【チラ裏】ムルタ・アズラエルは刻の涙を見る 作:d_chan
「契約後に戦争が起こり、政府が設備を接収した場合はどうする」
「それを止められなかった時点で、契約違反として資金と技術者を引き揚げます。回収できる資産は回収し、できないものは損失として処理する。少なくとも、さらに金を出して接収した者を支えることはしません」
「法と契約を守らない者が武力を持っていた場合、紙に書かれた条件で止められるのですか」
少年が再び口を開いた。先ほどまでと同じ落ち着いた声だったが、質問は数字から権力へ移っていた。
「紙だけでは止められません。しかし、力は銃だけではありませんよ。工場を動かす人間、交換部品、燃料、輸送船、保険、信用、販売先、その一つでも欠ければ大きな組織ほど動きにくくなる。すべてを一人で所有しようとすれば、維持費が膨らみ、どこかの故障へ対応できなくなる。僕が作りたいのは、誰か一人が契約を破れば、残りの全員から利益を失う関係です」
「相手が、失う利益より戦争で得る利益のほうが大きいと考えた場合は?」
「そう考えさせないほど相互依存を増やします。食料を相手から買い、製品を相手へ売り、互いの銀行が融資し、双方の労働者が同じ会社で働くようになれば、攻撃するたび自分の生活も壊れる。戦争を始めることが、敵を傷つける手段ではなく、自分の財産を燃やす行為になるようにするのです」
「戦争を始めれば双方が損をする仕組みを作るという考えは理解できます。しかし、戦争を決める者が損失を国民へ押しつけ、自分だけ利益を得られる場合、その者を止めるものは何ですか。善意ではないのなら、相手以上の力を持つことではありませんか」
僕はすぐに答えようとして、口を閉じた。少年の問いは、昨夜から僕が考えていた不安へ正確に触れていた。戦争が社会全体にとって損失であっても、武器を売る者、領土を得る者、権力を強める者にとって利益になるなら、損得だけで戦争は止まらない。僕が市場を結びつけても、損失を他人へ押しつけられる人物が頂点へ立てば、帳簿上の赤字を国民の血で埋めようとするかもしれない。
「必要なのは、戦争を決める者自身へ損失が返る制度です。権力を一人へ集中させず、戦争を始める決定へ複数の承認を必要とし、負担を国民だけへ押しつけた者を交代させられる仕組みを残す。それでも完全には防げませんが、武力で相手を脅して従わせる方法だけを選べば、次は相手もより大きな武力を求めます。最後には、戦争を避けるための武器を維持するため、戦争が必要になるでしょう」
「決定する者が多ければ、責任が分散し、今日の港のように誰も動かなくなる場合もあります」
「だから難しいのですよ。権限を集めれば速く動けますが、間違った方向へも速く進む。分ければ暴走を止められますが、必要なときまで動かない。どちらか一方が正しいなら、政治学者はもっと暇になっているでしょう」
「では、あなたなら、今日の貨物を動かすためにザビ家が判断したような権限を、国家の指導者にも与えますか」
「期限と範囲と記録を付けます。今日のような緊急措置なら、何を動かし、誰が費用を負担し、いつ通常手続きへ戻すかを公開する。決めた人間が結果を説明し、間違えたなら交代する。それができない力は、効率的でも投資したくありません」
「力を持つ人間を信用せず、力が必要だとは認めるのですね」
「僕は金持ちですからね。力は便利で、持っている人間ほど手放したがらないと、よく知っています」
少年は僕を見つめたまま、反論も同意もしなかった。ただ、僕の答えを忘れないよう、頭の中へ刻みつけていることだけは分かった。
「息子は、君へ興味を持ったようだ」
デギンがそう言うと、少年は父親へ視線を移した。
「興味ではありません。アズラエルさんの仕組みが、どこで破綻するか考えているだけです」
「それを興味と言うのだよ。相手の話を聞く気がなければ、破綻する場所を探す必要もない」
「僕の事業計画は、父上の港湾計画より複雑です」
「それなら、なおさら食事中だけで結論を出そうとするな。君は数字を読むのは速いが、人間まで同じ速度で読めると思わないほうがよい」
「父上は、この人を信用しているのですか」
「今日会ったばかりだ。信用するかどうかは、約束したことを実行するか見てから決める。ただ、何を断るかを明確に言う人間は、何でも引き受けると言う人間より付き合いやすい」
「同感です。何でもできますと言う会社ほど、納期が近づくと、これは契約に含まれていなかったと言い始めますからね」
「では、君は先ほどの四条件を守る限り、企業連合への参加を検討するのだな」
「検討します。今日止まっていた貨物の損失処理と、港湾計画の修正版、それから各企業の債務状況を見せてください。数字に問題がなく、特定の政治勢力が独占できない仕組みを作れるなら、資金と調達網を提供しましょう」
「私がダイクン氏の側近であることは、問題にならないのか」
「政治的な立場を理由に雇用や取引を拒まないという条件を、提示した本人が破るわけにはいかないでしょう。それに、ダイクン氏が将来サイド3を率いるつもりなら、彼の隣には演説以外の仕事ができる人間が必要です。あなたのような方が支えているなら、少なくとも明日の空気代を忘れて人類の未来だけ語り続けることはないでしょう」
「君は、彼がサイド3の指導者になると考えているのか」
「それだけの支持を集め、自治と独立を訴えているのでしょう。本人が望むかどうかは別として、周囲はその役を求めるのではありませんか」
「そのとき、君は彼を支持するのか」
「未来の契約へ、今日のうちに署名させようとしないでください。僕が支持するのは、その時点で最も多くの人間へ選択肢を与え、戦争の危険を減らせる提案です。ダイクン氏がそれを示すなら協力しますし、あなたが示すならあなたと組む。二人とも示さなければ、僕が別の相手を探します」
「まるで王を選ぶ商人だな」
「王を選ぶつもりはありません。選んだ相手が王になれるほどの金を持っていることは、否定しませんが」
冗談のつもりで答えたものの、デギンは笑わず、少年も表情を変えなかった。二人とも、僕の言葉を単なる軽口ではなく、将来どこへ資本を置くかという宣言として受け取ったのだろう。
その反応を見ながら、僕は自分なりに彼らの位置を整理した。ダイクンは思想と民衆の支持を持ち、デギンは産業と実務を担い、名を聞いていない少年は、数字と権力の構造を理解している。もしジオン公国という国が将来生まれるなら、王となるのは名を国名へ残すダイクンで、デギンはその隣で国家を動かす宰相、この少年は軍事や計画を任される人物になるのではないか。
昨夜まで存在すら疑っていた未来だったが、三人の役割をそう並べると、不思議なほど形が整って見えた。ダイクン一人なら、理想ばかり高く現実へ足が届かない危険がある。しかし、デギンが産業を整え、少年が数字と制度の穴を見つけるなら、サイド3は地球連邦から自立できるかもしれない。
問題は、独立が戦争へつながるかどうかだった。
だからこそ、今のうちに彼らと関係を作り、民生投資へ限定する約束を重ね、戦争より平和のほうが利益になる構造へ誘導するべきだろう。ザビという姓に覚えがある気はしたが、前世の記憶の中でどのような立場だったかまでは思い出せず、少なくとも目の前の父子は、意味もなく暴力を好む人間には見えなかった。
「それでは、調査に必要な資料を三日以内に届けよう。君がサイド3を発つまでに間に合わなければ、地球へ送る。費用負担と責任の所在を明確にし、今日のように貨物が止まらない仕組みも計画へ加える」
「迅速で助かります。ただし、数字をよく確認してから送ってください。息子さんに二重計上を指摘された資料へ、そのまま署名するほど僕は素直ではありませんよ」
「分かっている。確認は息子にも手伝わせよう。本人が見つけた問題なら、修正されたことまで確かめる責任がある」
「父上、僕が確認したあと、アズラエルさんへ直接質問してもよいですか」
「相手の時間を使うなら、先に許可を取りなさい」
少年が僕を見たので、僕は少し考えてから答えた。
「質問は文書で送ってください。僕も文書で返します。口頭の会話は相手が言ったことを都合よく覚えられますが、紙に残せば、あとからどちらが間違えたか確認できますからね」
「僕があなたの矛盾を見つけた場合も、認めるのですか」
「事実なら認めます。ただし、僕があなたの矛盾を見つけた場合にも、同じように認めてください」
「分かりました」
「それは契約ですか」
「はい」
「では、最初の取引が成立しましたね。金額はゼロですが、将来値上がりする可能性はありそうです」
少年はそこで初めて、ごくわずかに口元を緩めた。笑ったというより、自分が試されていることを面白がった程度の変化だったが、年齢の近い友人と競うことを楽しむ子どもの表情にも見えた。
昼食会を終えて食堂へ戻ると、ムウたちは食後の飲み物を前に待っていた。アーサーは椅子へ浅く座り、退屈そうに何度も時計を見ており、ジンネマンは使い終わった食器を一つにまとめ、ラウは工業調整会の広報誌を読み、レイは透明なコップの中で気泡が上がる様子を眺めていた。
「遅いぞ、ムルタ。飯を食うだけなのに、どうしてこんなに時間がかかるんだよ。こっちはアーサーがデザートをもう一つ頼むかどうかで、さっきから十分も揉めてたんだぞ」
「ムウ、お前だって半分出すと言っただろ。二人で一つなら食べすぎじゃない」
「俺は半分出すとは言ったけど、半分しか食わないとは言ってないぞ」
「それじゃ俺が金だけ半分払って、食うのはお前のほうが多いだろ!」
「兄貴、だから注文しないほうがいいと言ったんだ。ムウは自分が得する話をしているときだけ、ムルタみたいに言葉を細かく使う」
「僕を悪い例に使わないでください。ところで、あなたたちはザビという家について何か知っていますか」
「ザビさんなら有名だぞ。工場とか輸送会社とか、いろんなところに関わってるって聞いた。母さんの試験を受ける工場にも、直接じゃないけど部品を売ってる会社があるらしい」
「困ったときにザビ家へ話を持っていけば、何とかしてくれると言う人もいる。でも、ザビ家へ借りを作れば、あとで倍にして返すことになると言う人もいる」
ジンネマンが周囲へ聞こえない声で付け加えた。
「なるほど。仕事ができる人間にはよくある評判ですね。何もできない人には、借りを返せと言われる心配もありませんから」
「それで、話はどうだった?」
ラウが広報誌を閉じながら尋ねた。
「悪くありません。昨日会った方は人間の未来を語り、今日会った方は貨物を動かしていました。片方だけでは社会は動きませんが、二人が協力しているなら、サイド3は僕が考えていたより早く変わるかもしれません」
「また難しい顔をしてる」
レイが言うと、ムウが僕の顔をのぞき込んだ。
「本当だ。昨日から何回目だ?」
「数えるのはやめてください。難しい問題が続けて現れるのですから、僕の顔にも責任はありません」
「でも、今日は少し楽しそうだぞ。中にいた子と何を話してたんだ?」
「彼が僕の計画の欠点を探し、僕が彼の考えの危険なところを探す約束をしました」
「それ、友達になったってことか?」
「どうしてそうなるのです」
「名前を呼んだら友達になるんだから、お互いの間違いを教える約束までしたなら、もっと友達だろ」
「アーサーの理屈を広げると、監査法人と税務署が僕の親友になってしまいます。僕はまだ彼の名前すら聞いていませんよ」
そこまで言って、ようやく気づいた。デギンは会談の最初から少年を息子と呼び、少年も父上と呼んでいたため、関係は分かっていたが、最後まで誰も名前を口にしていなかった。
ちょうど応接室から出てきたデギンと少年が、玄関へ向かって廊下を歩いてくるところだったので、僕は別れる前に確認しておこうと、少年へ声をかけた。
「少しよろしいですか。あなたのお名前を、まだ伺っていませんでしたね。人の事業計画へあれほど厳しい質問をしておきながら、匿名のまま帰れるとは思わないでください」
「あなたが僕の名前を知っているか、確かめたかったのです」
「残念ながら、存じません。お父上のお名前は有名でも、家族全員の名簿まで読んでからサイド3へ来たわけではありませんからね」
「では、覚えておいてください」
少年は背筋を伸ばし、先ほど契約を交わした相手へ改めて名乗るように、僕を正面から見た。
「ギレンです。ギレン・ザビと申します」
ギレン。
ギレン・ザビ。
その名を頭の中で繰り返した途端、暗い舞台の上で演説する男の声が、前世の曖昧な記憶から唐突に蘇った。
あえて言おう、カスである、と。
誰が誰へ向けて言ったのか、何を断じた台詞なのかは思い出せない。それでも、ギレンという名をどこで知ったのかだけは、すぐに別の言葉となって浮かび上がった。
ギレンの野望――それが人の名前ではなく、前世で見かけたゲームの題名だったと思い出すまでに、僕は三秒ほど必要とした。