【チラ裏】ムルタ・アズラエルは刻の涙を見る 作:d_chan
ムルタ・アズラエルという男を、私が本当の意味で理解したのは、彼と初めて出会ってから二十五年も後のことだった。
——宇宙世紀0079年
人類史上最大の戦争が始まり、ジオン公国が地球連邦政府へ宣戦を布告した。開戦からわずか一か月あまりで、地球圏で数億人が死亡したと報告された。数字が大きすぎて、もはや現実感すらない。
そして、コロニーの一部が地球へ落ちた。
あの日、私はアナハイム・エレクトロニクスの執務室で、オーストラリア大陸へ向かって落下していく巨大な構造物を見ていた。通信画面の中で、かつて何百万人もの人間が暮らしていた円筒が、燃えながら大気へ突入していく。
衝突。光。吹き上がる粉塵。巨大な津波。
その映像を前にして、私はようやく理解した。
ムルタ・アズラエルは、この光景を知っていたのではないか。
正確な未来を予言していたとまでは思わない。そんなものを信じるほど、私は迷信深くない。しかし、彼は何かを恐れていた。ただ戦争が起きるという程度ではない。地球と宇宙の双方を焼き、数億の人間を死なせる規模の破局を、あの男は何十年も前から恐れていた。
だから、あれほど急いだのだ。
だから、あれほど金を使った。
だから、あれほど無様に、自分の組織を割ってまで、宇宙から落ちてくるものを撃ち落とそうとした。
そのことに気づいた瞬間、私はムルタ・アズラエルという男へ、尊敬と、憐れみに近い感情を抱いた。
彼は世界を救おうとしていた。
誰にも真実を話せないまま、一人で。
私は若い頃、地球連邦軍の士官学校にいた。
カーバイン家は代々、軍と産業界の双方へ人脈を持つ家だった。軍人として功績を挙げてもよい。兵站や技術部門へ進み、軍需企業との橋渡しをしてもよい。家としては、どちらでも構わなかったのだろう。
私自身も、軍人という仕事を嫌ってはいなかった。
組織は明確だ。命令する者と、命令される者がいる。目的が決まれば、人員と物資を配置し、最短の手段で達成する。少なくとも表面上は、企業経営より分かりやすい。
同期には、ジャミトフ・ハイマンという男がいた。
優秀だった。
頭脳だけで言えば、私より上だったかもしれない。規律を重んじ、無駄を嫌い、他人の弱さへ厳しかった。教官からの評価も高かったが、なぜか私へ頻繁につっかかってきた。
「カーバイン、お前は軍人を馬鹿にしているのか」
ある日の演習後、ジャミトフが私へ尋ねたことがある。
「なぜ、そう思う?」
「作戦中も、兵站費用や装備の価格ばかり見ている」
「費用を見ずに作戦を立てる軍人の方が問題だろう」
「戦争は商売ではない」
「だが、金がなければ戦争はできない」
私がそう答えると、ジャミトフは露骨に不快な顔をした。
彼は軍を国家の意思を実現する装置として捉えていた。私は軍を、巨大な消費組織として見ていた。兵士一人を動かすにも食料、衣服、武器、輸送、医療、通信が必要になる。
国家が軍隊を持つ限り、そこには市場が生まれる。
当時から私は、命令を受ける側より、命令を成立させる資源を握る側に興味があった。
「お前には信念がない」
「信念で補給物資は増えない」
「だから、お前は信用できん」
「安心したまえ。私も君を信用していない」
そう言うと、ジャミトフはますます機嫌を悪くした。
彼は今も連邦軍で順調に出世しているらしい。いずれ、取引相手になることもあるだろう。軍の予算を引き出す能力はありそうだし、組織内部の政治にも強い。
もっとも、昔から妙に私を意識していた男である。
軍に残った自分と、実業界へ転じた私とを比較して、勝手に腹を立てていなければよいのだが。
一方、仲良くしてくれたのは、アレクサンドル・ゴップだった。軍事能力はからっきしだったが、兵站については神がかった才能を持っており、私も大いに刺激を受けたものだ。政治的な素養も高く、今でも連邦軍との太いパイプ役となってくれている。
それと、意外なことにアズラエル君とも親しいらしくゴップを仲介することで、色々と動きやすくなっていた。もちろん、ゴップ自身も利益を得ているわけだが。
士官学校を出たあと、私はほどなく軍を離れた。軍人として上へ行くには、あまりにも時間がかかると気づいたからだ。階級は年齢と勤務年数に縛られる。能力があっても、上官が席を空けなければ昇進できない。大規模な予算を動かす頃には、若さの大半を組織の階段へ費やしている。
私には待てなかった。
軍人が一隻の艦を動かす間に、企業家は艦を十隻造れる。
将軍が一つの作戦を指揮する間に、経済人は戦争そのものの継続を左右できる。
武器、燃料、食料、輸送船、通信設備。それらを握る者は、表へ出ずとも国家の選択を縛ることができる。
私は創業家たるカーバイン家の縁を使い、当時まだ月面の中堅企業にすぎなかったアナハイム・エレクトロニクスへ入った。家名を使ったことを恥じてはいない。
利用できる資源を使わないのは、美徳ではなく怠慢だ。
入社後は経営企画と宇宙開発部門を渡り歩いた。
採算の合わない事業を切り、将来性のある技術を買った。無能な経営者を退かせ、優秀な技術者へ設備を与えた。月面企業との契約を増やし、アナハイムを単なる家電と機械部品の会社から、宇宙産業全体へ手を伸ばす企業へ変えていった。
順調だった。いずれ私がアナハイムの頂点へ立つ。
そして、世界最大の企業へ育てる。そのためには何が必要か。
答えは分かっていた――戦争である。
平時の市場には限界がある。人間は、まだ使えるものを簡単には買い替えない。国家も予算を値切る。
しかし戦争は違う。
壊れた兵器は買い直される。消費された弾薬は補充される。昨日まで不要とされた技術へ、今日には国家予算がつく。人間が恐怖を感じたとき、需要は理性の限界を超える。
私は戦争を起こすつもりなどなかった。
ただ、起きる戦争を利用しないほど潔癖でもなかった。死の商人と呼ばれるなら、それでもよい。死ぬのは兵士であり、兵器を売る企業ではない。企業が戦争を拒否しても、別の企業が売るだけだ。
ならば、勝つ側へ売ればよい。当時の私は、本気でそう考えていた。