午後10時
『話すことは決めてないけど雑談する』という配信タイトルの下に、白妙ミコトの待機画面が映っていた。
配信開始時刻になると待機画面が消え、自室の椅子に座ったミコトが現れる。普段の制服姿ではなく、今日は大きめの白いパーカーを着ていた。二本の尻尾は椅子の左右から垂れ下がり、猫耳もいつもより力なく倒れている。
「こんばんは。聞こえてる? 今日はタイトルに書いてある通り、何も決めてません。ゲームもしないし、歌いもしない。僕が話したいことを話して、満足したら終わります」
▶こんばんは!
▶雑談待ってた
▶パーカーかわいい
「最初からかわいいは禁止です。これは格好いいパーカーだから。少し大きいのは、こっちの方が落ち着くからだよ。手が半分くらい隠れるけど、このくらいがちょうどいいの。子供っぽいとか言った人は、今日はずっとコメントを読まないからね」
袖の中に手を隠したまま、ミコトは机の上に置いていたマグカップを持ち上げた。
「今日は温かいミルクを用意しました。夜だからコーヒーはやめた。コーヒーを飲むと眠れなくなるって言う人もいるけど、僕は飲んでも普通に眠れるんだよね。でも、寝る前に飲むならミルクの方が雰囲気に合うでしょ。雑談配信だから、少しくらい雰囲気を作ろうと思って」
マグカップへ口をつける。少し熱かったのか、猫耳がぴくりと動いた。
「今、熱そうな顔をしたって思ったでしょ。してないから。ちょうどいい温度だからね。猫舌でもないよ。僕は猫又であって、普通の猫じゃないから、人間と同じくらい熱いものも食べられます」
▶聞かれる前に答えてる
▶絶対に熱かった
「みんなが言いそうなことくらい、1か月も一緒にいたら分かるよ。何か失敗したらかわいい、少し驚いたらかわいい、怒ってもかわいいって言うでしょ。便利な言葉みたいに使ってるけど、僕は全部覚えてるからね」
ミコトはマグカップを置くと、椅子の上で足を組み直した。
「そうだ。1か月といえば、この前の記念配信に来てくれてありがとうございました。配信が終わったあと、すぐに寝ようと思ってたんだけど、全然眠れなかった。緊張が残ってたのか、みんなの感想を読みすぎたのか分からないけど、ベッドに入ってもずっと歌った曲が頭の中で流れてたんだよね」
机に頬杖をつき、伏せていた猫耳をわずかに持ち上げる。
「歌ってる間は平気だったんだよ。曲が始まったらコメントを見ないようにしてたし、一人で歌ってる時とあまり変わらなかった。でも、曲が終わって画面を見たら、みんなが泣いたとか、心に響いたとか言ってるから、急に恥ずかしくなった。そんなに真剣に聴かれてると思ってなかったんだよね」
▶本当に最高だった
▶今もアーカイブを聴いてる
「ありがとう。でも、今日は歌わないよ。雑談配信で歌ってって言われても歌いません。準備してない時に歌うのは嫌だから。歌うなら、ちゃんと曲を決めて、何回も練習してから歌いたい。歌詞を間違えても気にしないって言う人もいるけど、僕が気にするの。せっかく聴いてもらうなら、自分で納得できるように歌いたいでしょ」
ミコトは少し考えてから、視線を画面から外した。
「でも、また歌いたいとは思った。始めるまでは、これが最初で最後でもいいと思ってたんだよ。恥ずかしいし、ゲーム配信だけでも十分に楽しかったから。でも、終わってから感想を読んでたら、次はもう少し明るい曲も歌ってみたいと思った。僕がバラードばかり選んだから、みんなをずっと泣かせる配信みたいになってたし」
二本の尻尾が椅子の後ろでゆっくりと揺れる。
「僕だって明るい曲は歌えるよ。速い曲も歌えるし、かわ……声が高い曲も歌える。今、危なかったね。自分からかわいいって言いそうになったわけじゃないから。曲の雰囲気の話をしようとしただけ」
▶かわいい曲も似合いそう
▶今度歌って
「そのうちね。いつかは言わない。明日かもしれないし、半年後かもしれない。あまり急かされるとやりたくなくなるから、静かに待っていてください。僕は自分からやろうと思った時にやるのが一番上手くできるんだよ」
マグカップを手に取ったミコトは、今度は慎重に息を吹きかけてから口をつけた。
「今日は歌配信の感想を話す枠じゃないから、別の話もしようかな。雑談配信をするって決めた時、マネージャーさんに何を話すのか聞かれたんだけど、本当に何も決めてなかったんだよね。話題を3つくらい用意した方がいいって言われたから、一応考えた。でも、もう最初の話題だけで結構話してる」
ミコトは机の端に置いていた小さなメモを手に取った。
「ここに書いてあるのは、歌配信の話、最近食べたもの、休みの日の過ごし方。この3つだけ。雑談って、普通はもっと面白いことを話すのかな。旅行に行った話とか、珍しいものを買った話とか。でも僕、最近は配信かゲームしかしてないから、外で起きた面白い話が何もないんだよね」
▶いつもの話でいいよ
「本当に? じゃあ最近食べたものの話をするけど、昨日の夕飯はオムライスです。これだけだよ。面白くないでしょ?」
すぐに話を終わらせたミコトは、流れていくコメントを見て小さく笑った。
「さすがに短すぎたから、もう少し詳しく話します。僕は卵を固めに焼いたオムライスの方が好き。半熟の卵を上に載せて、切ったら広がるやつも美味しいけど、家で食べるなら薄い卵でご飯を包んだ方がいい。ケチャップもたくさんかける。お店みたいに綺麗な模様は描けないから、上から普通にかけるだけだけどね」
自分で話しながらお腹が空いたのか、ミコトはパーカーの上から腹部を押さえた。
「昨日は猫の顔を描こうとしたんだよ。でも最初に輪郭を大きく描きすぎて、耳を描く場所がなくなった。仕方ないから丸い顔に目と口だけ描いたら、よく分からない生き物になった。写真は撮ってないよ。失敗したと思ったから、そのまますぐに食べた」
▶見たかった
▶次は写真を撮って
「上手くできたらね。失敗した料理の写真をわざわざ見せる意味が分からない。僕が格好悪いところを見たがるのと同じでしょ。みんなは僕の失敗を記念に残そうとしすぎなんだよ」
ミコトは不満そうに頬を膨らませながらも、メモの余白へ何かを書き加えた。
「次にオムライスを作ったら写真を撮るって書いておいた。約束はしないけど、上手くできたら見せます。猫の顔ももう一度描いてみる。今度は最初に耳から描けばいいんだよね。耳の位置を決めてから輪郭を描けば、たぶん失敗しない」
メモを机へ戻し、今度は休みの日について話し始める。
「休みの日は、起きる時間を決めてません。目が覚めたら起きる。午前中に起きることもあるし、お昼を過ぎてることもある。でも、午後まで寝た日は少し損した気分になるんだよね。別に朝からやることがあったわけじゃないのに、起きた時点で一日の半分が終わってるのは悔しい」
▶分かる
▶休みの日は寝たい
「寝たいけど、時間も欲しいんだよ。だから休みの日だけ、一日が30時間くらいあればいいと思う。8時間寝ても22時間残るでしょ。それなら寝たことを後悔せずに済むし、ゲームもたくさんできる。毎日30時間だと生活が大変になりそうだから、休みの日だけでいい」
ミコトは指を折りながら、30時間の使い方を考え始める。
「最初の8時間は寝る。起きてから1時間は何もしない。すぐに動くのは無理だから、ベッドの上で動画を見たり、今日何をするか考えたりする。それからご飯を食べて、ゲームを始める。ゲームは……10時間くらいできるかな」
▶長すぎる
▶ほとんどゲームじゃん
「休みなんだからいいでしょ。途中でご飯も食べるし、お風呂にも入るよ。ずっと同じ姿勢だと体が痛くなるから、たまに立って歩くし。それに10時間ずっと同じゲームをするわけじゃない。ランクをやって、疲れたら別のゲームに移って、眠くなったらのんびりしたゲームをする。ちゃんと考えてます」
ミコトは自信ありげに胸を張った。
「最近やりたいゲームが多すぎるんだよね。配信でやりたいゲームと、配信をつけないで一人でやりたいゲームがある。みんなと一緒に反応を見ながら遊ぶ方が楽しいゲームもあるけど、一人で何時間も素材を集めたり、同じ場所を探索したりするゲームは配信向きじゃない気がする」
少し間を置いて、ミコトは首を傾げた。
「でも、みんなは僕が素材を集めてるだけでも見る? 本当にずっと同じ場所を歩くだけだよ。面白いことは何も起きないし、僕も途中から黙るかもしれない。それでもいいなら、いつかやってみようかな」
▶見たい
▶作業配信してほしい
「じゃあ候補に入れておく。僕が配信で何をするか迷ってる時、みんなが何でも見たいって言ってくれるのは助かる。でも、本当に何でもいいって言われると、余計に迷うんだよね。選択肢が多すぎると決められなくなるから」
両手でマグカップを包み込み、ミコトは背もたれへ体を預けた。
「デビューする前は、配信者になったら毎日やることが決まってると思ってた。ゲームを決めて、配信をして、終わったら次の準備をする。それを繰り返すだけだと思ってたんだよ。でも実際は、配信で何をするか考える時間が一番長いかもしれない」
ミコトは天井を見上げながら、そのまま話を続ける。
「みんなに楽しんでもらいたいけど、自分が楽しくないことをしても、たぶんすぐに分かるでしょ。僕は隠すのがあまり上手くないから。つまらなかったら耳も動かなくなるし、尻尾も止まると思う。だから、僕がやりたいことと、みんなが見たいことが同じになるように考えてる」
二本の尻尾が、その言葉に合わせるように左右へ動いた。
「最初の頃は、もっと立派なことを言おうとしてたんだよ。これからたくさんの人を楽しませたいとか、にじさんじで大きなことをしたいとか。もちろん、今もそう思ってる。でも、それだけじゃなくて、僕はここを落ち着ける場所にしたいんだと思う」
ミコトは姿勢を戻し、正面から画面を見つめた。
「学校や仕事が終わって、今日は疲れたなって思った時に、とりあえず僕の配信を開けばいいって思ってもらえるようになりたい。面白いことが起きなくても、僕がゲームをしてたり、こうやって話したりしてるだけで、少し安心できるような場所。ずっと画面を見てなくてもいいし、途中で眠ってもいい。僕の声が聞こえるだけで落ち着くって思ってもらえたら、嬉しい」
▶もうそうなってるよ
▶いつもありがとう
「……本当? なら、ちゃんと続けないとね」
ミコトは照れを隠すようにマグカップへ口をつけた。しかし、中身はすでになくなっていたらしく、すぐに机へ戻した。
「配信を始めてから、毎日が前より早くなった。次は何をしようって考えてたら、気づいた時には一日が終わってる。デビューしてから1か月も経ったって聞いた時も、本当は少し驚いた。僕の感覚だと、まだ2週間くらいだったから」
机の上のメモを見下ろしながら、小さく笑う。
「でも、みんなと話したことを思い返すと、ちゃんと1か月分あるんだよね。初配信で挨拶を決めたり、ゲームで負けないって言い張ったり、猫の姿になったり、歌ったり。いろいろあった。僕一人だったら、こんなにたくさんのことはしなかったと思う」
ミコトの猫耳がゆっくりと横へ倒れ、表情も少し柔らかくなる。
「僕は一人でいるのが嫌いじゃないよ。静かだし、自分の好きなことだけできるから。でも、みんなと話す時間も同じくらい好きになった。一人でゲームをしてる時に面白いことが起きると、次の配信で話そうって思うようになったし、美味しいものを食べた時も、みんななら何て言うかなって考えるようになった」
少しだけ恥ずかしくなったのか、ミコトは袖の中へ口元を隠した。
「……今の話は、切り抜かなくていいからね。別に感動するようなことは言ってないし、普通の話だから。みんなのことをずっと考えてるって意味でもないよ。本当にたまにだから。1日の中で少しだけ」
▶嬉しい
▶これからもたくさん話して
「うん。話したいことができたら、またこういう枠を取る。何も決めずに始めるのは少し不安だったけど、思ってたより話せたし。コメントを全部拾わなくても、みんなが聞いてくれてるのは分かるから、今日は話しやすかった」
配信時間を確認すると、すでに開始から2時間近くが経過していた。
「もうこんな時間なんだ。1時間くらいで終わるつもりだったのに、倍も話してる。雑談だけで2時間も話せたなら、僕も配信者らしくなってきたんじゃない?」
ミコトは満足そうに頷き、最後にメモを持ち上げた。
「用意した3つの話題も全部話せたし、今日は成功だね。途中から休みの日を30時間にする話になったけど、雑談なんだからこれでいいでしょ。次にやる時は、話題を1つだけ用意して、そこからどこまで話が広がるか試してみたい」
椅子から少し身を乗り出し、画面の向こうへ手を振る。
「今日は僕の話を聞いてくれて、ありがとうございました。ゲームをしてる時より静かな配信だったけど、僕は楽しかったよ。みんなも楽しかったなら、またやります」
▶楽しかった
▶また雑談して
▶おやすみ
「うん。また話そう。次までにオムライスの猫も上手く描けるようにしておく。写真を見せるかは、完成した顔を見てから決めるけどね」
二本の尻尾が大きく揺れ、伏せていた猫耳も最後には真っ直ぐ立っていた。
「それじゃあ、おやすみ。僕の声を聞きながら寝ようと思ってた人は、ちゃんと配信が終わってから寝てください。つけたまま寝ると、僕がずっと一人で話してるみたいになるから」
少しだけ間を空け、ミコトは柔らかく笑う。
「今日も会いに来てくれてありがとう。またね」
ミコトが手を振ると、配信画面は静かに終了した。