【チラ裏】ムルタ・アズラエルは刻の涙を見る   作:d_chan

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第2話 十億ドルの少年

 当時の僕はまだ、自分の能力を単なる「投資の才能」だと思っていた。

 安く買い、高く売る。将来値上がりする会社を見抜く。それができるのだろうと。

 

 だが、実際には少し違っていた。資料を読んでも、未来の株価が見えるわけではない。企業の決算書に、正解が浮かび上がるわけでもない。

 ただ、違和感が分かった。

 

 優れた技術を持ちながら、営業力が足りない会社。

 市場を持ちながら、製造能力が追いついていない会社。

 資金は潤沢だが、経営者が人材を使いこなせていない会社。

 商品そのものは平凡でも、流通網に価値がある会社。

 

 単独では価値を生まないもの同士が、組み合わさることで利益を生む。その組み合わせが、僕にはひどく自然に見えた。

 

 人。物。金。情報。

 経営資源と呼ばれるそれらが、どこで滞り、どこで余り、どこへ流せば最も大きな価値を生むのか。それが分かる。

 

 人間を見ると、その者が何を得意とし、どの環境で力を発揮できるのかが、ぼんやりと見えた。

 商品を見ると、誰が、なぜ、いくらなら買うのかを考える筋道が、勝手に頭の中で組み上がった。

 企業を見ると、利益を生んでいる場所と、利益を食い潰している場所が、数字の向こうから浮かび上がってきた。

 情報に触れると、それが誰にとって価値を持ち、いつまで価値を保つのかが分かった。

 

 何でも知っているわけではない。未来を予知できるわけでもない。情報がなければ判断できないし、誤った情報を与えられれば間違える。だが、必要な情報を集め、その意味を理解し、最も価値を生む形へ組み替えることにおいて、僕の頭脳は異常なほどよく働いた。

 

 ——金儲けの才能

 

 女神様は、ずいぶんと大雑把な願いを、存外まともな形で叶えてくれたらしい。僕は百万ドルを、まず四つに分けた。

 

 水再生装置を開発する小企業(ベンチャー)

 低重力環境向けの医療機器メーカー。

 コロニー内部の農業効率化を研究する大学発企業(スタートアップ)

 そして、宇宙輸送用の保険を専門とする小さな会社。

 

 どれも華やかではなかった。新聞の一面を飾ることもなければ、大人たちが社交界で話題にするような企業でもなかった。だが、人間が宇宙で暮らし続ける限り、必ず必要になる。

 

 半年後、水再生装置の会社が大手建設企業との契約を取った。

 医療機器メーカーには、販路を持つ別企業との提携を持ちかけた。

 農業企業は、僕が紹介した技術者を迎え入れ、生産効率を大きく改善した。

 保険会社は、事故記録の分析方法の業界の常識を一変させた。

 

 投資しただけではない。必要な人間を探した。不足している情報を渡した。余っている設備を融通した。利益を生まない資産を、利益を生む場所へ移した。

 一年後。百万ドルは、一千二十七万ドルになっていた。

 

 父は報告書を三度読み返した。

 

「これは、本当に君がやったのか」

 

「さて、それは会計士に確認してください」

 

「もう確認したから聞いている」

 

「では、僕がやりました」

 

 父はしばらく無言だった。やがて椅子の背へ身体を預け、天井を見上げた。

 

「はー、ムルタを普通の学校へ通わせる意味が、分からなくなってきたよ」

 

「僕も同じことを考えていました」

 

 エレメンタリースクールは、僕にとって苦痛だった。同年代の子供が嫌いだったわけではない。

 ただ、授業の進み方があまりにも遅い。既に理解していることを、理解していないふりをしながら聞き続けるのは、前世の工場で意味のない作業を繰り返すのとは別種の苦行だった。

 それに僕は、早く学びたかった。経済を。経営を。法律を。政治を。この世界で金がどのように動き、人がどのように動かされているのかを。

 

 両親は覚えているだろうか。学校を出て独り立ちすれば宇宙に行ける。これは僕にとって現状最も美味しそうなにんじんだった。

 そして何より、早く稼ぎたかった。金があれば人生の選択肢を増やせる。それは既に知っていた。ならば、金を増やす方法を一日でも早く身につけるべきだった。

 

 九歳の春、僕は飛び級で名門大学へ入学した。地球連邦軍の士官学校の話もあったが、さすがに年齢が足りなかった。話題性だけで良い軍人は作れない。

 

 入学初日から当然ながら騒ぎになった。名門アズラエル家の神童。八歳で一千万ドルを築いた少年投資家。新聞は好き勝手な見出しをつけた。

 僕自身は、世間が思うほど愉快ではなかった。

 大学へ行けば、ようやく自分より賢い人間に出会えると思っていた。実際、優れた教授もいた。尊敬できる研究者もいた。だが同時に、肩書だけで生きている人間もいた。

 

 新しい発想を嫌う者。

 自分より若い人間の成功を認められない者。

 知識を独占し、他人を従わせるために使う者。

 そして、金が研究を歪めると批判しながら、研究費の配分には誰より執着する者。

 

 人間は、どの時代でも変わらないらしい。だからこそ扱い方も分かりやすかった。英才教育で習った帝王学の実践に都合がよかったともいえる。前世ではありえなかったことである。

 

 名誉を欲しがる者には名誉を。

 研究環境を求める者には設備を。

 自由を欲しがる者には裁量を。

 金を欲しがる者には、成果に応じた報酬を。

 

 人は金だけでは動かない。だが、何を求めているのかを理解し、その人間にとって最も価値のあるものを差し出せば、大抵は動く。金とは通貨ではない。選択肢を作り、人と人との間に交換を成立させるための道具なのだ。

 

 僕は大学で学びながら、資産を増やし続けた。

 一千万ドルは五千万ドルになった。五千万ドルは二億ドルになった。二億ドルは、やがて十億ドルを超えた。

 十歳で入手した企業を再建し、十一歳で複数の宇宙開発会社を統合した。十ニ歳では、コロニー向け生活インフラに特化した投資会社を設立した。

 同時期に大学を卒業する頃には、僕個人が運用する資産は十億ドルに達していた。

 

 ワン・ビリオン。ビリオネアになったのだ。

 

 前世では、一生働いても想像すらできなかった金額だった。だが、通帳に並ぶ桁を見ても、思ったほど胸は躍らなかった。百万ドルを一千万ドルへ変えたときの方が、よほど嬉しかった。

 金が増えるほど、見えるものが変わったからだ。

 

 一千万ドルなら、一つの会社を救える。

 一億ドルなら、一つの産業を育てられる。

 十億ドルなら、一つの都市の未来へ手を入れられる。

 

 では、その先は。百億ドルなら。千億ドルなら。

 国家に匹敵する資本を持てば、何ができる。戦争を止められるだろうか。貧困をなくせるだろうか。宇宙へ送られる人々を、棄民ではなく開拓者に変えられるだろうか。

 

 今僕はサイド3の大口出資者となっている。だから、連邦のコロニー政策とその現状に思うところがあった——あくまで知識としてしか知らなかったのは当時の僕の限界だったのだろう。せめてコロニーで稼いだ金はコロニーで使おう、そんな単純で幼稚な発想だった。

 大学を卒業して念願の宇宙旅行に出かけると宣言したら、サイド3の自治政府から、ぜひ寄ってほしいと招待された。彼らとは電子の上では交流があったが、対面ではなかったので喜んで快諾した。

 

 その後しばらく燃え尽き症候群になった。目標を達成して、ふと気を抜いた瞬間襲ってきたんだ。悩む日が続いた。

 そして、ある時幼い日に読んだ図鑑の言葉が、ふと脳裏へ蘇った。

 

『さあ、新しい故郷へ!』

 

 あの頃の僕は、綺麗すぎる言葉だと思った。今でもそう思う。だが、綺麗事であることと、間違っていることは同じではない。言葉が現実に追いついていないのなら、現実の方を言葉へ近づければいい。

 教育を整える。医療を整える。産業を育てる。

 

 子供が生まれ、老いた者が安心して死ねる社会を作る。

 宇宙へ行くことが追放ではなく、誇りある選択になるようにする。

 十億ドルは、そのための最初の金だったのだ。

 

 しかしながら、人を動かすのは金だけでは足りない、仕組みが——組織が必要だ。連邦政府のような腐肉のような組織でもなく、無力な民間の組織でもなく……力を持った「本物の組織」が必要だ。

 

 後にブルーコスモスと呼ばれることになる組織は、このとき、まだ僕の頭の中にしか存在していなかった。

 ムルタ・アズラエルといえばブルーコスモスだよね、という半ば趣味も混じっていたのは否めない。それでも、僕は本気だったんだ。

 

 青い地球を守ること。宇宙へ旅立つ者を見捨てないこと。

 その二つは、決して矛盾しない。

 僕はそう信じていた。

 

 いや、宇宙世紀の長い歴史を生き抜いた今でも、その考えだけは間違っていなかったと思っている。

 

 ——間違っていたのは、人間が正しい理念を、正しいまま使い続けられると信じたことだった。

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