ダブルTS自分ヒロイン物   作:双葉

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第七話 お買い物は動乱の香り?

 

 

 朝の身繕いと食事を終わらせ、ハルとノヴァの二人は街に繰り出ししていた。

 たっぷりの睡眠と食事が良かったのだろう。重かった身体もエネルギーをフルチャージして羽のように軽くなり、心も体も解き放たれてウキウキした気分になる。

 

 この高揚はきっと余裕の現れだ。ハルは自分の気分をそう判断した。

 ポケットには必要分の生活費を抜いてもまだ大量と言える銀貨が唸っており、多少の浪費を繰り返しても何週間かの生活は安泰で、異世界で行う初めてのお買い物。浮かれている余裕はないが楽しむのは悪い事ではない。ハルは目的地である雑貨店の品揃えに思いを馳せていた。

 

 

「おー。昨日はじっくり見てる余裕がなかったが、凄いな。ハウステンボスみたいだ」

 

 

 ノヴァの方は既に観光モード。白っぽいレンガ造りの建物が織りなす風情に見とれている。

 本物の観光地ではないから日常的な汚れなども散見されたが、それが逆に異世界らしさを醸し出す一因となっていた。

 

 まるで映画のワンシーンのような風景。それが日常として繰り広げられている。

 家々は木製の窓を開け放って光を取り入れ、通りの向こうへと渡された紐に無数の洗濯物がぶら下がり始める。その下では馬車ではなく人力で引く小さな荷車が道を行き交う。彼らの足元の石畳からは旅人の鈴と呼ばれる植物が顔を出している。

 観光として来ていたらスマホの写真機能を大活躍させていただろう。何ともファンタジーな風景だった。

 

 

「ちょっと周囲が大きいのは気になるけど、本当に異世界だね。風情があるよ」

 

 

 ハルから見ると周囲の人間は皆大きい。それがまた異世界らしい空気を感じさせた。

 道行く人々の背中に押し潰されそうでちょっと困ってしまうけれど。そこはノヴァを盾にするような立ち回りで解消している。

 

 

「おう! 前の美人さんたち! ちょいとごめんよ!」

 

 

 動物の皮を満載した大八車がやって来た。二人は威勢の良い声に思わず道を譲った。

 もしかしたら自分たちが持ち込んだ狼の物かもしれない、なんて思いながら横を抜けていく様子を観察する。いかにもローテクな輸送手段には風情を感じる。

 大きな木製の車輪は石畳の上でガラガラと音を立てながら回転しており、部品の一部には動物の肋骨と思われる骨が使われていた。動物の骨はああやって利用されているのか。二人は物珍しさから荷車が人混みに紛れるまでゆったりと眺めていた。

 

 

「ああいう車はなんて言うんだっけ? 人力車、いや大八車でいいのか?

 つーか毛皮とかで防具を作って貰うにしても、ハルはちんまいロリキャラだしな……。子供服は高いイメージだ」

 

 

 大通りとなると物凄い活気だ。周辺を軽く見て回りながらそう思う。

 目的の雑貨屋は昨日の時点で既に発見しているのだが、宿を出るのが早かったのか窓が閉まっていた。採光用らしい窓も閉まっていたから営業時間ではないらしい。

 仕方ないので観光がてら宿周辺の探索に励んでいる。面白いけれども時間を潰し過ぎるのも勿体無い気がするし、もし定休日だったらと思うと少し不安だった。

 

 

「ロリ言うな。こっちは防具よりも、服が心配だよ。マントとか便利そうだから欲しいんだけど」

 

 

 野宿の辛さを知った身からすると防寒具は必須。温かい外套の優先順位は高い。

 後は解体用のナイフとかロープとかリュックサックとか。テントは大き過ぎるし値段も高いだろうから除外だが、長期になれば疲労が違うらしいので候補に値する。また鍋とかの調理器具も状況に応じて必要だろう。不味い保存食をずっと食べ続けるのはいかにも辛い。

 

 普通のRPGならポーションだけ買っておけば、あとは体一つで冒険に飛び出せるだろうに。

 ハルはローブのポケットにある銀貨の重みを指で確かめる。初めての冒険で得た報酬。この余裕も明日には消え失せそうだと皮肉げに唇を吊り上げた。

 

 

「こっちは防具はいいとして……。普段着が欲しいな。ずっと鎧姿じゃあ窮屈だ。

 ハルと同じになるけど、買うならマントがいいかな? 鎧の上からでも羽織れれば色々と便利そう。だからちょっと大きめのやつが欲しい」

 

 

 ノヴァは肩口の金属パーツを指で弾く。褐色の指先がカンッと高い音を響かせる。

 鎧やブーツを除いた装備は宿屋に預けていた。両手が自由だしあのゴツイ小手も外している。なので普段よりずっと身軽な様子である。

 しかし気楽な状態だからこそ鎧の圧迫感が気になるらしく、ムズムズした顔で胸を寄せたり引っ張ったりと落ち着かない。ハルはその度に杖で背中をノックして止めていた。

 

 

「ちょ、ノヴァ、不味いって。どうしたの?」

 

「いやその、鎧を装着する時にミスったらしくて、胸に違和感が……」

 

 

 恥ずかしそうに笑うノヴァを見て頭を抱える。可愛いのだが呆れの方が強い。

 適当な家の隙間で手早く金具を外して鎧を緩めると、ノヴァは豊満な胸元に手を入れてポジションを直した。 「慣れた時が危ないってのは本当だな」 と笑う姿にハルは肩を竦める。

 貧乳エルフにオッパイの話をしても、共感など得られないだろうに。

 苦笑いしていると今度はハルの方が指摘された。ノヴァの言葉を聞いて 「え?」 と困惑しながら顔を下ろすと理由が分かる。胸に抱いた杖がちょうど谷間を強調する具合に食い込んでいた。

 

 

「ちょっ! 気付いてたなら、止めてよ!」

 

 

 小さいながら胸の形が分かる程度には、斜めに入っている杖がボディラインを浮かせた、俗に言うパイスラッシュの状態だ。思わず声が漏れてしまう。

 顔を上げると無数の視線が自分に向いているのを自覚してしまい余計に恥ずかしい。しばし硬直したハルは大慌てで杖を身体から離した。胸元を手で擦りながらノヴァの背後に回り込む。周囲の視線から逃げると白い肌を羞恥で赤く染めた。

 

 

「おお、ハル。凄いな。耳の先っぽまで真っ赤だぞ! 触っていいか?」

 

「ダメに決まってるでしょ! ああもう!」

 

 

 人通りの多い大通りから外れて、再び宿屋のある細道へと逃げ込む。

 昼間からの探索は予想以上に大変そうだった。スリに注意する必要があると宿屋の女将さんに言われたので気を使うし、鼻が良くなったせいか他人の体臭なども気になってしまう。

 ノヴァも注目されるので緊張はあるようだ。伸ばしていた背筋を丸めて溜息を漏らす。女性初心者である自分たちには早かったかもしれない。

 

 

「あれ、お姉さんたち。ノヴァさんとハルさんだよね、どうしたの?」

 

 

 道の端で騒いでいると、不意に聞き覚えのある声が投げかけられた。

 振り向いた先に居たのはテリーである。お使いの途中なのか丸い壺のような物を抱え、こんな場所で何をやっているのだろう、とも言いたげな顔でハルたちを眺めている。

 

 

「ん、ああ、雑貨屋が開くのを待っていたんだが……」

 

 

 ダークエルフっぽい演技をしたノヴァが背を伸ばしながら前に出た。誤魔化しがてら口を開く。

 顎で示した建物を見上げると2階の窓が小さく開いている事に気づく。対して店舗部分であろう地上部分は窓も閉じたままだし、中で人が動いているような気配も無い。

 だから営業時間外なのだと判断していたのだが、ノヴァに釣られて上を見たテリーは訝しげに顔を顰めた。

 

 

「あれ? もう開いてる時間なんだけど。ピーター爺さん、寝坊かな? 珍しい事もあるなあ」

 

 

 テリーが抱えているのは酒壺で、ワインに似た果実酒が入っているらしい。

 料理上手な宿の女将が仕込んだ自家製の酒で、地元民にはちょっとした人気になっているのだとか。特にピーター爺さんは愛飲家であり定期的に届けているらしい。

 香りだけでも味わってみる? と聞かれたので頷く。コルクに似た蓋を開けて貰うとフルーティーな香りが広がた。ワインというか果物のジュースに似た香りだ。エールが苦手なハルからするとこっちの方が美味そうだなと鼻をひくつかせた。

 

 

「鍵は……開いてる? 不用心だなあ、どうしたんだか……。おーい、爺さん!」

 

 

 ハルたちとの話を終え、テリーは勝手知ったるという様子で雑貨屋のドアを開いた。

 窓が閉じているので雑貨屋の中は薄暗い。だが気にした様子もなくズケズケと奥に進んでいく。

 

 

「へえ、予想より片付いてるね」

 

 

 部外者が入るのはよろしくないだろう。ハルたちは入り口で待つ事にした。

 それでも興味を惹かれたので中を覗き込んでいると、内部は多くの品物でゴチャゴチャした感じではなく、見た感じ小ざっぱりした部屋の様子が浮かび上がっているのを見て取る。

 

 

「片付き過ぎじゃないか? やたら狭いし、売り物が見当たらんぞ」

 

 

 ノヴァの言う通り店の大半はカウンターの向こう側だ。客のためのスペースは僅かだった。

 また壁などを見ても品物らしい品物が並んでいる様子はなく、それでいて店の奥には大きめの石臼らしい物があったりと不思議である。二人は石臼なんて何に使うのかと首を傾げる。

 

 

「粉挽き……って、パンでも作るのかな? 粉から作る本格な手作りパンとか」

 

「いや、あんな場所には置かないと思うぞ? 調合でもしてるんじゃないか。

 見た感じ在庫が無いが、カウンターの奥あるのか? 現代の日本でも万引きとかあるんだし、見下す訳じゃないけど、この世界ならもっと多いだろうからな……」

 

 

 恐らくだが予算を言って、それに応じて出された在庫から選ぶ、という形式のだろうと話し合う。

 現代の商店とは随分と趣が違っている。溢れる品物から欲しい物を好きに選ぶ事に慣れている日本人からすれば戸惑いを隠せない。

 

 

「もっと色々とあるかと思ってたんだが。これじゃ……」

 

 

 期待できないな。そう続けようとしたノヴァの言葉は、上階からの悲鳴に塗り潰された。

 ガチャンと何かが割れるような音も混じっている。テリーが転びでもしたのだろうか? その割には声が切迫しているような気もした。

 ハルは目をぱちくりさせる。驚いたような顔で固まっているノヴァと視線を合わせた。

 

 

「の、ノヴァ、どうする? なんかあったみたいだけど」

 

「下手に入ると、泥棒扱いされそうだからな……。日本でも声かけ事案とかさ」

 

 

 ゲームの主人公なら『何があったんだ!?』なんて言いながら飛び込みそうだが。

 生憎と自分たちは単なるその他大勢である。何かしてあげたいという気持ちは持っていても上手く発露できない。ドアの隙間を広げて顔を突っ込むぐらいが精々だった。

 言葉少なに議論しながら耳を澄ませ、何があったのか状況を伺う。 『うっかり酒瓶を落としちゃった! 一緒に言い訳してよ!』 そんな日常が続く事を願いつつも、頭の何処かでは非日常の幕明けである事を何となく理解していた。

 

 

「た、た、大変だ! 爺さんがっ! ……なにしてるのさ! 早く!」

 

 

 果たして顔を真っ青にしたテリーが視界に飛び込む。階段を転げ落ちるように現れた。

 カウンターの仕切りを身体で跳ね飛ばしながら駆け寄ると、未だ混乱しているハルとノヴァの手を掴んで店の奥へと突進し、そのままの勢いで狭い階段に靴裏を叩きつけていく。

 その途中で台か何かに脇腹をぶつける羽目になったハルは盛大に顔を顰めた。大慌ての青年に引っ張られたので危うく転ぶところだ。

 

 

「ど、どうしたんだよ! 何があったんだ!?」

 

 

 ノヴァの叫びを聞きながら2階の一室へ辿り着く。そこには非日常が広がっていた。

 僅かに開いた窓の隙間からは、眩しいぐらいの朝日が差し込んでおり……。寝室らしい部屋の床に倒れ伏す白髪の老人と、その白い髪を真紅に染めている。まるで事件現場だ。

 粘液質な真紅がテラテラと照らされていた。暴力を感じさせる光景にエルフ耳の奥からサーッと血の気が引く音がする。

 

 

「な、なにこれ……!? まさか、死体っ!?」

 

 

 予想外の光景にハルはギョッとしてしまう。解かれた右手で杖を抱きしめる。

 小さな棚の一部に結構な料の血飛沫が付着しており、争ったような痕跡はないものの、十分にショッキングな光景である事には違いない。

 部屋の前で割れている酒瓶のせいで血の香りはあまり感じないが、目に痛いほどの朱が心臓に悪い。本当に刑事ドラマの殺人現場のようだった。

 

 

「分からないよっ! 入ったら、こうなってて……!

 ハルさん、魔法使えるんだろ!? 爺ちゃんを治してよっ! お願いだから!」

 

 

 涙で顔をグチャグチャにしたテリーは、ハルの細い足に縋りつくようにして泣き崩れる。

 お気楽そうな青年の弱々しい姿。ハルはぐっと息を呑むと視線を彷徨わせ、おっかなびっくりの逃げ腰になりながらも、倒れている老人の元へと近寄る。

 

 

「ええと、えっと。脈は、あるね。呼吸もしてる。だから、えっと、次は、次は……」

 

 

 首筋に触れた指先には老人の体温が伝わった。動脈を探ると生命のサインも指に感じた。

 こういう時、漫画だと何をしていたか。半ばパニックになりながらも口元に手を当てて呼吸を確認する。小さいが規則的な息吹が掌を撫でる。まるで眠っているような感じだった。

 とりあえず死んでいる訳ではない。そう伝えると安心したのか、テリーはさめざめと泣き出してしまう。

 

 

「ノヴァ、ちょっと協力頼む! 確か漫画だと、仰向けにして気道の確保をしてたから……」

 

 

 うつ伏せになっていた老人の身体を起こし、仰向けにして顎を持ち上げた。

 ハンガーに引っ掛かっていた服を丸めて首の下に押し込む。これで呼吸は大丈夫、だと思う。ハルは不安そうに老人を眺める。

 

 

「そうだ! ハル、魔法! 回復魔法とか使えるだろ!」

 

「あ、そうか! そうだよね! さっそく……!」

 

 

 杖をぎゅっと握り締め、ハルは老人の胸に手を当てながら目を閉じた。

 回復魔法は水の精霊魔法の領分だ。技量やマナの容量的な問題で、今のハルには重症の治療といった高度な医療は難しくとも、体力の回復や軽傷の治癒ならば可能な筈だった。

 深呼吸して落ち着くと水の流れが感覚的に伝わり始め、それによると額に小さい怪我がある以外はまあ大丈夫じゃないかな、という感じに理解できる。体内の流れに著しく淀んだ部分は感じられない。凄くファジーだが異常らしい異常が見当たらなかった。

 

 

「どうだ? 見た感じだと……額が切れてる、ぐらいだが」

 

「うん。多分、転んだだけだとおもう。額って怪我すると出血が大きい、って聞いた事があるし」

 

 

 一安心、と肩から荷を下ろす。大騒ぎの割に呆気無い結末である。大した事は出来なかった。

 それなのにテリーは感涙に噎び泣きながら 「ありがとう、ありがとう!」 と拝むようにして身体を丸め、ハルの方が恐縮してしまうほどである。

 テリーにとってそれほど大事な人間であったらしい。彼は涙で腫れ上がった目蓋を手で擦ると、鼻をすすって 「へへ、カッコ悪いところを見せちゃったね」 やっと泣き顔ではなく笑顔を浮かべた。

 

 

「ありがとう、ハルさん、ノヴァさんも。この御礼は爺ちゃんが目覚めたら、ゆっくり……」

 

 

 テリーの視線が老人の右手で停止する。正確には右手が握っている紙に引き寄せられる。

 動転していて気付かなかったが手紙のようだ。固く握り締められているので引っ張っても取れない。下手すると破ってしまうだろう。 「まったく、爺ちゃんは」 諦めて肩を竦めた。

 

 

「寝かせておくのはベッドの方がいいかな。テリーさん、布でもない?」

 

 

 テリーが引き出しから取り出した布をハルが水魔法で濡らして浄化する。すると簡単な物ながら神秘の行使に改めて驚きの声が上がり、思わずニヤけそうになりがらもテリーへ返した。

 もう出血は止まっているらしく一度拭うだけで十分そうだ。ベッドを汚さないように布をもう一度浄化してから頭に軽く巻いて、床よりは良いだろう……と足を持ち上げようとしたが、ハルの細腕では力が足りない。代わりにノヴァとテリーが老人の身体を抱え上げてベッドに移した。

 

 

「酒瓶も落としちゃったし、ちょっと取ってくるね。お姉さんたちも飲むでしょ?」

 

 

 この程度の事なのに貰い過ぎだろう。遠慮しようとしたが 「恩人なんだし、これぐらいは当然だよ!」 というくすぐったい言葉に押されてしまう。

 あまり拒否しすぎても失礼だろう。果実酒に興味があった事もあり謝礼を受け入れた。

 

 

「……はー。しかし、大事なくてよかったな、ハル」

 

「そうだね。人が倒れてるの見た時は、心臓が止まるかと思ったよ」

 

 

 痛みがあるのか老人の寝顔は穏やかではない。それを見たハルは治療を試みる。

 皺とは違う裂傷が刻まれた額に指を置いた。目を閉じて意識を集中させると 【リトル・ヒール/下級治癒】 の魔法を発動させ、多少の疲労と引き換えに傷が塞がった事に満足する。

 

 本当に傷が消えてしまうのは不思議な感じだ。ノヴァも覗き込んで感心していた。

 額で固まっていた血も布で軽く擦ってやればパラリと落ちる。老人の喉から漏れる寝息も少しだけだが落ち着いた気がして、何か良い事をしたぞーという感じで気分も上々だった。

 消毒などの効果もあるから事実として悪くはあるまい。ハルは軽く顎を振って疲労を振り払う。

 

 

「お姉さんたち、おまたせ! 新しいの受け取ってきたよ!」

 

 

 壁に背中を預けて休んでいると足音が聞こえて。笑顔のテリーにより酒瓶が掲げられた。

 今度は素焼きのコップも一緒だ、ハルとノヴァはそれぞれ受け取り 「どうぞどうぞ」 と注がれる。ブドウジュースかワインに似た色合いの液体が薄茶色のコップに満たされていく。

 エールで苦い思いをしたハルは少し不安になったが、アルコール度数はさほど高くないし素材も新鮮な物を使っているのか風味も上々である。口中に広がる味と香りに表情を緩めた。

 

 

「へぇ、美味いもんだな、これ」

 

 

 同じく舌の上で転がしているノヴァも気に入ったらしい。ゴクリと喉を鳴らすと破顔する。

 安い物だと絞り粕が沈殿していたり、放置しすぎて酢に変わっていたり、渋くて大半を水で割らなければ飲めないような場合もあるのだとか。そのまま飲めるこれは結構な上物のようだ。

 

 

「あんまり長持ちはしないんだけど、もう少し寝かせても美味しいよ?」

 

 

 ちゃっかり同伴しているテリーと一緒に細やかな祝宴を楽しむ。

 あまりガブガブ飲み過ぎても失礼だろう。それにエルフの身体はアルコール耐性が良く分からない。酔って醜態を晒したりしないようセーブする事にした。

 

 

「……あ、爺ちゃん? 目が覚めた?」

 

 

 注いで貰ったお代わりも無くなった頃、寝言を聞き付けたテリーはベッドを覗き込む。

 ハルが視線を向けると呆然とした様子で身体を起こしている。まだ本調子ではないのかシワの多い顔を手で覆う、その指の隙間から顔を顰めている様子が見て取れる。

 

 

「テリーか……。うん、ワシは……?」

 

 

 老人は言葉を切り、両手で顔を触ろうとして、握っていた紙がベッドに落ちた。

 それで手紙の存在を思い出したのだろう。テリーが拾い上げようとしたそれを半ばひったくるように掴む。そして血走った視線を走らせ、完全に覚醒した老人は悲鳴に近い怒号を部屋に響かせた。

 

 

「そ、そうじゃ! こうしてはおられん……! アンナが、アンナが大変なんじゃ!

 おお、運命の女神ディアスよ! 我が最愛の孫娘を見放し給うたかっ!」

 

 

 ベッドから飛び起きた老人はテリーの肩を掴み、目をギラギラさせながら悲報を嘆き始める。

 何でも行商をやっている息子夫婦から早馬に託された手紙が届いたとかで、それによると幼い孫娘が"ワタハキ"なる奇病に侵されているそうだった。

 通常の病気とは違って司祭による病魔退散の魔法さえ通じない。患者はヒューヒューと掠れるような呼吸を繰り返しながら弱り果て、やがて白い綿のような物を血と一緒に吐きながら死んでいく。めったに見ないが恐ろしい病気であるらしい。

 

 

「治療薬はあると聞いたが……。珍しい物らしくてな、急ぎ手配をせねば!

 お二人には迷惑を掛けたようじゃが、しかし、今はすまん! 孫娘を優先させてもらう!」

 

 

 老人はノヴァとテリーの隙間を抜けて部屋を飛び出す。靴を履く余裕さえ無いのか裸足のまま、転がるような勢いで階段を駆け下りていった。

 どうやら騒動は終わっていないようだ……。テリーから縋りつくような視線を受け、終わった筈のトラブルがそっと身体に巻き付いてきた事を自覚する。

 

 

 

 

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