人類の宇宙観測技術は格段の進歩を遂げ、月の裏側に建設された第3世代宇宙重力望遠鏡や能動的探査船により深宇宙の謎はどんどん解明されていった。
今では「宇宙の果て」が光学によらず観測されつつある。
マルチバース理論は修正され、宇宙は仮想次元で押し合いへし合いしている状態だというのが現在の考え方となっていた。
また、押し合いへし合いではなく、端では重なり合っている。いや、その重なり合いはお互いの全宇宙にわたっている、という仮説まで出ている。
2035年に量子力学における、いわゆる「平行世界」については条件付きながら、虚数解がだされて部分否定されたが、仮想次元での宇宙の重なり合い理論は再び「平行世界」を復権させつつある。
自と他の領域とその中間を解明するのがいっとき最先端の哲学トレンドであったが、宇宙の姿がどんどん明らかになっていくにつれ、人類、いや命がなにによって規定されるのかについて議論が深まる。
「その議論の中に「機能」が次元を決定するという考えが出てきてましてね。」
「機能、ですか?」
園部1尉がお茶をすする。
「このお茶、静岡のお茶なんですよ。河野2佐もどうぞ。」
「いただきます。」
河野2佐が湯のみのお茶を手に取る。
島田茶かな?なかなか趣味がいい。
園部「この場合の「機能」はヴェルナーの「機能論」の「機能」でよろしいでしょうか。」
河野2佐は湯呑をそっと机に置き、親指を立てた。
「ザーッツライ!」
園部「つまり河野2佐は、こうおっしゃりたいのでしょうか。観測者が機能を求める以上、人類、いや、生命は機能を複数次元にとどめおく。」
「園部さん、ガッコでは哲学でもやってた?」
「あはは。まさか。防衛大学校ですもの。一般教養で触れただけですよ。」
「へええ。それはそれは。僕は専攻だったけど、一般教養で随分深いところまでやったんだね。」
「哲学者は前置きが長くなりますね。」
「前置きは大事だからね。でも、まあ仕事だし。言いたいこと言っちゃおうかな。」
「どうぞ。」
河野はポンパドゥールをひとなでしてから立ち上がり、窓辺による。
ブラインドの隙間を指で開いて外に視線を移す。
「トンデモ理論なんだけどさ。機能生存体っていうのがあるんだ。」
「機能生存体?」
「さすがにご存じないようだ。まあ、仕方ない。エリアン・デュモンの2048年論文に出てきた概念でね。」
「立田マルオ博士と共著の。」
園部が湯呑から口をわずかにはなし、そっとつぶやく。
「園部さん、哲学やってた?」
「いえ?」
「まあいいや。続けますね。機能がこの次元に干渉するとどうなるのか。概念では説明されているけど、具体的に何がどうなるのかは明らかにされていない。」
「具象として生命は選択される。」
「園部さん、哲学やってた?」
「いえ?恋バナの方が好きですが。」
「そっか。恋バナは今度聞かせてもらおうかな。ここからは単刀直入だよ。機能に干渉された人間がいるとどうなると思う?」
「生命体として生を全うするまで機能により無制限の保護をうける、ですか。」
「もう聞かないけど、僕は園部さんはきっと哲学をやっていると思うよ。そう、まさにそれ。園部さん、こころあたりない?」
「お見合い相手いる?くらいの感覚で尋ねられていますが、機能生存体は理論上ありうるだけで、その確率はオールバーズユニバースの中で。」
園部は両手を握り、開く。掌の中に丸いお茶菓子があった。
にっこり笑って差し出す。
「手のひらほどの塵を当てる確率ですよ。」
「いただいても?」
「どうぞ。」
河野は園部の手のひらからお茶菓子をつまんでとり、ひょいっと食べてしまう。
「かぐやの物語?」
「そうです。今日のお昼に出たのを大事に取っておいたんです。」
「こりゃ大きな借りをつくってしまったかな。」
「それで、河野2佐は、機能生存体にお心当たりがあるのでしょう?どなたですか。」
「そうだね。炊飯器。あの小さな炊飯器がそうじゃないかなって。そう思ったんだ。」
「へえ、あの子ですか。」
「過去から現在までの全人類のなかで老衰で幸せに死んだ人間は数限りない。その中にも機能生存体がいたに違いないのだけど、それを裏付けることは不可能なんだよね。」
「単に運がいいというだけの方もたくさんいらっしゃると思います。」
「はためには見分けがつかない。」
「面白いことをおっしゃいますね、河野2佐は。陸上自衛隊では戦術に哲学を取り入れてらっしゃるのですか?」
「これからは哲学で国防さ。さて、園部さんの恋バナを聞かせてもらいたいところだけど、そろそろおいとまさせてください。」
河野は洒落た手つきで謝意を示し、退室していった。
部屋にはポマードのかすかなにおいが残った。
手を振り、見送った園部に、ずっと押し黙っていた重原が話しかけた。
「何をしに来られたんですか、あの陸自さん。」
「さあ。お茶を飲んで、私のかぐやを食べて、言いたいこと言うだけ言って帰っていきましたね。」
「加勢士長の事だと思いますが、彼女がその機能生存体だとして、どうやって確かめるのですか。」
「そうですね。例えば重原准尉が彼女に後ろから紙くずを投げるとします。多分彼女はよけられない。次に私が彼女に銃を撃ちます。」
「物騒ですね。」
「私の銃の弾は彼女には当たらない。」
「しかし発砲した以上、弾道がまっすぐなら当たるのでは。」
「当たりません。彼女は「偶然」しゃがむかもしれないし、私の手元がくるって弾がそれるかもしれない。銃が詰まるかもしれない。暴発するかもしれない。」
「そんな無茶な。じゃあ、ですよ。錦凌みたいな核爆弾がここに落ちたらどうなるんです。」
「落ちません。核爆弾がここに落ちる過程のどこかでストップがかかる。落ちたとしても起爆しません。」
「いや、無理がありますよ。」
「そう。そういう無理が通るのが機能生存体なのです。偶然と見分けることができないため、確かめる術は原理的に存在しません。でも-」
◆
そのころ、加勢はジュースじゃんけんで2連敗していた。
それも2回が2回とも一発負けだったのだ。
大谷「今度からジュースが飲みとうなったら加勢とじゃんけんするんがいいな。」
村上「お前のあだ名は今日から植民地だ。」
違うメンツ4人と2回やって2回ともきれいに敗北。
「必殺のチョキが~」
「加勢士長、一緒に買いに行きましょう。」
川路が自動販売機についてきてくれた。
「私はね、本当に運が悪いんだ。」
「ジュースじゃんけんなどでそんな。」
「それもだけど。聞きたまえ、私の悲惨人生を。」
加勢は南海トラフ地震で死にかけたこと。干支奈岳噴火であとちょっとで死にかけたことを話した。
「南海トラフの時は家具が倒れまくって、下敷きになったんだけどさ。隙間に入れたおかげでなんとか死ななかったんだ。あとから消防の人が助けてくれたんだけど、家具の上に刃物とか、ガラスとかが刺さってて、家具がなけりゃズタズタだったってよ!」
「それは運が良いのか悪いのか。」
「悪いに決まっておろう。川路。」
「左様でございますか。」
「干支奈岳の時は運悪く窓際の席じゃった。割れたガラスでほらこのとおり。」
加勢が腕まくりして突き出してきた。
数針縫った跡がある。
「痛々しいですね。」
「隣の席にカナちゃんって友達がいてさ。その子が消しゴム落としたんだ。それで拾ってやろうとしたら窓ガラス割れてさ。それがなかったら首筋にガラスが刺さってたかもしれなかったんだよ。」
「運が良いのか悪いのか。」
「悪いに決まっておろう。川路。」
川路は集中攻撃を受けたLOW-MACSに乗って傷一つないことを言おうと思ったが、それは当然やめておいた。
「あーあ、幸運の神様と友達になりたいよ。」
加勢は愚痴りながらジュースを買うのだった。