建徳2年4月9日
その日、宮崎県白草市はちょっと肌寒い朝を迎えた。
昨日が26度と、少々暑い日だったので、市民は「きまぐれなことだ。」とあいさつ代わりに天気の話をしていた。
昨晩干支奈岳で行われた野焼きの灰は市内に降り注ぎ、ところどころに吹き溜まりができている。平成4年から続いているイベントで、国内では4か所しかない夜間の野焼きである。
県は遅まきながら平成20年代に入ってからこの野焼きを観光の目玉として打ち出し、白草市はそれ以降、細々とではあるが、4月初旬に観光客を受け入れるようになった。
もともと銘酒「しらくさ」が作られている土地ではあったが、他に珍しいものがあると言えば牛の放牧くらいで、特筆すべき特徴のない地方都市である。
白草市には年初から火山性微振動で震度1の地震が数日に一度起きているが、気象庁は特に警報を出していない。
20数年前と違い、第6世代量子コンピューターと気象・地殻モデルAIのおかげで予報の精度は増していた。
去年の富士山噴火は6日前に予測がたち、被害は最小限度であった。
山梨側にぽっかり空いた建徳火口は富士山の形を少々崩してしまったが、現代科学の勝利の火口でもある。
その気象庁がなんの警報も出さないのだ。市民は何も心配をしていなかった。
午前8時5分
勤め人は出勤を終え、学生たちは登校し、席についている時間帯だ。
8時6分に震度3の地震が観測された。
震度1になれていた市民は「今度はすこし大きいな。」と感じていた。
次の瞬間、干支奈岳の中腹に巨大な土煙が上がった。
野焼きの終わった真っ黒な山腹に円形の波が走ったのを見た市民は少なからずいただろうが、彼らの大半はその数秒後に死亡している。
最初の衝撃波は10秒ほどで市街地に到達し、触れる建築物を震わせていった。
20秒後、破壊的な衝撃波が到達し、今度の波は建築物をなぎ倒していく。
この衝撃波の被害は山腹から約10kmまで達した。
この破壊から生き延びた市民を5分後、高熱のガスと火山灰が混じった火砕サージが舐めて行った。かろうじて生き延びた者たちは不運であったかもしれない。
彼らは生きたまま焼かれていった。
神の慈悲があったとすれば、高熱のガスが彼らの苦しみをほんの数秒にとどめたことだろうか。
壊滅的な被害を免れた市中心部からは干支奈岳全体を覆い、遥か上空に立ち上るまがまがしい黒雲が観測された。
市立白草中学は干支奈岳から15km地点にあり、その被害は校舎のガラスが割れた程度にとどまった。
窓際の席に座っていた生徒は割れたガラスでけがをした者もいた。
加勢瑞奈も左手を切った一人だった。
みるみるうちに溶岩ドームはふくれあがり、崩壊。
市役所は噴火から1時間後に火砕流に飲まれてしまう。
最初の火砕サージで市役所にいた職員の大半は死亡しており、市の防災機能は沈黙。
警察があわただしく動き始めるものの、被害の全貌は不明であるほか、白草警察署もまた火砕流の下にあり、指揮系統が壊滅していた。
消防は消防指令センターが生残していたため、かろうじて市内の火災対応にあたっていたが、いかにも場当たり的であった。
宮崎県が事態を把握したのは噴火から1時間後であった。
すでに自衛隊は自主派遣で航空偵察を実施しており、3時間後には近隣の駐屯地や基地から各部隊の先遣が入ってきていた。
連携すべき市の担当者は全員死亡しており、自衛隊は被害を免れた市内の施設を臨時に指揮所として使用した。
校庭に設営された臨時救護所
加勢瑞奈はここで航空自衛隊の衛生の手当を受けていた。
学校の医務室は手いっぱいで、加勢はセーラー服のスカーフで左手の切り傷をしばっていたが、空自の女性自衛官が消毒と清潔な包帯を巻いてくれた。
灰が降ってきた。
もちろん昨晩の野焼きのものではない。
火山灰だ。自衛隊の天幕をでると、ちらちらと降っているのがわかる。
てのひらに乗せるとじゃりじゃりする。
加勢の母は隣市の企業に勤めているため、おそらく無事だろう。
逆に今頃、母は自分の安否を心配しているに違いない。
携帯端末はなんらかの障害で電波が届いていない。
頭に火山灰がうっすら積もった。
髪の毛を手でくしゃくしゃするとジャリジャリした。
なんだこれ。灰っていうか砂?
レゴリスみたい。
レゴリス?
レゴリス・・・?
目が覚めた。
加勢は天井を眺めていた。
暗い。夜中か。
ここはどこだったっけ。
もう元気だろうと、医務室から出されて・・・
医務室?
そうか、そういえば私、戦争したんだ。
人を殺したんだ。
そう思ったとたん、吐き気がした。が、我慢できた。
医務室を出てから元の居室に戻った・・・
確か戻った。
でもここは居室じゃない。
加勢はここで体が動かないことに気付いた。どうも息苦しいと思った。
縛られている?
いや、縛られているというより、なにか不自由な服を着せられている感じだ。
思い出した。
LOW-MACSに乗せられた。
米軍の人に呼ばれてキャンプシャックルトン・リムに行ったんだ。
そこで説明を受けた。
なんだったっけ。
「どうしても戦闘データを再現できない。」
そうだ。確かそうだ。
それで是非、LOW-MACSをもう一度動かしてみてくれないかと頼まれた。
私は何の気なく、引き受けた。
そもそもLOW-MACSにもっぺん乗ってこいという命令で米軍基地に派遣されたのだ。断るわけがない。
頭が痛くなってくる。
でも私はLOW-MACSに乗った。
そこまでは笑っていた気がする。
でもハッチが閉じると・・・
とたんに耐えられない恐怖と不快感に襲われて暴れたんだ。
拳が痛い。そういえば額や後頭部も痛い。
動悸がしてくる。
そうだ。操縦席であたりかまわず拳であちこちを叩きまわして、頭突きを繰り返したんだ。
ハッチが開いて取り押さえられて・・・
そこから記憶がない。
知らず知らず泣いていた。
部屋の扉が開いた。
「加勢!」
大谷3曹だ。
米軍基地まで私の引率で来てくれたんだった。
「目えさめたんか。バイタル変化があったけんきたで。」
「大谷3曹。私、どうしちゃったんですか。」
「おぼえとらんのか。いんや。おぼえとらんやろな。」
「なんだか、ご迷惑をおかけしたような気がします。」
「たいした迷惑やねえよ。心配いらんわ。」
しばし加勢の嗚咽が部屋に響いた。
「加勢士長」
川路が部屋に入ってきた。
「川路、なんで。」
「中隊長に行けと言われまして・・・」
昼前に加勢が大暴れして倒れた直後に、大谷が中隊長に頼んで呼んだのだ。
「もうすぐ医師が来る。それまで我慢してくれ。」
加勢はしずかにうなずいた。
大谷は川路にそばにいるよう命じて退室した。
「すぐもどるけん。」
静寂が訪れた。
加勢がかすれるような声で尋ねる。
「川路、私どうしちゃったんだろうね。」
「誰でもかかる病気です。」
「川路は怖いことってある?私はたくさんある。」
「だれでも一つや二つはあります。」
「一生その怖いことに付きまとわれる。」
「つきまとうかもしれませんが、飼いならすことです。噛む犬も四六時中は嚙んできません。頭をなでてやることです。」
そういって川路は「失礼します。」と断って加勢の頭を撫でた。
「川路の怖いことってなに。」
「このあいだ。」
川路はアンドロイドを柔道の技で破壊した話をした。
「柔道はスポーツであり武道であり、決して相手を破壊するために使う技ではないのです。しかし、自分はあの時、相手がアンドロイドとはいえ、破壊するために使ってしまいました。」
「そんなカッコいいことやってたんだ。」
「はためにはカッコよかったかもしれませんが、自分はあの日から薄気味悪い夢を見るようになりました。」
「夢、怖いよね。」
「怖いです。」
「川路震えてるじゃん。」
加勢の頭に添えた手が震えている。
「すいません。アンドロイドの話をして、つい怖さを思い出しました。」
加勢が目を細めて川路をじっと見つめる。
常夜灯に照らされた加勢の顔が川路の目に沁みる。
「布団めくって。」
川路がちょっとハッとする。
「失礼します。」とことわって布団をめくると、拘束着の加勢の体があらわになる。両腕は拘束されているが、手は露出している。
「手を握って。」
川路は「了解」
そう、ことわって震える手で加勢の手をつかんだ。
「可哀そうに。怖かったんだ。」
「はい、川路1士。大変怖かったです。」
加勢は目を閉じて川路の手を握り返した。
「私がいるから大丈夫。」
「ありがとうございます。」
川路の手がまた震えだした。
加勢はもう何も言わなかった。
川路は泣いていた。
アンドロイドの関節を破壊した瞬間、首をひねって回線をちぎったあの感触
全て許された気がした。
なんでこんな年下に、などとは思わなかった。
川路にとっては「お姉さん」なのだ。
しばらくしてアメリカ人の医者と看護師が来て加勢の診断をしたのちに拘束着を解いた。
翌日大谷3曹は加勢士長と川路を連れてシャックルトン基地に帰隊した。
LOW-MACSの謎の高機動は謎のままになった。