を説明するチャート図をさらさらっと書き起こした。
劉・鄭のみならず参加者が地球の情勢に触れるのは、これが初めてだ。
矢印があちこちに飛び、何々政権、何々軍閥、何々派につながり、何月何日に興り、または消滅し、ということが書きこまれる。
悪夢のような迷路。
劉と鄭は呆然と眺めるしかなかった。
「たった2週間でこんなにかわっちゃった?」
「日本は大丈夫なんですか。」
「ほかの国は?」
質問が相次ぐが、園部が両手で制した。
「はいはい、みなさん。気持ちはわかりますが、実はまだ私たちも中途半端な情報しかないので、現在まとめているところです。後日、シャックルトン基地在住者向けの情勢説明がありますので、それを待ってください。」
柳沢るり子「みなさん。前もって説明した通り、これはテストですから。本番は30日に統幕の担当者がJHKの職員を連れてきますのでそれからですよ。」
地球情勢については園部の説明通り。
日本側の地月間通信がなんとか回復したのが2日前。
それまではキャンプシャックルトンリム経由で回線を借りつつ連絡はできていたが、やはりやりとりできる情報量は少なかった。
地球の情報はか細い通信から送られてくる報告テキストを逐次読み解いていくしかなく各省庁の出向者たちと回線をとりあい、へしあい、中国情勢だけはようやく姿が見えてきたと言ったところだ。
そして通信の回復。
やっと上級部隊とやりとりができると勇んで傍受した第一号が「JHKの番組制作に協力せよ。」という指令だったのだ。
「戦没者をどうするとか、そういうのじゃないのか。」
「あちらとしても、いろいろと送りたかったのでしょうけど、たまたまJHKの指令が最初に来ただけでしょうね。」
シャックルトン基地側は地球側の通信第一号に不信と不満があった。
が、それは少々穿った考えで、第1号こそJHKであったが、その後ぞくぞくと重要な指示や調整事項が舞い込んできたのだ。
そのうちDOOM会議も復活し、シャックルトン基地は戦闘以前の状況に戻ることができた。
かくしてシャックルトン基地はようやく戦後を迎える。