【チラ裏】ムルタ・アズラエルは刻の涙を見る 作:d_chan
ムルタ・アズラエルという少年を、連邦軍の少尉や食堂で待っていた子どもたちとともに玄関で見送り、応接室へ戻ってからも、息子はしばらく閉じた扉を見ていた。
客人の皿には豆が二粒だけ残り、温かかった肉料理は油を白く固め始め、食卓の中央には、ギレンが二重計上を見つけた港湾拡張計画と、会食の途中で書き加えられた条件の覚え書きが並んでいる。
金の話をしながら食事をすることには慣れているつもりだったが、十二歳の少年から、権力を持つ者が間違えた場合に誰が止めるのかと問い返され、その隣では自分の息子が、答えの一語まで記憶しようとするように耳を澄ませている昼食は、さすがに初めてだった。
「それで、最後まで名乗らなかった理由を聞こうか。君がアズラエル君の反応を見たがっていたことは分かるが、私へも知らせずに客人を試すのは、あまり感心できないな」
「父上は、僕が名乗っていないことに気づいていたはずです。止めなかったのですから、認めたものと思いました」
「客の前で君を問いただせば、彼までこちらの家族の問題へ巻き込み、その場で許すかどうかを答えさせることになる。だから後で聞くと決めたのであって、黙って見ていたことが許可になるわけではない。それに、最後まで黙っているとは思わなかったし、気づいた時には、君が何を確かめようとしているのか見たくなったことも事実だ」
「では、次からは先に申し上げます。僕は、あの人がザビ家のことをどこまで調べているか知りたかったのです。僕の名前まで知っていれば、ザビ家の情報が地球へどの程度届いているか分かりますし、知らないのに知っているふりをすれば、相手へ合わせて話を作る人間だと判断できます」
「調査の目的としては悪くない。だが、正解を知らせない試験は、採点する側が好きな結果を出せる。商談でそれをすれば、都合の悪い相手を切る口実にしかならん。人間を観察することと、自分の予想どおりの人間へ誘導することを混ぜるな」
ギレンは叱られた子どもの顔をせず、与えられた規則を頭の一覧へ加えるように頷いた。資料を会食へ持ち込んだ件でも、読む許可と持ち出す許可は違うと教えれば受け入れたが、同じ間違いを繰り返さず、次は私の思いもしなかった境界へ足を掛ける。
賢い子どもを育てるとは、そのたび追いついて線を引き直す仕事らしい。
「ただ、アズラエルさんは、僕の名前を知らなかったと嘘をついた可能性があります」
「根拠は?」
「僕がギレン・ザビと名乗ったあと、三秒ほど反応が止まりました。知らない名前を初めて聞いたというより、知っている名前が予想しない場所から出てきた時の反応に見えました」
「君が見た事実は、彼が三秒ほど黙ったことまでだ。その理由が何かは推測でしかないし、嘘をついたというのは、推測の中でも一番相手を悪く見る答えだろう。疑うなとは言わんが、可能性と事実を同じ息で話すな」
「では、理由不明の反応として記録しておきます。本人へ尋ねてもよいですか」
「文書で質問を交わす約束をしたのだろう。尋ねる権利はあるが、最初の手紙を、名前をどこで知ったのかという詮索だけで終わらせれば、次の返事は短いものになるぞ」
「答えたくありません、の一文ですか」
「返事そのものが来ない可能性もある。君は彼の計画の欠点を探すと約束したのであって、秘密をすべて渡させる契約を結んだわけではないからな」
ギレンは納得しきれない顔のまま港湾計画を引き寄せた。いまは三秒の謎より二重計上の原因が先らしく、第三期工事の数字へ指を置いたところで、廊下から足音が近づき、計画書の担当者と関係二部署の責任者がそろって入ってきた。
結論から言えば、不正はなかった。工業区画から主港へ移す予定だった既存貨物を、港湾運営局は「主港で新たに扱う貨物」として増加分へ計上し、工業区画側も同じ貨物を「区画拡張によって発生する移送需要」として計上していた。
二つの表を統合する段階では移管元を示す識別番号が落ちており、各部署の表はそれぞれの定義に従って正しく計算されながら、その合計だけが、実際には一度しか運ばれない貨物を二度運ぶ計算になっていたのである。
「集計方法の違いであり、計算そのものを誤ったわけではありません。次の版では重複分を除外し、正しい収入予測へ差し替えます」
担当者は額に汗を浮かべながら説明したが、ギレンは修正前後の表を見比べ、遠慮なく次の問題を指摘した。
「取扱量を正しく直すと、供用開始から三年間の収入が借入返済額を下回ります。このままでは、計算の誤りが事業計画の不足へ変わるだけです。それに、集計方法が違うと分かっていたなら、なぜ同じ名称の数字を合計したのですか」
「元の計算表は部署ごとに管理しており、総括担当へ提出するのは集計後の数字だけでした。同じ名称でも定義が違うとは、こちらも考えておりませんでした」
「考えなかった人間を交代させれば、次からは考える人間が担当できます」
「それで、新しい担当者へ渡す二つの表には、同じように定義が書かれていないままなのか?」
「仕組みを直しても、確認しなかった人間がそのままなら、また別の場所を見落とします」
「ならば、仕組みを直したあとで、その人間が同じ間違いをするか確かめればいい。結果を見る前に交代させれば、君が確かめられるのは、新しい人間もいつか間違うということだけだ」
ギレンは口を閉じたものの、間違いが分かった人間を残してもう一度任せる方が危険ではないかという疑念は、納得したふりの苦手な顔にはっきり残っていた。
人を替えるのは最も早い解決に見えるが、誤りを生んだ仕組みが残れば、新しい人間は新しい名前で同じ数字を提出する。
だからといって、誰も悪くないとまとめれば、確認を怠った責任まで消えてしまう。
私は両部署に共通の品目定義を作り、集計表には必ず元表を添付し、別部署の担当者が貨物の出所を照合するよう命じたうえで、誰がどの段階で数字を確認しなかったのかも記録へ残させた。
「修正版だけでなく、最初の計画書と、誤りが起きた経緯もアズラエル君へ提出する。収入不足については、第三期工事を二段階へ分ける案、返済開始を遅らせる案、共同利用する企業から出資を増やす案を作り、どれを選べば誰の負担が増えるかまで示しなさい」
「間違っていた資料まで渡すのですか。相手は、今日会ったばかりの出資者です。我々には正確な計画を作る能力がないと判断されるのではありませんか」
「相手はすでに間違いを見ている。いま修正版だけを出せば、間違いを直したのではなく、見つかった部分だけ隠したと判断されるだろう。我々が彼へ見せるべきものは、最初から間違わないという作り話ではない。間違いを見つけ、隠さず、同じ形で繰り返さない組織だという信用だ」
「値上げで不足分を埋める案は作らないのですか」
ギレンの問いに、港湾運営の責任者は、最も簡単なのは倉庫料と荷役料の引き上げだと答えた。私はそれも比較案へ加え、別の港へ貨物が流れて予定量が減る可能性と、生活設備の価格へ転嫁される額まで計算させた。
安易な案を禁じても損失は消えない。必要なのは答えを隠すことではなく、なぜ使えないかを数字で示すことだった。
「ギレン、誤りを見つけた仕事はここまでではない。明日、倉庫と荷役班へ行き、今日何が止まり、帳簿に載っていない損失がどこへ出たか聞いてきなさい。修正されたことまで確かめる責任があると、会食の席でも話したはずだ」
「記録と勤務表を見れば分かります」
「記録には、書いた人間が数える必要を感じたものしか残らん。最初の一時間は計算するな。誰が何に困り、どの数字が残らなかったかを聞け」
「一時間も必要ですか」
「お前が人間を数字と同じ速度で読めるようになったら、三十分に減らしてやろう。今日のところは一時間だ」
ギレンは遠回しな不可能と言われたことに気づき、不満そうに眉を寄せたが、拒みはしなかった。