【チラ裏】ムルタ・アズラエルは刻の涙を見る 作:d_chan
柔らかなベッド。高い天井——さすがに天蓋付きのベッドではなかった。豪奢なシャンデリア。広い部屋。そして見たこともないほど大きな窓。
その向こうには見渡す限りの庭園が広がっていた。
覚醒したばかりのぼんやりとした頭でぼーっと周囲を確認しようとする。だが結論が出る前に扉が開いた。
見たことのない初老の男が中に入り深々と頭を下げると、目を覚ました俺を見て驚愕する。気のせいでなければ、事務的な挙動に見えて喜びの感情が見受けられる。
「お目覚めになりましたか! ムルタ様、ご気分はいかがですか? 峠を越えあとは目覚めを待つばかりでございましたが、安心いたしました。これ誰かすぐに医師を呼んできなさい」
いや、この男は執事であり、いつも通りの姿ではないか。
それにしてもムルタ。ムルタ?
そう、俺の名前は30歳の日本人、××●●……? なぜだろう。名前が思い出せない。
いや違う。俺の……僕の名前はムルタ・アズラエルだ。
北米随一の名家、アズラエル財団の嫡子である。
「じい、鏡を、鏡を持ってきてくれないか」
うまく動かないのどをに力をいれて掠れた声を発すると、執事は何ら疑問をさしはさむことなく手鏡を持ってきてくれた。僕は鏡を見た。そこには金髪の少年が映っていた。三歳くらいだろうか。整った顔立ち。青い瞳。——どう見ても外国人だった。
そして俺は思った。
——勝った。
恥ずかしながらこの時は、本気でそう思った。
勝ち組である。人生大逆転だ。親ガチャという言葉が許されるなら、これは間違いなく最高レアリティだろう。SSR、いやUR間違いなし。健康体で金持ち生まれ、そして記憶の中では両親からも愛されている。見るからに大きな屋敷。大勢の使用人。専属医師や家庭教師までついている。
いまだ全容を把握できてすらいない大きな庭園。俺は初めて知った。世の中には、本当に金持ちという人種が存在するのだと。
そして、繰り返すが僕の名前は「ムルタ・アズラエル」だった。旧世紀のロックフェラーやロスチャイルド並みの財力をもつ北米の名家、アズラエル家の跡取りであり将来のアズラエル財団の後継者である。前世の記憶が蘇る前から、その影響からか才気煥発で利口な子だったらしい。将来を嘱望され後継者としての地位は盤石である——今のところ。
だが、これからコーディネーターとの競争で地位が揺らぐかもしれない。ブルーコスモス派のアズラエル財団でコーディネーターが対抗馬になることはないとは思うが、万一があるかもしれない。能力では敵わないと分かりきっているのだから、僕が持つ世界で唯一のチート能力『金を稼ぐ才能』をうまく活用する必要があるだろう。
なお、能力の使い方は分からない模様。パッシブ能力かアクティブ能力かだけでもわかるとよかったのだが。
「じい、ありがとう。鏡を返すよ」
にこりと笑って執事に手鏡を返す。執事は優雅に受け取ると感極まった表情を見せた。うんうん。ムルタ君の
その後、医師が来て体調は問題なしと診断された。あいにく両親は仕事で忙しいらしく会えたのは夕食のときだった。金持ちも大変なのだな。働かずに左団扇のイメージだったのだけれど違ったのか?
両親からは快癒を祝ってもらい、愛されてるなと感じた。
ただ前世の記憶が蘇ったことで不自然なふるまいをしないかどうかが心配だった。いくら愛情深い親とはいえ、30歳の魔法使いのおっさんが中身だったら拒絶されるかもしれない。捨てられるくらいならまだましで、密かに葬られるかも。勝手な金持ちのイメージだがどうなんだろう。
次に思ったこと——それはとにかく今は情報が欲しい。これに尽きた。
三歳児の知識など大したことない。せいぜい屋敷の中と庭を駆けた記憶がぼんやりとあるくらいだ。さすがに言葉はわかるようで、これには安心したものだ。
転生したのがガンダムSEEDの世界だとしたら、いまの世界情勢は知っておかないとまずい。まだどのように干渉するかは考えていないが、
と、いうのも前世で実はガンダムSEEDが好きだった。
ガンダム好きとはいえ、SEED以外は知らないにわかガンオタなのだがね。ファース党からすれば半端者扱いされるかもしれない。
さすがに、アムロとシャアとかジオンの名前は知っているし、コロニーや石ころがなぜか地球に落ちてくるというネタくらいは知っている。言い換えれば、その程度しか知らない。
話を戻すが、最推しはムルタ・アズラエル。
え? なぜかって? 確かに三下っぽい言動がところどころある。一本芯が通っているようで詰めが甘い悪役だ。でも金を持っている。うなるほどの金を持っている。それも国の行方さえ左右するほどの。
それだけで羨望に値した。名言も多いしね。
チート能力のみならず好きなキャラクターに転生できたのだから転生神には感謝しかない。直接神だと言われたわけではないが、これはきっと神様転生。だから神様に感謝しなければならない。とても簡単な論理である。
オーロラのような、虹のような中で若い女性、いっそ少女かと思うほど若々しい声に導かれた。きっと神は神でも女神なのだろう。名前を聞けなかったことが本当に残念である。
何か頼まれた気もするのだが……はて、とんと覚えていない。しかしながら、神託がきっとあるのでそれを待とうと思う。
とにもかくにも情報を手に入れないことには何もできない。
それからしばらく、なぜなにムルタ君になった。
あれ何? これ何? と身近なものから初めて、テレビ番組の内容について尋ねてみたり。とにかく疑問に思ったことを片っ端から聞いて回った。両親や使用人は、なぜなにムルタ君を微笑ましく応対してくれて、ひとつひとつ疑問に丁寧に答えてくれた。
今になって思えば怪しい行動だったと思う。転生バレの危険すらあった。まあ、それも息子に甘い両親だから無問題だったのだし、もともと賢い子供だったことがよいカモフラージュになったのだろうと思う。
そして数日後。
僕は絶望していた。
——宇宙世紀ってなにさ?
原作知識が通用しないと知った、宇宙世紀0045年の夏であった。