終礼後、岩倉は中隊事務室で簿冊を漁る。
厚紙の簿冊表紙を乱暴に開く。ぺらぺらとめくるとすぐにそれらは出てきた。
基地外施設使用申請
減圧施設使用申請
気密服使用許可
時間外活動許可etc
「印鑑が、押されている・・・!」
全てに岩倉印が押印されてある。
しかもあろうことか赤ペンで
「隊員の厚生に資するものと思料する。」
「基地外活動について問題ないものと思料するため許可願いたい。」
などと一筆まで加えている。
基地司令から交付された許可証の受領連番は中隊長室の受付簿から拾った番号だ。
逃れようがない。
机に簿冊をおき、両手をついて眺める。
思えばあの日以来、事務仕事に追われることはなはだしかった。
次から次に舞い込む伺い、隊本部からの指示。
自衛隊外からの問い合わせ。
毎晩毎晩、消灯らっぱが鳴ってからが本番。
0時がまわって書類を片付け、なかば自棄で中隊長室のソファで寝て起きる毎日。
そういえば先日、徳田曹長と山本1曹が「厚生企画」を持ち込んでなにやら説明していた。
この二人ならおかしなことはしないだろうと信頼した俺が馬鹿だった。
いや・・・
肝付岳で年越し地球参拝
信頼している通りの企画
少々お堅いが、別に悪くはない。むしろ良い。
でも!
でも!
岩倉は隊員クラブ「しゃくる」で年越しワインを夢見ていたのだ。
いや、愚痴るまい。
「しゃくる」で飲んで騒ぐよりも、肝付岳で地球を拝んだほうが月の思い出になろう。酒場で騒ぐのは地球でもできることだ。
「中隊長ー!中隊長はおられますかー!」
徳田曹長が廊下で探している。
やれやれと疲れた顔で廊下に顔を出すと徳田曹長が小走りでやってきた。
「劉大校が一緒に肝付岳に行きたいとか。」
疲れていた。もうすべてがどうでもよい。
おおかた柳沢るり子さんが来るとどこかから聞きつけて頼み込んできたんだろう。
「別に構わんが、許可が下りないだろう。」
「基地司令も一緒に行きたいそうです。劉氏の預かりは外務省ですから、外務省の方で許可はとったとのことです。」
うへぇ・・・
そこに山本1曹が同じく駆けてきた。
「中隊長!陸自の調査班の方々も来たいそうです。」
「肝付岳の地球参拝は俺が許可権者じゃないんだが・・・」
ひょっとして俺が企画した責任者ってことになってる?
いや、責任者は俺だ。
なんせ全部に印鑑押してるからな。
発案も調整もなにもかも徳田曹長や山本1曹がやったことだろうが、外から見れば俺がすべてやったことになってる。
とはいえ、3中隊が勝手にやることなので、ついてくるなら勝手についてくればいいのに。と思うが、言い出しっぺに遠慮しての事だろう。邪険にもできない。
もっとしっかり意識をはっきりとさせて徳田曹長たちの説明を受けていれば「しゃくる」に誘導できたのだがなあ。後の祭りだ。
今度は倉田2曹が「中隊長ー!」と駆け寄ってきた。
「今度は誰が肝付岳に来たいって?」
斜めに構えた岩倉は頭をぼりぼりかきながら倉田2曹に顔を向けた。
「米国大統領が来るそうです!」
◆
「驚かすな!」
腰が抜けて立てず、パイプ椅子に座ったままの岩倉が涙目を隠すこともなく倉田2曹に一喝する。
「すみません。肝付岳によってたかっていろんな人たちが来る流れになっているとはつゆ知らず。」
「しかしアメリカの大統領が合同葬送式に参列されるというのは十分大ニュースです。」
米国大統領、来るには来るらしいが、それは肝付岳ではなくて来年の合同葬送式の方だった。もちろん大事件には違いない。
倉田は廊下で会った隊本部の3科長に中隊長に伝えるよう言われて来たようだ。
徳田曹長もパイプ椅子に腰かけ、腕組みしている。深刻な顔だ。
アメリカの大統領がやってくるのだから、そりゃ深刻な顔にもなる。
岩倉は頭を抱えた。
一方、中隊の廊下を清掃したい加勢達がはじっこで待機していた。
加勢が腕を組んで変な体操をしながらつぶやく。
「早くどっかいきませんかねえ。」
ホールの清掃を終えた村田がぶっきらぼうに返す。
「始めていいんじゃないか。」
しかし廊下に座る中隊のVIP達の険しい顔は川路に危険信号を送る。
「あの深刻そうな顔。触るとカミナリが落ちるやつですね。」
村田「カミナリってお前。」
加勢「川路は表現が古いねえ。」
古い表現が大好物の加勢がにやにやと笑う。
川路がまんざらでもない顔をする。
加勢士長に古いと言われるのは彼にとって勲章だ。
待ってても仕方ない。
加勢は「行きますよ!」と村田に言い、ぴょんぴょん跳ねながら廊下の端にモップを持って行く。
「加勢、加勢士長!もう体は大丈夫なのか。」
勢いよく背中を通り過ぎて行った加勢に岩倉が尋ねる。
加勢はぴょんと跳ねて空中で中隊長の方を向いて全身で元気を表す。
「もう力が有り余って弾けそうです!加勢士長、清掃実施します!」
岩倉はいくらかホッとする。警備隊長は加勢に注目しているらしく、隊本部からはたびたび加勢の事を尋ねられるのだ。
掃除の邪魔をしても仕方ないなと、徳田曹長が中隊長と倉田を連れて事務室に引っ込んでいった。
遅れて村田と川路がやってくる。
「加勢、お前の突破力は大したもんだ。」
「米軍からあの子借りてきた村田士長ほどじゃないですよ。」
「バケツもってきました!」
川路が水の入ったバケツを両手で持ってくる。月では10リットルバケツを余裕で運べるので水のいる掃除は地球よりはかどる。
まあ、川路なら地球でも軽々と運ぶのだが。
ただ、水をこぼすと勾配を流れるのが遅いので若干始末に手間がかかる。
温度も湿度も一定に調節されているので掃除も計算しやすい。
中隊の廊下を掃除するのにだいたい30分。
「川路ー!アンタはあっちからやってきて!」
村田そっちのけで加勢がてきぱき川路を使って掃除を進める。
日中、成迫1曹の手伝いで面倒極まりない動態調査をやっていたからか、川路川路と大声を出してストレスを発散している風でもある。
「加勢士長。」モップで廊下をふきながら川路が尋ねる。
「なに川路。」
「「宇宙ではほこり一つが命取り」って結局なにがどう命取りだったんですか。」
「そういやそんなこと言ってたね。すっかり忘れてた。村田士長、教えてください。」
-しらないんだ-
川路はちょっと笑った。
「大谷さんに聞け。」
「大谷3曹は山本1曹に聞けって言ってましたよ。」
「じゃ、山本1曹に聞けよ。」
川路は結局誰も知らないんだろうなあ、と見当をつけた。
でもこのフレーズは面白いから来年、新隊員が中隊に来たら清掃指導に使おう。
LGバッヂに実戦経験者で自分のような巨漢にそう言われれば疑問に思うことはないだろう。でももし新隊員にあれこれ尋ねられたら「加勢士長に聞け!」と流しておこう。
川路にしてはちょっと意地悪い考えだ。
「川路!なにニヤニヤしてんの!」
「ハイ!川路1士。次はどこをすればいいですか、加勢士長!」
川路がモップを銃のように持って不動の姿勢になった。
モップをなぎなたみたいに地面におったてた加勢が仁王立ちで川路を頭の上からつま先までみる。身長差で首が大きく上下する。
「ヨシ!」
-なにがヨシ!なんだよ。何とかネコかよ。-
村田士長「なんだっけ。ニカニカ動画の昭和番組特集でこういう兵隊コントみたな。」
そろそろ清掃も飽きた。村田は清掃終了を二人に告げた。
さて、集合までゆっくりするか。
3人は解散し、めいめい居室に戻る。
中隊の廊下は新年を迎えるに足る姿になっていた。
◆
「郭さんよ。本当にいいのかい。」
インド基地に間借りしているロシアの研究室に3人の中国人がいた。
一人は郭中校。
彼の後頭部には手術が施され、ジャックが形成されている。
中国人技術者の黄が郭のジャックにプラグを挿入する。
ガチャ、と金属が触れ合う小気味よい音がした。
郭は頭に軽い衝撃を感じ、背を伸ばす。
「そうだ。これでいい。俺にはもう後がないからな。」
郭はズヴェズダの車長だったが、鄭達が楊を襲った直後、身の危険を感じて脱出したのだ。それからさまようこと数時間。なんとか退避する仲間のクルーザーに拾ってもらい、インド基地まで逃げてきた。
インドはロシア寄りの政治的立場にあり、ロシア基地責任者の口添えで密かに郭を受け入れる。
郭を受け入れた、というよりも郭を乗せてきた二人の技術者を受け入れた、と言う方が正確かもしれない。
郭を拾ったのは広寒基地の技術者である黄と朱だった。
黄は脳科学の研究者にして技術者であり、地球では様々な制約でできない実験を通じて脳の機構解明を進めている第一人者である。
朱は様々な月面兵器のエンジニアで、彼もまたその道の第一人者と言えた。
郭はロシア区画の医療施設の支援を受け、人体の電子改造を受けた。
こうなったいきさつは以下の通りだ。
民主中華共和国は滅びたが、その流れをくむ華北の軍閥が郭の所属をとった。
現在は華北軍閥が郭の給料を払っている。
郭にあたらしい上司から密命が下った。
名前も知らないし、どういう経路で自分がその軍閥に属しているかもわからない。ただある日、気が付いたら自分の身分が変わっていた。
その上司を名乗る軍人は1等大校という聞きなれない階級だったが、響きから言って自分より上だろうということは容易にわかる。
あとその巨躯から察するに、血圧も高そうで痛風にもなっていそうだ。不健康そうなことも想像がついた。
はちきれんばかりの頬を持つ彼は言った。
「米国に一撃を与えろ。手段は問わない。」
シンプルかつ無謀な命令だ。
当然、自分は無力であると抗弁するが、データが送られてきた。
米日の共同兵器LOW-MACSの仕様書とコネクタコードを始めとする機密資料だった。
「これでLOW-MACSの遠隔操作ができるらしい。あとは任せる。家族のことは心配するな。北京の軍人公寓住房(軍人官舎)で暮らしているぞ。」
郭の家族は確か市政府の官舎に住んでいたはずだった。移送されたのだ。
年老いた母と病弱な妻に4歳の息子、1歳の娘。
地球を離れて2か月ほど。家族は38万キロの彼方に確かにいる。
「郭中校、命令は拝しました。必ずや米帝に打撃を与え、心胆を寒からしめます。」
映像通信が終わり、後ろに控えていた黄と朱が近寄ってきた。
「郭さん、聞いたよ。まあ、力になるよ。」
「アンタと違って俺たちは地球にそれほど未練はないが。」
朱が振り向いて二人のロシア人を名指しする。
「おい、カミフサノフ、ハゲノフ。お前らも手伝ってくれ。」
呼ばれた二人のロシア人も椅子から立ち上がる。
「本国からキタイスキの手伝いをしろと言われてるしな。」
「黄、お前にはいろいろ借りもある。要はそこの幸薄そうな将校の手助けすればいいんだろ。できることならなんでもやってやる。」
郭は黄、朱。そして二人のロシア人とかわるがわる固い握手をする。
かくして、中露技術陣によるLOW-MACSを使ったアメリカ攻撃計画が練られていくことになった。