【チラ裏】ムルタ・アズラエルは刻の涙を見る   作:d_chan

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第25話 可能性の友達(カーディアス・ビスト)

 結局、僕たちはほとんど料理へ手を付けないまま、晩餐会を抜け出した。

 

 ハワードは遠くから僕らを見ていたが、止めなかった。相手が誰かをすでに調べているのだろう。護衛二人だけが一定の距離を保ち、僕たちの後ろをついてきた。

 

 向かった先は、船尾側の展望室だった。

 月はすでに遠く、窓の外には黒い宇宙と星の光だけが広がっている。カーディアスは窓の前へ立ち、しばらく何も言わなかった。

 

「グラナダは、どんな場所だった」

 

 やがて彼が尋ねた。

 

「報告書に書かれているとおりです」

 

 僕は少し考え、少女との会話を話した。

 地球へ行ってみたいかと尋ねたこと。

 旅行なら行きたいが、住みたくはないと答えたこと。

 ここが家だから、と言われたこと。

 カーディアスは黙って聞いていた。

 

「地球の人間は、宇宙に住む者を移民と呼ぶ」

 

 彼は静かに言った。

 

「だが、そこで生まれた者には、移ってきた覚えなどない」

 

 その通りだ。生まれた場所が、故郷である。

 

「財団の人間は、地球圏全体を俯瞰して考えると言う。けれど、俯瞰とは、高い場所から人間を小さく見ることなのかもしれないな」

 

「高い場所から見なければ、全体は分かりません」

 

「低い場所から見なければ、人間は分からない」

 

 その言葉に、僕はメラニーとの会話を思い出した。どちらも必要なのだろうね。

 

「君は意外と素直だな」

 

「相手が正しい場合は認めます」

 

「自分が間違っている場合は?」

 

「証明してください」

 

「面倒な奴だ」

 

 よく言われる。

 僕はカーディアスへ、アーサーのことを話した。

 静止軌道ステーションで出会った少年。

 詐欺に遭った母親。

 未来の友情へ投資すると言い、名前を呼び合ったこと。

 カーディアスは途中から笑いを堪えていた。

 

「名前を呼べば友達?」

 

 宇宙では、そうらしいよ?

 フォン・ブラウン市長も言っていたからな。

 

「随分安い友情だ」

 

「僕も最初はそう思いました」

 

「今は?」

 

「名前だけで始められるなら、悪くないと思っています」

 

 カーディアスは窓へ映る自分の顔を見た。

 

「なら、僕たちも友達か」

 

「まだカーディアスと呼んでいません」

 

「今呼んだ」

 

「説明のためです」

 

「細かい男だな、ムルタ」

 

 名前を呼ばれた。

 僕は少しだけ困った。

 

「何ですか、カーディアス」

 

「これで友達だ」

 

 勝手に決めないでおくれ。

 

「安い友情なのだろう」

 

「投資審査は厳格です」

 

「なら僕にも投資してみろ」

 

 何だいきなり。アーサーの時ほど優しくはしないぞ。

 

「ハハハ、厳格で良いさ。俺は自分の人生を、自分で決める。俺の人生に投資しろ」

 

 は? 利益の見込みが一切不明やろ。何そのハイリスクノーリターンはよ。

 

「損はさせない」

 

 だから根拠は何なのさ。

 

「僕だからだ」

 

 ひどく自信に満ちた答えだった。

 しかし、不思議と嫌ではなかった。

 サイド1へは、何をしに行くのか、と僕が尋ねると、カーディアスは懐から一通の招待状を取り出した。

 

「バジルール家の晩餐へ出ろと言われている」

 

「偶然ですね」

 

 僕も同じ紋章の入った招待状を端末に表示した。

 サイド1に影響力を持つ軍人名家、バジルール家からの招待だった。宇宙航路とコロニー防衛について意見を聞きたいとのことである。僕としても、サイド1の軍人社会と接点を持つ機会として断る理由はなかった。

 

「目的地は同じか」

 

 そうだね。

 

「なら、君についていく」

 

 なぜそうなるのか。

 

「財団の船へ戻りたくない」

 

 お前の随行員が困るだろうが。

 

「困らせればいい」

 

 僕の秘書も困るだろうが。

 

「慣れているように見える」

 

 その瞬間、背後からハワードの声がした。

 

「慣れてはおりますが、歓迎はしておりません」

 

 振り返ると、彼はいつもの冷静な表情で立っていた。

 

「坊ちゃま。今度は、人を拾われたのですか」

 

「拾っていません。勝手についてくるそうです」

 

 僕は荷物ではないぞ、とカーディアスが言うと、ハワードは優雅に一礼した。

 

「荷物であれば、輸送費だけで済むのですが」

 

「君の秘書は面白いな」

 

 上げませんよ?

 

「別に欲しくはない」

 

「カーディアス様の随行員から、すでに問い合わせが来ております」

 

 何と答えた、とカーディアス。

 

「ご本人がこちらにいる、と」

 

 余計なことを、とカーディアス。相変わらず尊大な態度を崩さない。僕を見習いたまえ。

 まあ、捜索させては迷惑だ。連絡がついてよかったよ。

 

 

 ほどなくして、ビスト家の随行員が展望室へ現れた。カーディアスへ財団の船へ戻るよう説得したが、本人は聞かなかった。サイド1までは、この船に乗ると繰り返す。

 

「旦那様の許可がありません」

 

「十八歳だ。旅行するのに父の許可はいらない」

 

「ビスト家の後継候補として――」

 

「その言葉を使うな」

 

 カーディアスの声が低くなった。

 随行員は一瞬黙ったが、それでも引かなかった。財団の予定、警備上の問題、サイド1での面会日程。次々と理由を並べる。

 僕は聞きながら、カーディアスの言ったことを理解した。

 彼らはカーディアスへ仕えているのではない。

 ビスト家の将来を管理している。

 

「旅費はご本人に支払っていただきます」

 

 僕が口を挟むと、全員が僕を見た。

 

「ムルタ?」

 

「こちらの船へ同行するのであれば、客室の追加費用が発生します。ビスト財団へ請求するつもりはありません」

 

 なぜだ、とカーディアスは本気で不思議そうな顔をする。

 

「家から自由になりたい人間が、家の金で自由を買うのは矛盾しています」

 

 カーディアスはしばらく僕を見つめ、それから笑った。

 

「分かった。自分で払う」

 

 でもお前収入はあるのかよ。

 

「個人資産がある」

 

「それはビスト家から与えられたものでは?」

 

 ノーカンで。

 

「君はどこまで細かいんだ」

 

 そこんとこ重要だろうが。

 

「なら、サイド1へ着いたら働いて返す」

 

 ほーん、仕事の内容は?

 

「君の旅の案内役をする。バジルール家にも面識がある」

 

 それだけでは足らん。ワシの投資は安くないぞ。

 

「僕を安く見積もるな。サイド1の有力者、軍人、財団関係者、企業家の関係を教えてやる」

 

 ふーん。情報の正確性は?

 

「僕を誰だと思っている」

 

「財団ではないのでしょう?」

 

 カーディアスは一瞬言葉に詰まり、やがて声を立てて笑った。

 

「いいだろう。サイド1へ着くまでに、君が僕を友達として認める程度の利益を出してみせる」

 

「期待しています」

 

「言ったな、ムルタ」

 

「ええ、カーディアス」

 

 こうして、月を出たときにはいなかった旅の仲間が、一人増えた。

 

 ――カーディアス・ビスト

 

 後に巨大な財団の二代目当主となる男である。しかし、このときの僕にとっては、堅苦しい晩餐から勝手に逃げ出し、人の旅程へ当然のように入り込んできた、少し年上の変わり者にすぎなかった。

 

「ところで、ムルタ。サイド1へ着くまでに、操船区画を見学できないか」

 

 いや、乗客が入れる場所ではないぞ。

 

「船長とは顔見知りだ」

 

「それはビスト家の力では?」

 

「僕個人の人脈だ」

 

 同じだろう。違いが分からん。

 

「使えるものを捨てるのは、資源の無駄なのだろう?」

 

 自分の言葉を返され、僕は黙った。

 カーディアスは勝ち誇ったように笑った。

 どうやら今回の旅は、予定よりもずっと騒がしくなりそうだった。

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