【チラ裏】ムルタ・アズラエルは刻の涙を見る 作:d_chan
青い地球を守ることと、宇宙へ旅立った者たちを地上から切り離された余剰物のように扱わせないこと。
その二つは、僕の中ではすでに同じ根から伸びた願いになっていたが、願いは願いにすぎなかった。
人の善意を集めただけの団体では、国家の都合にも、企業の利害にも、時代の濁流にも抗えない。
思想を現実へ変えるためには、それを支える組織が要る。組織を動かす人材が要る。人材を養い、設備を整え、何十年にもわたって活動を続けるための資金が要る。
僕にとって金とは、理想を空想のまま終わらせないために流し続ける血液のようなものだった。
宇宙世紀0054年。十二歳になった僕は大学を首席で卒業し、個人資産十億ドルを築いていた。もっと喜ぶものだと思っていた。十億ドルという数字は、前世の僕にとっては想像の外側にあった。
百万円でさえ人生を変える大金だったのだから、十億ドルなど金額というより天文学上の概念に近かっただろう。家賃を何年払える、母と二人で何日暮らせる、病院へ何回通える。そんな貧乏くさい換算をいくら繰り返しても、とうてい実感できなかったはずである。
一千万円あれば人が死ぬ、と聞いたことがある。なら十億ドルはなんなのだろうか?
ところが、実際にその財産を手にしてみても答えは分からなかった。
僕の胸に湧いたのは歓喜でも誇りでもなく、妙に温度の低い空虚さだった。
「色々な人からお祝いのメッセージをもらったけれど、コロニーの人たちからの感謝の言葉が一番うれしかったな」
大学の卒業式を終えた夜、僕はアズラエル邸の自室で、一人きりになって資産報告書を開いていた。昼間の祝賀会では、教授たちが僕の将来を称え、財界人や連邦の重鎮たちが握手を求め、新聞記者が人類史上最年少の億万長者について好き勝手な質問を浴びせてきた。
地球連邦軍の人物としては、父と親しいアレクサンドル・ゴップという人物が印象に残っている。スマートな体形で弁舌さわやかな好青年だった。
しかしながら、目の奥には英知が垣間見れる。
冷遇されがちな
そして何より——僕のチートが強く反応していた。こいつと組めば金になる、と。
以来、ゴップ大佐とは親しく付き合うことになる。打算からの付き合いだったが、案外彼は理想主義のようで連邦の改革をしたい、と熱く語っていたのに好感を覚えた。
「連邦政府の議長に俺はなる!」とでっかく語っている姿を見て、支えてやりたいと思わせる。そんな熱量とそれを裏付ける政治力を持つ。
お互いを「ムルタ坊や」「アレクおじさん」と呼び合うまでになったのだから、相性が良かったのだと思う。
チートの中では最高評価に近い。ただ、輜重畑らしく軍事能力はからっきしのようだが。それもまた愛嬌というやつだろう。
有能なゴップ大佐と談笑する僕を見て、父と母も誇らしげに笑っていた。その後、小さいほうのパーティー会場で——うちにはいくつかのパーティー会場があった——ささやかなお祝いパーティーを使用人たちとともに開いたときは、使用人たちは僕が幼かった頃の話を持ち出しては涙ぐんだ。
それらの賑わいが去った後、部屋には紙をめくる音だけが残っていた。
報告書には水再生装置、低重力医療、宇宙農業、輸送保険、通信、建設と。僕が見つけ、育て、あるいは組み合わせてきた企業の名が並んでいる。その最終頁には、一〇億二千三百万ドルという数字が、祝福も感情もなく記されていた。
「何度見てもすごい数字。これが女神印のチートの力か」
それは父の金ではなく、アズラエル家の信託財産でもなかった。最初の百万ドルこそ父に頼み込んで用意してもらったものだが、それを十億ドルまで増やしたのは僕だった。
人を選び、物をつなぎ、必要な情報を集め、滞っていた資本を価値の生まれる場所へ移した。その判断の一つ一つが利益となり、利益が新たな投資を生み、十二歳の少年には不釣り合いな財産へ膨れ上がった。死の間際に願った金儲けの才能は、疑いようもなく本物だった。
それにもかかわらず、十億ドルという到達点を前にした僕の内側には、何かを成し遂げた者が抱くはずの満足がなかった。
百万ドルを一千万ドルへ増やした夜の方が、一億ドルを初めて超えた瞬間の方が、よほど胸は熱かった。
そして、前世ではありえなかった「金があることの虚しさ」を感じる、そんな心が満たされたい日々が続いたりした。
——おそらく、僕は燃え尽きていたのだと思う。
目標に向かって走っている間は、自分が何のために生きているのかを考えずに済んだ。金が欲しかった。二度と貧困に捕まりたくなかった。高校へ進めなかった前世を、母を休ませることもできなかった自分を、病院代を惜しみながら働き続けた惨めな人生を、今世の成功によって否定してやりたかった。
その怒りと恐怖を燃料にして、僕は誰よりも早く学び、同年代の子供が遊んでいる時間にも企業資料を読み、眠る前にも投資計画を考え続けた。
しかし、十億ドルという山頂まで駆け上がってみれば、その先に何があるのかを僕は何一つ決めていなかったのである。
確かに「ブルーコスモス」を作ってみようとは思った。だが、それはどちらかというと義務感から出た発想だ。アズラエルだからブルーコスモス云々というのは、後付けに過ぎない。
高潔な精神ではあるが、生きた感情、つまり「なまの心」がそこにはない、と感じた。
前世の僕が望みながら得られなかったものは、今やほとんどすべて手の届く場所にあった。父の事業を継ぎ、アズラエル家の当主として穏やかに暮らす道もある。十億ドルを堅実に運用していれば、働かずとも財産は増え続け、安全な屋敷で腹いっぱい食べ、好きなだけ眠ることができる。
それは前世の僕が心の底から求めた生活そのものだった。それなのに、いざ手に入ると、それだけではひどく空虚に思えた。
「贅沢な話だな」
と、僕は誰に聞かせるでもなくふっ、と呟いた。
貧しかった頃の僕が聞けば、今の僕に殴りかかってきたかもしれない。十億ドルも持っていて、何が空虚だ。父と母に孝行することもできた。高校にも大学にも行けた。病院代も家賃も気にせずに暮らせた。
そして、宇宙開拓民を助ける組織を作りたいという大それた野望も持った。
もうそれで十分ではないか。
けれど、人間というものは生き延びる目途が立った瞬間から、ただ生存するだけでは足りなくなるらしい。食べること、眠ること、安全であることの先に、何のために生きるのかという、貧困の中では考える暇さえなかった問いが現れる。
金を稼ぐ方法なら分かるのに、使命感や義務感以外で、稼いだ金でどのような人生を作りたいのか、僕には答えられなかった。
——前世の僕には、夢と呼べるものがほとんどなかった。
正確には、夢を見る余裕がなかったのである。
高校へ行きたい。母に少しでも休んでほしい。家賃の支払日を恐れずに眠りたい。風邪を引いたら病院へ行きたい。冬には暖房を使い、たまには肉を値札を見ずに買ってみたい。
どれも夢と呼ぶには小さすぎるが、当時の僕には遠かった。
貧しさとは、単に金がないことではない。選択肢を奪われることである。学校へ行くか働くかを選ぶのではなく、働くしかない。
休むか出勤するかを迷うのではなく、出勤するしかない。治療を受けるか我慢するかを考えるのではなく、我慢するしかない。人生の節目ごとに選択を迫られているようでいて、僕には最初から一つの道しか残されていなかった。
そして、何かを諦めるたび、決まって同じ言葉が現れた。金がないのだから、仕方がない。仕方がないという言葉が、僕は何より嫌いだった。頭が良くても仕方がない。努力しても仕方がない。夢があっても仕方がない。金がないのだから、身の丈を知り、現実を受け入れろ。
その言葉はいつも穏やかな顔をして現れたが、実際には人間から未来を奪う刃だった。