【チラ裏】ムルタ・アズラエルは刻の涙を見る   作:d_chan

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第28話 軍人らしい軍人(ライオネル・バジルール)投資家らしい投資家(ムルタ・アズラエル)

 車は中心都市を抜け、郊外の住宅区画へ入った。

 バジルール家の邸宅は、軍人名家と聞いて想像したほど豪華ではなかった。広い敷地と庭はあるが、建物は古く、装飾も控えめである。

 玄関には歴代当主と思われる軍人の肖像が並び、壁には宇宙船や戦闘機の模型が飾られていた。

 

「由緒ある家なのですね」

 

「古いだけです!」

 

 ライオネルは笑った。

 

「初代は宇宙移民船団の護衛士官でした。それ以来、バジルール家は代々軍人です。優秀な者も、そうでない者もいましたが、全員が制服を着ました」

 

「少佐も選択肢はなかったのですか」

 

「ありましたとも。陸軍か、海軍か、宇宙軍か!」

 

「軍人以外の選択肢です」

 

「考えたこともありませんな」

 

 即答だった。

 カーディアスが、僕を見た。

 家から逃げたい彼には、理解しにくい答えなのだろう。

 

「家に決められた人生を、不自由とは思わないのですか」

 

 カーディアスが尋ねた。

 ライオネルは少しだけ考えた。

 

「思ったことはあります」

 

 意外な返答だった。

 

「若い頃は、民間船の船長にも憧れました。自分の船で、好きな場所へ行きたいと。しかし、軍人になってみれば、悪くなかった。家に道を決められたからといって、その道で得たものまで偽物になるわけではありません」

 

「自分で選ばなかったのに?」

 

「最初の道は家が選びました。しかし、その道を歩き続けることは私が選んでいます」

 

 ライオネルは笑っていたが、言葉は真剣だった。

 

「もちろん、カーディアス様へ同じ選択を勧めるつもりはありません。人には向き不向きがあります。私には、家を捨てて一人で生きる勇気がなかっただけかもしれない」

 

「ずいぶん謙虚ですね」

 

「褒めていただけますか?」

 

「褒めていません」

 

「残念!」

 

 すぐに軽い調子へ戻った。

 しかし、カーディアスは考え込んでいた。

 

 家に従うことと、家に利用されること。

 家を捨てることと、自由になること。

 正解は一つではないのだろう。

 僕はアズラエル家を利用する。

 カーディアスはビスト家から離れようとする。

 ライオネルはバジルール家が用意した道を、自分の意思で歩いている。

 

 三人とも違った。どの道が正しいかは、まだ分からない。

 

「さあ、難しい話はここまでにしましょう!」

 

 ライオネルが両手を叩いた。

 

「妻が晩餐の準備をしております。お二人を迎えるため、朝から張り切っておりましてな!」

 

「それは申し訳ありません」

 

「何をおっしゃる! 未来の世界一の富豪と、未来の財団当主を同時に迎える機会など、人生に一度あるかどうか!」

 

 カーディアスは「僕は財団当主にはなりません」と即答する。

 

「まだおっしゃいますか!」

 

「まだも何も、最初から言っています」

 

「では、未来の何か大きなことをする方としておきましょう!」

 

  バジルール少佐も大概適当である。

 

 

  晩餐まで少し時間があるというので、ライオネルは邸宅の庭を案内した。

 コロニー内部に庭を持つことは、地球より贅沢である。

 土も水も空間も、すべて有限だ。軍人の家としては質素に見えても、相当な資産を持っていることが分かる。

 庭の一角には、小さな果樹が植えられていた。

 

「月面では果樹栽培へ投資されたそうですな」

 

 いや、まだ検討段階だよ。耳が早いな。

 

「サイド1でも、果物は高い。地球産ほどではありませんが、果樹は土地を長く占有しますから」

 

 おや。この木は、なんぞ?

 

「妻が育てています。まだ一度も実をつけておりません」

 

 チートさんが反応したぜ。品種と土壌データを下さいな。

 

「投資案件になりますかな?」

 

「可能性はあります」

 

 僕が答えると、少し後ろにいたハワードが端末を操作した。

 

「サイド1到着後、一件目です」

 

 まーた、数えるつもりか。

 

「必要かと思いまして」

 

「まだ投資すると決めていません」

 

「フォン・ブラウンでも同じことをおっしゃいました」

 

 カーディアスが僕たちのやり取りを見て、呆れた顔をした。

 

「本当に歩くだけで案件を増やすのだな」

 

 そこに問題があれば需要があるのだよ。

 

「そのうち、道端の石にも投資しそうだ」

 

 月面の石なら投資したぜ。

 

「冗談だったのだが」

 

 ロベルの掘削技術は、月面の石を利益へ変える。

 間違ってはいない。

 

「いやはや、頼もしい!」

 

 ライオネルは嬉しそうに僕の肩を叩いた。

 

「我が家の木が、アズラエル様の手で巨大事業へ育つかもしれない!」

 

「まだ一件目ですよ」

 

「一件目があるなら、二件目もある!」

 

 この積極性は見習うべきかもしれない。

 庭を抜けたところで、屋敷の中から女性が現れた。

 

 ライオネルの妻だった。

 夫とは対照的に、静かな雰囲気の女性である。年齢はライオネルより少し若いだろう。丁寧に挨拶し、僕たちを歓迎してくれた。

 その腹部は、衣服の上からでもわずかに膨らんでいた。

 

「奥様は、お子様を?」

 

 僕が尋ねると、ライオネルの顔がさらに明るくなった。

 

「お気づきになりましたか! まだ安定期へ入ったばかりですが、順調なら来年には家族が増えます!」

 

「おめでとうございます」

 

「ありがとうございます!」

 

 妻も穏やかに頭を下げた。

 

「男児か女児かは?」

 

「まだ分かりません」

 

 妻が答える。

 ライオネルは待っていましたとばかりに、僕へ身を乗り出した。

 

「そこで、アズラエル様!」

 

 嫌な予感がした。

 

「もし女児であれば、将来の嫁候補にいかがでしょう!」

 

 カーディアスが噴き出した。

 ライオネルの妻が目を閉じ、深いため息をついた。

 

「あなた。お客様へ何を言っているのです」

 

「いや、未来を見据えた話だ!」

 

「まだ生まれてもいません」

 

「だからこそ先行投資だ!」

 

 その言葉を僕へ使うのか。

 

「少佐」

 

「ライオネルとお呼びください、未来の婿殿!」

 

 この空気で呼ばないよ。

 

「残念!」

 

 我、十二歳ぞ?

 

「娘もいずれ成長します!」

 

 年齢差ってやつがあるだろうに。

 

「十二歳程度、長い人生では誤差です!」

 

 誤差ではないってばよ。干支が一回り違うじゃないか。

 カーディアスが横から口を挟んだ。

 

「僕よりムルタを選ぶのですか、少佐」

 

「おお、カーディアス様もご希望ですか!」

 

 違いますよ、とカーディアスは笑いをこらえている。

 

「ビスト財団との縁も魅力的ですな!」

 

「僕は財団ではないと言っているでしょう」

 

「では、個人として!」

 

「まだ生まれていない子供の婚約者候補を二人並べるな」

 

 ライオネルは、しばらく僕とカーディアスを見比べた。

 

「これは悩みますな」

 

「悩む必要はありません」

 

 僕とカーディアスの声が重なった。

 ライオネルの妻が夫の腕をつかむ。

 

「いい加減にしてください」

 

「冗談だ」

 

「どこまでが?」

 

「半分ほど」

 

 半分は本気なのか、と僕が尋ねると、ライオネルは胸を張った。

 

「バジルール家の将来を考えるのも、当主の責務です!」

 

 あまりにも押しが強すぎる。

 

「ムルタ。君が引き受けろ」

 

「なぜです。カーディアスの方が年齢的に適切でしょう」

 

「僕は十八歳だ。生まれていない子供と適切な年齢差ではない」

 

 僕も同じだよ。

 

「君は十二歳だろう。僕よりは近い」

 

 六年しか違わんよ。

 

「二人とも、真剣に検討してくださるとは!」

 

 ライオネルが嬉しそうに言う。

 

「していません!」

 

 また声が重なった。

 妻がついにライオネルを屋敷の中へ引きずっていった。

 

「皆様、どうぞお入りください。夫の話は忘れてください」

 

「待て。私はまだ案内を――」

 

「十分です」

 

 軍人少佐が、妻には逆らえないらしい。カーディアスが僕の隣で笑っていた。

 未来の婿、と僕を呼ぶ。

 

「カーディアスにも候補資格はありますよ」

 

「僕は辞退する」

 

 奇遇だね。僕もだ。

 

「なら、どちらが先に逃げるか競争だな」

 

「何の競争ですか」

 

 僕たちは顔を見合わせた。サイド1へ到着してから、まだ数時間しか経っていない。

 しかし、すでに今回の滞在が予定どおりに進まないことだけは確信できた。

 

 

 バジルール家の晩餐は、船内の晩餐会よりずっと居心地がよかった。

 豪華な料理ではあるが、見せるためではなく食べるために作られている。ライオネルの妻が家庭菜園で育てた野菜も使われていた。

 

 参加者は僕たちの一行と、バジルール家の親族、軍関係者、サイド1の行政官、企業家たちである。

 人数は多かったが、船内のような露骨な値踏みは少ない。

 代わりに、ライオネルが僕とカーディアスを大声で紹介し続けた。

 

「こちらが、かのムルタ・アズラエル様! 十二歳で十億ドルを稼ぎ、月面の頑固な技術者さえ口説き落とした若き天才!」

 

「口説いてはいません」

 

「投資家の世界では、契約を結ぶことを口説くと言うのでは?」

 

 言わんよ、たぶん。

 

「そして、こちらがカーディアス・ビスト様! ビスト財団初代当主サイアム・ビスト氏の孫にして、将来の――」

 

「財団当主とは言わないでください」

 

「将来の大人物!」

 

 紹介が雑になった。

 出席者たちは笑った。

 ライオネルは、道化のように場を盛り上げながら、自然に僕たちをサイド1の要人へ引き合わせていく。

 

 行政官には設備更新の問題を語らせる。

 企業家には投資案件を説明させる。

 軍人には航路防衛と補給の課題を話させる。

 一見すると、ただおしゃべりなだけだった。

 しかし、会話の順序が計算されている。

 

 僕が興味を持ちそうな人物を先に近づけ、話が長くなりすぎれば冗談を挟んで別の相手へ移る。僕の反応を見ながら、話題の優先順位を変えている。

 人脈を第二の命と言ったのは、誇張ではなかった。

 ライオネルは人と人を結びつけることを、軍事作戦のように考えている。

 

「少佐は、案内役より仲介業者の方が向いていますね。

 

 僕が小声で言うと、ライオネルは胸へ手を当てた。

 

「最高の褒め言葉です!」

 

「褒めてはいません」

 

「では、今後褒めていただけるよう努力します!」

 

 何を言っても前向きに受け取る。

 強い。

 食事が進み、話題は宇宙航路へ移った。

 サイド1は地球、月、ほかのサイドを結ぶ交通の要衝でもある。軍人たちは航路警備の不足を訴え、企業家は海賊や事故による保険料の上昇を語った。

 

「最近では、木星航路への関心も高まっております」

 

 ライオネルが言った。

 

「木星ですか」

 

 僕はフォークを止めた。

 

「核融合燃料として、ヘリウム3の需要は今後さらに増えます。木星は巨大な供給源になり得る。しかし距離が遠すぎる。航海には長い時間がかかり、船も人員も不足している」

 

 行政官が続ける。

 

「政府主導の木星開発事業はありますが、予算は限られています。民間企業は投資回収までの期間を嫌がる」

 

「当然でしょう」

 

 僕は答えた。

 木星は遠い。

 宇宙世紀の技術でも、地球圏との往復には長い時間がかかる。船を建造し、人員を送り、生活設備を維持し、資源を持ち帰る。

 

 投資額は巨大。

 回収は遅い。

 事故が起きれば全損。

 政策変更の危険も高い。

 普通の投資家なら避ける。

 

「アズラエル様でも、魅力を感じませんか」

 

 企業家が尋ねる。

 

「短期的には、魅力がありません」

 

 正直に答えた。

 

「現時点では政府補助なしに成立しない。地球圏で投資した方が、同じ資本から大きな利益を得られるでしょう」

 

 出席者の何人かが残念そうな顔をした。

 

 ただし、と僕は続けた。

 

「木星資源が不要になるとは思いません。地球圏の人口とエネルギー需要が増えれば、いずれ必要になる。問題は、誰が最初の損失を負担し、長い時間を待つかです」

 

「未来の利益へ、先に金を渡す」

 

 カーディアスが言った。フォン・ブラウンで、僕がカノーラへ話した投資の説明を覚えていたらしい。

 

「そうです」

 

「なら、君向きではないか」

 

「投資家にも資金の限界があります」

 

「十億ドル持っていて、よく言う」

 

「十億ドルしかありません。実家のお金を動かす権限を持っていないのです」

 

 それこそ財団を動かば桁が1つは余裕で増えるよ。

 

 食卓が静かになった。

 なぜ皆、変な顔をするのだろう。

 木星開発へ本格的に投資するなら、十億ドルなど大金ではない。船団建造、航路設備、生命維持、保険、教育、医療。必要な額は桁が違う。

 

「アズラエル様にしか言えない言葉ですな!」

 

 ライオネルが大笑いした。

 

「十億ドルしかない! 私も一度言ってみたいものです!」

 

「軍人が言えば、横領を疑われますよ」

 

「それは困る!」

 

 晩餐の場に笑いが広がった。

 僕は木星開発について、もう少し詳しく尋ねた。

 翌日、サイド1中央区で民間向けの木星資源開発説明会が開かれるという。政府関係者、船舶企業、資源会社、研究者が参加する予定だった。

 

「ご興味がおありなら、席をご用意します」

 

 ライオネルが言う。

 

「お願いします」

 

「僕も行こう」

 

 カーディアスが当然のように口を挟んだ。

 

「あなたは、明日ビスト財団関係者との面会があるのでは?」

 

「断る」

 

「勝手に断れば、随行員が困りますよ」

 

「困らせればいい」

 

 カーディアスの随行員が、離れた席で頭を抱えていた。船の中と同じである。

 

「木星へ興味があるのですか」

 

「君が興味を持ったものに、僕も興味がある」

 

 友人だからかな?

 

「投資案件としてだ」

 

「僕の言い方を使わないでください」

 

「便利な共通語なのだろう?」

 

 自分の言葉を使われると、やはり腹が立つ。ライオネルは僕たちを見比べ、満足そうに頷いた。

 

「よい友情ですな!」

 

「いつから見ていたのですか」

 

「港へ到着した時から!」

 

 まだ数時間しか経ってないよ。

 

「時間ではありません。軍人は、一瞬で信頼を築かなければならないこともある!」

 

 僕たちは軍人ではないよ。

 

「未来の婿候補です!」

 

「その話は終わったでしょう!」

 

 奥の席から、ライオネルの妻の声が飛んできた。少佐は素早く姿勢を正した。

 

「冗談です!」

 

 見事な軍人の反応速度だった。

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