【チラ裏】ムルタ・アズラエルは刻の涙を見る 作:d_chan
父上は、最初の一時間は計算するなと言った。
その命令に合理的な意味を見つけられないまま翌朝の港へ行くと、工業調整会から同行した職員は、僕へ渡す作業用の保護帽が大人用しかないことに気づき、内側へ折った布を入れて大きさを合わせた。
視界の上で帽子がわずかに揺れることも、僕がムルタ・アズラエルよりさらに幼く見られることも不愉快だったが、気密扉の向こうでは昨日移された二酸化炭素除去装置の検査が続いており、見た目へ抗議している時間はなかった。
昨夜、勤務表と整備記録だけを基に僕が作った仮見積もりでは、二十四基の装置を第四倉庫へ移すために必要なのは六時間であり、八つの作業班と八台の搬送機を使えば十分なはずだった。ところが完了記録を見ると、最後の装置が貨車を離れたのは作業開始から八時間四十二分後で、僕の見積もりを二時間以上超えている。
現場はすでに通常作業へ戻っていたものの、床には臨時に引き直された搬送経路の表示が残り、休憩区画では昨日の残業班が勤務報告を整理していたため、記録の遅れを疑って倉庫主任へ理由を尋ねると、彼は天井近くを走る黄色い搬送機を指さした。
「登録上は八台ですが、気密区画を通って、この重さの荷物を運べるのは六台だけです。残りの二台も動きますよ。ただし古い密閉材を使っているので、最大荷重を掛けて減圧区画へ入れる許可がありません。それから、昨日は前の勤務から残った作業員もいました。機械の数へ人を合わせても、減圧と再加圧を繰り返せば、同じ速さでは動けません」
「整備記録には、二台とも使用可能とあります。軽い荷物しか運べないなら、取扱能力を下げて申告するべきではありませんか」
「下げれば、代わりの機械が入るまで倉庫全体の割当量を減らされます。軽い荷物なら問題なく運べますし、昨日のような装置が毎日来るわけでもない。ここでは皆が分かっていることですが、表を作る人間には、八台が同じように動くと見えるんでしょうな」
「では、表を作った人間が現場を確認しなかったのが原因ですか」
「こちらが能力の違いを報告しなかったのも原因です。壊れていない機械を故障扱いにするのは違うと思っていましたが、何を運べるかまで書かなければ、外の人には存在しない情報と同じですからね」
六台へ二十四基を割り振り直せば遅れの大半は説明できたが、休憩時間と検査待ちは残った。僕は計算を始めそうになるたび父上の命令を思い出し、主任のあとを歩いた。留め具の位置は箱ごとに違い、包装材に傷があれば写真を残し、熟練者が初めて扱う者を手伝うため、八人を一つの数字へまとめても八倍の速さにはならない。どの作業も標準時間より数分ずつ長かった。
「予定外の残業分は、遅延費用に含まれていますか」
休憩へ入った荷役班の女へ尋ねると、彼女は飲み物の容器を置き、僕の後ろに立つ職員を見てから答えた。
「ここに残った者の手当は入るでしょう。でも、代わりに今日の勤務へ出られなくなった者の収入までは入りません。昨日のうちに帰った班も、列車が止まって次の荷物が来なかった時間は待機扱いです。勤務時間には数えられますが、取扱量へ付く手当はありません」
「貨物が止まった責任は、あなたたちにはありません。それでも収入が減るのですか」
「私たちに責任があるかどうかと、会社に払う金があるかどうかは別ですからね。もっとも、装置が生活区へ届かなければ、空気の値段になって戻ってくるかもしれません。どちらで引かれるかが違うだけですよ」
彼女は怒鳴らず、仕方がないことを説明する口調でそう言った。
父上が語った、制度による苦しみを宇宙で暮らす以上避けられない不運だと思う、という言葉の意味が少し分かった。
勤務表には彼女の失った手当が載り、倉庫の帳簿には追加人件費が載るが、装置の遅れで別の場所に生じる空気の値上がりは、一つの計画書へまとめられていない。
数字が嘘をついたのではなく、表を作った人間が最初から数えなかったのである。
一時間後、僕は端末を開いた。搬送機は荷重別の稼働能力を記し、作業員は人数と直前の勤務時間を分け、遅延費用には失われた手当と後続貨物への影響を加える。完全な計算には装置を待つ生活区の記録まで必要だが、分からない費用をゼロにせず、未計上の欄を残すことはできた。
「ザビ代表の息子さんなら、昨日みたいな時はすぐお父上を呼んでくれるんでしょう。あの方が来れば、また動かしてくれる」
報告を終えた僕へ、倉庫主任が何気なく言った。
「父上が別の区画にいた場合はどうするのですか」
「連絡がつくまで待ちます。それでも、どの部署へ申請すればよいか分からず待つよりは早い」
「父上と連絡がつかない場合は?」
「その時は……昨日と同じなら、貨物は止まるでしょうな」
父上が問題を解決できることと、港に問題を解決する仕組みがあることは違う。
父上はすでにその違いへ気づき、臨時手続きを作らせていたが、現場の人間は新しい規則より先に、デギン・ソド・ザビという名前を頼ろうとしている。
人へ集まった信用は決定を速くする一方、その人がいない場所から判断する能力を奪うのかもしれなかった。
工業調整会へ戻り、聞き取った内容と修正案を提出すると、父上は未計上の費用という欄をしばらく眺めた。僕は、命じられる前に伝えるべきだと判断し、修正版の後ろへ添えた最初の仮見積もりを開いた。
「修正前の六時間という計算も残しました。情報が不足していたことは記載しましたが、足りない情報を請求せず計算したのは僕ですから、僕の判断だったことも消していません」
「こちらから命じる前に書いたのか」
「ムルタ・アズラエルなら、資料が足りないなら請求するのも仕事だと言うはずです。彼に従ったのではありません。相手の論理を破るなら、こちらだけ自分の誤りを隠すわけにはいきませんし、どこで破綻するかを確かめるためには、先に正確に理解する必要があります」
「もう、彼なら何と答えるかを考えているのか」
「比較する相手がいなければ、自分の答えが正しいか確かめにくいだけです」
「それを競争相手と呼ぶ者もいるし、友人と呼ぶ者もいる。好きな方を選びなさい」
「どちらとも決める必要はありません。分類すれば、相手の次の行動までその分類に合わせて見ることになります」
父上は一瞬だけ目を丸くしたあと、今日一番楽しそうに笑った。なぜ笑われたのか分からなかったが、説明を求めればさらに笑われる気がしたため、僕は修正版の資料を持って自分の机へ戻った。
ムルタ・アズラエルについて調べ直したのは、質問状を書くためだった。
公開されている事業記録を追うと、彼はすべての会社を自分で所有しているわけではなく、出資、融資、長期購入契約、輸送保証といった異なる方法を組み合わせ、地球と月とコロニーに散らばる企業を結びつけていた。
一社が止まっても別の会社へ注文を移せるため、見た目ほど一つの組織には依存していない。
ところが、その組み合わせを選び、どこへ資金を足し、どこから引き揚げるかを決めている場所までたどると、最後には何度も同じ名前が現れた。
ムルタ・アズラエル。
自分より少し年上なだけの少年の名が、僕の知らない企業の最終判断欄へ何度も現れることが、なぜか気に入らなかった。
そして、なぜ気に入らないのかを数字で説明できないことは、それ以上に気に入らなかった。
彼は、権力を一人へ集めれば、その人間が間違った時に全員が巻き込まれると話していた。
しかし彼自身の署名は、サイド3の小さな行政部門より多くの金と人を動かせる。
命令書を出さなくても融資を止め、保険の条件を変え、輸送会社との契約を更新しなければ、工場は部品を受け取れず、製品を出荷できなくなる。
銃を持たないことは、力を持たないことと同じではない。
むしろ彼は、銃を撃つより前に相手の燃料と販売先を失わせ、戦うことで得られる利益より失う利益を大きくしようとしている。
その仕組みが本当に完成すれば、戦争を始めようとする者へ向けられる武器より、広い範囲を止められるかもしれなかった。
それ自体を危険だと決めるつもりはなかった。
父上が港で権限を使ったから貨物は動き、ダイクン氏が人々へ言葉を与えたから、仕方がないと思われていた制度が変えるべき問題になった。
力が必要な場面は確かにあり、力を持つことだけを悪いとすれば、何も決めない者が最も正しいことになる。問題は、その力を使った人間が間違えた時、誰が止められるかだった。
政府が契約を破れば資金と技術者を引き揚げる、とムルタは言った。
けれど、引き揚げられる工場が水や空気に関わる設備を作っていたなら、先に困るのは契約を破った政府ではなく、その決定へ参加していない住民になる。
相互依存によって権力者へ損失を返すはずの制度が、出資者の判断一つで、権力者から住民へ損失を移す制度になる可能性がある。彼はそれを計算しているのか、計算しているなら、どこで撤退を止めるのか。答えは公開記録のどこにもなかった。
もう一つ、記録から分からなかったことがある。ムルタ・アズラエルは、ギレンという僕の名前を知らなかった。
それでも名乗った瞬間、彼は三秒だけ、目の前の僕とは別の何かを見ていた。
自分の名前を検索しても、工業調整会代表の息子として学校や行事の記録へ載っている程度で、地球にいる彼が驚く理由は見つからない。
父上の言うとおり、事実は三秒の沈黙だけであった。
アズラエル一行の船がサイド3を出港したという知らせが届いた日の午後、父上は約束した三日の期限を待たず、修正前と修正後の港湾計画、二重計上が起きた経緯、臨時荷役で発生した費用、企業連合の新しい規則案を一つの通信資料へまとめた。
僕の倉庫調査も、その中へ名前を付けて残された。元の見積もりを作ったのが僕であることも、六時間という計算を撤回したことも消されていなかった。
「質問状を添えてもよいですか。文書で互いの矛盾を指摘するという約束は、出港によって無効にはならないはずです」
「構わん。ただし、資料の送付先は彼の地球事務所だ。担当者が先に読む可能性も考えて、質問だけを投げつける文章にはするなよ」
僕は宛名のあとへ、会食で質問に答えてもらったことへの礼と、倉庫で新しく確認した事実を短く記し、最初の問いを書いた。
『あなたは、権力を一人へ集中させてはならないと言いました。では、あなた自身が間違えた時、あなたの資金を止められる者は誰ですか』
内容はそれだけでも成立していたが、抽象的な問いなら、制度を作る、監査役を置くという抽象的な答えで終わる可能性がある。
僕が知りたいのは、彼が自分の力を危険だと認識しているかだけではなく、その力を止めた時に、決定へ参加していない人間が巻き込まれることまで計算しているかだった。僕は一行空け、具体的な条件を続けた。
『政府が契約へ違反した場合、あなたは資金と技術者を引き揚げると話しました。しかし、その設備を必要とする住民が政府の決定へ関与していなかった場合、契約を破った者より先に、住民が空気や水を失います。その損失を誰の責任として扱い、どの条件で撤退を止めるのですか』
「父上、確認してください」
父上は文面を最初から読み、一問目のところで片方の眉を上げた。
「厳しいな。だが、彼が自分で結んだ約束の範囲だろう。送っていい。ただし、この質問へ答えが返ってきたら、次はお前の考えの矛盾を指摘される番になる。それを不公平とは言うなよ」
「金額がゼロでも、契約は契約です。事実なら認めると、先に決めています」
「では署名を入れなさい。昨日まで名前を隠して相手を試した者が、最初の手紙まで匿名で送ることはないだろう」
僕は末尾へギレン・ザビと入力した。三秒の理由を尋ねる文章も加えようとして、手を止めた。
最初の手紙で確かめるべきなのは、彼がどこかで僕の名前を聞いたかどうかではなく、自分へ向けられた問いにも、他人へ向けた時と同じ基準で答えるかどうかだった。名前のことは、返事が届いたあとに聞けばよい。
送信を終えても、金は一ドルも動かなかった。それでも彼が条件を示しただけで、誤った計画書は経緯ごと保存され、港には父上がいなくても貨物を動かす手続きが作られ、企業連合はザビ家だけが窓口になる案を捨てた。
命令をせず、相手が断る自由を残したまま、行動の形を変える力がある。
その力を平和と呼ぶのか、支配と呼ぶのかは、まだ判断できなかった。
あなたが間違えた時、あなたの金を止められる者は誰ですか――それが、僕からムルタ・アズラエルへ送った最初の質問になった。
そして、それは将来の僕に投げかけられる質問であった。思えば、この時から彼との因縁は始まったのかも知れない。