【チラ裏】ムルタ・アズラエルは刻の涙を見る 作:d_chan
後に、彼はブルーコスモスを設立した。
環境保護。宇宙移民支援。貧困対策。地球と宇宙を敵対させず、一つの経済圏としてつなぐ。
理念としては美しい。そして、極めて強力だった。人々は思想だけでは動かない。
だが、雇用、食料、医療、教育と結びついた理念には従う。ブルーコスモスは短期間で、世界最大級の市民組織へ成長した。設立と同時に、アズラエル君はモルゲンレーテの社長へ正式に就任した。
それ以降の経営は、神がかっているとしか言いようがなかった。
企業買収、技術開発、物流統合、資金調達。彼が触れた事業は、ほとんど例外なく成長した。
世界一の経営者。
救世主。
未来を見通す男。
彼をそう呼び、信奉する者まで現れた。
私も、その才覚には脱帽していた。しかし、同時に弱点も知っていた。彼は見えてしまった人間を、見捨てられない。自分の手が届く限り、全て救おうとする。
ならば彼と交渉するときは、人間の顔を見せればよい。数字だけでは拒否できる案件でも、その先にいる家族や子供の姿を見れば、アズラエル君は条件を緩める。
甘いところを突く。経済人として当然の戦術だった。
ただし、彼の甘さを利用しすぎれば、こちらが彼の理想へ巻き込まれる。
そこは注意が必要だった。
やがて私は、彼に誘われてロゴスへ加わった。経済によって世界を支配する。本人は、その言葉を嫌った。
地球と宇宙を一つの市場として結び、経済交流を増やし、戦争を割に合わないものにする組織だと説明していた。表向きは、だが。
実際のロゴスは、企業、金融機関、政治家、官僚、メディアを結びつける秘密の意思決定機関だった。
アズラエル君はキングメーカーになろうとしていた。自ら王になるのではなく、誰を王にするかを決める。地球と宇宙の間で均衡を取り、どちらかが暴走すれば資本を引き揚げ、反対側へ力を与える。
バランサー。フィクサー。経済による世界の管理。思い切ったものだ。だが、歴史とはそこまで単純だろうか。
一握りの人間が資本を動かし、戦争を防ぎ、国家を制御する。成功すれば平和。
失敗すれば、世界を私物化した秘密結社である。
いずれ大きなしっぺ返しを受ける。私はそう考えていた。
だから参加した。内部にいなければ、その失敗から利益を得ることも、被害を抑えることもできない。そして何より、ムルタ・アズラエルがどこまで進むのか、近くで見ていたかった。
変化が起きたのは、ジオン・ズム・ダイクンの死後だった。
モルゲンレーテとブルーコスモスの資金が、急速に軍事分野へ流れ始めた。それまでのアズラエル君は、軍需産業へ意図的に距離を置いていた。軍事技術へ投資するときも、医療、輸送、防災などの名目を立て、政治的な影響を避けていた。
それが変わった。とりわけジオン公国が成立してからは、より露骨だった。宇宙艦艇。迎撃システム。地下避難施設。長期備蓄。軍用通信。大量生産設備。あまりにも露骨だった。金を稼ぐためではない。何かを恐れている。
大規模な戦争が近づいていることは、私にも分かった。スペースノイドとアースノイドの対立は深まり、ジオン共和国は公国を名乗り、連邦との関係は悪化していた。
戦争は起きる。私にとっては、飯の種だった。
アナハイムは戦争で飛躍する。兵器を売り、艦を造り、戦後には復興設備を売る。
だがアズラエル君の反応は、単に戦争へ備える規模ではなかった。
彼は急ぎすぎていた。迂闊でもあった。
普段の彼なら、軍事投資をもっと分散し、目的を隠す。複数の企業と財団を経由し、自らが軍事へ傾倒したとは見せない。
それなのに、時間がないとでもいうように資金を注ぎ込んだ。モルゲンレーテでは兵器開発まで始めていた。
特に熱心だったのが、
建設、荷役、災害救助。人間と同じ手足を持ち、複雑な環境で作業する機械。
スパイから届く情報を統合すれば、アズラエル君はMTの駆動系、装甲、動力、宇宙空間での姿勢制御を改良しているらしい。
兵器へ転用するつもりかとも考えた。だが、すぐに否定した。人型兵器など、ミサイル一発で終わりだ。
投影面積が大きい。構造が複雑。脚部を失えば移動できない。戦車や戦闘機へ勝る理由がない。全くもって実用的ではない。
アズラエル君ほど合理的な人間が、そんなものへ本気になるとは思えなかった。
最大の疑問は、アルテミス計画だった。地球軌道上へ、大規模な迎撃衛星網を構築する。
公式には隕石衝突対策。確かに万一を考えればいずれ必要かも知れない。
だとしても、建造が急すぎて投資額が異常だった。これではスペースノイドを威圧していると捉えれても仕方がない。何度か私も忠告したが、彼が受け入れることはなかった。
しかしながら、連邦政府の国家予算に匹敵する資金を投入しようとしたのは問題だった。その金があれば、彼が望む環境保護、貧困救済、宇宙移民支援をどれほど進められたか分からない。なぜ、そこまで。とアルテミス計画を巡り、ブルーコスモスは割れた。
アズラエル君を盟主とする軍備拡張派。
隕石対策とジオンへの抑止のため、莫大な軍事費を認める。
対して、環境保護や貧民救済へ資金を使うべきだと主張する穏健派。
何の冗談か、その領袖にはジャミトフ・ハイマンが収まっていた。士官学校時代、軍事と国家を語っていた男が、今やアズラエル君の軍事投資を批判し、福祉と環境を唱えている。
だが、ジャミトフの思想を知る私には、単なる変節とは思えなかった。
彼もまた、地球環境を守るために人類を宇宙へ移すべきだと考えている。
違うのは方法だ。
ムルタは、人を生かしたまま移住させ、経済によって地球と宇宙を結ぼうとする。
ジャミトフは、人間の欲望と人口そのものを統制しなければ、地球は救えないと考えている。
穏健派という呼び名は、外見にすぎない。あの男が本当に穏健であるはずがない。おそらく、ブルーコスモス内部の不満を集め、アズラエル君の権力を削ぐために利用しているのだろう。昔から、正面から勝てない相手には組織を使う男だった。
地球と宇宙の未来のため、あれほど一枚岩だったブルーコスモスは、回復不能なほど割れていった。
アズラエル君は何を望んでいる。組織を守ることより、計画を優先した。長年の仲間から非難されても退かなかった。支持者を失い、資産を減らし、死の商人と呼ばれても止まらなかった。
分からなかった。
分かったのは、宇宙世紀0079年。
コロニーが落ちた日である。
彼は、この日を防ごうとしていた。ブルーコスモスが割れても。財産を失っても。自分が悪人と呼ばれても。
地球へコロニーが落ちることだけは、止めようとしていた。
それでも、止められなかった。画面の中で津波で都市が崩壊していく。
私は執務机の引き出しを開けた。そこには、かつてアズラエル君へ渡した万年筆と同型の品が入っている。
金を使う才能を持っている。しかし、金に使われる怖さを知らない。
私は彼へ、そう言った。
間違っていた。彼は金に使われていたのではない。
救えなかった未来に使われていた。
自分だけが見ている破局へ追い立てられ、資本も企業も友情も、自分自身さえ燃料として投じていた。
私は彼を尊敬した。同時に、哀れんだ。一人の人間が、背負ってよい未来ではない。
それでも彼は背負った。
ならば今度は、私が利用される番だった。
アナハイム・エレクトロニクスを世界最大の企業にする。その野望は変わらない。戦争を利用する。兵器を売る。死の商人と呼ばれても構わない。
だが、ムルタ・アズラエルが、もう一度世界を救おうとするのなら。そのためにアナハイムの工場と技術と資本が必要だというのなら。
高く売ってやろう。そして、彼から最大限の利益を奪う。
それが私たちの関係だ。互いに利用し、互いに利用される。
同じ方向を向いているように見えて、決して同じ場所へは立たない。
彼は戦争を止めるために軍需産業を育てる。
私は戦争で利益を得るために、彼の備えを利用する。
矛盾している。だからこそ、面白い。
通信端末を開き、ムルタ・アズラエルへ回線をつなぐ。呼び出し音が数回続いた後、疲れ切った男の顔が画面へ現れた。
かつてグラナダで出会った十二歳の少年の面影は、目元にわずかに残るだけだった。
「メラニーさん」
「アズラエル君。見事に失敗したな」
彼の表情が歪んだ。怒りではない。悲しみでもない。
救えなかった者の数を、全て自分の責任として数えている顔だった。
「ええ」
言い訳をしなかった。
昔と同じだ。
「アルテミスの首飾りは役目を果たせませんでした、せめて、連邦軍との指揮系統を統一できていれば」
彼の表情が歪んだ。足りませんでした、とのたまう。だが、原形のまま落ちていれば、被害はさらに大きかっただろう。それこそ十億人以上が死傷したかもしれないと試算されていた。
「ですが、二億人です」
「分かっている」
「二億人が死んだ」
救えた者の数ではない。救えなかった者だけを数えている。
予想どおりだった。
「まさかあんな方法で攻略するとはな。ジオンの
私は机の上へ、アナハイムの生産能力をまとめた資料を表示した。
「月面工場、造船所、精密加工設備。使えるものを全て出す」
彼の瞳に光が戻り、すぐさま代金は、と尋ねる。
「高いぞ?」
アズラエル君は、ほんの少しだけ笑った。
グラナダの事故現場で見た笑みだった。
「人命救助の最中に、値切る趣味はありません」
「経営者としては甘い」
「今は経営者ではありません」
窓の外には、グラナダの工場群が見える。アナハイムの工場は、すでに戦時生産へ切り替わり始めていた。
宇宙艦艇。輸送船。発電装置。医療設備。避難施設。そして、兵器も。
ジオン軍に占領されないか。唯一それだけが心配だったが、今のところ半壊した第13艦隊とZEBRAゾーンから来たというブルーコスモスの私兵が月の防衛に成功している。それと、引退していたハイタウン元市長が月面総理事の地位につき中立宣言をしている。彼女ならうまくやるだろう。十中八九、彼の差し金だろう。
それとサイド2やサイド5の避難民が、ジオンの蛮行を訴えている。密閉されたコロニーに毒ガス攻撃だなんてギレン・ザビは何を考えているのだ。
最もブルーコスモスの奮闘とジオンの残虐な行いによって、月の世論は中立を支持している。それだけが救いか。
とはいえ、中立というからにはジオンにも兵器やら民生品やらを売りつけるわけだが、そこはアズラエル君もわかっているだろう。内心は納得できなくとも、同じ商人としては理解できるはずだ。
「では、何だ?」
経営者ではないというのなら、彼は何者だと定義するのだろうか。彼は画面の向こうで、真剣な表情をした。
「事故を起こした世界の、株主です」
私は声を立てて笑った。
相変わらず、恐ろしい男だった。
そして、どうしようもなく甘い。
「いいだろう、アズラエル君。今度は世界を立て直すぞ」
アナハイム・エレクトロニクスは、この戦争で飛躍する。
死の商人として。復興の担い手として。
それが、アナハイム・エレクトロニクスが戦争へ本格的に踏み込んだ日だった。
そして私が、ムルタ・アズラエルという男へ、最も高価な投資を行うと決めた日でもあった。