【チラ裏】ムルタ・アズラエルは刻の涙を見る 作:d_chan
僕は少し考え、展示資料をもう一度見た。じっくり観察すれば、あとはチートが教えてくれる。チートに身をゆだねるだけの簡単なお仕事です。
「機械を売ろうとするから、高く見えるんです」
ロベルの表情が変わった。心底不思議そうな顔をする。
どうやら興味を引けたようだ。
「何だと?」
「鉱山会社へ、この機械を買わせる必要はありません」
「買わせなければ、どうやって利益を出す」
「こちらで所有します」
首をかしげながら「こちら?」とロベルは訝しんだ。
「僕とあなたが設立する会社です」
僕は展示台の端末を借り、数字を入力し始めた。試作費。量産費。耐用年数。保守費。電力費。鉱石価格。稼働時間。
僕の頭の中で、ばらばらだった要素が形を作っていく。
「新会社が掘削機を所有し、鉱山会社へ貸し出す。固定料金ではなく、掘削量に応じて料金を受け取ります」
「鉱山会社が他社の機械に利益を払うと思うか」
「既存機より安く掘れるなら払います。初期費用はゼロ。電力費と保守費も下がる。採掘量が増えた分の一部だけを支払う契約にすれば、鉱山会社は導入した初日から利益を得られる」
ロベルは黙った。頭の中では目まぐるしく計算をしていることだろう。
僕は僕で計算を続ける。
「故障の危険は保険会社へ移します。ただし、普通の保険では高くなる。整備会社を子会社化して、稼働データを直接集める。故障率を正確に把握できれば、保険料も下げられる」
「整備会社まで作る気か」
「既存企業を買収した方が早いでしょう。月塵対策に強い会社が必要です」
「製造はどうする」
「量産設備を持つ機械メーカーへ委託します。あなたの研究所が直接製造まで抱える必要はない」
真剣に「品質を任せられん」と強調してくる。
彼は既に議論に熱が入ったことに気付いていないようだ。
「では、品質管理部門はあなたが指名してください。ただし原価管理は別の人間に任せます」
「俺の技術へ口を出すな」
「技術へは出しません。赤字へは出します」
カノーラが小さく吹き出した。ロベルは彼女を睨んだが、お茶目な市長は悪びれずに笑っている。
全く年を考えろよ、とロベルは思ったが口に出すような真似はしなかった。賢明である。
「つまり、技術、製造、販売、整備、保険を全部つなぐの?」
「ええ。正解です、カノーラ。ロベルさんに足りないのは技術ではありません。技術以外のすべてです」
「ずいぶんな言い方だな」
「事実でしょう?」
ロベルは反論しなかった。
代わりに、端末へ表示された予測を凝視する。試作機を三台製造し、フォン・ブラウンとグラナダの鉱山で一年間の実証試験を行う。
性能が資料通りなら、初期投資は四年以内に回収できる。
量産化が進めば、さらに短縮できる。採掘量が増え、粉塵による故障と健康被害が減れば、鉱山会社だけでなく都市全体の費用も下がる。
「試作機三台分の費用を出します」
僕は言った。畳みかけるように甘い言葉を吐いていく。より魅力的に映るように。空腹で弱った獲物が思わず口に運びたくなるような極上のエサを。
「実証場所も用意します。成功した場合、あなたの研究チームを母体に新会社を設立する。僕が六割、あなた方が四割を持つ」
「六割だと?」
「資金と経営資源を出すのは僕ですから」
「技術は俺たちのものだ」
「だから四割も出すんです。普通の投資家なら、金に困っている今のあなたから、もっと安く買い叩くでしょう」
ロベルの目が鋭くなる。大金が絡むと人はどうしても臆病になる。
でもいい感じに交渉は進んでいる。この感覚がとても気持ちいい。
「子供の道楽に、俺の技術を売るつもりはない」
「施しなら断って構いません」
僕は真正面から彼を見返した。ここは誠意をもって対応する場面だ。
間違えても喧嘩を売られて怒鳴るようではいけない。僕はそんな三流投資家ではない。
「投資なのだから、条件を交渉してください」
たっぷり沈黙したあと「何だと?」、ロベルは目を細めて言う。ここは勝負どころだと僕は自信満々に言い放った。
「僕はあなたを救いに来たのではありません。あなたの技術が生む利益を、誰より先に奪いに来たんです」
カノーラが「ムルタ君」と小さく声を上げた。少し言い方が悪かったかもしれない。
だが、ロベルは怒鳴らなかった。むしろ初めて、僕を対等な交渉相手として見ていた。
「失敗すれば、あんたの金は消える」
「投資とはそういうものです」
「技術が完成しても、鉱山会社が使うとは限らない」
「使わせます。フォン・ブラウンの鉱山会社二社、グラナダの資源会社一社へ僕から試験導入を持ちかける」
彼は怒ったように「簡単に言うな」と睨みつける。
「簡単ではありません。だから、あなた一人ではできなかった」
図星なのかロベルの顔が強張る。そう、彼はずっと販路に困ってきたはずなのだ。小さな会社の力ではどうしようもない事実。だが、僕が居れば話は大きく変わる。
「逆に、僕一人でも、その機械は作れない。あなたには技術があり、僕には金と企業と顧客がある。互いに足りないものを持っているから、取引になるんです」
「成功したら、技術を取り上げるつもりか」
「知的財産の権利は契約で保護します。技術に関する最終決定権はあなたが持つ。ただし、経営と販売には僕が人を入れる」
「失敗した場合、研究者の借金にする気か」
「しません。失敗の危険を負うのが資本家の役目です」
いいぞ、相手の心は此方に傾いてきている。
僕は少し間を置いた。
「ただし、資料の改竄や契約違反があれば別です」
「技術を別の会社へ売ることは」
「あなたの同意なしには認めません」
「契約書に書けるのか」
僕は「もちろんです」と間髪入れずに返答する。金に無頓着な技術者は、ときとして契約書一枚で大損をすることがある。それくらいは分かっているのだろう。
「俺の弁護士に確認させる」
「そうしてください」
「……すまん。見栄を張った。弁護士を雇う金がない」
「会社設立準備金から出します。ただし、僕の弁護士とは別の人物を雇ってください」
彼は「なぜだ」と疑問にする。本当にわからないようだ。
やはりこの人は経営には向いていない。
「同じ弁護士に双方の利益を守らせるほど、僕は善人ではありません」
ロベルの口元が、わずかに動いた。笑ったらしい。
これで札束ビンタのノルマは完了かな。
「本当に十二歳なのか」
「戸籍上は」
「頭の中身は?」
「自分でもよく分かりません」
その時だった。
ロベルの端末が鳴った。それまで何度も震えていた短い通知ではない。通話の着信だった。画面へ表示された名を見た瞬間、彼の顔から交渉相手としての表情が消えた。
「病院からでしょう?」
カノーラが言った。ロベルは答えず、通信を開いた。
「俺だ」
短い返事の後、相手の声へ耳を澄ます。頑固な男の顔から、ゆっくりと力が抜けていった。
「そうか」
かすれた声だった。
「無事か。二人とも……そうか。分かった。商談が終わったらすぐ行く」
通信が切れた後も、ロベルは端末を握ったまま動かなかった。
「生まれたの?」
カノーラが尋ねる。
やや間を空けて「ああ」とロベルは呟いた。
「娘だ」
その声には、先ほどまでの棘が一つもなかった。目元がわずかに赤くなっている。
「おめでとう、ロベルさん」
カノーラは両手を合わせ、心から嬉しそうに笑った。周囲にいた職員たちも祝いの言葉を送る。ロベルは困ったように頷いた。他人から祝われることに慣れていないらしい。
「早く行ってあげてください」
僕が言うと、ロベルは展示台の端末へ目を向けた。
「だが、まだ話が終わっていない」
「契約書は逃げません」
「だが!」
「娘さんが生まれた瞬間は、今日しかありません」
ロベルは僕を見た。僕の中では、台所に倒れていた前世の母の姿が蘇っていた。家族と過ごせる時間には限りがある。仕事は明日でもできる。そう言えるだけの金と余裕を持つことが、どれほど大切かを僕は知っている。
「仕事を優先したことを、娘さんに一生言われたいなら止めませんが」
「生まれたばかりの赤ん坊が覚えているものか」
「奥様は覚えています」
ロベルは言葉に詰まった。カノーラが力強く頷く。
「それは絶対に覚えていると思う」
「ハイタウン市長まで」
「行ってきて。展示は私たちで片づけておくから」
ロベルはしばらく迷っていたが、やがて展示台の資料をまとめ、鞄へ乱雑に詰め込んだ。
「続きは明日だ、坊主」
「ええ。娘さんを養うためにも、たくさん儲けてもらいます」
「余計なお世話だ」
「育児には、ずいぶんお金がかかるそうですよ」
「知っている」
「教育費はさらにかかります」
「お前は俺の親か」
「投資家です」
どこかで交わしたような会話だった。ロベルは呆れた顔をしながらも、去り際に右手を差し出した。
「ロベル・ラミアスだ」
僕はその手を握った。力いっぱい握られるかと身構えたが、予想外に優しく握られたのだった。見た目によらず気遣いもできるらしい。
「ムルタ・アズラエルです」
「知っている」
「名前を呼んだら友達だそうですよ」
「誰が言った」
「フォン・ブラウン市長と、僕の友人です」
「俺はお前の友達になるとは言っていない」
「では、取引相手ですね」
「ああ。それで十分だ」
そう言い残し、ロベルは足早に会場を出ていった。背中からでも、産院へ急いでいることが分かる。名前さえ呼べば誰でも友達になれるほど、宇宙はチョロくなかったようだ。僕の常識は守られた。
「素直じゃないけど、いい人なんだよ」
カノーラが言った。くすくすと笑っている。
「技術者としては優秀です」
「人としてもね」
「それは、これから判断します」
「ムルタ君は、人を数字みたいに評価するんだね」
非難する口調ではなかった。ただ、少しだけ寂しそうだった。
「投資家ですから」
「でも、ロベルさんを病院へ行かせたのは、利益のためじゃないでしょう?」
「研究者の家庭が安定していた方が、仕事の能率も上がります」
「そういうことにしておくね」
カノーラは微笑んだ。見透かされているようで、少し居心地が悪い。ハワードが端末を確認しながら近づいてきた。
「実証試験について、グラナダの鉱山会社へ問い合わせますか?」
「お願いします。フォン・ブラウンの二社にも。新会社設立の準備と、ロベル氏側の代理人候補も探しておいてください」
「承知しました」
「それから、新生児への祝いを」
「それはようございます。どの程度のものを贈りますか?」
と聞かれても困る。相場が分からないと尋ねた。
「私の知る一般的な範囲でよろしいですか」
「じゃあ一般的な富豪の範囲で」
「その範囲が問題なのです」
ハワードはため息をついた。カノーラが楽しそうに口を挟む。
「高すぎるものは駄目だよ。ロベルさん、怒るから」
「では、実用的なものにしましょう」
「例えば?」
「新会社の株式」
「赤ちゃんへの贈り物じゃないよ……」
なぜかカノーラは残念なものを見る目で僕を見ていた。
「いえ、待ってください。この株は将来価値が上がります。大人になった時きっと感謝することでしょう」
「ぬいぐるみにしてあげて」
結局、カノーラの助言に従い、月面生まれの子供向けに作られた小さな白いぬいぐるみを贈ることになった。それだけでは落ち着かなかったので、将来の教育資金として信託も用意した。ロベルにはしばらく黙っておくことにした。
その日の夜。
僕は宿泊施設の窓から、フォン・ブラウンの街を見下ろしていた。机の上には、ロベルの技術に関する資料が広がっている。
掘削機そのものだけではない。製造会社。整備網。保険。鉱山会社との契約。粉塵による健康被害の減少。生産性の向上。
一つの技術を中心として、複数の企業と人間が結びついていく。これこそが、僕の望んでいたものだった。金を渡すだけではない。価値ある技術を拾い上げ、足りない資源を補い、利益が生まれる場所へ置く。
研究者は研究を続けられる。
企業は利益を得る。
労働者は安全になる。
都市には税収が入る。
そして僕の資産も増える。
誰かが犠牲になるのではなく、関わる者すべてが少しずつ得をする。金儲けと人助けは、やはり両立できる。いや、両立させなければならない。善意だけでは、ロベルの研究は救えなかった。市長が同情し、補助金を与えたとしても、予算が尽きれば終わる。
だが、技術が利益を生む事業となれば、誰かの善意に頼る必要はない。利益が出るから続く。続くから技術が育つ。技術が育てば、さらに多くの人間を豊かにできる。
フォン・ブラウンは、僕の考えが正しいことを証明しているように思えた。
空気すらない月に、百万人の都市がある。人間は地球から追い出されただけではない。自らの手で新しい生活を築いている。
必要な資本と技術さえあれば、宇宙は地球以上に豊かな場所になり得る。
僕は、少し浮かれていたのだと思う。自分の才能なら、あらゆる問題を利益へ変えられる。利益が生まれる仕組みさえ作れば、貧困も格差も解決できる。
——世界を一つの巨大な企業のように捉え、資源を正しく配置すれば、誰もが豊かになれる。
これまで僕の能力は、その信念を裏切ったことがなかった。赤字企業は、人と設備を組み替えれば蘇った。資金不足の研究は、顧客と販売方法を与えれば事業になった。ならば都市も社会も、同じように作り変えられるはずだ。
この時の僕はチートの全能感に酔いしれていた。頑張れば何でもできる、本当にそう信じていたんだ。転生したところで所詮人間に過ぎないのに。
そのことに気づけたのは大分後になったころだった。
ふう、と息を吐く。寝起きでぼんやりしていた頭にスイッチを入れる。懐かしい夢を見ていた。月面一頑固な技術者との出会い。そして彼に似ても似つかぬ少女の誕生日。
あれから随分と経った。地球と宇宙の関係も、僕を取り巻く環境も様変わりしてしまった。
寝起きのコーヒーを飲んでいると、執務室へ新しい手紙が運ばれてきた。古風だが、友達とは手紙でやり取りするものである、少なくとも僕の中では。差出人はカノーラだった。
『ロベルさんの娘さん、今度地球に行くんだって。よければ案内してやってよ』
ロベルが連絡などくれるわけないか、と少し残念に思いながら添付された短い文書を開く。相も変わらず気さくな文面で、娘の近況が書かれている。
そこに記された名前を見てため息をつく。
——マリュー・ラミアス。
どこかで聞いたことがあった。最初は何かの勘違いかと思った。間違いなく知っている名前だった。ガンダムSEEDで聞いた名前である。当時は、不思議に思ったものだ。
ムルタ・アズラエルという名と同じように、偶然なのだろう。100億人以上の人間がいれば、同姓同名などざらに存在する。だがそれにしても、妙な一致だった。
「マリュー・ラミアス、ねえ」
声に出してみる。不思議と響きのよい名前だった。名前は、両親が子供へ贈る最初の贈り物である。
かつてのアーサーとの約束を思い出した。
「地球と宇宙を……いや、せめてマリューの安全は絶対に守ってやらないと」