【チラ裏】ムルタ・アズラエルは刻の涙を見る 作:d_chan
プロローグ①
『ブルーコスモス設立宣言』
我々はここに、ブルーコスモスの設立を宣言する。
人類は今、大いなる転換点に立っている。
長き歴史の中で我々を育み、支えてきた青き地球は、繁栄の代償として大きな負担を背負うこととなった。
人口の増加。資源の消費。環境の悪化。
これらは誰か一人の罪ではない。
それは人類が発展し、繁栄してきた証でもある。
しかし、我々は、繁栄のために故郷を失ってはならない。
青き地球は人類共通の遺産である。
我々にはそれを未来へ受け渡す責任がある。
そのために人類は宇宙へ進出する。
しかし、我々は、宇宙移民を棄民政策として認めない。
宇宙へ旅立つ人々は、追放された者ではない。
地球に居場所を失った敗者でもない。
彼らは人類の未来を切り開く開拓者である。
未知の大地へ船出した者たち。
新たな文明の礎を築く者たち。
人類史上最大の挑戦に最初に立ち向かう勇気ある先駆者たちである。
我々は彼らを誇りをもって支援する。
教育を。医療を。技術を。文化を。そして希望を。
地球に住む者と宇宙に住む者は対立する存在ではない。
地球は故郷である。
宇宙は未来である。
そのどちらかを選ぶ必要はない。
人類は初めて、一つの星だけに縛られない文明となる。
我々
我々
我々
地球を愛することと、宇宙を愛することは矛盾しない。
我々は分断ではなく共栄を選ぶ。
憎しみではなく責任を選ぶ。
恐怖ではなく挑戦を選ぶ。
青き地球と、無限の宇宙のために。
宇宙世紀0060年
ブルーコスモス創設者
ムルタ・アズラエル
★
物心がついたのは三歳の誕生日だった……いや、正確には違う。
あの日、俺は生まれて初めて世界を認識した。
普通、人の記憶というものはもっと緩やかに積み重なっていくらしい。昨日のことを覚え、一週間前のことを思い出し、やがて自分という存在を理解していく。三歳のときから記憶の断片が積み重なって成長していくのならば、特に早すぎることもなく遅すぎることもない。通常の発達段階だろう。
——そう、通常ならば、
だが、あの日の俺には三十年分の人生が一度に流れ込んできた。まるで堰を切った濁流だった。見知らぬ女の涙。油の臭いが染みついた作業服。安い蛍光灯に照らされた六畳一間。冬の冷たい水。コンビニの半額弁当。病院の白い天井。火葬場の煙。
それらすべてが、三歳児の脳に容赦なく叩きつけられた。当然、未熟な脳が耐えられるはずがなかった。
俺は三歳の誕生日の席で泡を吹いて倒れ、そのまま三日三晩、生死の境を彷徨った。
復活したとき医者は奇跡だと言った。父と母は泣いていた。使用人たちも胸を撫で下ろしたと聞いた。前世の記憶がよみがえる前の俺は愛されていたと思う。
そして当の本人である俺は、目を覚ました瞬間に思った。
――ああ、俺は死んだのか。
蘇った記憶は、ろくなものではなかった。
貧しかった。ただ、ひたすらに貧しかった。
頭は悪くなかったように思う。勉強の大切さを認識し、進んで勉学に励んだうえで、努力相応の学力を身に着けることができるのであらば、そう悪いポジションではなかっただろう。
小学校の頃の成績は良かった。中学校でも学年一位だった。教師には期待されたし、奨学金を勧められた。
だが、現実は残酷だった。学費と生活費が足りなかった。奨学金だけではとても賄えず、高校へ進学する金がなかった。だから、中卒で働くしかなかった。それだけだった。
母を責めることはできなかった。母は誰よりも働いていた。朝から晩まで働いて、それでも家計は苦しかった。
だから俺も働いた。働いて、働いて、働いた。
気がつけば二十歳になっていた。
気がつけば二十五歳になっていた。
気がつけば三十歳になっていた。
人生とは、案外そういうものなのかもしれない。昨日と同じ今日を繰り返しているうちに、いつの間にか終わっている。それでも一つだけ夢があった。
母に楽をさせてやりたかった。
ずっと働き詰めだった母に、少しでも楽をさせてやりたかった。だから働いた。そして29歳の俺の誕生日の日に、昇進した。14のときから中卒で入った町工場で働き続け、高卒や大卒の後輩に給料を追い抜かれ、それでも腐らず働いた。やっとだった。給料も上がった。やっと報われたのだと思った。
その日だった。
吉報を手に家に帰ると、母が台所で倒れていた。医者は脳出血だと言った。過労もあったのでしょう、とも言っていただろうか。そりゃそうだ、とだけ思った。母子家庭で一人息子を育てるためだけに働き続けた女はついぞ報われずに死んでいった——少なくとも俺にはそう思えた。
その後のことは、あまり覚えていない。葬式をしたが、頼れる親戚もおらず友人もいない母のもとには職場の人間が義理で来ただけであった。その寂しい風景が母の人生そのもののようで無性に胸が締め付けられたのだけは覚えている。
仕事へ行った。家へ帰った。寝た。また仕事へ行った。
それを繰り返した。
ただ、それだけだった。
金さえあればと思った。
もっと早く病院へ連れて行けたのではないか。
もっと身体を休ませられたのではないか。
高校へ進学できたのではないか。
大学へ行けたのではないか。
別の人生があったのではないか。
母に楽させることができたのではないか。
金さえあれば。
金さえあれば。
金さえあれば。
世の中には金で買えないものがあるという。それは事実なのだろう。
だが同時に、金がなければ守れないものも確かに存在する。
俺の人生は、その連続だった。
そして俺は三十歳の誕生日に死んだ。——死因は過労死だった。
あまりにも、俺らしい最期だった。
死後のことはよく覚えていない。ただ、虹色の光に満ちた世界を漂っていた気がする。
夢だったのかもしれない。
幻だったのかもしれない。
ただ一つだけ覚えていることがある。どこからか少女の声が聞こえた。
願いはありますか、と。不思議と母性を感じる声だった。
なら決まっている。
金だ。
金が欲しい。
もう二度と、金がないという理由で大切なものを失いたくなかった。だから願った。
金が欲しい。
いや金がただあるだけでは奪われたら終わりだ。ユダヤ人の教えには「財宝は奪われても、知識という宝石を奪うことはできない」という教えがあるそうだが、知識だって相応の環境がなければ役立てられない。
だってそうだろう? 小中学校と学年トップだった俺がまさにそうなのだから。
だから、世界で一番『金を稼ぐ才能』が欲しい
これなら絶対困らない……はずだ。
——そして目を覚ました。