【チラ裏】ムルタ・アズラエルは刻の涙を見る 作:d_chan
人身売買組織を一つ潰しても、旧居住区の問題は消えなかった。
むしろ、会社の帳簿と行政記録を調べるほど、問題が一つの企業に収まらないことが明らかになった。
無登録移住者を雇う日雇い企業。
法外な家賃を取る無許可住宅。
身分証の発行を代行すると言って金を取る仲介業者。
高利で生活費を貸し付ける金融会社。
児童を安価な労働力として受け入れる下請け工場。
それらは互いに取引し、一つが潰れても別の会社が同じ役割を引き継げるようになっていた。
「会社を買えば終わるんじゃなかったのか」
病院の談話室で、ムウが僕へ尋ねた。
ラウは治療を受け、熱も下がり始めていたが、栄養状態と肺の状態を考えれば、しばらく入院が必要だった。
レイは窓際の椅子へ座り、自分で選んだ飲み物を少しずつ飲んでいる。
「一社を潰しても、需要が残れば別の人間が同じことを始めます。住居も仕事も身分証もない人間が存在する限り、それを利用する業者は出てきます」
「じゃあ、全部買うのか」
「買いません。高すぎます」
「金持ちでも無理なのか」
「無理なものは無理です。僕の金には限りがありますし、街全体を一人で所有するのは健全ではありません」
「昨日は会社を買ったのに」
「必要な部分だけです」
ムウは納得していない顔をした。
「だったら、どうするんだ」
「住居、身分登録、仕事、医療を別々に扱うのをやめます。一つが欠けることで、ほかの制度へ入れないからです」
思案顔のムウが、どういう意味だと尋ねる。
「住所がないから仕事を得られず、仕事がないから住所を得られない。身分証がないから行政支援を受けられず、行政支援がないから身分証を作れない。この循環を、一つずつ切ります」
僕は、端末へ簡単な図を表示した。
「まず、一定期間住める低家賃住宅を用意します。保証人は不要とし、身分登録の手続きも同じ窓口で行う。次に、職業訓練と雇用企業への紹介を行い、医療が必要な人間には、就職前でも診察を受けられるようにする」
「金は、いつ返すんだ」
「収入が一定額を超えてからです。返済額も、生活を壊さない範囲にします」
「返さない奴もいるだろ」
いるだろうね。
「逃げたら?」
一定の損失として計算する。
それも予めしておくのがコツである。
ムウは目を丸くした。
怒らないのか、と問うてくる。
「嘘をついたり、最初から騙す目的だったりすれば怒ります。しかし、病気や失業で返せない人間まで犯罪者として追えば、元の仕組みと同じになります」
「でも、逃げ得じゃないか」
「全員が返さない前提では制度が続きません。だから、返した人間には次の融資や住宅で優遇し、雇用企業にも長く働いた人間を評価してもらいます」
「難しいな」
だからこそ事業になるのだよ。
簡単に解決できる問題なら、すでに誰かが解決している。
利益が出ない。
責任が重い。
結果が出るまで時間がかかる。
失敗すれば批判される。
だからこそ、誰も手を出さない。
「ムウは、どうすればよいと思いますか」
「俺?」
「旧居住区で暮らしていた人間の意見が必要です」
ムウは、少し考えた。
「役人を信用する奴はいない」
「なぜです」
「一回来て、話を聞いて、調査するって言って帰る。次に来る時は別の役人で、また最初から説明しろって言う。施設へ入れた子供がどうなったかも、誰も教えない」
「では、同じ担当者が継続して関わる必要がありますね」
「それだけじゃない。旧居住区の奴を、そこで働かせろ」
「支援を受ける側から、職員を採用する?」
「中央区から来た奴は、俺たちが何を隠すか分からない。誰に話せば危ないかも知らない。ここの奴なら、家賃を取りすぎる管理人も、子供を売る仲介屋も知ってる」
よい意見だった。
「採用しましょう」
ムウは、今決めるのかと驚いた。
だって、合理的だからね。
「俺が変なこと言ったら、それも採用するのか」
「変なら却下します」
「細かいな」
「投資審査です」
ムウは不満そうだったが、少し嬉しそうでもあった。
これまで、彼の意見を聞く大人はいなかったのだろう。
子供だから。
盗みをするから。
スラムに住んでいるから。
そうした理由で、話を聞く前に切り捨てられてきた。
「ほかには?」
「学校が欲しいな」
「学校はありますよ?」
「あるだけだ。行けない奴が多い。親が働きに出てる間、下の子供を見ないといけない奴もいるし、飯が出ないから、学校へ行くより荷物を運んだ方がいい奴もいる」
「給食と託児が必要ですね」
「あと、先生がすぐ辞める」
なぜだろうか。
教員は宇宙世紀でも人気の職業である。
「給料が安いし、治安が悪いって中央区へ帰る」
「なるほど。人材定着の手当を出しましょう」
「あんたは何でも金だな」
「金だけではありませんが、給料が低いのに使命感だけで働けと言うのは搾取です」
ムウは、しばらく僕を見てから笑った。
「お前、本当に変な金持ちだな」
「褒め言葉として受け取ります」