「クイゼンベリーさんが来たな。」
吉田警視正は警備本部で無線を聞いた。
今回の式場警備体制は彼の採点なら100点満点中の20点。
何もかもが急ごしらえの寄せ集め。
なるほど、配備だけ見れば蟻の入る隙間もないように見える。
しかしその内実はお寒い限りだ。
最も月の勤務に長けている自衛隊の部隊が式典参加。
地球から急ぎ送り込まれて来た3自衛隊、警察、公安その他各省庁のエージェント。
我ながら思うが警察を含め、どれも頼りない。
そして米軍。
一応日本側の警備は警視庁・埼玉県警合同シャックルトン基地特別派遣機動隊の隊長である吉田が執っている。
3自衛隊はこの指揮外ではあるが、先任の5中隊長は協力的である。
とはいえ、連携がとれているかというと、はなはだ心もとない。
米軍の警備体制も掌握はしているが、日本側以上に意思疎通が難しい。
ひとえに、中国の広寒基地が無力化していることに甘え切った警備体制だ。
吉田はちらりと式場枠外に屹立するロボットをみやった。
-米軍の最新鋭ロボット兵器、か-
聞くところによるとロシア製の移動要塞みたいな戦車を単機で葬ったとかなんとか。
しかしああいった兵器が防げるのは同じく兵器だ。
単独で潜入してくる刺客のような小さなターゲットは防げまい。
アーチネットチューブ事件の事は資料で読んでいる。
また、基地を襲撃したAIアンドロイドが侵入してきた狭小なチューブのことも聞いた。
基地周辺の再探査でそういった溶岩チューブはあらかた特定され、塞ぐか、探知網を敷いている。
穴はないはずだ。
だが、日本警察は過去に何度か要人暗殺をテロリストに許している。
過去に暗殺された要人はいずれも日本のVIPだったが、今度はアメリカ大統領だ。
あらためて吉田は周囲を見渡す。
ひたすら続くレゴリスの荒野。ホッパーが飛び回り、巡回車両がひっきりなしに警備道を走っている。
なにかあれば米軍も自衛隊も。そう、あの海自の部隊が駆けつけてくる手はずだ。
地平線に見える地球。背中の永久影の先、うっすら輝くベテルギウスの光。
モノクロの陰影世界。このどこかにテロリストが潜んでいるかもしれない。
地球、日本国内と違い「警察白書」「内外情勢の回顧と展望」に記載された月面の治安資料は貧弱だ。何も書かれていないに等しい。
米軍と空自から渡された資料をみても軍事面の事は詳しくとも、治安、捜査にかかわる情報は乏しかった。
砲兵がどこを狙うか、工兵の活動地域はここ。想定主戦闘地域云々
そんなもの読んだところで、だ。
シャックルトン基地業務群の基地出入記録も見た。
不審な人物の出入はもちろん記録されていない。
HLVの離発着記録。積載貨物。すべてあたったが、これも異状ない。
「吉田さん。大丈夫だよ。データ上はなんにもないんだもの。それに今のアメリカと日本に喧嘩売るやつなんていないですよ。」
富海の対人通信が入った。
「あくまでデータ上はな。世の中、後先考えない喧嘩好きはいるもんだ。」
「ま、用心はしますよ。」
特殊な場所であるため、雑踏警備は必要なく警戒警備だけ考えておけばいいのは幸いだ。
こういうときは基本に立ち返るに限る。
小平の関東管区警察学校で警備の教官をやった頃のことを思い出せ。
(もう10年も前の事ではあるが。)
吉田は数日来、脳内でシミュレートしている警備の手順を再び繰り返す。
視線の先にレゴリスの煙が見える。
あれはビューティ。大統領専用車。
前後をはさむ物々しい車列は自衛隊と米軍、それと大統領警護隊の宇宙部隊。
「さあ、これからクイゼンさんが月を発つまでが勝負だ。」
吉田は指揮棒を固く握りしめる。
一時は廃止されていたが、令和中ごろに復活した指揮棒。
その先についた房の色はオレンジだ。
月面警備のために新たに決められた色らしい。
吉田はほぞをかんだ。
◆
「対人あるから式典でもおしゃべりし放題だな。」
「ばれたらめちゃ怒られますよ。」
独歩不能隊員列にならんだ津志田と加勢がひそひそ話をしている。
「ばれねえよ。全体通信はオフになってんじゃん。」
加勢はしばし黙り、再び口を開く。
「これが終わったらいよいよ地球ですね。」
今度は津志田が黙った。
「津志田3曹?」
ぶつ。
対人通信がきられた。
津志田のヘルメットがうつむき、すこしばかり震えているのがわかる。
加勢も対人通信を切り、車いすのハンドルを強く握った。
◆
地球とはまるで違う風景。
空も大地もなにもない。色彩豊かな地球がすでに恋しい。
米国を中心とした世界秩序。
この葬送式で戦没将兵・軍属及び民間人に哀悼をささげるとともに、新秩序建設の必要性を世界に訴える。
「なあんて。たいした戦略家ね、私も。」
クイゼンベリー大統領はセルフ気密点検をしながら独り言ちる。
米国VIP仕様の船外活動服を身にまとったクイゼンベリー大統領はビューティから優雅に降り立ち、先導に案内され壇上へ向かった。
大統領が側近に対人通信を入れる。
「静かね。」
「大気がないものですから。」
幾千、幾万の聴衆はもとより、数十、数百程度でも聴衆と言うものは騒がしいものだ。静聴してくれていても、かならずなにか雑音が入る。
咳払い、衣擦れ、くしゃみ。なんでもだ。
ところが月ではそれらがまるでない。
「あなたが提案した防音室での演説練習が役立ったわね。」
「恐縮です。」
月面での演説を想定し「自分の心音しか聞こえない。」と言われる完全防音の広間で演説の練習をした成果が発揮されるときがきた。
人間は完全な無音環境に放り込まれると、耐性がない者などはじきにパニックを起こす。
よもや米国大統領が演説にあたってそのような阻害要因でトチるようなことは許されない。
整然と式場に並んだ船外活動服の隊員達。
周囲には警備と思しき車両、船外活動服部隊。遠くには例のロボットも立っている。
「さて。」
クイゼンベリーはヘルメットの両頬を叩く。
「悲しむ準備はオッケー。悲壮なセリフも準備万端。
アメリカの利益は同盟国の利益。
ひいては世界の利益。うふふ。」
「大統領閣下。時間です。」
日本の儀仗兵と思しき船外活動服が壇上を案内した。
クイゼンベリーが歩を進め、壇上に登る。
演説台の前に立った。
眼下に自分を待つ人々が並んでいる。
無音の世界だが、そこには確かに聴衆の息遣いがあった。