隣人の天才引きこもりと恋仲になりたいだけの話 作:散髪どっこいしょ野郎
「ゲホッ、ゲホッ……」
胸の不快感と共に目覚めると、咳が空っぽの部屋に放たれた。
これは考えるまでもなく風邪だ。もうすぐミサギが部屋に来る。うつさないためにも連絡しておかなければ……とスマホがあるリビングへ向かおうとしたが、想像以上の気怠さに起きることすらエネルギーが必要だった。
そんな風に怠惰に堕ちていると、その声はやってきた。
「おはよう。……ん?珍しいねこの時間に起きてるなんて」
「ああ、実は……ゲホッゲホッ」
「あれ、風邪ひいた感じ?」
「ああ」
「じゃあ今日の配信はやめとくよ」
近所迷惑を考え彼女の配信はいつも平日の昼間に行われている。休日は突発的にゲリラ配信をやることが多い。
「いや、やってくれ。君の声が聞きたい」
「静香がそう言うならいいけど……無理はしないでね」
とりあえず栄養を補給し風邪薬を飲まなければ……という俺の思惑を見透かしたように彼女はその選択肢を与えてきた。
「朝ごはん食べられる?あっ、私の部屋にヨーグルトあるよ」
「魅力的な提案だが、悪──」
「じゃあ持ってくるね」
いよ、と言うより先に彼女は出て行ってしまった。施されてばかりはどうにも性に合わない。
▫▫▫▫▫
「それじゃ、お大事に」
「ああ。ありがとうミサギ」
学校に連絡は済ませておいた。朝食を摂り薬を飲んだから、後は休むのみ。
「ゲホッ、ゲホッ」
咳をしても一人、とは誰の言葉だったろうか。そんなことを考えながら宙を眺めていると、待ち望んでいた声が聞こえた。
「────、────」
意外と厚い壁によって何を言っているのかは聞き取れないが彼女の声が聞こえる。それだけで心がいくらか安らいだ。
「──、────」
体が熱い。しかし、この熱に浮かされながら聞く配信も中々に乙なものだった。
「…………」
ミサギの声を聞きながら、俺は眠りについた。
▫▫▫▫▫
物音がして目が覚めた。鍵は閉めていた。となると──
「んん……ミサギ?」
「あ、起きた?うどん作ったから食べて」
彼女がそこにいた。寝起き眼を擦り起き上がると、体の不快感はある程度無くなっていた。
「……」
「ん?どうした?」
一筋の涙が頬をつたう。
「うどん嫌いだった?」
「そうじゃ……なくて……」
他者からの温もりに飢えていた、その証拠に漣々と涙がこぼれ落ちる。
「……やっぱり私、こういう状況も楽しめちゃうんだ……」
ミサギが何かを言っている。だがその意味が分からない。
それから涙が止まるまで、思案する彼女と泣く俺という奇妙な空間が形成されていた。
▫▫▫▫▫
「じゃ、今日の配信はここまで。おつ~」
《おつー》
《おつ》
《おつかれアオミサギ!》
夕ご飯の時間が近づき、私は配信を切った。そろそろ静香がバイトを終えて帰ってくる。
「お腹空いた……」
ふと思い浮かんだのは、静香とのファーストコンタクト。確か二人してここに引っ越してきたばかりだった。
『君は、俺と同年代なのか?』
『そうだね。これからよろしくね、お隣さん』
特に会話が弾んだわけじゃない。けど、その接触は何かの始まりを予感させた。
距離が本格的に近づいたのはとある夜のこと。私はエナドリを買い溜めするために重い腰を上げてコンビニに向かっていた。外出って楽しいけど面倒くさい。
『あ、隣の人』
『君は……』
二度目の出会いはまあ、そんな感じで、私があまりにも不健康な生活を送っていたから見かねた静香がご飯を作ってくれるようになって、気づけば互いの部屋に入り浸るようになっていた。
『……君は、それが夕食なのか』
『え?うん』
カロリーメイトとエナドリ。食の楽しみを明日の彼方へぶん投げたような食生活。静香に会えてなかったら寿命が縮まりまくっていたと思う。
以降、エナドリはなるべく控えること、栄養バランスの取れた食事を摂ることなどお小言をいくつか貰った。
『でも面倒なんだよね~、料理って』
『じゃあ俺が作るよ』
静香の料理スキルと、私の財力。それが夕食の時間を楽しみにさせた。
食材は私が適当に注文して、後は静香に丸投げ。静香は家事が好きだったこともあってどんな無茶振りにも応えてくれた。
「まだかなー静香」
呟きながら部屋を出て、静香の部屋の前に立つ。いつも引きこもっている私が外に出る珍しい機会だ。
「……お、帰ってきた」
二階からの眺めで静香の姿を確認。今日はサムギョプサルを作ってもらうつもりだった。
「おかえり静香」
「ああ。ただいま、ミサギ」
▫▫▫▫▫
「静香ってなんでそんな私によくしてくれるの?」
「……」
出会った当初から、なんとなく放っておけない人だと思っていた。自分のことも満足にこなせないくせして、他人の生活に関与する。俺はそんなお節介焼きな人間だった。
「……君が、俺にとって、大切な人だからだ」
「そうなの?いえーい」
……君は、きっと俺の言葉の真の意味を知らないだろう。でもそれでいい。無理に踏み込んでこの関係を壊したくなかった。
「パンケーキでも作るか。食材いくつか貰うよ」
「お、静香がスイーツ作るなんて。珍しー」
甘味は強い依存性がある。エナドリを愛飲するミサギには特に気をつけなければいけない。……が、たまに食べる分にはむしろ健康的だ。
「メープルシロップ……は無いか」
「チョコソースならあるよー」
代替品には上等。仕上げのソースをかけて計四枚のパンケーキが完成した。
「いただきまーす」
一人二枚。食後のスイーツとしては適量だろう。
「んー、美味しー」
「ならよかった」
彼女から貰う心の温もり。それが、今日まで、そして明日も俺を動かしてくれている。その対価が調理という労働なら、俺は甘んじて受け入れよう。
▫▫▫▫▫
「ミサギー、起きてるかー」
ある休日。俺は彼女の部屋に突撃していた。彼女がいなくても『これ』は成立するが、参加人数が少ないのは寂しい。
「んー、おはよう……珍しいね、静香が朝に来るなんて」
「大家さんが流しそうめんするらしい。君も参加しないか」
「いいね。楽しそう。……でも面倒だなー。静香、一階までおぶってくれない?」
「少し歩くだけなんだが……」
ミサギの面倒くさがり体質は重症だ。仕方なく、俺は彼女を背負って一階に向かった。
「ヒッヒッヒ……二人とも、朝からお熱いねえ」
「最近気温高いですもんねー」
「ミサギ。多分意味が違う」
このアパートには俺とミサギ以外の住民もいるが、生憎今日は席を外している。参加者は俺たち二人だけだった。
「それじゃあいくよ?そーれ!」
大家さんの掛け声と共に竹筒にそうめんが流れていく。中々速い。
「いただきまーす。……うん。夏に食べるそうめんは美味しいね」
「だけど、いいんですか大家さん。俺たちだけ楽しんじゃって」
「あたしみたいな婆は人に気遣われる方が多いもんでね。たまにはあんたたちみたいな若人に施したくなるのさ。ミサギちゃん。ごまダレいるかい?」
「やった。いただきまーす」
夏は非常に暑苦しい。普段のミサギのように、クーラーの効いた部屋でまったりしていたい。
しかしそんな憂慮を超える程に、流しそうめんという小さな夏のひとときは価値のあるものだった。