私には一人、弟がいる。当夜という5歳違いの弟だ。
弟は兄の目から見ても出来が良く、明るく人懐っこい性分で、誰にでも好かれる人物だ。私は弟のことを嫌う人を見たことがない。もちろん、朽木家に対する妬みや嫉みによる悪意はあるだろうが、そんな中でも素直でまっすぐに育っている、所謂「いい奴」である。
さらに、探索者としても「拳闘士」のジョブを得ており、ダンジョンを守って生きていく朽木の男として申し分のない実力の持ち主だ。
私には一つ後悔している事がある。
弟の10歳の誕生日、彼は父親と本家の当主巌さんと一緒に蔵に赴きジョブを得た。そのジョブが判明した時、ついうっかり「羨ましい」と言ってしまったのだ。
もう本当に悔恨の一言だった。そんな事を言うつもりはなかった。
ちゃんと笑顔で「おめでとう、頑張れよ」と言うつもりだった。何度も練習だってした。
それなのに、私の口からするりと出てきたのはそんなつまらない泣き言だった。
いまだに、私の一言で凍り付いた弟の顔を忘れることができない。
あの出来事以来、弟は努力することを辞めた。
勉強もそこそこ、武術の修行もそこそこ、人付き合いもそこそこ。私の領分を侵すまいと必死だった。
それでも、弟は根が優秀なので、さぼりながらも人並み以上のものを修めていた。そのことについては本人はおそらく気が付いていなかった。周囲は分かっていて、彼に多大なる期待をしていた。
朽木の本家筋にあたる一馬さんは、おそらくあまり力が強くない。息子の遊馬くんは魔力が強くなりそうな気配はあるが、ジョブ次第だ。
最悪、弟に「当主」が回ってくるかもしれない。
私はそれを恐れていた。
私のジョブは料理人という外れも外れ大外れだったため、弟に負荷がかかる羽目になった。
私は10歳のあの夜、覚悟していた。おそらく魔力はそれなりに備わるのは気配で皆が察していた。もしかしたら一馬さんと遊馬くんの繋ぎとしての当主候補になるかもしれないと。
恐ろしかった。ダンジョンの主に食われるために生きる人生なんて御免だった。朽木の本家筋に生まれた者の宿命だと分かっていたが、逃げ出したかった。
だから、正直あのジョブを得た時にホッとしたのも事実だったのだ。
だが、私はその事を軽く考えすぎていた。本家の人間が外れのジョブを引くということをよく分かっていなかった。
そこから始まる屈辱の日々を、何も予測していなかった。
たった5年で音を上げたくなるほど、そこからの転落は激しかった。誰にも期待されない、頼りにされない、嗤い蔑まれ生きるというのがどれほどみじめなことか分かっていなかった。
だから、望んで外れ職を自ら引いたくせに、弟に「羨ましい」などとほざいたのだ。
輝かしい弟の人生を台無しにした兄。
それが私の実態だった。
だからこそ、絶対に逃げるわけにはいかなかった。ジョブの力は使えない。身体強化のみでダンジョンに潜り続けた。スキルが使えない状態で探索者としてモンスターを狩り続けた。
25歳にもなってたったレベル24と嗤われようと、弟の未来を奪った以上辞めるとは絶対に言えない、そう思って鍛錬を続けていた。
◆◆◆
「護衛ですか?」
本家の巌さんが持ってきた話は、とある探索者の護衛任務の仕事だった。
「ああ、聖夜にはぴったりだと思ってね」
両親は既に聞いていたのだろう。黙って頷くだけだった。
「赤城の件で色々調べた。本家の人間が外れジョブを引いた場合、どんな扱いになるか、私は把握してなかった。お前がどれほどひどい目にあっていたか、気が付かず申し訳なかった」
「いえ、そんな!」
当主に頭を下げさせるわけにはいかない。私は大慌てだ。
「護衛対象は神崎薫という青年で、弁護士さんなんだがちょっといろいろあって如月秋人さんの代理人を務めている」
伯父の話に出てきた人物名に驚嘆した。3S探索者の名前を知らない人は日本にはいない。
「先生はうちの大変な恩人だ。引き受けてくれると有難い」
当主の命令だ。聞かないわけにはいかない。でも護衛の任務につけば、探索者は諦めなければならなくなる。
「聖夜、今の状態でダンジョンに潜り続けるのは限界があるのはお前も分かっているだろう。護衛ならモンスターを相手にすることもない。命を大事にしてくれ」
巌の言葉には筆舌に尽くしがたい重さがあった。彼は実の兄も姉もダンジョンで失っている。
「少しだけ気持ちを整理する時間をください。3日だけ…」
私はそう懇願した。あと少しでレベルが25になる。せめてそこまで努力をしたい。そう思っての猶予だった。
だから、翌日に弟が
「あ、兄ちゃん。俺大学辞めてきた。護衛は俺が行く」
と言った時の絶望は、何というかもう言葉にならなかった。
弟は朽木の家でただ一人、私の努力を無駄な足掻きだと言わない男だった。
「兄ちゃんは凄い、頑張り屋だ、実力だけなら誰にも負けないくらいに強いんだぞ!おまけに飯だって母ちゃんより上手に作れるんだ!」
と私の事を揶揄した相手を怒鳴りつけたのを聞いたこともあるくらいだ。
そう…弟はいつの間にか重度のブラコンになっていた。
何故だ?
どうしてそうなった??
ただ、私は弟の人生をめちゃくちゃにした事を後悔して足掻いていただけのダメ人間だ。
弟の才能を無駄にしてほしくなくて、鍛錬に誘ったり勉強を見たりしていただけだ。料理はジョブが料理人だからたいして努力もしなくても美味いものが作れるので、食わせていただけだ。「兄ちゃんの飯が一番美味い」とか言われるからつい嬉しくてレパートリーが増えただけだ。
そんな奴の為にお前が何もかも捨てて出ていくことはない。
と何故私は言えないんだ。
そして、弟は笑って家からいなくなった。
私はまたも弟の人生をめちゃくちゃにしてしまったのだ。
◆◆◆
ある日、弟から電話がかかってきた。雇い主が私に会いたがっていると。私は戦々恐々で出向いた。弟が何か粗相をしたのだろうか?腹を切って詫びれば許してもらえるだろうか?と。
そこで、私は神様の使いに出会った。
神崎薫は恐ろしく美しかった。私は、実は自分の容姿には多少自信があった。せめて家の為になる結婚が出来ればいいなと思っていたくらいに己惚れていたが、とんだ勘違いだった。世の中は広い。見るだけで拝みたくなるような威力のある容姿という存在を初めて見た。
さらに、この神様の使いは私の努力を笑わなかった。身体能力だけでそこまでレベルが上げられるって凄いことだろう?と弟に確認をとっていた。弟の泣き笑いのような顔が今でも忘れられない。
そして、彼は神様と一緒にダンジョンへ行こうと誘った。
◆◆◆
あれから数か月、私の手には今銀色のカードがある。レベルは42。18歳で探索者になってから7年で25までしかあげられなかったレベルはこの数か月で17も上がった。あちこちのパーティーから声もかかっている。朽木家での評価も徐々に変わりつつある。
巌さんから蔵を閉鎖するという話を聞いた。今度の夏休みに神様とそのお使いにお願いするらしい。正直興味がない。
それよりも、夏休みに弟が帰ってくるということが重要だ。弟の好きな料理を沢山作って労ってやりたい。
「唐揚げはどうも負けてるっぽいんだよなぁ」
最近の弟のインストに上がるのはもっぱら神様の使いが食べさせてくれる手料理だ。彼はどうやら餌付けされてしまったらしい。
「ハンバーグかトンカツだな」
私はうんうんと頷いた。
「じゃあ、オークでも狩りに行くか」
と私は慣れた手つきでオリハルコン製の包丁を握った。
重度のブラコンのお兄ちゃんと弟のお話。150話記念SSでした。
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※こちらは、小説家になろうでは「活動報告」にアップしていたSSです。