ダブルTS自分ヒロイン物   作:双葉

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第十話 お使いクエストも楽じゃない 後編

 

 

 甲高い木こりの音が響き渡っていた。ノースドーラムでは林業が盛んのようだ。

 魔力の影響で木々の成長が早いのだろう。ずっと向こうまで数え切れないほど大量の切り株が並んでおり、どれも車のタイヤぐらいには太い。そして斧などで荒く伐採された断面でさえ生き生きとしている。

 屋久島などの杉の木は内部にミッチリと油が詰まっていて腐らず、落雷などで引き裂かれても根本から再生すると聞いた事があるが、ここの木々もそうであるらしい。年輪の隙間からは再び天を目指すべく無数の芽が顔を出していた。

 

 

「凄いねこれ。切り倒されたのに、まるで意に介してない」

 

 

 目を見張るほどの再生・成長力だ。秘境の開拓がどれほどの苦難を伴うのか漠然と察する。

 森を切り開くどころか押さえ込むだけでも相当な人手を食っているらしい。屈強な男たちが斧を片手に群がっている様子や、落とされた枝を薪にすべく拾い集めている下働き風の集団など、都市部であるドーラムよりも活気に満ちている気さえした。

 ここならば力仕事には事欠かないのだろう。更に近づいていくと町外れの小屋の前に人だかりが出来ており、彼らは今まで見た中では最も大きい(それでも軽自動車と比べられる程度の)馬車を囲んで、まるで神輿でも担ぐようにして木材を積み上げていた。

 

 

「ハル。あれ、馬車にかけてるの、魔法だよな?」

 

「……うん、そうだと思う。重量軽減かな、確信は持てないけど」

 

 

 飾り気のない荷馬車を遠巻きに観察していると、不意に幻想的な光が飛び交う。

 ここでは日常的に魔法が活用されているのか。驚いて目を見開くと使い手はすぐに発見できた。

 

 三角帽子やらローブなどの装いをしている訳ではないが、目立つ人間が居る。

 周囲が汗と土埃が汚汁として絞れそうな労働者たちであるから浮いて見えたのだ。魔法使いらしい男は服が上質かつ清潔だし、森には入らないのだろう、ボロや継ぎ接ぎがないし体格だって別物である。その辺りに疎いハルでも違いを察する事ぐらいはできた。

 

 

「うわ、魔力で負けたの、初めてだ……」

 

 

 それに魔力量が常人より多い。いや多いどころか、自分を上回っているではないか。

 責任者らしい太った男が何度も平伏しているのも納得である。当然だとでも言うべき魔法使いの態度からするにお偉いさんか? 今まで負け無しだったハルはショックから唇を噛む。

 やはりただ与えられただけの力では簡単に上回られてしまうらしい。修行の予定を更に深く心に刻んだ。

 

 

「どうする、宿屋で休むか? それっぽいのは発見したけど」

 

 

 お互いに意識しながら脇を通り抜ける。小型の要塞を思わせるレンガの建物へと近づく。

 有事の際は立て籠もる事を考えているのだろう。窓は高くて小さいし壁は分厚い。背の高い屋上には見張りらしい連中が2人組で居座っている。

 看板の絵柄から見るに食事処と宿屋を兼ねているようだ。音や気配に敏感なエルフ耳を澄ませばよく分かる。壁の向こうには大賑わいの気配が所狭しと詰め込まれているのを感じた。

 

 

「……まだ疲れてないし、今は良いかな」

 

 

 ハルは分厚い木の扉を眺めながら溜息を漏らす。こんな中では休めそうにない。

 こうしている現在でさえ四方八方から視線を感じるのだ。恐らくは人でごった返しているであろう場所へ突入しようものなら、見世物小屋に入れられるのと同じ気分を味わうに違いなかった。

 やはり異種族であるエルフやダークエルフは目立つらしい。不安に思うのはお互い様のようでそっと近寄ると、二人して寄り添ったものだから肩に鎧の感触を覚えた。

 

 どうも実用的な施設ばかりで、落ち着いて食事や休憩を取れるような場所は見当たらない。

 持ってきた保存食を食べるだけでも大変だろう。まだ空腹を覚えるほどの時間も経過していないし。下手に気疲れするぐらいならばと先を促す。

 

 

「そうだな。こっちもケツがゾワゾワするんだ、さっさと行きたいよ」

 

 

 視線で教えられた先を見て、浮浪者のような格好の男が此方を見ている事に気付く。

 ヘドロのように粘っこい視線に辟易したが、ソイツの左手が股間で激しく動いている事を視認してしまうと、その瞬間に凄まじい怖気が背中を駆け上がった。

 ブワッと髪の毛が広がりそうなほどの衝撃だ。全身の肌が嫌な意味で泡立つ。数年前に素足でゴキブリを踏みつぶした時以来の精神的気持ち悪さ。ハルは奥歯が鳴るほど強く噛みしめた。

 

 此方が気付いた事を気にした様子もない。それがまた気持ち悪い。

 垢に覆われた顔に下卑た笑みを浮かべ、隠すどころか魅せつけるように腰を付き出してくる。込み上げる吐き気は限界に近い。舌の奥に酸っぱい物となって具現化し始めたのを感じる。

 

 

「早く行こう、早く!」

 

 

 あんな連中と同じ空気を吸うなんて。冗談でもやめてくれ。

 同じく身体を震わせたノヴァと手を繋ぎ、ハルは森へと続いている大通りを駆け抜けた。

 

 

「くそう、ドーラムとは違うって言われてたけど、ここまで違うとは思わなかったよ」

 

 

 喧騒から離れて木陰に辿り着く。ハルは大木に背中を預けながら息を整えた。

 町中よりも秘境に近い場所の方が安心できるなんて。背後を振り返って追手が居ない事を確認して胸を撫で下ろした。

 

 

「こっちも甘く見てたわ。冒険者じゃない余所者はヒトと思うな、なんて。過激すぎる物言いにビビってたけど、あれを見ると反論は出来ないな」

 

 

 ノヴァは忌々しげに顔を歪めると、胃液混じりの唾を吐き捨てた。

 動物園でボノボを見るのなら気にしないだろう。だが仮にも人間であるのに、あんな動物じみた態度を取れるとは。日本人とは違いすぎる価値観に気持ち悪さを抱いてしまった。

 

 

「冒険者と日雇いの違い、か。ああいう意味なんだね」

 

 

 杖を握り直すと魔法で少量の水を出し、口の中を洗いだハルは難しい顔で頷く。

 女将さんに口酸っぱく言われた事だが実感が伴っていなかった。人間だけど人間じゃないだなんて。今ならその言葉がよく分かった。

 教育が行き届いていた日本とは違う。知識は財産であり富める者だけが恩恵に与れる。

 その中には礼節や自制の精神も含まれているのだろう。自分たちが異世界の異文化に飛び込んでしまった事を再認識させられた。

 

 

「まあ、良い教訓になったな。次回以降に活かそうぜ」

 

 

 同じように口を濯いだノヴァが肩を竦める。ハルも気持ちを切り替えながら周囲を見回した。

 振り返ればノースドーラムの端っこが視界に入る。ここは人間の領域と魔物の領域が重複しているような場所なのだろう。現代よりずっと分かりやすい国境だった。

 

 

「うん、そうだ、そうだね。次回があるんだ。冒険者になるんだものね」

 

 

 ハルはゆっくりと呼吸をする。雑念を振り払うとクエストの成功に意識を向ける。

 足元は想像していたよりも随分と確かだ。植物の根がガッチリと固めているらしく強く踏みつけてもビクともしない。代わりに木の根っ子などが浮き上がり波打っている。

 枝の隙間から光が差し込んでいる部分は草地になっていたり、新しい若木が天に向けて背伸びをしているが、最低限の手入れはされているようで環境は悪くなかった。

 

 

「……予想外に飛び込んじまったが、ここはもう秘境の中、なんだよな?」

 

 

 ただし森の空気は独特の臭気を孕んでいる。葉の青臭さと花の香、それに魔力だ。

 ノヴァも何かしらの技能で森の異常性を認識しているらしい。茶化すようなセリフを交えつつも戦闘態勢に入っている。ハルバードを握る腕からはピリピリとした緊張が伝わった。

 リーチがあり戦闘には便利な長柄武器だが、この森の中では活躍が難しいかもしれない。だからこそ気を立てているのだろう。

 

 

「そうだよ。だから運が良ければ、その辺にでも生えてると思うんだけど……」

 

 

 ハルは不安げに首を巡らせる。頭上を覆う枝々に頭を抑えられた気分で溜息を漏らした。

 また親指よりも太く頑丈そうな蔓植物も縦横無尽に蔓延っており、各所から垂れ下がっている部分など蛇と見間違いそうで怖かった。武器を振り回すにも邪魔になりそうだとハルでも思う。

 

 ただ、幸いにも足元は確かである。伐採などのために最低限の手入れは成されていた。

 或いは馬やロバなどの餌にすべく定期的に刈り取られているのかもしれない。周辺を見る限り藪の中へ潜り込むような事態にはならないだろう。お互いに胸を撫で下ろす。

 茂っている木々のため見通しが良いとは言えないが。藪が殆ど無いお陰で森の中にしては悪くもなかった。ハルは半ば腐葉土と化している落ち葉を踏みながら頷く。

 

 

「にしても、すげーな。森の奥の方にある木とか、屋久島の杉の木みたいだ。

 4階建てのビルぐらいか? 何メートルあるんだよ、あれ……。綺麗な花もあるけどさ」

 

 

 森の木々たちの生命力には不気味さを感じるが、同時に力強さ故の美しさも胸に響く。

 少し探せば花壇のように豪華な花を結ばせる枝々もチラホラと見受けられる。手近な所では桜に似た垂れ枝を持つ樹が赤と青の花をつけており、中でも自分の握り拳ほどもある薔薇に似た花は特に際立っていた。

 

 

「……ノヴァ、ストップ。青い花は花粉が毒だから、綺麗だからって触ると、肌が荒れるよ」

 

 

 脳内の知識で危険性に気付いたハルが、ノヴァが触れてしまうより先に注意を飛ばす。相棒はギョッとした顔をすると慌てて腕を引っ込めた。

 あまり強烈な毒ではないが炎症を起こして痒みを誘発するらしい。だから吸い込むと危険だ、鎧姿のノヴァには痒みなども厳しいだろう。

 害虫は青い花に誘導して殺し、益虫は赤い方の花に誘導する性質がある。野外では珍しいが秘境では一般的な植物のようだった。

 

 

「うへ、こんな綺麗なのに……」

 

 

 青い花はラピスラズリに似て見事な色合いだ。一方の赤は色褪せているように見える。

 入念に花粉を取り除けば花飾りとしても使えない事はないと思う。ただし有毒性から花言葉には悪意に関連する物が多いようで 『見た目と正反対の性質から触れば火傷するような悪女』 に例えられる事も多々あるのだとか。

 逆に赤い花の方は甘い香りが気持よく、しかも甘い蜜を蓄える事がある。なので 「私は貴方の魅力を知っています」 など、身分が高い者から低い者へのプロポーズで使われたりするらしい。

 

 

「秘境ってだけはあるね。変な植物もいっぱいだよ、ここ」

 

 

 見えている範囲でも有毒の植物が幾つもあった。キノコの類も豊富そうだから恐ろしい。

 なにせマタンゴやら自ら歩き回るキノコだって存在する世界観である。踏み付けると猛毒の菌糸をまき散らすとか、素手で触れただけで皮膚が溶けるとか。とってもデンジャー。

 変わり種だと獲物を感知して猛烈な勢いで成長し、下方から串刺しにする凶暴なタケノコなんかも生えているようだった。普通の植物の方が多いが一部の個性が強烈過ぎて目が眩みそうだ。脳内の情報を漁れば漁るほど帰りたくなってしまいハルは顔を顰める。

 

 

「正直に言うが、ハル。奥には行きたくないぞ」

 

「こっちも同感だよ。出来れば外周部で済ませたい」

 

 

 有り余る大自然の脅威に対し、人間の努力が実を結ぶ事は少ない。

 人間の手が行き届いている領域は薄皮のように頼りなかった。手入れされているのは森の端から見える程度の距離だけで、奥へ進むほど木々の密度が上昇し環境は険しくなっていく。

 奥へと伸びている道が最も分かりやすい証拠だろう。入口部分では街道より気合の入った舗装道路が森の奥へ続いているが、僅か300メートル程度の距離で森に飲まれていた。

 

 道が終わっているその先が魔物の領域、それを示す何よりの証拠だ。

 行き止まりのように茂みや蔓植物が生い茂っている様子は恐ろしげだった。奥からは鳥の声や聞いた事もない獣の遠吠えなど、如何にも魔境じみた音が響いていた。

 木のサイズにばらつきがあるから、真っ暗ではなくある程度の日差しは差し込んでいる。だが雰囲気は安穏としておらず、エルフの本能的に恐怖を覚える。進んで入りたい場所ではなかった。

 

 

「そんな珍しい種類じゃないんだよな? マロドアって。

 なら縁に添って移動してれば、そのうち見つかるんじゃないか?

 

「だからマロド……あれ? あってるね、おかしい。ノヴァなのに。

 っと、冗談は置いといて……こっちも賛成かな。まだ準備が足りないよ」

 

 

 冗談めかして言うのは半ば強がりである。ハルは自分の力の象徴たる杖を抱きしめた。

 自分の事だからノヴァも分かっているのだろう。愛想笑いと空元気を顔に込め、お互いに笑い合うと肩を並べる。

 

 

「んじゃ、さっさと探しに行こうぜ。長く居るのも危ないだろ、ここ」

 

「そうだね。こっちが先導するから、ノヴァは警戒をよろしく。

 ここには変な植物もいっぱいありそうだから、下手に手を伸ばしたりしないでね? 本当に。指差すぐらいにしておいて。聞かれたら答えるから」

 

 

 戦闘での主導権は握れないハルだが、森の中ではエルフの知識が役に立つ。

 足元にしても木の根っ子が張り巡らされており平坦ではない。秘境という特殊な環境では、ただ歩くだけでも知識と経験が必要だった。

 

 目立たないが無毒有毒を問わずキノコの類が繁殖している場所など、理由がなければ踏みつけるのは辞めておくべきだろう。そうでなくとも苔などが生えており足を滑らせやすい。

 積もっている枯れ葉の下には毒蛇や毒虫などが潜んでいるかもしれないし、自然と発生した窪みが隠れており足を取られるかもしれない。

 ハルが指折り危険を数えると、それを聞いたノヴァは実に嫌そうな顔で肩を竦めた。

 

 

「うむ。キテレツな植物には懲りたよ。そういうのはハルに任せた。……じゃ、行くか」

 

 

 下手に歩けばそれだけで痛い目を見る、先程の毒花からも明白だった。

 道案内を任されたハルからすると信頼が重い話だけれども。背後から相棒が槍を握り直した音が聞こえた。ハルは深呼吸して気合を入れながら、未知の領域へ向けて先陣を切る。

 杖で足元を軽く叩きながら、頭上から垂れ下がるツタ類を避けながら。エルフの知識を総動員しつつ着実に進んでいく。ジリジリと心身を焦がすような時間が始まった。

 

 

「えっと……あの葉っぱには毒があるから避けよう。近寄っても良い事は無いし。

 あ、この木は実が食べられる……けれど、一つ残らず持ってかれてるか、残念。……あ、右の枝に毒蛇が居るから、あれも回避しないと」

 

 

 さして暑くもないのに白い額には玉の汗が浮かんだ。ハルの小さい心臓が早鐘を打つ。

 緊張とストレスのせいで身体がずっしりと重く感じる。また各所に点在している腐葉土の層などは範囲が広過ぎて回避するのは難しい。その癖にブーツの底が埋まるほどフワフワして歩き難くて面倒である。雪の上を歩くようで頼りない。

 常に下半身に力を入ていないと転びそうになり、圧倒的な体力を持つノヴァでさえ難儀していた。ハルは視線を周囲へと散らしながら深呼吸を繰り返す。

 

 

「っ、ハル、頭下げろ!」

 

 

 背後から悲鳴に近い指示が飛んだ。ハルは突然の事にギョッとしながらも従った。

 その直後に耳のすぐ近くから風切り音が響いて、頭の真上をハルバードの先端が横薙ぎに通過していくのが前髪越しに見える。ギラつく刃の反射光が目に恐ろしい。

 そして何か石のような物切りつけたような音が響き、ほぼ同時に何かの液体が撒き散らかされるのを耳に感じた。一瞬だけ自分の頭が砕ける嫌な想像が浮かんでしまい、ハルは屈み込んだ勢いのまま尻餅をつく。

 

 

「ひぇっ!? うわ、うわわっ!!」

 

 

 足の間に転がって来たのは真っ赤な果物だ。ただし横向きに真っ二つにされていた。

 濡れた断面からはザクロに似た小さな粒が零れ出ている。潰れた実から滴る赤い液体は血のようで不気味であり、先ほど嫌な想像をしてしまったハルは慌てて顔を逸らす。

 

 

「嫌な予感がして、咄嗟に動いたんだが……。良かった、怪我はないよな?」

 

 

 お互いに物凄く驚いたらしい。ゼイゼイと肩を上下させているノヴァの顔を眺め、ハルの右手は半ば無意識に自分の股間を探った。濡れてない。ちびったけど、セーフ。

 頭が揺れるほど何度も何度も頷いた。心臓が破裂したかと思うほど驚いた。

 

 

「だ、だいじょうぶ……。うわ、これ、魔物の一部だよ! 植物の!」

 

 

 植物系モンスター、脳内知識によると、名前はフェイク・イビリー。

 外見は茶色いツタを束ねたような、動物のヘビとほぼ同じ姿をしている。また身体の各所には小指の先ほどの木の実をぶら下げており、樹上で獲物を待ち受けるのだ。

 ハルが顔を上げると後ろ姿だけが見えた。のたうつ何がが枝の奥へと逃げていく。

 

 完全な待ち伏せ型のモンスターであるから、もう危険は無いと見て良いだろう。

 絡みついた樹木から栄養を奪って果実を実らせ、下を通過した獲物に向けて落下させるのだ。

 地面に転がっている果物の下部には鋭い刺と麻痺毒が仕込まれており、麻痺した獲物の肉体を苗床に発芽して増殖する。ザクロに似た部分も有毒であり此方を食べても結果は同じ。

 上手く採取できれば素材として有用だったが、こうも見事に真っ二つになっては使えそうにない。ハルは力無く笑いながら脱力する。

 

 

「……もう危険はないのか? なら、早く行こうぜ。こえーよ、ここ」

 

「エルフとしてはダークエルフの提案に全面的に同意する……。怖い、洒落にならない」

 

 

 どうやら枝葉の影になっていて見落としたらしい。知っていても避けられない物もある。

 ピリピリした様子のノヴァに頷きを返す。ハルは抜けた腰を入れ直すと立ち上がった。逃げるようにその場を後にする。

 

 森の中を歩き続け、周囲を睨むように睥睨しながら、ただ歩き続け。

 汗を吸った金髪が頬やうなじに張り付いて気持ち悪い。ハルは自分の袖で頻繁に汗を拭う。

 ローブ姿のハルはまだマシな方だろう。鎧を纏っているノヴァなど胸や背中が蒸れているようで嫌な顔をしながら肩を動かしていた。タオルかハンカチをたっぷりと持って来れば良かったなと後悔する。

 いくら自分たちが精霊に近い存在でも汗は汗だ。帰ったら最低でもシャワーに、出来ればお風呂へ飛び込みたい。洗濯機で綺麗に洗った服と下着に着替えたい。疲労で足が重かった。

 

 

「なあハル。大丈夫か? 休んでも良いんだぜ?」

 

 

 そんな様子を心配されたのか、同じく額の汗を拭いながらもノヴァが声を上げる。

 森へ入って2時間、いや3時間は歩いただろうか。絶え間なく続いている緊張状態は強い乾きを運んできていた。深く息を吸った口の中に水気が全くない。

 先の一件もあり集中しすぎていたようだ。ハルは頭の奥が熱っぽくなっている事を自覚した。

 

 

「……そうだね。ちょっと休もう。ノヴァも喉乾いたでしょ、ちょっと待っててね」

 

 

 数秒でも気を抜くのが怖い。何かが襲ってきそうで恐ろしい。

 その心を押さえつけるようにして足を止める。入念に確認した一角で汗を拭いながら樹上を見上げた。ハルは手汗が染みこんでしまった杖を握り直す。

 

 

「いや、こっちは後回しでいいよ。まずはハルが先でいい。警戒しておくから」

 

 

 魔法を使った事で追加の負荷が発生し、顔色を悪くしたハルの顔が覗き込まれた。

 遠慮しようと思ったがその余裕が無い。感謝しながら生み出した水を浴びるように飲んだ。喉の渇きを癒やすだけで生き返ったような気分になる。

 

 

「ありがと……。にしても、ここまで疲れるとは思わなかったよ」

 

 

 ノヴァも美味そうに喉を鳴らしているのを眺めながら、ハルは本日一番の溜息を漏らした。

 短い間だが毒虫や毒蛇の類は飽きるほど見かけたし、一応はモンスターの分類である巨大な動く粘菌、RPGでもお馴染みの一種であるスライム程度ならば何回も遭遇していた。

 リスなどの無害な小動物もいない訳ではないが。ピクニックではないこの状況で遭遇しても、ただ驚かされた事に対する悪態が漏れるばかりだ。心が摩耗していくのを感じてしまう。

 

 

「全くだよ。もっと楽勝かと思ってた。帰って風呂入りたい」

 

 

 回避が難しい魔物と出会わないのは幸運なのか。それともハルたちが気付かないだけか。

 苔などを食べる大人しいスライムは無視していたが、活動的な肉食種であれば戦闘になっていただろう。フェイク・イビリーのように体温を感知して樹上から落下してくる場合もあり、万が一にでも見逃せば非常に危険である。

 また草食のヤツでも決して安全という訳ではない。不用意に踏み付けると足底を焼かれるので注意は必要で、基本的には全ての物に対して注意と警戒と判断が必要な環境だった。

 

 

「有用な植物も幾つか見かけたけど……。荷物になる現状、採取したくない」

 

 

 ただ資源としては豊富であり、ちょっとした薬草、ぐらいならば腕に抱えられるほど存在していた。

 もし鞄と体力に余裕があれば拾っていただろう。しかし一刻も早く帰りたい現状、たかが5分でも10分でも短縮したいのが本音である。悠長に道草を食っている余裕など無かった。

 また効能の高い薬草には匂いが強い物も多い。独特の臭気により草食獣や、それを餌にする凶暴な捕食者などを呼びこむ危険もあり、生えていた位置を脳内に記憶しつつスルーする事にしていた。

 

 

「クソッ! マロドアっての、まだ無いのかよ!」

 

 

 短い休息を終えて歩き出す。噛み潰しきれなかった悪態がノヴァの口から漏れる。

 止めようにもハルだって全く同じ気持ちを抱いていた。今まで発見できなかったのは希少なのではなく、単純に運の問題だろう、それが分かっているからこそ余計に辛い。

 巡りあわせが良ければ5分で帰路に着く事も出来た、こんな秘境を長々と歩く必要もなかった。いっそ全てを投げ捨てて帰りたくなる。何でこんな辛い思いを、と愚痴が漏れる。

 

 

「でもなあ、見捨てられないよなあ、ああもう……」

 

 

 一人の命が掛かっているのだ。それを思い出すと、何かが自分の背中を押した。

 ちっぽけな正義感か、あるいは虚栄心か。内情を描写すればきっと碌なものではないだろう。だがその程度の物が身体を動かすのだから不思議である。

 

 

「そうだな、俺らが、やらないとな。……ったく!」

 

 

 歯を食いしばりながら顔を見上げれば、いつの間にか太陽は傾き始めていた。

 まだ夕暮れの到来までには暫くの時間が残されている。ただし行きと帰りで同じだけの時間を費やすと想定すれば、遠からず踵を返す事も要求されるだろう。

 

 再び魔法で水を出し、やたら塩っぱい筈の保存食を無理矢理に口へ捩じ込む。

 糞不味い物を何で平然と食べられるのかと疑問だったが、酷く疲労していると味なんて興味の外になるらしい。親の敵を思う勢いで口中の物体を噛み締める。顎が疲れるほど硬い干し肉だ。

 それでも過剰なほどの塩っけは有り難かった。特に味付けの濃い部分を舌の奥に刷り込むようにして舐める。

 

 

「ねえ、ノヴァ……」

 

 

 帰ろうか? そう言い掛けて、ハルは動きを止めた。

 大木の裏側に何かが見えた気がした。視界の端を過っったソレが信じられない、そんな表情のままフラフラと足を進める。

 そして、やっと発見したマロドアの姿に、ハルは万感の思いで拳を固めた。

 

 

「どうし……? お、あったのか!? あったんだな!?」

 

 

 ハルの様子から気付いたらしい。覆い被さるように抱き竦められる。

 鎧が高等部にガンガンとぶつかって痛いし、小さいとはいえエルフのオッパイを押し潰すように抱いている小手が食い込んでやはり痛いのだが、今だけは文句をいう気にならなかった。

 お互い汗に塗れているため肌触りはベタベタして不愉快で、なのに嬉しくて仕方が無い。大きく頷くとハルの金髪の先端から雫が踊った。

 

 

「よし! 【ピック・プラント/植物採取】」

 

 

 笑顔を迸らせながら杖を握り締める。魔法に込める気合も格別である。

 他の野草に混じって生えているマロドアを選り分け、魔法を発動させながら左手でそっと引き抜く。1メートルはありそうな長い根っこが地面の下からスルリと姿を表した。

 引きぬいた事で独特の匂いが周囲へと広がる。タバコに近いが魔法的な品種だけあって確かにタバコの残り香のような、エルフの敏感な鼻孔の奥が抉れるような臭気であった。一掴みほど確保して慎重に腰の袋へと纏めておいた。

 

 

「後は帰るだけだな! よっしゃ! さっさと帰ろうぜ!」

 

 

 終わった、と思うと全身が軽くなる。忘れていた活力が足に漲る。

 帰るまでが遠足だ……なんて言葉もあるけれど。既に通った道を逆向きになぞって帰る、それは未知の領域へ割り込むよりずっと負担が小さい。足取りも自然と軽くなる。

 お互いに目を血走らせながら 「俺はもう帰るんだ!」 と歩を進めれば、帰路は驚くほど短い時間で終わらせられる。一刻ほど後には森の入口でハイタッチを交わしていた。

 

 

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