ダブルTS自分ヒロイン物 作:双葉
解体場の内部は予想より普通で、木製の床が体育館を彷彿とさせる空間になっていた。
ただし天井はかなり低いし、歩く度にブーツの底が 「ネチャッ」 と赤黒い糸を引く。悪臭についても屋内だけに篭っているらしく野外より更に強烈で目に痛い。まな板に齧り付くような距離でタマネギを千切りにしているみたいに突き刺さる。
採光も兼ねているのか壁や天井にある窓は大きく開け放たれているが、その状態でもなお臭すぎて目がシパシパして涙がにじむ。それに明かりが足りていないのか隅の方は特に薄暗い。床の黒っぽさが余計に強調されてより不気味な空間となっている。
「ラスボスが潜んでるダンジョンよりキツイ……」
自力での解体も考えたが、この場所ではやりたくない、とアイコンタクトで意見が一致した。
ハルもノヴァも出来るだけ息を止めながらドアを潜る。交渉役を兼ねているノヴァが先んじて内部を見回し、数人ほどの冒険者が狼と似た大きさの獣を解体しているのを見て取った。
狼を仕留めるのは凄い事らしい。彼らの声と視線を感じながら横を抜ける。床の粘着に足を取られないよう注意しながら奥にある受付カウンターへと続いた。
「こっちだよ、どうぞー」
ノヴァへ向けて軽く手招きをしたのは、金髪を短く刈り込んだ若い青年だ。
顔の造形は悪くないが鼻を中心にそばかすを浮かべている。椅子の背凭れに身体を預けながらの勤務態度は流石ファンタジーというべきか。鎧越しにノヴァの胸を見て口笛を吹いた。
男の視線の割に粘っこい感じではない。純朴というよりはお調子者のような雰囲気がそれを成しているのだろう。
「あー、その。オオカミの引取をお願いしたいんだが」
「買い取りね。手数料は1割ほど取るけど、素材の一部を買い戻しもできるよ?
この狼なら……。ふーん、傷もないし、血抜きも上出来だ。これ全部売るなら、まず皮が銀貨20枚……、いや、驚いたな! 本当に傷は頭だけじゃないか。これなら35枚は出せるよ。
後は肉が14枚、骨が6枚ってところだね。買戻しの手数料は売値から1割だ。どうする?」
ハルの視線に気づくと彼は表情を綻ばせ、ニカッとでも擬音がつきそうな満面の笑顔を浮かべてみせた。笑いながらもカウンターに乗せた狼の死体を見る視線は鋭い。
この臭気の中でも平然とした様子だ。涙目になっているノヴァやハルの顔を平然と眺め 「はは、美人さんを泣かせちゃったよ。それも特上級のを二人も一緒に」 なんて呑気そうに笑っていた。
……ノヴァどうする? その値段で全部売っちゃう?
信用できそうだし、いいんじゃない?
予想外に話せそうな人材を前にして、この場所から早期に帰ってしまう、という選択肢が揺らぐ。口調が柔らかいだけに先ほどの兵士よりも会話が簡単そうに思えた。
ある種の尊敬を込めてその笑顔を眺めつつ、ハルとノヴァはアイコンタクトを交わす。
正直に言うとオオカミの値段が高いか安いかなんて、まるで分からない。けれど現在は自分たちしかカウンターに用がある客は居ないようだし、この際だから情報を聞き出すべきだろう。
「それで大丈夫です。ただ、失礼かもしれませんが、この街の物価を教えて頂きたい。
銀貨55枚の価値はどの程度でしょうか? 仮に宿屋に泊まるとして、何日分になりますか?」
努めて口で呼吸しながらノヴァが問いかける。小手のせいで涙を拭えず涙目になっている。
その顔を眼福そうに微笑みながら楽しんでいた青年であるが、数えていた銀貨の枚数をちょうど当てられて驚いたのだろう。 「あれ、お姉さん商人だったの?」 と目を見開いた。
この世界では簡単な暗算を行える人間は希少らしい。ハルは探偵っぽく会話から情報を入手できた事を内心で喝采する。
「そうだね、宿屋の場所にもよるけど……。お姉さんたちなら、1泊で銀貨1枚分ぐらいかな。
お金が勿体ないと思うかもしれないけれど、間違っても防壁の外にあるスラム街なんて入っちゃダメだよ? あそこは"ネズミ食い"の野蛮人しかいない、とんでもない場所だからね」
たしなめるように言う青年に理解を示した。あのスラム街に入る勇気は無い。
つまり銀貨55枚を宿代だけで見れば、2ヶ月近くは宿泊できるのか。予想外の大金に心が踊る。
「今なら銀貨1枚貰えれば、こっちが知ってる情報に限るけど、街の事なら教えちゃうよ?
セコいって思われるかもしれないけどさ、こっちはお小遣いだって少ないんだ。稼がないとね」
朗らかに笑いながら銀貨をねだる青年を前に、1枚ぐらいなら、とノヴァは頷く。
目の前のカウンターに55枚の白っぽい銀貨が積み上げられている。日本で言うと見た目もサイズも1円玉に近い硬貨だ。青年はその内の一枚をポケットに収めた。
サービスの一環として銅貨での受け取りも出来るらしい。小銭が欲しかったので銀貨2枚分を銅貨に換え、銀貨より一回りほど大きい、10円玉に似た茶色い硬貨が積み上げられるのを眺める。
「はい、銀貨52枚と、銅貨が40枚ね」
どんなお金なのかと興味を惹かれたが観察は止められた。 「危ないよ、不用心だなあ」 公共の場所でお金を出しっ放しにするのは良くないらしい。
仕方なしに諦めると二人のポケットに半分ずつぐらい分けて持つ。ハルは自分のローブが硬貨の重みでズシリとしたのを感じ、自分たちの手で掴んだ稼ぎだと思うと悪くない気分を抱いた。
「まいど! んで、まず最初に言うけど、この程度のチップに銀貨はね……。多すぎだよ。
銀貨1枚でも銅貨にしたら20枚なんだから、半分かそれ以下に値切っても良かったのに。太っ腹だねぇ、お姉さんたち」
「……は? って、えー」
ネタばらし、とでも言いそうな口調だ。あまりに軽く言うからキョトンとしてしまった。
どうやらボられたらしい。今更返せとは言えないが、コイツ人の良さそうな顔をしてとんだ食わせ物だな、と青年の評価を改める。
「まあまあ。これでもう、悪質なのには引っかからないでしょ? 安い安い。
見た感じギルド登録もしてないみたいだけど、通行料の銀貨1枚には、銅貨を5~6枚ぐらいは添えた方がいいかな……。それと、チップは商品の値段の1~2割よりは下が一般的だよ。それ以上になると場合によっては賄賂だって受け取る人もいるから、そこは注意してね。
これも勿体無いと思うかもだけど、お姉さんたちこの街でも目立つし、門番からの印象ってのは意外と大きくて、なんかあった時にちょっと違うんだ。特に門番はお金が好きだから」
こちらが怒鳴ったりしない事を分かっているのか、青年は営業スマイルを浮かべなおす。
どうも人を乗せたり落としたりが得意なヤツだった。内容はためになるので怒るに怒れない。むしろよく口の回る人だなあとハルは感心さえしてしまった。
「あと! もし宿を探してるなら、大通りを進んだ先にあるピーター雑貨屋を曲がって、その裏にある 【バートン&ブラミー】 ってところが良いよ! なにせボクの実家だからさ。
テリーの紹介って言えば悪いようにはしないって。ボクも人ぐらい見るしね。お姉さんたちなら安心だもの」
最後に持ち上げられる。お芝居でも見ているような調子にノヴァとハルは顔を合わせる。
すると背後の方から 「おいおい、テリー坊やは今日も稼いだのかよ!」 なんて冷やかしが入った。
振り向くとイノシシの頭を囲む4人組の冒険者が視界に入る。彼らから見てノヴァの容姿が想像よりもずっと良かったのだろう。大袈裟に口をすぼめると 「今日の客は美人さんだな!」 「気を付けろ! テリー坊やは手が早いぜ! アッチも早いがな!」 と下品なジョークが飛んで笑いが起こった。
聞く限りテリーは悪い職員ではないらしい。他の冒険者からも覚えが良いと受け取れる。
ただ日本ではあまり付き合いのない人種だったから面食らってしまう。ただ口がクルクル回り過ぎるのと、陽気過ぎるイタリア人っぽい軽さが玉に瑕なだけで、このテリーという青年は悪い人間ではないようだった。
面食らっていたハルよりもノヴァの方が先に復帰して、こほん、と仕切りなおして言葉を紡ぐ。
「ああ、後は……。冒険のための雑貨も欲しいんだが、そのピーターって店でいいのか?
それと、この街での注意事項があったら、それも教えてくれ」
緊張が抜けたせいでノヴァの言葉遣いも砕けている。テリーにはそれを許す雰囲気があった。
やはり雑になった丁寧語にも気にした様子はなく、ピーターの店でも自分の名前を出せば良い事とか、不用意に裏通りへと入らない事、何よりもスラム街には近寄らないのが重要だと念を押して教えてくれた。
「この街は良い街だよ! 治安もいいし、活気もあるし、冒険者への風当たりも弱いしね」
食事代については単純で、宿代の半分を追加で支払うと1食分貰えるシステムらしい。
後は広場に行けば屋台が出ているので食べ歩きも楽しいそうだ。ただし味については店によって当たり外れが激しいため、買う前には臭いなどを注意すべきだと言われる。
それに屋台は基本的に日中しか出ていない。夕食にするならば日が落ちる前に買っておくべきであり、暗くなった後は宿屋にいるのが良い。下手すると見回りの兵士に問い詰められる事になる。だから夜歩きは辞めた方がいいのだとか。
「なるほどな……。もう夕暮れが近いようだから、雑貨屋へ行くのは明日にするよ」
真夜中でもサンダルでコンビニに行けた国の住民からすると、随分と大袈裟な気がする。
ただ、この都市ではそういうルールなのだろう。ならば郷に入れば郷に従え、先人からの教えは素直に受け取っておくべきだとハルは頷いた。
日本ほど平和な国は地球でも珍しいので外国で日本の常識を当て嵌めるのは良くない。そう観光旅行のパンフレットに書いてあったのを何故か覚えている。
「それじゃ、テリーさん? 今日は助かったよ」
「さん、だなんて。むず痒くなっちゃう。テリーでいいよ、お姉さんたち。
できれば名前を知りたいな。知り合いにもダークエルフは居ないし、エルフはもっといないから」
ウィンクを飛ばされたので笑いながら名乗った。青年は相変わらず芝居じみた動作で 「ノヴァさんと、ハルさんね。覚えたよ!」 両手を持ち上げると顔の横でひらひらさせる。
初めての街に対して不安を抱いていたが、この調子なら悪くないんじゃないかな、なんて思う。
いつの間にか空間に漂う悪臭にも慣れていた。なまじ強烈だから鼻が麻痺するのも早かったようだ。二人は笑顔で解体屋を後にする。
そして門へとトンボ返りすると通行料を払い、助言通り6枚分の銅貨を添えて通行手形を受け取って、その際に 「分かっているじゃないか」 と言う門番に 「テリーに言われてね」 と名前を出すと、そうかアイツに言われたか、と笑いが生まれた。
「えっと、ピーターって雑貨店を曲がって……」
「あ、ノヴァ! あれじゃない? 看板が出てる」
人通りの多い大通りを折れて路地に入る。幸いにも宿屋はすぐに見つかった。
店仕舞いの夕暮れが近いので人の流れも慌ただしく、人混みに慣れた日本人でなければ人にぶつかったりしたかもしれない。スルスルと間を抜けて無事に到着できた。
ドアを開けると食べ物の良い香りと、人懐っこそうな恰幅のいい名物おばさんの笑顔に迎えられる。ここでもテリーの名前は印籠のような効果を発揮してくれた。
安心できる雰囲気だ。それを自覚すると同時にどっと疲労が押し寄せ、そして目を覚ました食欲が二人の胃を鳴らす。
今日は満腹のまま安眠できそうじゃないか。宿代を払いながら二人は心からの笑顔を浮かべた。