【チラ裏】ムルタ・アズラエルは刻の涙を見る 作:d_chan
サザーランド少尉は搭乗通路の手前まで僕たちを見送り、床の境界線で足を止めると、いつもどおり乱れのない姿勢で敬礼した。その背後では、連邦側と自治行政局の職員が同じ端末を覗き込み、数日前なら責任を押しつけ合っていた二つの制服が、今日は同じ荷物を動かそうとしていた。
「滞在中は大変お世話になりました、サザーランド少尉。あなたがいなければ、僕は握手一つ、夕食一回で、いま以上に面倒な立場へ置かれていたでしょう」
「自覚がおありなら結構です。ただし、ダイクン氏とデギン氏の両方へ会い、産業へ資金を出す話までまとめた以上、すでに十分面倒な立場へ置かれていると思いますよ」
「一つお願いがあります。僕が見られなくなるサイド3を、これからも見ていてください。何が決まり、どの貨物が止まり、誰が武器へ金を流そうとしているのかを、事実とあなたの推測に分けて知らせてほしいのです」
「承知しました。ゴップ大佐への報告と軍務に反しない範囲で、あなたにも同じ事実が届くようにしましょう。誰かが見せたがっているサイド3ではなく、私が確認したサイド3をお伝えします。ただし、私は連邦軍人であって、アズラエル家の私設諜報員ではありません」
「そうであるからお願いしているのですよ。僕に雇われた人間ばかりで情報網を作れば、最後には僕が喜ぶ報告しか届かなくなるでしょう」
「自分の周囲へ置く人間の危険性は理解していらっしゃる。ご自分の危険性も同じように扱っていただきたいものです。もう一つ、ニュータイプという言葉へ反応した件について、危険だと確かめた場合には話すという約束を忘れないでください」
「忘れてはいません。ただ、僕にもまだ説明できないのです。根拠もなく以前から知っていた気がする、と言うだけでは報告になりませんし、あなたも護衛より医師を呼びたくなるでしょう。事実として話せるものになったときには、最初にお伝えします」
「あなたは説明しないと決めたときほど、よくお話しになりますね。それまで一人で危険へ近づかないことも、契約に加えておきましょう」
「勝手に条項を増やさないでいただきたいものですが、善処します。それから、これはお願いでも投資でもなく、単なるお礼です。ありがとうございました、少尉。あなたと一緒に街を見られて、よかった」
少尉は敬礼していた手を下ろすと、右手を差し出した。僕が握り返すと、その手は余分な力も親しさを誇示する動きもなく、ただ一度だけ確かに握られた。
「礼は、私の報告が役に立ってから受け取ります。どうか無事にお帰りください、アズラエル様。次にお会いするときまで、こちらはこちらの仕事をしておきます」
「ええ。僕も、地球でできる仕事を始めます」
搭乗通路へ入り、最後に振り返ったとき、サザーランド少尉はもう敬礼をしておらず、僕たちではなく出港管制室の表示を見ていた。別れを惜しむより先に次の仕事を探す姿は彼らしく、だからこそ、僕はこれから届く報告を信用できると思った。
旅客船が港の固定具を離れると、サイド3の外壁は窓の中でゆっくりと傾き、無数の灯りをまとった円筒が月の影へ沈んでいった。離れてしまえば暗い宇宙へ浮かぶ一本の細い光にすぎず、その内部で何百万人もの人間が働き、子供を育て、税の行き先や学校の空調について議論していることを、外見から知ることはできない。
遠くから見れば社会はいつも単純になり、だから地球の政治家も投資家も、住民を人口や労働力や票の塊として扱えるのだろう。
ムウは窓へ額をつけそうなほど近づき、サイド3が完全に見えなくなるまで眺めていたが、やがて座席へ戻ると、「今度は地球が見えてくるんだよな。写真だと青いけど、近くで見ても本当に青いのか」と僕へ尋ねた。ラウは航路図を開いて重力圏へ入るまでの時間を確認し、レイは地球の動物を紹介した本を抱え、最初に本物を見たいものを決めようとしている。
三人の誰にとっても、地球は帰った記憶のある場所ではない。僕が何気なく「地球へ帰る」と口にするたび、同じ船に乗っていても行き先の意味が違うことを忘れてはならなかった。
「本当に海が、あんなにたくさんあるのか。飲めない水が地面より多いなんて、どう考えても無駄じゃないか」
「地球の海を貯水槽と同じ基準で評価しないでください。あれが気候を整え、生物を育て、酸素の循環を支えているのですから、使えない水ではありませんよ」
「でも、そのままじゃ飲めないんだろ。サイド5なら、あれだけ場所があれば家を何軒も作れるぞ」
「地球へ着く前から海の土地利用効率を批判する人間は初めて見ました。安心してください、海へ住めとは言いません」
「魚はいる?」
「いますよ、レイ。ただし、本で見たものを一日で全部確認しようとしないでください」
「アズラエルの家には、池まであるのか」
「あります。泳ごうとする前に深さを確認してください、ムウ」
「まだ何も言ってないだろ!」
ムウの抗議を聞きながら机へ戻ると、ハワードが最終報告書と出発時の日程表を並べて待っていた。各地の産業と生活を学んで帰るだけだったはずが、付属資料には投資、監査、保護契約、木星航路、住宅、医療、自治運動、将来の戦争に関する覚書まで加わっている。
彼は総頁数を確かめると、「卒業旅行の宿題としてはいささか多すぎるかと存じます」と、反論しにくい感想を述べた。
報告書へ旅の総括を書こうとして、僕は最初の一行を決められなかった。フォン・ブラウンでは夢を産業へ変える技術と、その技術者が出産費用に困る現実を、グラナダでは資源都市の帳簿の裏にある労働者の身体を、サイド1では木星へ向かう距離より重い契約と教育を、サイド5では子供の寝床まで利益に変える仕組みを見た。そしてサイド3では、生活を改善しても、自分たちの生き方を自分たちで決めたいという願いは消えないと知った。
金で解決できる問題は、金で解決するべきだ。
ただし、金が人の望みや決定権まで買い始めれば、それは支配になる。僕が旅で学んだのは金の無力さではなく、金を使う者が越えてはならない境界だった。人類がニュータイプへ変わる日を待たなくても、水と食料と仕事を結び、相手を攻撃すれば自分の暮らしまで壊れる関係を作ることはできるかもしれない。
僕は報告書の冒頭へ、「宇宙移民を救済の対象として扱うだけでは、地球と宇宙の対立を解消できない。必要なのは、生活の選択肢と決定への参加を増やし、相互の利益によって戦争を抑止する長期的な仕組みである」と書き、それを読んだハワードに、卒業旅行の感想としては重すぎると言われた。
「では、もっと子供らしく、『宇宙は広くて勉強になりました』と書き直しましょうか」
「旦那様は一行目で安心なさり、二行目以降に別紙として添付された三百頁をご覧になって頭を抱えられるでしょう。どちらが親孝行かは、私には判断いたしかねます」
「ならば正直に書くしかありませんね。父が名づけたスペース・グランドツアーは、予定どおり終了しました。ただし、見つけた問題の多くは終了していません、と」
窓の外では月の輪郭が少しずつ遠ざかり、その向こうから、青と白の地球が現れ始めていた。旅立った日に見た地球と同じ星であるはずなのに、今は青い球体の外側へ、フォン・ブラウンの作業場も、グラナダの広場も、サイド1の老朽化した設備も、サイド5の子供たちも、月の裏側に隠れたサイド3の街もつながっているように思えた。
地球は数か月前より少しも小さくなっていない。それでも僕の中では、地球だけを世界と呼ぶことが、もうできなくなっていた。