【チラ裏】ムルタ・アズラエルは刻の涙を見る 作:d_chan
財団関係者との面会は、港に近い宿泊施設の会議室で行われた。
部屋へ入ると、三人の男と一人の女性が立ち上がった。
全員、僕をよく知っている。
僕も顔と名前は知っていた。父の側近。財団の法務責任者。サイド1事業の担当者。それから、祖父の意向を確認するために派遣された秘書。
「カーディアス様。ご無事で何よりです」
法務責任者が頭を下げた。
「僕は旅行をしていただけです。遭難したような言い方はやめてください」
「財団の船から無断で離れ、別の旅客船へ移られたと聞いております」
「無断ではありません。僕が決めました」
「旦那様は、大変ご心配されております」
「父は、僕の身を心配しているのですか。それとも財団の後継候補に傷がつくことを心配しているのですか」
いつもなら、ここで相手を困らせることに満足し、そのまま席を立っていただろう。
だが今日は違う。困らせることが目的ではない。答えを聞くために質問している。
「両方でしょう」
祖父の秘書が答えた。老人に長く仕えているだけあって、余計な言葉で取り繕わない。
「人間の感情と組織の事情は、簡単に分けられるものではありません。父親としてご心配であり、財団関係者としてもご心配なのでしょう」
今までになく正直にいうね。
驚いたよ。
「カーディアス様は、嘘を言えば見抜かれますので」
ムルタと同じことを言う。僕は席へ座った。
相手たちも、少し遅れて座る。
「本日の面会は、サイド1における財団事業の説明と、今後の予定についての確認です」
「予定を確認する前に、財団事業の説明を聞きます」
担当者たちが、わずかに顔を見合わせた。
「これまでにも、何度かご説明しておりますが」
「これまでは聞くつもりがありませんでした。今日は聞くつもりがあります。ただし、きれいな話だけは不要です」
相手が聴く姿勢になるのを待つ。
「誰が利益を得るのか。誰が危険を負うのか。誰の声が意思決定から消えているのか。財団が撤退した場合、何が止まるのか。財団の善意がなくなっても続く制度なのか。それを説明してください」
会議室が静かになった。
法務責任者が、慎重に口を開く。
「それは、どなたかから教わった質問ですか」
「僕が考えました」
嘘ではない。
考えるきっかけを与えたのがムルタだっただけだ。
「では、順に説明いたします」
サイド1で財団が関与している事業は多かった。コロニー外壁の補修会社。航路保険。医療施設。農業研究。軍需部品。通信網。
財団は直接経営する場合もあれば、株式を保有するだけの場合もある。表向きは関係のない企業でも、融資や人事を通じて影響力を持つことがあった。
説明を聞きながら、僕は初めて財団を一つの生き物として見ることができた。
巨大な組織は、一人の意思だけでは動かない。利益を求める者。政治的な影響力を守ろうとする者。
純粋に社会を支えようとする者。自分の立場だけを守ろうとする者。互いに異なる目的を持ちながら、同じ財団という名の中で動いている。
「この医療施設は、収益性が低いですね」
僕は資料を指した。
「低所得者向けの診療区画です。財団の社会貢献事業として運営しております」
「財団からの資金が止まれば?」
「半年ほどで縮小が必要になります」
「それでは、財団の善意に依存しすぎています。自治政府や保険会社を巻き込んで、最低限の診療を事業として成立させる方法を考えるべきです」
「カーディアス様」
驚いた表情をしながら尋ねられた。
「アズラエル様の影響を受けられましたか」
一方的に影響を受けたわけではない。少々不愉快な言い方だな。
「失礼しました」
彼は否定はしなかった。別の資料へ目を移す。
「この外壁補修会社は、財団の関連企業からしか部品を買えない契約になっていますね。品質保証のためと書いてありますが、価格が市場より高い」
「財団内で利益を循環させるためです」
「サイド1側から見れば、選択肢を奪われています。設備更新を支援しているつもりでも、実際には財団へ依存させているだけではありませんか」
「契約上の問題はございません」
「法的に正しいことと、正当であることは違います」
口にしてから、自分でも驚いた。
以前の僕なら、財団が利益を得ることに興味すら持たなかった。
嫌いな組織が何をしていようと、自分には関係がないと思っていた。
だが今は、財団の力が誰かの選択肢を増やしているのか、それとも奪っているのかが気になる。
ムルタは利益を否定しない。むしろ誰より強く利益を求める。しかし、その利益によって相手が弱くなり続ける関係を、長期的ではないと切り捨てる。投資先には豊かになってもらわなければ困る。
あの少年なら、そう言うだろう。
「カーディアス様は、財団を変えたいとお考えですか」
父の側近が尋ねた。まだ自分でも分かっていない。
「では、なぜこれほど詳しく質問を?」
「財団が何をしているのか知らないまま、嫌うことが馬鹿らしくなっただけです」
「以前は、財団の説明を聞くことすら拒まれていました。今は違うのですか」
僕は少し考えた。
「今も、自由になりたいと思っています。ただ、財団から離れることだけが自由だとは思わなくなりました。財団の力を知り、その力を使うか捨てるか、自分で決める。それができなければ、僕は財団へ従っているのと変わらない」
相手たちは黙っていた。
誰も反論しない。その沈黙が、以前の僕なら気に入らなかっただろう。
今は、少しだけ心地よかった。自分の言葉が、初めて財団の人間へ届いたように感じた。
面会の後、祖父から通信が入った。
——サイアム・ビスト。
ビスト財団を築いた老人。父や兄は、祖父を恐れている。僕は、彼の昔話を聞くことが嫌いではなかった。通信画面に映った祖父は、いつもと変わらず、こちらの表情を見透かすような目をしている。
「面白い少年だったか」
挨拶より先に、祖父は尋ねた。
「情報が早いですね」
「財団の人間が何人も慌てていたからな。お前が予定を破るのは珍しくないが、他人の予定へ自分から入り込むのは珍しい」
「十二歳のくせに、人へ説教をします。家の力を捨てるのは資源の無駄だと言い、自分の権力を制度で縛り、友人になれば投資審査が厳しくなると言う。何を考えているのか、分かるようで分かりません」
「それで、お前は財団の説明を聞く気になった」
やはり、すでに報告を受けている。
「誰から聞いたのです」
「誰からでもよい。大切なのは、お前が初めて財団へ質問したことだ」
「以前から質問はしていました」
「答えを聞く気のない質問だった」
否定できなかった。祖父は、僕が財団を嫌っていることを知っている。
それでも、無理に引き戻そうとはしなかった。からこそ、僕は祖父とは話ができる。
「ムルタは、クラックスという少年へ投資しました」
「木星へ行きたがっている少年か。会議場で起きた騒ぎは、すでに報告されている。十二歳の投資家が、十二歳の開拓者へ金を出す。大人たちが無視していた計画へ、突然未来が与えられた。噂にならない方がおかしい」
「おじい様は、どう思います」
「危険だと思う」
意外な答えだった。
「ムルタが?」
「両方だ。大きな夢を持つ者も、その夢へ資金を与える者も危険だ。夢が大きいほど、多くの人間を巻き込む。成功すれば英雄になる。失敗すれば、自分だけでなく他人の人生まで壊す」
「だから投資すべきではないと?」
「そうは言っていない。危険であることと、やる価値がないことは別だ」
祖父は少し笑った。
「人間へ金を渡すことは、その人間が何者になるかへ票を投じることだ。ムルタは、クラックスという少年が
木星へ社会を作る人間になると判断したのだろう」
「彼は、クラックスの危うさも理解しています。将来悪人になるかもしれないという理由で、今の夢を奪い始めれば、誰にも投資できなくなると言っていました」
「十二歳の言葉ではないな」
「僕もそう思います」