【チラ裏】ムルタ・アズラエルは刻の涙を見る   作:d_chan

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第19話 アナハイムから来た男(メラニー・ヒュー・カーバイン)

 話し合いは、坑道の奥から響いた鈍い衝撃音によって中断された。

 

 床が大きく揺れ、照明が一度消える。非常灯が赤く点灯し、警報が施設全体へ鳴り響いた。通信機から第五採掘区画で崩落が起きたとの報告が流れ、工場長たちの顔色が変わる。現場責任者は僕たちを安全区画へ避難させようとしたが、僕とメラニーはほとんど同時に拒否した。

 

 僕には事故現場で瓦礫を持ち上げる力などない。しかし、自分が利益を受け取っている企業で事故が起きたとき、安全な客室へ戻ることだけはできなかった。そして非力な僕には頼もしい味方がいるではないか。真剣な目をして秘書と護衛をみつめる。

 

 秘書のハワードが諦めたようにため息をついた。彼は、仕える主の性格を熟知している。すぐに護衛たちに指示を出した。

 彼らも護衛である以上、僕を安全な場所へ退避させたいようだが、僕の頑固さも分かっているからか。言い争う時間が無駄だと理解しているからか。素早く指示に従い始めた。さすがに、いざという時は、主の身の安全を最優先すると言う条件は譲らなかったが、これは相当に僕に甘い。「いざという時」が起こっただけでも、護衛は首が飛びかねない。僕は彼らの覚悟に応えなければならない。

 

 動き出したのは、メラニーも同じだった。ただし、理由は違ったらしい。「事故は企業の本性が最もよく見える瞬間だ」と言って、随行員との調整をする僕を置いて、救助指揮所へ向かった。

 

 崩落そのものは局所的だった。坑道の岩盤が剥離し、作業車両一台が巻き込まれ、三名の乗員のうち一名が運転席へ挟まれていた。救助隊は慎重に瓦礫を除去していたが、二次崩落の危険があるため作業は進まない。

 

 僕は端末へ表示された人員、機材、坑道図、予備電源、医療施設までの輸送経路を読み込み、頭の中で配置を組み替えた。使用可能な切断機は二台。しかし一台は別区画で整備中。救助用支柱は不足しているが、隣接する建設会社の地盤固定装置なら代用できる。チートの対象でなくとも、それによって鍛えられた頭脳は最速で解を導き出す。

 

 僕が次々と指示を出す間、メラニーは工場長、行政、保険会社、病院、輸送部門へ連絡を回し、権限の所在を整理していた。現場の救助を僕が組み立て、事故後に発生する組織的混乱を彼が封じる。

 

 相談したわけでもないのに、互いが不足している部分を埋めるように動いていた。

 

「アズラエル様、隣接企業の設備を使う許可は取ったのかね?」

 

「あなたが取ってください。アナハイム・エレクトロニクスのカーバイン家の名前なら、僕の名前より早く通るでしょう。あと、様は付けなくて結構です」

 

 あきれたように、メラニーは言った。

 

 アズラエル君、この貸しは高いぞ、と。

 

 アナハイム・エレクトロニクスは、いくら地元企業といえど、月におけるシェアはまだまだ中堅企業といったところ。その名前を使って無茶をするのだから、リスクも高い。今回はスピードを重視して、お隣の設備を半ば接収するようなものだ。

 その対価を払えるのか、という心配だろう。

 

 なんと言われても僕の意見は変わらない。僕が全額負担するとその場で宣言する。

 もとより、人命救助の最中に値切る趣味はない。

 

「ふっ、経営者としては甘い」

 

「今は投資家ではなく、事故を起こした会社の株主です」

 

「その区別がいつまでできるか、見ものだな」

 

 救助は事故発生から四十分後に完了した。作業員は意識を保っていたが、片脚をひどく損傷していた。担架が指揮所の前を通ったとき、彼は痛みに顔を歪めながら、救助隊員と僕の護衛へ――彼らは僕の指揮のもと大活躍した――何度も礼を言っていた。

 その後ろをついてきた同僚らしい男が僕の顔を見ると足を止め、「あんたがアズラエルか」と問いかけた。

 機敏に反応した護衛が前へ出ようとするのを、視線で制止する。

 

「ここの株を持っているんだってな?」

 

「はい、持っています」

 

「なら、今日の利益もあんたの金になるんだな」

 

 周囲の空気が固まった。現場責任者が男を制止しようとしたが、僕は手で止めた。いや、僕の周囲を固める随行員の誰もが厳しい視線を彼に浴びせていた。

 だが、きっと怒る理由が彼にはあった。それを突き止めたい。だから、僕がまずは冷静にならなければならないだろう。

 

「どういうことでしょうか? 大事故が起きた以上、今日の操業は停止します。利益は出ませんよ」

 

「事故が起きたから、だ。地球から来る奴らは、事故が起きれば安全が一番だと言う。事故の前には、点検へ金を使えば利益が減ると言う。事故が起きるまでは、俺たちの命より利益が大事なんだろう?」

 

 彼は目に怒りを込めて続ける。その語り口は真に迫っており、彼の胸の内がうかがえた。

 

「死んでから安全を語るくせに、生きている間は俺たちの命を経費としてしか見ない。必要だった追加検査をする代わりに、俺たちの命をコストにした。はっ、どうあっても利益が出るようになってやがる」

 

「なんですって!? 追加検査が延期されたことを、僕は……知りませんでした」

 

「知らなかったから関係ないってか?」

 

「いいえ。知らなかったことも僕の責任です」

 

 消沈しながら、ハワードに事故記録を調べさせると、崩落箇所では数日前から微細な振動が検出され、検査担当者が追加調査を申請していた。しかし、生産計画への影響を理由に延期されている。承認したのは、僕の投資会社から派遣された取締役だった。

 

 不要な停止時間を削減し、利益率を改善した人物として、僕自身が高く評価した経営者である。その効率化の一部が、危険を基準値以下という言葉で包み、現場へ押しつけることだった。

 

 十億ドルのすべてが誰かの不幸から生まれたわけではない。しかし、その一部に、確かに作業員が引き受けさせられた危険の値段が混ざっていた。

 

 憤懣やるかたないといった表情で、「金持ちは便利だな」と男は吐き捨てた。

 

「事故が起きれば金を出すと言えばいい。治療費、見舞金、設備更新。それで新聞は立派な投資家だと書く。俺たちは脚を潰されても、明日には別の誰かが穴へ入る」

 

「これから、設備も制度も変えます! これ以上の犠牲を出させないためにも!」

 

「お坊ちゃんはお利巧なんだねえ。あんたが地球に帰った後も続くと思うか? 地球育ちは気楽なもんだ。お前みたいな奴、反吐が出るぜ。きっと、お前の親もカスみたいな金持ちなんだろうな」

 

 貴様ッ、と護衛の一人が前に出かけるのをハワードが制止した。しかし、そのハワードさえ怒りを押し殺すような表情をしている。怖い。僕の周囲の怒りのボルテージが上がっていっている。僕らのことを思ってくれるのは嬉しいが、今は待って欲しい。

 

「僕は、改革を続けますよ!! 決して止めることはないと宣言します!!」

 

 彼らの怒りが爆発する前に、大声で宣言する。

 だが、彼は言い返す。前の奴らもそう言った、と。言ったそいつは新しい役員に首にされた、と。

 恐らく、僕の投資会社が送り込んだ人間が、その改革者を首にしたのだろう。

 

 ——彼はそれを知っていた。始めから、僕のことを信じる気はなかったようである。

 

 だからこそわかる。それは、何度も約束を裏切られてきた人間の声だった。僕が今どれほど真剣であるかなど、彼には関係がない。今朝までの僕が過去の投資家と大して違わなかった以上、その不信は当然だった。

 僕は少し考え、「なら、違うと証明するしかありません」と答えた。

 

「安全予算の使い道、点検停止の判断、現場から役員会へ上げる報告。そのすべてに作業員の代表を入れます。設備停止を申請した人間が評価を下げられず、危険を報告した方が報われる制度に変える」

 

「……でも、生産性が落ちるだろう?」

 

 頷く。落ちるでしょう。工場長が嫌な顔をする。

 

「それに、お前らが大好きな利益も減るだろう?」

 

 頷く。減ります。メラニーが目を見開いた。

 

「それでもやるのか。あんたは投資家なんだろう? 利益にならないことをやるわけがねえ」

 

「いいえ。利益が、誰かへ危険を押しつけ、その危険を数字の外へ追い出すことで生まれているなら、それは最初から僕の利益ではありません」

 

 少し離れた場所でじっと聞いていたメラニーが「美しい答えだ」と言った。彼の言葉は、もちろんそれだけでは終わらない。

 

「そして、危険な答えでもある。安全を最大化すれば、鉱山は閉じる。雇用を守れば、設備更新の資金がなくなる。すべての痛みを取り除くことはできない。経営とは、誰にどの痛みを負わせるか決める仕事でもある」

 

「そうです。だから、決める側に痛みを負う人間を入れます」

 

「なるほど。多数決で企業を運営するつもりかね?」

 

 彼は、皮肉気に僕に問いかけた。

 

「声を聞くことと、決定を委ねることは違います。知らずに決めるより、知った上で責任を取る方がましです」

 

 メラニーは反論しなかった。ただ、僕の答えを記憶へ刻むように目を細めていた。彼は僕の理想を笑ってはいなかった。理想を持つことではなく、その代金を本当に払い続けられるかを見ているのだろう。

 作業員の彼も、まだ納得はできていないだろう。でも、とりあえず僕のことを一度だけ信じてみる、と言ってくれた。それが本当に嬉しかった。こうして、ようやく場は収まったのだった。

 

 

 事故に遭った作業員は病院へ運ばれ、僕は治療費と休業補償の全額負担を指示した。

 しかし、それを人助けとは思わなかった。事故を起こした側が費用を負担するのは当然であり、失われた健康も恐怖も時間も、金で完全に買い戻すことはできない。

 

 札束ビンタとは、起きた事故を札束で覆い隠すことではない。事故を生む仕組みの方を、二度と同じ形へ戻れないほど変えることでなければならなかった。

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