隣人の天才引きこもりと恋仲になりたいだけの話 作:散髪どっこいしょ野郎
『~♪』
あの夜、ベランダで録音した彼女の新曲。それがあるだけで俺は安眠できる。明日への恐怖を、その声が溶かしてくれる。
明日も学校がある。その事実は酷く疎ましいものだったが、後三年弱の辛抱だ。大学は……正直行くか迷うが、そのまま働く方が肌に合っているかもしれない。
家のルールに従っている以上、将来のことは自分で決めなければならない。
ああ、憂鬱だ。そんなことを考えながら瞳を閉じ、いつの間にか寝落ちした。
▫▫▫▫▫
「あぁ……うるっさ……」
スマホのアラームは複数回に分けてセットしてある。それでも俺は朝に弱く、中々ベッドから起き上がれずにいた。
「…………」
意識は覚醒している。でありながら、体を動かせそうにない。
瞬く。それをトリガーに立てればよかったのだが、残念なことにベッドへ倒れ込んだ。
▫▫▫▫▫
「で、今日も遅刻と」
「すみません」
俺に残された手段は平謝りしかなかった。職員室は多くの先生たちが行き交い、『コイツまたやったんだな』とでも言いたげな視線を投げかけられる。
「成績は良いのに遅刻癖があるんじゃなぁ……将来やっていけないぞ」
「すみません」
とにかく謝るしかない。非は100%俺にある。
「今はまだいい。お前は一年生だからな。だがこのままでは出席日数が足りずに留年する可能性だってあるんだぞ」
「はい」
「それに、生活がかかってるとはいえ素行が悪ければアルバイトの許可だって下りない。お前としてもそれは避けたい筈だろ?」
「はい」
……本当にその通りだ。耳が痛い。
「とにかく!このままじゃお前は後々困ることになる。それまでに対策しろ」
「はい、努力します」
「努力だけじゃダメだ。必ず改善しろ」
▫▫▫▫▫
「──ってことがあって」
「そうなんだ」
情けない話だが、俺はミサギに包み隠さず悩みを打ち明けた。何か良い意見が欲しかったのもある。
「じゃあ私が起こしに行こうか?面白そうだし」
「え?……え?」
夕食のカルビ丼に食いついていた箸の手が止まる。その提案はあまりにも強い衝撃だった。
「君……それは、いくらなんでも申し訳ない」
「なんで?私と静香の仲じゃん」
相変わらず勘違いさせるような言い回しだ。無論、彼女が起こしに来てくれるのならそれ以上のことは無い。
だとしてもそんな贅沢、いいのか?俺はまだ何も成していないのに。
「それに、毎朝隣の部屋から何度もアラーム音を聞くのは楽しいけどちょっとキツいし」
「……すまなかった」
そこまで言われたらぐうの音も出ない。俺は念のため作っていた合鍵を渡すことにした。
▫▫▫▫▫
「唐本静香ー」
「はい」
「ん。……んん!?唐本!?お前遅刻しなかったのか!?」
先生の驚愕と共に教室がどよめく。確かに朝のホームルームに間に合ったことは片手で数えるぐらいしかなかったが、そんなに奇怪なことだろうか。
「……ちゃんと改善したんだな」
「少し、外部の手を借りて」
嘘だろ?あの唐本が……?そんなざわめきが充満する。息苦しさに俺はそっと胸を押さえた。
▫▫▫▫▫
「おーい、静香ー、朝だよー」
「んん……」
憂鬱な朝がやってくる。しかしその到来を告げる声はどうしても嫌いになれなかった。
「おはよう、静香」
「ああ……おはよう、ミサギ」
ミサギに起こしてもらうようになり早ひと月。俺は快適なモーニングタイムを味わっていた。
「起きられる?」
「……すまない。手を貸してくれ」
彼女に引っ張られてようやく立ち上がる。その温もりが、起き抜けの俺には非常に強刺激だった。
「君、パンは何枚食う」
「二枚かな。片方はジャム付ける感じで」
トースターなんて物は持ってない。フライパンを乾煎りし、食パンを押しつけた。この一手間は中々に時間がかかる。
「「いただきます」」
この生活になってから朝食は共に摂ることになっていた。食材は彼女の部屋から持ってくる場合もあるが、依存しすぎてはこちらの沽券に関わるので各々用意している。
「こういう静かな朝もいいね」
そう言って、彼女は笑う。いつからか俺はその笑顔を直視できなくなっていた。
「それじゃ、また夜に」
「ああ、いつもありがとう」
食事を終えれば彼女は自室に帰っていく。俺は学校に向かうため、ネクタイを締めた。
▫▫▫▫▫
「なあ唐本、お前休みの日は何してんだ?」
昼休み。いつも通り学食のカレーを頬張っている俺へ不意に問いかけたのは、以前俺を誘ったクラスメイト。
「何って……勉強したり……バイトしたり……」
「おいおい!真面目かよ!たまには遊び行ったりしねぇのか?」
「そんな金は無いな」
「ッカー!しゃーねぇな。俺が奢ってやるから今日はハメ外すぞ!」
そんな口約束の元、クラスメイト、
『
▫▫▫▫▫
「お?お前アオミサギの曲知ってんのか?」
「たまに聞く。というかそれぐらいしか曲知らないな」
アオミサギ。それはミサギのハンドルネームだ。配信者兼作曲家としてかなり名を馳せている。
灰実の友人たちは中々に気のいい奴らだった。気遣いができるし、心を削ぐようなことを言わない。
「……たまにはいいな、こういうのも」
「だろー?ほらほら、次お前の番だぞ、唐本」
ミサギ以外、不要だと思っていた。それでもこうして受けた厚意に応えるのも、中々悪くない。そう感じた。
▫▫▫▫▫
「あ゛ー、疲れた……」
灰実たちの体力は底無しだった。カラオケの後はボウリング。その後はバッティングセンター。楽しいには楽しかったが、疲労が著しい。明日休みでよかった。
夕飯を一緒にできないことはあらかじめミサギに伝えてあった。疲れた体を引きずり、シャワーを浴びてからベッドへ倒れ込む。
「……」
沈みかけの意識で今日を振り返る。
「……悪くなかった」
暗い方だという自覚はあった。それでも、あの熱に浮かされるのはなかなかどうして。
そんなことを夢想していると携帯にメッセージが。バイト先からなんか来たのか?
『まだ起きてる?』
ミサギからだ。何か忘れていたことでもあったか?と脳内を探ってもそれらしい答えは見つからない。とりあえず返信を送らなければ……。
『今寝ようと思っていた』
『あーごめんごめん。気にしないで』
何かあったということを言外に言っているようなものだ。生憎、俺はそういうのを放っておける質ではない。好きな相手なら尚更だ。
『何かあったのか?』
『……言いにくいんだけど、勉強と作曲に夢中でまだご飯食べてないんだよね。静香からのメッセージも今になって気づいたし』
ふ、と息が漏れる。寝食を忘れる程に熱中できる何かがあることを羨むような笑みだった。
『食材はあるのか?』
『いいの?』
『君にはいつも世話になっているからな』
『今日、鍋パしようと思って色々注文してたんだよね』
念のため灰実たちとの食事を拒否していてよかった。俺は身を起こした。
▫▫▫▫▫
「大丈夫?眠くない?」
「どうせ明日はバイトも休みだし、ちょうどよかったよ」
煮える鍋を前に、俺は箸を取った。出汁を抽出したりご飯を炊いたりしていると時刻はもう九時。俺も彼女も空きっ腹だった。
「「いただきます」」
鍋の具材は鶏もも肉、鱈、ネギ、白菜、舞茸など。付けるのはシンプルにポン酢。
「ふふ、美味しい」
「そうか。ならよかった」
比較するのはよくない。そう思ってはいても、灰実たちとの時間よりミサギとの食事の方が満たされてしまう。
もちろん、灰実に感謝しているし楽しかったとも思う。しかし俺の心を捉えたのは彼女だけだった。
友人は大切にするべきだ。そう理解しながら、この未成熟の関係を愛おしいと思ってしまう。
そんな後ろ暗い内情を抱えながらテレビの喧噪に身を委ねる。今は実写映画を見ていた。
「あ、この俳優最近売れてるんだよね。CMにも出ずっぱりだし」
「……好きなのか?」
「演技力が凄いから推しになった感じかな。あーでも私は静香の方が好きだね」
「!!──ゲホッゲホッ」
俺は派手に咳き込んだ。
「わ、大丈夫?ちゃんと噛んでから飲み込んだ方がいいよ」
「ゲホッゲホッ、ゴフッ、……君、そういう爆弾発言は心臓に悪い」
「?何のこと?」
無自覚な分余計たちが悪い。好ましく思ってくれているのは素直に嬉しい。が、彼女の性格上その″好き″は花やペットに向けるようなものだと俺は判断している。
俺はミサギに惚れている。しかし、思春期の恋愛はうまく行く方が珍しい。
思いを吐露しようとは思わない。こんな気持ちでこの関係を壊したくなかったから。
「……難しいな」
「?さっきから何の──あ、静香静香、見せ場だよ」
テレビに映る
勝てないな。人間的に。そんな面倒くさい諦観を持て余すように、白米を口に押し込んだ。
▫▫▫▫▫
「…………」
休日は大抵勉強かバイトをしているため、完全なフリーを持て余していた。昼まで惰眠をむさぼり、目覚めれば空虚な眼で天井を見る。
趣味らしい趣味は無い。ゲームも読書も運動も大して好きになれなかった。
「…………」
ベッドから起き上がれない。廃人にでもなったような気分だ。
──そんな陰鬱な空気を裂くように、インターホンが鳴る。
「おーい、静香ー」
「この声……ミサギ?」
時刻は昼。いつもなら配信をしているのに、何故俺の所に?
困惑しながら玄関のドアを開けると、
「静香、カレー作りすぎちゃったから、一緒に食べよ」
カレー鍋を持った彼女がそこにいた。
「あ、もうご飯食べちゃった?」
「いや、俺は……」
弁解しようとして腹の虫が鳴る。彼女は得心したように微笑んだ。
▫▫▫▫▫
「自衛隊カレーってのが美味しそうだったから、作ってみたんだ」
冷凍保存していた白米をレンジに入れ、温める。運良く二人分用意できた。それにしても……
「珍しいな、君が料理するなんて」
「ひどいなぁ、私だって料理の一つや二つぐらいできるよ。面倒なだけで」
彼女の夕食を作るのはいつも俺だ。俺がいない場合はネットスーパーで買ったできあわせの惣菜を食べているのに、よく料理なんてできたな。
「いただきます……美味い」
「でしょ?コーヒー牛乳がポイントなんだって」
いつもは彼女の部屋で食事をしているのに、今日は俺の部屋。見られてやましい物があるわけではないがなんだか新鮮な気持ちだった。
「今日は配信しないのか?」
大して趣味を持たない俺だが、一つ好んでいることがある。
隣から聞こえてくるミサギの声を聞きながら入眠することだ。学校に行っている平日は聞けない分特別感がある。
「今日は気分じゃなかったからね。ネットの記事見てたら静香とカレー食べたくなって」
「……そうか」
この動揺を彼女は知っているだろうか。サラッと嬉しいことを言ってのけるあたり、彼女は人誑しだ。
「ところでだが、コラボとかはしないのか?」
「楽しそうとは思うけど、人と関わるのが面倒。……そうだ、静香、配信やらない?静香とならいいよ」
「俺は向いてないよ。それに、君みたいな有名人と無名の異性が突然コラボしたら顰蹙買うだろ」
「んー、私は別に炎上してもいいんだけど……それもそっか。静香に矛先向くのは避けたいし、やめとく」
面倒くさがるミサギ。確定申告はどうしてるんだ?……あ、彼女の収入なら税理士に依頼しても大してダメージにならないか。
「俺と関わるのは面倒じゃないのか?」
「あーそれそれ。私もそれ気になってるんだけど……なんで静香とだと平気なんだろ」
思わせぶりな台詞だが……再確認しろ。俺は、誰かに好かれるような人間じゃない。この関係を壊すな。
天井を仰ぐ。特大のシミが二つ入り混じるように存在していた。
▫▫▫▫▫
「それじゃ、また夜に」
「ああ」
私お手製の自衛隊カレーを食べきり、静香はお腹をさすっていた。
程よい満腹感を覚えながら自分の部屋に戻る。配信してもよかったけど今日の私は数学を解き明かしたい気分だった。
「~♪」
曲が降ってきた時は一旦問題を放り投げ、スマホにメロディを記録させながらパソコンで細かい部分を作曲する。文明の利器様々だ。
その後は気の向くまま数学の世界に没頭する。そうしている内に時間はあっという間に過ぎていった。
「……よし、今日はこんなもんかな」
解きたいだけ解いて、静香のことを思い出す。今日の夜も一緒にご飯食べられたらいいな、と。
そんなことを考えていると、ふとリスナーから貰ったコメントを思い出した。
《アオミサギって好きな人いるの?》
『恋』がどんな状態なのかは知らないけど、きっと素敵なものなんだろうなと思う。
でも私は引きこもりだ。なにより面倒くさがり。新しく関係を構築するのが億劫だった。
なのに……なんで静香のことを考えたら思い出したんだろう。
静香と一緒にいて楽しいのもあるけど、それとは別にこう……フワフワするというか……ほんのり温かいというか……微かな高揚?みたいな何かが、静香との時間に存在している。
今日の夕食時に、静香に聞いてみよう。そう思いながら五体を投げ出した。