【チラ裏】ムルタ・アズラエルは刻の涙を見る 作:d_chan
資産報告書に並ぶ数字を見つめながら、僕は初めて、自分が金そのものよりも、その言葉に対抗できる力を欲しがっていたのではないかと思った。
そのとき、記憶の底に沈んでいた前世の一場面が、不意に古びた映像のように浮かび上がった。
狭い部屋だった。
天井から下がる蛍光灯は白々しく、湿気を吸った壁紙はところどころ浮いていた。僕と母は小さな卓袱台を挟み、値引きされた惣菜を食べながらテレビを見ていた。
何の番組だったかは、もうよく覚えていない。クイズ番組だったかもしれないし、体力や運を競う企画だったかもしれない。ただ、出演者が何かに成功すれば百万円を手に入れられる番組だったことだけは覚えている。
「百万円」という響きが、当時の僕には眩しかった。進学費用にもなり、家賃の心配も減り、母を少し休ませられるかもしれない。
僕は箸を止め「母さん、百万円もらえたら何に使う?」と、何気なく尋ねた。
母ならば貯金すると答えるだろうと思っていた。
僕の学費にすると言うかもしれない。借金を返し、壊れかけた冷蔵庫を買い替え、残りは万一のために取っておく。いつも現実を優先し、冗談らしい冗談も口にしない人だった。冗談を言う性格ではなかったというより、冗談を言えるほど心に余裕がなかったのだろう。ところが、その日だけは違った。
母はテレビから目を離さず、疲れた顔にほんの少し笑みを浮かべると、言ったのだ。
「そうだねえ。気に食わない奴を、札束でビンタしてやりたいね」
あまりに母らしくない返事だったので、僕は思わず吹き出した。「何だよ、それ」と笑うと、母も「一度くらいやってみたいじゃないか」と、短い間だけ声を立てて笑った。
あのとき、母が誰を思い浮かべていたのか、僕は今も知らない。
賃金を値切った雇い主だったのかもしれない。母子家庭だからと見下した誰かだったのかもしれない。支払いが遅れたことを責め立てた人間か、金がないなら身の丈を知れと、もっともらしい顔で説教した者かもしれない。あるいは、特定の誰かではなかったのだろう。
どれほど働いても暮らしが楽にならず、誠実であるほど我慢を強いられ、貧しいというだけで何度も頭を下げなければならない世界そのものを、母は一度だけ殴り返してみたかったのかもしれない。
母は笑っていたが、半分は本気だったのだと思う。滅多に悪口を言わない人だったからこそ、冗談の形でこぼれたその本音を、僕は長い間忘れずにいた。
「札束ビンタ、か」
十二歳の僕は静かな書斎で呟いた。ずいぶんと品のない言葉である。金持ちが札束で誰かの頬を叩き、財力を見せつけ、相手の誇りまで金で買おうとする。
世間で使われる意味は、おそらくそのようなものだろう。
そして、今の僕なら実際にできる。百万円どころではなく十億ドルあるのだから、気に入らない企業を買い取り、横柄な経営者を追放し、取引先も販路も奪うことができる。将来さらに資産を増やせば、銀行を持ち、新聞を持ち、政治家や国家すら無視できない影響力を築くことも可能だろう。その想像には、正直に言えば胸のすくものがあった。
そう考えた瞬間、冷え切っていた胸の奥で、灰に埋もれていた小さな火が息を吹き返した。十億ドルでは足りない。
個人の人生なら変えられるし、千人を学校へ通わせ、病院を建て、企業を救うこともできるだろう。
しかし、ただ金を配れば、いずれ底をつく。救うたびに減っていく善意では、いつか助ける者を選別し、誰かを見捨てなければならなくなる。母は善良な人だった。僕を守るために働き、自分を削り、ついには何も残さず死んだ。
「くそったれな現実世界を札束ビンタしてやる!」
しかし、誰か一人の献身によって成り立つ救済は、その人間が倒れた瞬間に終わってしまう。僕は母のように、自分を燃やし尽くすことで人を助けたいわけではなかった。
義務感や使命感では長続きしないことなんて、分かりきっている。
必要なのは、善意が消耗せず循環する仕組みだった。学費を出した人間がやがて事業を始めるなら、そこへ投資し、成功によって得られた利益を次の学生へ回す。病人を治療するだけでなく、病気そのものを減らす技術を育て、医療費を引き下げる。
経営不振の会社へ金を注いで延命させるのではなく、人材や設備や販路を組み替え、再び利益を生み出せる企業へ作り変える。人を助けるほど資本が増え、増えた資本がさらに多くの人間を助ける。その循環が作れるなら、金儲けと人助けは対立しない。
むしろ利益を生まない善意ほど脆いものはない。続かなければ救済とは呼べず、誰かの自己犠牲に依存する理想は、いずれその誰かと一緒に倒れる。
十億ドルという数字が、それまでとは違って見えた。到達点ではなく、最初の一歩にすぎない。百億ドル、千億ドルと資本を増やし、銀行を持ち、保険を持ち、物流を持つ。研究所を建て、大学を支え、病院を運営し、地球と宇宙の双方に産業と雇用を育てる。
僕の事業によって数百万人が働き、僕の資本によって都市が生き、僕の物流網が止まれば国家経済すら揺らぐほどの力を築く。政治家に賄賂を渡す必要などない。僕の存在を無視すれば、彼らが守るべき社会の方が困る。
そのような現実を作ればよい。金とは人を跪かせる道具ではない。相手が立ったままでも、こちらの話を聞かざるを得ない状況を生み出す力なのだ。
「できれば、宇宙の開拓民たちを支援したい。宇宙は人類に残された最後のフロンティアなのだから。今の連邦の棄民政策は早晩行き詰まるだろう。僕が——僕なら何かできるのだろうか」
だったら……世界一の金持ちになろう。
その言葉を胸の内で唱えると、不思議なほどしっくりきた。世界を救いたいわけではない。人類を正しい未来へ導きたいわけでもない。そんな高潔な使命だけで、僕は自分を駆り立てることができない。
僕の中にあるのは、もっと俗っぽく、もっと醜い野心だった。誰にも命令されたくない。二度と見下されたくない。国家でさえ僕を無視できないほどの力が欲しい。世界中の企業と金が、自分の判断によって動く光景を見てみたい。
『札束ビンタ』で、俺は強いと叫びたい。
その野望は決して人助けのための建前ではなく、疑いようもなく僕自身の欲望だった。
そして、少しだけでも報われない人たちを助けてあげたい。かつて救われなかった自分を救済する、代償行為に過ぎなくとも「本気でやってみたい」と初めて思えた。
もっとも、夢が決まったからといって、自分が何者なのかまで分かったわけではなかった。むしろ、余計に分からなくなった。
僕は前世の貧乏人なのか、それともアズラエル家の御曹司なのか。
三十年を生きた大人なのか、十二歳の少年なのか。人を救いたい善人なのか、世界を所有したいだけの俗物なのか。どれも僕でありながら、どれ一つとして僕のすべてではなかった。
金を稼ぐ方法は分かったし、何のために稼ぐのかも見え始めた。しかし、その夢を抱く自分自身について、僕はまだほとんど何も知らなかった。
……ちなみに、記念すべき「札束ビンタ」初の相手は両親だった。
大学を卒業して独立したら宇宙へ行けるという約束だったのに、僕の宇宙行きに対してごねにごねた。絶対反対の立場を崩さず初めて親子喧嘩をすることになったのだが。
そのとき父母の説得の根拠になったのが「金の力」だった。これだけ稼いだのだから一人前として扱わないとおかしいという僕の理屈に、両親は反論することができなかったのだ。
実際に札束でビンタをしたわけではないが「金の力で黙らせる」という魔性の魅力を初めて感じた瞬間だったのである。
——金はそこにあるだけでは意味がない。使ってこそ意味があるのだ。そう「札束ビンタ」こそ金の力なのである。
僕は真理にたどり着いた。
とはいえ、まさか十数年後、そのために築いた財産を、人類の未来へ丸ごと投じることになるとは夢にも思わなかった。
ちっぽけな野望がこれからひたすらスケールを大きくしていく。大風呂敷を広げてヒーヒーいう。そんな人生も悪くはないだろう。きっとね。