【チラ裏】ムルタ・アズラエルは刻の涙を見る   作:d_chan

66 / 68
第63話 独立の値段

 最初に演台へ立った女性は、自分を教師だと名乗り、学校の空調改修が地球側の予算審査で二年遅れていること、子どもの数が増えているのに教師の採用枠を現地で決められないこと、いきなりすべてを切り離すのではなく、まず教育と生活設備に関する権限を住民へ移すべきだと、落ち着いた声で訴えた。

 

 拍手をしたのは作業服の男たちだけではなく、子どもを肩車した父親、白衣を畳んで腕へかけた技術者、買い物籠を足元へ置いた老人、店を閉める前らしい前掛け姿の女性もおり、活動家という一語では片づけられない顔ぶれだった。

 

「次は、もっと強いことを言う人が話す。教師の先生は自治を増やせと言うけど、次の人は自治だけじゃ足りないと言ってる」

 

 ジンネマンが小声で説明した直後、教師と入れ替わるように若い男が演台へ上がり、先ほどより強い声で群衆へ呼びかけた。

 

「代表を一人、二人増やしたところで、いったい何が変わる! 俺たちの要求を聞くふりだけして、最後には地球の都合で決める仕組みが残るなら、議席の数など飾りにすぎない! 俺たちの空気を、俺たちが働いて納めた税を、これから生まれる子どもたちの未来を、地球に許しを乞うのではなく、俺たち自身の手に取り戻すべきだ!」

 

 歓声が一段大きくなったが、同じ群衆の中でも熱心に腕を上げる者、黙って話を聞く者、声の大きさに戸惑って子どもの手を引く者がおり、広場の外側では商店主たちが腕を組んでいた。

 

「また客が通れなくなる。学校の話が本当なのは分かってるが、毎週こうやって広場を塞がれたら、こっちの店が先に潰れるぞ」

 

「店が潰れないように、税金の使い道を変えろと言ってるんでしょう」

 

「本当のことなら何をしてもいいわけじゃないし、店が潰れたら、その税金だって払えなくなる」

 

 その隣では、仕事帰りの労働者が同僚に向かって、「俺は待遇が良くなって、家族がまともな部屋で眠れるようになればそれでいい。

 独立なんて大きな話に巻き込まれたくない」と言い、同僚は「その待遇を誰が決めるのかという話だろ」と返し、さらに別の男が「独立を急いで戦争になったら、待遇どころじゃなくなる」と口を挟んだが、その問いに答える者はいなかった。

 

「政府に向かって、あんなふうに文句を言っていいんだな。俺がいたところじゃ、大人はみんな陰で文句を言うだけで、誰も人前じゃ言わなかったぞ」

 

「ここは、文句を言うことが許されている場所というより、文句を言える場所を失わないために集まっているのでしょう。ただし、言葉を発する自由があることと、その結果から自由であることは別です」

 

 サザーランド少尉は群衆ではなく広場の外側を見ていた。連邦側の警備員が六人、通行を妨げない距離から演者と聴衆を一人ずつ数えるように監視しており、武器は腰へ収めたままで、集会側も決められた線を越えようとはしなかったが、歓声が大きくなるたび、両者の間にある見えない壁まで厚くなっていくようだった。

 

「自分の未来を、自分で決める」

 

 ラウが演説の一節をゆっくりと繰り返した。その目には単なる好奇心とは違う光があり、生まれた事情によって人生のほとんどを決められかけた彼には、強く響く言葉なのだろう。

 

「ラウ、聞くことは止めませんし、考えることも止めません。ただ、強い言葉を聞いた直後ほど、何を決めるにしても急がないことです」

 

「分かっている。いまは聞いていただけだし、あの男が正しいと決めたわけでもない」

 

「みんな、同じ考えじゃないといけないの?」

 

 レイが僕と演台を交互に見ながら尋ねた。

 

「そんなことはありませんし、同じ場所で暮らしていても、望むものまで同じになるとは限りません」

 

「でも、あの人は何度も『俺たち』って言ってる。違うことを言ったら、『俺たち』には入れなくなるの?」

 

 僕が答えるより先に、ジンネマンが口を開いた。

 

「同じところで暮らしていれば、腹が立つことも、困ることも似てくるし、ずっと無視されていたら、みんなで言いたくなる。でも、違うことを言ったからって、昨日まで同じ街で働いていた人が、急に別の人間になるわけじゃない。俺は、そうじゃなきゃ嫌だ」

 

「違うことを言っても、同じ街の人?」

 

「同じ街の人だし、助けが必要なら助ける。そうできなくなったら、何のために自分たちで決める権利が欲しいのか分からなくなる」

 

「その線引きが保たれるなら、自治や独立を求める政治運動で済みます。しかし、怒りは人を立たせる力になる一方で、誰が仲間で誰が敵かを簡単に分け、話を聞かない地球の役人がいるという不満を、地球の人間はすべて敵だという憎しみへ変える力にもなります」

 

 サザーランド少尉の言葉に、ジンネマンの表情が固くなった。

 

「地球が俺たちの話を聞かないのは、本当だ。少尉は地球の軍人だから、地球の人間を敵にするなと言うんだろ」

 

「そうかもしれません。ですから、私が軍人だからという理由で信じる必要はありませんし、私の言葉も疑ってください。ただ、話を聞かない者がいることと、そこに住む全員が敵であることは同じではないと、覚えておいてほしいのです」

 

 サザーランド少尉は否定せず、ジンネマンもそれ以上は言い返さなかった。住民の怒りには理由があり、それを放置してよい理由にはならないが、正しい理由から生まれた怒りが、正しい場所だけへ向かう保証もない。

 投資案件なら期待収益と危険を並べ、数字で比較することができるのに、尊厳の収益率も、熱狂の減価償却期間も、どの帳簿にも載っていなかった。

 

「ムルタ、さっきから難しい顔ばっかりしてるぞ。今度は何を買えば解決できるか、分からなくなったのか?」

 

「難しい問題を前にして難しい顔になるのは、正常な反応です。それに、金で済まないらしいことが、世の中には困るほど多いのですよ」

 

「だったら今日は、金を使うより頭を使ったほうがいいな」

 

「あなたに言われると、急に説得力がなくなりますね」

 

「何だよ、それ」

 

 ワイズマン親子に用意された住居は、工場から徒歩十五分ほどの集合住宅にあり、廊下には隣家の夕食の匂いが換気口から混ざり、遠くを走る貨物列車の振動が壁越しに伝わっていた。アーサーが扉を開けた部屋は、僕たち全員が入るには狭く、一人ずつ身体を横向きにする必要があった。

 

「狭くて悪いな。予定より小さい部屋だったけど、住む場所があるだけいいって母さんは言ってる」

 

「謝る必要はありません。もっとも、家賃と床面積の比率には興味がありますし、この広さに対して現在の家賃が適正かどうかは、後ほど調べますが」

 

「そういうことを言うから嫌なんだよ。普通は、落ち着く家ですね、とか言うところだろ」

 

「落ち着いていますよ。全員が座る前から、誰がどこへ座れるかという難題まで提供してくれます」

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。