【チラ裏】ムルタ・アズラエルは刻の涙を見る   作:d_chan

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第27話 バジルール

 港の気密区画を抜け、都市内部へ向かう大型昇降機へ乗り込む。

 月面都市では地下へ降りた。

 コロニーでは、外壁から内側へ入る。

 方向感覚がおかしくなる移動だった。

 

 案内表示では、昇降機はコロニー中心部へ向かって下降していることになっている。だが、僕の感覚では横へ進んでいるようにしか思えない。外壁の回転によって生まれる遠心重力のため、外壁側が地面で、中心軸側が空になる。

 

 理屈では分かる。身体が納得しているかは別問題である。

 扉が開いた。柔らかな風が頬へ触れた。

 一瞬、僕は自分が宇宙にいることを忘れた。

 目の前には、青い空が広がっていた。

 

 白い雲が浮かび、遠方には緑の丘が連なっている。道路の脇には樹木が植えられ、小さな川が流れていた。建物は月面都市よりも低く、地球の郊外を思わせる。

 頭上には太陽を模した照明ではなく、本物の太陽光が大型ミラーを通じて差し込んでいる。

 

 空に見える部分は、コロニーの反対側だった。

 よく見れば、青空の遠くに、上下が逆になった街並みがかすかに見える。あちらでも人々が歩き、車が走り、家々の屋根がこちらへ向いている。

 

 知識としては知っていた。

 しかし、実際に見ると異様だった。

 地面の上に空があり、その空の向こうに別の地面がある。

 

「どうだ?」

 

 カーディアスが尋ねた。

 

「気持ちが悪いですね」

 

「もう少し夢のある感想はないのか」

 

「美しいとは思います。しかし、構造を理解すると落ち着きません」

 

「いずれ慣れる」

 

「あなたは慣れているのですか?」

 

「子供の頃から何度も来ている」

 

 それなら先に教えてほしかった。

 カーディアスは、僕が頭上の街を見て困惑する姿を楽しんでいるらしい。

 

 案内通路の先には、歓迎の一団が待っていた。

 中央に立つ男は、軍服を着ている。

 三十代前半だろうか。背が高く、肩幅も広い。きれいに整えられた髪と口髭。いかにも軍人らしい姿だったが、顔には大きな笑みが浮かんでいた。

 僕たちの姿を確認するなり、大股で歩み寄ってくる。

 

「お待ちしておりました!」

 

 声が大きい。

 

 港の広い到着区画へ、よく響いた。

 

「ムルタ・アズラエル様! そしてカーディアス・ビスト様! お二人を同時にお迎えできるとは、バジルール家にとって末代までの誉れであります!」

 

 ずいぶん大げさだった。

 男は僕の前で姿勢を正し、見事な敬礼をする。

 

「地球連邦宇宙軍、ライオネル・バジルール少佐です。本日より、サイド1滞在中のご案内を務めさせていただきます!」

 

「ご丁寧にありがとうございます。ムルタ・アズラエルです」

 

「存じておりますとも! 十二歳にして十億ドルを築いた空前絶後の神童! 宇宙開発へ新しい風を吹き込む、若き投資家!」

 

 褒めすぎである。

 

「まだ何もしていません」

 

「ご謙遜を! フォン・ブラウンでの投資、グラナダでの企業改革、いずれもサイド1まで届いております!」

 

「情報が早いですね」

 

「軍人にとって情報は命です。そしてバジルール家にとって、人脈は第二の命!」

 

 本人が言ってしまった。

 横を見ると、カーディアスはすでに疲れた顔をしている。

 

「カーディアス様も、ご無沙汰しております!」

 

「半年前に会ったばかりでしょう」

 

「若者の半年は大きい! ますます立派になられましたな。未来のビスト財団当主にふさわしい!」

 

「僕は当主になるつもりはありません」

 

「これは失礼しました!」

 

 ライオネルは即座に頭を下げた。

 

「では、当主になられなかった暁には、私の人を見る目がなかったということで!」

 

 まったく反省していない。

 カーディアスは額へ手を当てた。

 

「相変わらずですね、少佐」

 

「変わらないことも軍人には必要です!」

 

 そう言い切ったライオネルは、再び僕へ向き直った。

 

「アズラエル様には、ぜひサイド1を隅々までご覧いただきたい。ザーンは人類最初の宇宙居住地です。古いだけではない。歴史があり、産業があり、地球圏の未来がある!」

 

「そのために来ました」

 

「おお! 頼もしいお言葉です!」

 

 ライオネルは僕の手を両手で握った。

 握手というより、捕獲に近い。

 

「我がサイド1は、アズラエル様のような若く、賢く、資金力のある方を歓迎いたします!」

 

「最後の要素が一番重要なのでは?」

 

「もちろんです!」

 

 即答だった。

 嫌いではない。

 打算を隠して善意を装われるより、金が欲しいと正直に言われた方が話は早い。

 僕が笑うと、ライオネルも豪快に笑った。

 

「おや。お気を悪くされませんか」

 

「資本を求めることは悪ではありません。何へ使うかが問題です」

 

「なるほど! では、使い道を存分にご覧いただきましょう!」

 

 ライオネルは後ろの副官へ合図を送った。

 迎えの車両が用意されているらしい。

 僕たちは案内されながら、港の外へ向かった。

 

「ライオネル少佐」

 

「どうぞ、ライオネルとお呼びください!」

 

「公的な場では少佐と呼びます」

 

「では私も、ムルタ様と!」

 

「様は不要です」

 

「なんと寛大な!」

 

 呼称一つで大げさすぎる。

 カーディアスが僕の隣へ寄り、小声で言った。

 

「気をつけろ。あの人は褒めながら懐へ入ってくる」

 

「分かっています」

 

「分かっていて楽しんでいるだろう」

 

「正直な人は好きです」

 

「正直というより、隠す気がないだけだ」

 

 それも一種の正直さである。

 

 

 用意されていた車両は軍用ではなく、黒塗りの大型乗用車だった。

 僕とカーディアス、ハワード、ライオネルが同じ車へ乗る。護衛と随行員は後続車両へ分かれた。

 

 車が港湾区画を出る。

 窓の外には、地球とほとんど変わらない街が広がっていた。

 道路沿いには商店や集合住宅が並び、学校帰りの子供たちが歩いている。公園では老人が椅子へ座り、若者たちが球技をしていた。農業区画へ向かう輸送車が交差点を横切り、遠方では風力発電に似た空気循環設備がゆっくり回っている。

 

 フォン・ブラウンには、宇宙へ築かれた都市という感覚があった。

 岩盤を掘り、空気を閉じ込め、機械によって人間の生活を守っている。どこを見ても、宇宙という過酷な環境へ挑んでいることが分かる。

 

 サイド1は違った。

 あまりにも地球に似ている。

 人々は頭上に宇宙があることを意識せず、買い物をし、学校へ通い、庭の手入れをしている。

 

 月は、人間が宇宙へ挑んでいる場所だった。

 サイド1は、人間が宇宙へ住み着いた場所だった。

 

「地球と変わらないでしょう」

 

 ライオネルが誇らしげに言った。

 

「ええ。一見すれば」

 

「一見すれば?」

 

「地球では、空気循環設備が故障しても、住民全員が窒息することはありません」

 

 ライオネルは目を瞬いたあと、大きく笑った。

 

「なるほど! アズラエル様は夢より先に弱点を見る!」

 

「投資家なので」

 

「軍人も同じです。敵が来ないことを祈るより、来た場合にどこを守るか考える」

 

 軽薄に見えるが、発想は軍人だった。

 

「サイド1は古い。最初期のコロニーは、建造からすでに長い年月が経っています。外壁、空気循環、水再生、姿勢制御。更新費用は増える一方でしょう」

 

 僕が尋ねると、ライオネルの笑みが少しだけ薄くなった。

 

「おっしゃるとおりです」

 

「予算は足りていますか」

 

「足りている、と申し上げたいところですが」

 

 やはり足りていないんだな。

 

「連邦政府には、ほかにも優先すべき地域があります。新しく建造されたサイドは人口も増え、政治的な発言力も強い。我々は最初の宇宙都市としての誇りを持っていますが、政府から見れば、すでに完成した地域なのでしょう」

 

「完成したものに、更新費用が必要だとは考えない」

 

「ええ。新しく作る予算は目立ちます。古いものを壊れないよう維持する予算は、成果が見えにくい」

 

 どこでも同じだった。

 事故が起きなければ、安全投資の成果は見えない。

 設備が壊れなければ、保守費用は無駄に見える。

 人間は、起こらなかった不幸へ金を払ったことを忘れやすい。

 

「だから、アズラエル様には期待しております」

 

「僕の金を当てにしているのですか」

 

「はい!」

 

 やはり即答だった。

 

「ただし、寄付を求めるつもりはありません。サイド1にも利益を生む産業はある。軍需、航路管理、精密機器、農業研究。利益の出る仕組みへ変えていただけるなら、我々も正当な対価を支払う」

 

「ずいぶん話が早いですね」

 

「アズラエル様が慈善家ではないことは、承知しております」

 

「僕も、自分を慈善家だと思ったことはありません」

 

 メラニーにも同じことを言った。

 ライオネルは、ますます嬉しそうな顔をした。

 

「いやあ、実に頼もしい! 慈善家は、飽きれば去る。しかし投資家は、利益がある限り残る!」

 

「利益がなくなれば去りますよ」

 

「ならば、利益がなくならない関係を作ればよい!」

 

 この男、政治家や商人になっても成功したのではないだろうか。

 

「少佐は、本当に軍人なのですか」

 

「もちろんです。軍人だからこそ、補給と予算の重要性を知っております。勇敢な兵士も、弾薬と食料がなければ戦えません!」

 

「理想や名誉を語らないのですね」

 

「理想と名誉で腹が膨れるなら、軍の食費は半分で済みます!」

 

 カーディアスが声を立てて笑った。

 僕も笑う。

 ライオネル・バジルール。

 押しが強く、声が大きく、褒め方が大げさで、打算を隠そうともしない。

 面白い人だった。

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