私の朝は弟子との稽古から始まる。
弟子の名前は如月秋人。この国で知らない人はいない最強の探索者だ。
そんな秋人を弟子にして教えることがあるのか?というもっともな疑問が沸くだろうが、実際のところ私と秋人の朝の稽古は充実している。
「おはようございます」
「うん、おはよう」
朝から礼儀正しく挨拶をする。礼から始まり、道具の点検、確認、基礎的な動きの準備運動、素振りなどを経て、打ち合い。真剣だったり木刀だったりするのはその日の修練次第。一時間から二時間弱。学校や仕事がない日はもう少し眺めに修練を行っている。
ほんのちょっと前までは私たちは師匠と弟子という間柄ではなかった。いわゆる同居人で有り体に言えばちょっと歳の離れた友人関係だ。
それがこの前、薫さんが倒れた折のやりとりで私が彼にアドバイスをしているうちに「師匠」呼びになったのである。
当初はまあ呼び名だけだしな…と思っていたのだが、私が早朝、ビルの屋上を借りて剣の稽古をしていると気がついた秋人が、自分に稽古をつけてほしいと願ってきてから様子が変わった。
秋人のジョブは魔法剣士という魔法師と剣士のどちらの特長ももっているジョブだが、世間的には器用貧乏職と言われている。
どちらの特長ももっているが、得た経験値がどちらにも分配されるので、成長速度が遅い。新しい魔法やスキルを得るのに他の職の倍かかると考えれば、器用貧乏の謂れも納得できるだろう。
それでも秋人が他の探索者よりはるかに強いのは、彼が5年間ほぼ毎日たった一人でダンジョンに潜っていたからに他ならない。
通常の探索者は多くても3日に1回くらいのペースでダンジョンに潜る。それも複数人でパーティーを組むのが常である。パーティーでの戦闘は経験値も分割される。
ソロで毎日5年ダンジョンへ通っていた秋人の経験値が、異様に高くなるのは当たり前だった。
ただし、彼はほとんど自己流で技や魔法を習得している。10歳くらいまではご両親と一緒にダンジョンに行っていたらしいので基礎はできているのだが、いかんせんそこからの発展は己の試行錯誤で進めてしまったので、非効率的なものが多いのだと本人はいう。
私の稽古を見ていた秋人が
「僕もきちんとした型を身につけたい」
と願ったので私が秋人に毎朝稽古をつけることになった。
その時、剣の作法や考え方、精神の鍛え方など戦闘に直接関わらないことは不要か?と尋ねたら、そこから全部教えて欲しいと彼は言った。
なので、そこからは本当に師匠と弟子になった。
剣の使い方、手入れの仕方などから精神論まで、霧崎流の免許皆伝である私が教えられることは全て、この少年に叩き込むつもりである。
「本当に私でいいのかい?」
と最初に尋ねたが、彼は教わるなら自分がいいと言ってくれた。
ずっと如月秋人の存在は常に私の上に影を落としていた。
名前しか知られていないSランクの探索者。 ソロで三つのSランクダンジョンを踏破し、無言で人々を助け続ける正義の味方。
そういう大きな存在が常に私の前に立ちはだかった。
探索者の指標は強さだ。
強ければ何でもいいとは言わないが、大多数の問題は強さが解決する。私たちアークエンジェルが女ばかりのパーティーでも尊敬を勝ち得ているのは、強いからだ。
だから、私と如月秋人はどちらが強いのか?という論争は常にあった。ダンジョンを平定して帰還した時のインタービューでも常に「如月秋人について」問われ続けた。
正直、うんざりしていた。
だって、相手は見えないのだ。想像上の彼は遥かに強く、高潔で、隙がない神様のような存在として扱われていた。そんな相手に生身の私が敵うわけがない。
いつか出会ったら化けの皮をはいで、人間らしい彼を見て笑ってやろう
と意地悪く思ったりもしていた。
だから、本物の『如月秋人』を知った時には、猛烈な羞恥に駆られた。
彼は私より歳若く、華奢で、素直で、優しく、本当に高潔だった。
私を救うために命をかけてくれた。殺した方が遥かに楽だったはずなのに、それを由としなかった。
その上、彼は私以上に何ももっていない子供だった。
親もなく、家族も親戚もなく、友もなく、5年という歳月をたった一人で毎日モンスターを殺すことを強要されてきた少年だった。
ただ一人、彼を救ってくれた神崎薫という人との絆だけを拠り所にしている子供だった。
「あなたは、僕が初めて父より強いかもしれないと思った剣士です」
と秋人は言った。彼の父はもう彼の思い出の中にしかいない最強の剣士のはずだ。それを超えると彼は言ってくれたのだ。
嬉しかった。誇らしかった。長年の苦労も辛酸も全て報われる言葉だった。
それと同時に、私のもてる全てのものでもって彼の願いをいつか叶えてあげたいと思った。この少年の誠意と真摯な想いに応えたいと願った。それは私の剣士としての誓いだった。
「師匠、お願いがあるんです」
ある日、秋人が珍しくそんなことを言ってきた。
「なんだい、改まって?」
と私が答えると言いにくそうに彼は俯きながら願った。
「もし、いつか…僕が洗脳とかされて薫に危害を加えそうになったら、僕を斬ってくれませんか?」
と。私は驚いて秋人の顔を見た。
「そういう敵を想定してるのか?」
と私が尋ねると彼は困ったように首を傾げた。
「そういうわけじゃないんですが…僕がもしも薫に危害を加えるとしたら、おそらく僕の意思ではないと思うんです。でも、僕は薫を殺したくない。どうしても、それだけは嫌なんです」
と弟子は苦しそうに顔を歪ませた。
秋人は今朝、そういう夢を見たという。その夢はやたらとリアルでまだ手の中に彼を殺した感触が残っているのだと秋人は嘆いた。
「僕を斬れるのは師匠しかいない。だから、お願いです」
秋人の声は小さく震えていた。寄るべない子供のような顔だった。
確かに、現在秋人の技量は大きく上がっている。今まで自己流だったところにきちんと理論の通った型が施され、洗練されてきているのだ。
そして、それは私にも言えることだった。
ここ何年もまともな稽古相手がいなかった私にとって、秋人との稽古は伸び悩んでいた技量を大きく伸ばすきっかけになったのだ。
「…いいよ。私が約束したら秋人は安心できる?」
「はい」
秋人はぱっと輝かせて私を仰ぎ見る。それから、私の目から溢れる涙を見て顔色を変えた。
「師匠、ごめんなさい。僕は…」
「謝らないで。いいんだ。君のその希望は私しか叶えてあげられない。だから約束は守るよ」
秋人はきゅっと口を結んだ。私の決意を彼はちゃんと感じ取ってくれたのだ。
「君の願いをいつか叶えてあげたいと思っていた。私にできることなら何でもしてやりたいと。だから、それが君ののぞみなら必ず叶えてあげる」
でも、できればそんな日がこないことを願っている。
どうかこのまま、秋人と薫さんの二人が幸せに暮らせますように。皆で無事過ごせますように…とダンジョンの神様に祈るしかなかった。
250話記念です