【チラ裏】ムルタ・アズラエルは刻の涙を見る 作:d_chan
月面技術博覧会は、フォン・ブラウン市中央区の複合展示施設で開かれていた。
低重力建築、資源採掘、生命維持、宇宙農業、放射線防護、医療、輸送。月で人間が暮らすために必要な技術が、巨大な会場の中へ詰め込まれている。
僕にとっては宝の山だった。
会場へ入ってから十五分も経たないうちに、ハワードの端末には新たな投資候補が七件追加されていた。
「これは面白いね」
僕は、透明な筒の中で育つ小型の果樹を覗き込んだ。低重力環境に合わせて根の成長方向を制御し、限られた水分で果実を実らせる研究らしい。
「地球産果物の輸送費を考えれば、十分に採算が取れる。果物そのものだけではなく、苗木の権利と栽培データを販売できる」
「二十九件目です」
「観光農園も追加しよう」
「三十件目です」
「僕が何か言うたびに数を増やすのをやめてくれないか」
「案件を増やすのをやめていただければ、数も増えません」
ハワードは真顔だった。その隣では、僕たちを案内しているカノーラが楽しそうに笑っている。
「ハワードさん、大変そうだね」
「ハイタウン市長からもご助言いただけませんか」
「でも、街にお金を出してくれるのはうれしいから」
「敵が増えました」
「友達だよ」
苦笑して「より困難です」と返すハワードの背中は煤けて見えた。
カノーラは気にする様子もなく、次の展示へ歩いていく。彼女は市長として顔が広い。展示に参加している研究者や企業家のほとんどが彼女を知っており、カノーラも相手の名前だけでなく、研究内容や家族構成まで覚えていた。
途中、若い研究者に呼び止められれば真剣に話を聞き、資金難を訴える小企業の代表には担当部署へ連絡するよう指示を出す。誰に対しても親しげだった。
だが、ただ優しいだけではない。
「予算が足りないなら、まず何を削ったの?」
研究者が答えに詰まると、カノーラは穏やかな笑顔のまま問いを重ねた。
「必要だからお金が欲しい、だけじゃ駄目だよ。誰かから預かったお金を使うなら、どうして必要なのか説明しないと」
声を荒らげるわけではない。それでも、相手は誤魔化すことができなかった。
柔らかい布で包んだ鉄の棒。そんな印象の女性だった。
「カノーラは、全員の事情を覚えているんですか?」
「全員は無理だよ。でも、できるだけ覚えたいとは思ってる」
「記憶力の無駄遣いでは?」
「ムルタ君は企業の数字をたくさん覚えているでしょう?」
「利益につながりますから」
「人の名前を覚えるのも、街を良くすることにつながるよ」
「数字と違って比較しにくい」
なんでもないことのように「比較しなくていいんだよ」、カノーラはそう答えた。
簡単に言う。
僕には、どこか理解しづらい考えだった。人も企業も、限られた資源を割り振る以上、評価から逃れることはできない。誰へ投資し、誰へ投資しないのか。何を残し、何を切り捨てるのか。
比較しないという選択肢はない。けれどカノーラは、人の価値と資源配分の判断を切り離して考えているらしい。投資しない相手にも、名前があり、事情があり、尊厳がある。当たり前のことだ。しかし僕は、利益を生むかどうかで人を見ることに慣れすぎているのかもしれなかった。
「こっちだよ」
カノーラの声で思考を止める。彼女が指差した先は、会場の最も奥にある小さな展示画だった。人通りの多い中央展示から離れ、照明も少し暗い。派手な企業映像も、見栄えのよい模型もない。
置かれているのは、無骨な掘削機の試作部品と、月面岩盤を模した灰色の塊だけだった。展示台の脇では、一人の男が椅子へ腰を下ろしている。四十歳前後だろうか。伸びかけた黒い髪。整える気のない無精髭。皺の寄った作業服。客へ声をかけることもなく、端末の画面を睨みつけていた。
時折、何かを確かめるように通信欄を開いては、すぐ閉じる。
「ロベルさん」
カノーラが声をかけた。
男は顔を上げたが、歓迎する様子はなかった。
「ハイタウン市長か」
「もー、カノーラでいいのに。お客さんを連れてきたよ」
「子供じゃないか」
「その子供が、この博覧会で一番お金を持っている人かもしれないよ」
「金持ちの子供に玩具を売るつもりはない」
初対面としては、なかなか失礼だった。だが、僕は彼の言葉より、展示資料に目を奪われていた。
——振動抑制型プラズマ掘削機。
月面の岩盤へ高熱プラズマを照射し、同時に特殊な振動波を加えることで、岩石の亀裂を制御する。
従来型と比べて消費電力は二割以上低い。粉塵発生量は六割減。鉱石の回収率は約三割高い。掘削速度も優れている。数字が正しいなら、ただ性能がよいという話ではない。
月面鉱業の費用構造そのものを変えられる。
「この試験結果は本物ですか?」
僕が尋ねると、ロベルは露骨に顔をしかめた。
「捏造を疑うなら、向こうの派手な展示へ行け」
「疑っているのではありません。これが本物なら、どうして誰も見ていないのかと思っただけです」
「高いからだ」
疑問に思い「どれくらい?」と僕は尋ね。その間も僕の頭の中ではすさまじい勢いでシミュレートしていた。チートだからね。
「試作機一台で既存機の三倍だ」
「量産時は?」
「二倍程度まで下げられる」
「耐用年数は?」
「既存機の一・六倍。ただし、整備環境が整えば二倍まで伸びる」
「粉塵による周辺設備への損害は?」
「既存機の三割以下だ」
打てば響くように回答を重ねるロベルを満足そうに僕は見た。チートさんの計算結果とも一致している。
「で、性能は良さそうだけど、価格はどうするつもりですか?」
ロベルが、もったいぶって提示した金額は驚くようなものだった。値決めの交渉をするときが一番楽しい。人間の生の心が観察できるからだ。
そして、自信満々なところ悪いが、やはり見積もりが甘い。僕なら彼の価格の十倍で売れる。ロベルは、典型的な研究者気質のようだった。そこで、本命の質問を投げてみる。
「作業員の健康被害は?」
ロベルは初めて僕の顔をまともに見た。訝し気な表情がありありと表れている。
「そこを聞く投資家は珍しいな」
「健康被害は医療費、休業、訴訟、保険料に直結します。重要な費用です」
「人間の心配をしたわけではないのか」
「人間の健康を守ることと、費用を減らすことは両立します」
吐き捨てるように「金勘定しか頭にないらしい」といった。まるで嫌みな金持ちを見たとでもいうように。
「技術しか頭にない人よりは、経営向きでしょう」
言い合いに発展しかけて、カノーラが慌てて二人の間へ入った。
「二人とも、仲良くしよう?」
間髪入れず「無理だ」とロベルが即答する。
「まだ名前も呼んでいないのに?」
「ハイタウン市長のその理屈を、誰にでも適用するな」
カノーラは少し残念そうだった。
僕は試作部品を観察した。配線は剥き出しで、外装も粗い。技術者が性能だけを追い求め、商品としての形を整えることを後回しにした典型だった。
「実用化されていない理由は、初期費用だけですか?」
「鉱山会社は既存設備を抱えている。わざわざ高い機械へ替える理由がない。長期的には安くなると説明しても、今期の設備予算が増えることしか見ない」
「研究資金は?」
「次の実証試験で尽きる」
「試験はできるんですか?」
苦しげに「試作機を作る金がない」とロベルが答えてくれる。内情を正直に答えたのは、僕を少しは認めてくれたからだろうか。
「では、尽きたのではなく、もうありませんね」
「嫌味を言いに来たなら帰れ」
ロベルは苛立たしげに立ち上がった。大柄な男だった。十二歳の僕を見下ろす姿には、それなりの迫力がある。ただ、彼の意識は僕だけに向いていなかった。
端末が小さく震えるたび、視線がそちらへ動く。通信を確認しては、わずかに表情を曇らせる。
「今日は、何か大切な連絡を待っているんですか?」
しかめっ面で「関係ない」というが、どう考えても何かありそうであった。じっと観察してみる。
「仕事の連絡を見る顔ではありませんね」
「何が言いたい」
「仕事の連絡なら、もっと怒った顔になるでしょう。今は不安そうです」
僕がかまをかけると、ロベルの眉間の皺が深くなった。だんまりを決め込むロベルを見かねたカノーラが、僕の耳元へ口を寄せた。
「今日、奥さんの出産予定日なの」
ロベルは「市長!」と声を荒げた。
「隠すことじゃないでしょう?」
「博覧会とは関係ない」
「関係あるよ。あなた、朝からずっと落ち着かないもの」
ロベルは低く唸った。頑固な技術者も、美人の市長には弱いらしい。
僕が「予定日なのに、ここへ来てよかったんですか?」と尋ねると、ロベルは忌々しそうに答えた。
「研究チームが解散するかどうかの瀬戸際だ。妻も行けと言った」
すまし顔で「理解のある奥様ですね」と返す。
「俺にはもったいない女だ」
彼が大真面目に返したその言葉だけは迷いがなかった。
それは僕にはついぞ縁のない感情で、なんだかもやもやした。