ノーライフ•トゥ•ラブ〜幽閉された吸血鬼のお嬢様と、不死身と言われた人間について〜 作:おじぇ
「ねえ、ニンゲンさん。貴方はどうして、抵抗しないの?」
拘束具をはめられた黒髪の男は、頑丈な石の壁に背を預けたまま、首筋に押し当てられた冷たい爪の感覚をじっと見つめていた。その瞳には、迫る死への恐怖も、生への執着も映っていない。爪の主である少女は、小首をかしげ、男の顔を覗き込んだ。長いまつ毛の奥で、真紅の瞳が純粋な好奇心に揺れている。
「……俺の命に、そこまでの価値が無いからさ」
男は視線を動かさず、ただ静かに息を吐き出した。その肩は微動だにしない男に、少女はさらに顔を近づけた。男の瞳に映る自分の顔を確かめるように、じっと、瞬きもせずに見つめる。
「じゃあ、私が怖くないの?」
「怖いも何も、俺の目には、人形の様な、綺麗な金髪のお嬢さんしか見えないからな。怖がることなんて、なにもないだろう」
男の言葉を聞いた瞬間、少女は押し当てていた爪をすっと引き、大袈裟に肩をすくめてみせた。そして、部屋の隅にある豪奢な、しかし色褪せた椅子の背もたれに飛び乗り、器用にバランスを取りながら座る。
「普通、これから死ぬとわかったら『キャー、助けてー』とか、『お願いだー何でもするから、許してくれー』って言うんだけどなー……」
つまらなそうに細い脚をぶらぶらと揺らす少女を見上げ、男は自らの縛られた両手首に視線を落とした。
「死ぬのが怖い奴は、自分の人生に意味を見出している」
少女の足がピタリと止まる。彼女は椅子の背から飛び降りると、無音で男の目の前に着地した。その影が、男の全身を覆い隠す。
「じゃあ、ニンゲンさんは、自分の人生に意味がないと思ってるってこと?」
男は自嘲気味に口元をわずかに歪め、目を閉じた。
「ああ、俺の人生に意味なんて無い」
「ふーん。変なの」
少女は男の頬を指先でツンと突いた。男は鬱陶しそうに顔を背け、再び少女を睨み据える。
「……殺すんじゃなかったのか?」
「ん〜。殺さないよ?」
少女はパッと両手を広げ、いたずらが成功した子供のように満面の笑みを浮かべた。
「いや、お前は、さっき自分で『死ぬとわかったら』と言っていたろう」
「うん。ニンゲンは私と違って、すぐに死んじゃうでしょ? それに私は、殺すとは言って無いよ。びっくりした?」
男は深くため息をつき、首をがっくりと項垂れさせた。期待外れだと言わんばかりに、緊張の解けた身体が壁に沈む。
「どちらかと言えば、失望だな」
少女の笑みがふっと消えた。彼女は自分の胸元に手を当て、小刻みに首を傾げる。
「やっぱり、あなたって変だよ。みんなは喜んでたんだけどなー……」
「……」
男は沈黙を貫いた。少女は構わず、部屋の隅にある鏡の前に歩み寄り、自分の尖った犬歯を指で触りながら、ぽつりぽつりと話し始めた。
「私ね。死のうと思ってるんだ。普通の吸血鬼って水とか、肉とか食べなくても生きていけるの。でもね。血を飲まないと、すぐ餓死しちゃうんだってー」
鏡に映る少女の背中を見つめながら、男の眉がわずかに動く。彼は少女の衣服の擦り切れ具合と、部屋の荒廃ぶりに視線を走らせた。
「その口ぶりだと、お前は普通の吸血鬼じゃないのか?」
少女は振り返り、ドレスの裾を掴んで優雅にお辞儀をしてみせた。しかし、その瞳の奥の赤みは、月光を吸って異常なほどに輝いている。
「うん。私って先祖返り?ってのみたいで。普通の吸血鬼よりもすごぉ〜く、強いんだって。お母さんも、私を生むために、命が吸われちゃって、死んじゃったらしいし」
「吸血鬼にしてはジメジメした場所にいると思ったら、幽閉されているのか?」
男の問いに、少女は一瞬だけ顔をしかめ、自分の腕を強く抱きしめた。爪が皮膚に食い込む。
「そうだよ。お父様がね。『お前は生まれてきちゃだめなんだー!!』って……この間もスッゴい顔で怒ってたんだよ!」
少女の声が次第に震えを帯びていく。彼女は頭を抱え、床に視線を彷徨わせた。その呼吸は荒く、足元が小刻みに震えている。
「だから私は死ななきゃだめなの。お母様も殺して、お手伝いさんも殺して、お姉様も、お父様も……みーんな、それで……それで――」
少女は突然、男の前に膝をついた。祈るように両手を組み、すがるような目で男を見上げる。その瞳からは、一滴の涙も流れていない。ただ、暗い深淵のような渇きだけがあった。
「ねえ、あなたは私を、
男は少女の視線を真っ向から受け止めた。そして、縛られた手を強引に動かし、指先で自分の懐をトントンと叩いてみせた。
「――俺は、タダで仕事をしない主義だ。人を殺すなら金貨10枚。バケモノ退治は最低でも金貨100枚。今回は人殺しの依頼しか受けてなかったが、お前を見た感じだと、今回の依頼は無効だな」
少女の顔がパッと輝いた。弾かれたように立ち上がり、男の手を握りしめる。
「じゃあ、ちょうどよかった!!」
「ちょうどいい?」
「うん。だって私のお家って、元々大金持ちなの。公爵家?って爵位だったらしいし。だから私を殺したら、好きなだけ――」
男は少女の細い手を冷たく振り払った。そして、自分の首を左右に振る。
「金は前払いだ。それに依頼も予約は、既に埋まっている」
「えー……。お金なら一杯あるよ?」
少女は頬を膨らませ、床をドンと踏み鳴らした。
「そういう問題じゃない」
「ニンゲンさんって面倒くさいね」
少女は腰に手を当て、男を睨みつける。男は、ふっと視線を逸らし、わざとらしく首筋を差し出してみせた。
「なら俺を殺すか?」
「ん〜」
少女は人差し指を顎に当て、天井を見上げて考え込む。やがて、名案を思いついたように、ぽんと手を叩いた。
「予約がすべて終わったら、私を殺してくれる?」
「……終わったらな。だが少なくとも数年――「じゃあ、私が手伝ってあげる!!」
「……は?」
男の身体が強張った。眠たげだった彼の目が、初めて大きく見開かれる。
「お前は何を言っているんだ?」
少女はふふん、と胸を張り、楽しそうにステップを踏み始めた。
「何って、待ってても時間かかっちゃうんでしょ? だったら私がみんな殺してあげる!!」
男は顔を手で覆い、深いため息をついた。頭痛を堪えるように、指先でこめかみを押さえる。
「いや、そういう事を聞きたいんじゃなくて――」
少女はステップを止め、男の目の前にしゃがみ込んだ。男の顔を覗き込み、片方の眉を吊り上げる。
「あっ!? もしかして私が弱いと思ってる!?」
少女は不満げに頬を膨らませると、すぐ横にある分厚い石壁に、ぽんと軽くだけ手のひらを当てた。――その瞬間、轟音が鳴り響く。まるで砲弾が直撃したかのように、何層にも積み上げられていた頑丈な石壁が、一瞬で粉々に弾け飛んだのだ。衝撃波が埃と強烈な風を巻き起こし、男の髪を激しく揺らす。凄まじい砂煙が引いていくと、そこには隣の監禁部屋までが完全に貫通し、一つの巨大な空間と化した光景が広がっていた。
少女は何事もなかったかのように手を引っ込め、衣服についた小さな埃を「ぱんぱん」と払っている。
「コホッ、コホッ、あー、煙たかった!!」
「こりゃあ、参ったな……」
男は、自分のすぐ横で完全に消失した壁の断面と、可愛らしく咳き込む少女の姿を、乾いた声を漏らした。額を流れる冷たい汗が、月光に濡れて光っている。
「ふっふーん!! 私ねー。お父様にも負けないくらい、力も傷の治りも早いんだ〜。凄いでしょ!!」
少女は自慢げに自分の細い腕を曲げて見せる。男は呆れ果てたように首を横に振った。
「ああ、すげえよ。いや、マジで……」
「そうでしょー!! それで、お金はどれくらい渡せばいい?!」
少女が身を乗り出してくる。その勢いに押されるように、男はわずかに上体を引いた。彼はしばらく少女の顔を見つめていたが、やがて諦めたように息を吐き出す。
「……いや、やっぱ後でいい。金ならあるんだろう。さっきのはお前に、依頼を諦めさせるために言った嘘だ」
「え、じゃあ依頼ってのも?」
「それは本当だ。依頼は完全予約制で――」
「もー、わかったよー。じゃあ、さっさと殺しに行こー?」
少女は男の腕を掴み、強引に立ち上がらせようとする。男は足を踏ん張り、その場を動こうとしない。
「依頼は受けるが、連れて行くとは言ってない」
少女はピタリと動きを止め、ジト目で男を睨みつけた。その小さな唇が不満げに尖る。
「騙そうたって、そうはいかないよ!! 一度でも嘘をついたニンゲンは、何度だって嘘をつくって、お姉様がお父様と話してたもん!!」
少女は男の胸元に人差し指を突き立て、ぐいぐいと押し込んだ。
「それにね。ニンゲンさんは、依頼を軽く見てるよね?」
男の目が一瞬で冷徹な殺し屋のそれに変わった。突き立てられた少女の指を静かに見つめる。
「失礼な。俺は依頼を破らない」
「そう。なら良かった!!」
少女は再び無邪気な笑顔に戻り、男の首筋にそっと両手を回した。冷たい吐息が男の耳元をくすぐる。その瞬間、少女の真紅の瞳が、妖しく怪物の輝きを放った。
「良かった? 何がだ」
「
男は首筋に触れる冷たい手のひらの感触を味わいながら、今度は苦笑いを浮かべた。観念したように、男の全身から力が抜けていく。
「……今回ばかりは、本当に参ったな」
少女はパッと手を離すと、一歩後ろに跳び下がり、スカートの裾を摘まんで優雅に一礼した。月光が、その金色の髪を銀色に縁取っている。
「それじゃあ、改めまして。私はセラフィーナ・ヴァン・クロイツェル。セラって呼んでほしいな!」
男は壁にもたれたまま、疲れ切った目で少女を見上げた。縛られた手首をわずかに動かし、ため息混じりに口を開く。
「……アレンだ。アレン・グレイブ。まあ、殺し屋だ」
「アレン! アレンね!!」
セラは嬉しそうに何度もその名前を口にすると、ぴょんぴょんとその場で跳ねた。まるで新しい玩具を手に入れた子供のように、瞳をキラキラと輝かせている。
「よろしくね、アレン! これからいっぱい、一緒に殺そうね!!」
「……物騒な挨拶だな」
アレンは深く息を吐き、ずるずると壁を背に立ち上がった。拘束具がじゃらじゃらと冷たい音を立てる。
「とりあえず、この拘束具を外してくれ。それと、一つだけ聞いておきたい」
「ん? なぁに?」
小首をかしげる少女に、アレンは真っ直ぐな視線を向けた。疲れの滲む声で、しかしはっきりとした口調で問う。
「お前は、なぜそんな、俺に殺される事へ拘る?」
セラは一瞬きょとんとした顔をしたあと、くすくすと笑い声を漏らした。彼女はアレンに近づき、背伸びをして耳元に唇を寄せる。
「そんなの決まってるよ」
熱い吐息が、再びアレンの肌を撫でる。
「あなたは、私は、とぉーっても、
セラはそう言いながら、拘束具を乱暴に引きちぎると同時に、鉄格子の向こうから、夜明けを告げる鐘の音が遠くの村から響いてきた。長い夜が終わりを告げ、誰も知らない二人だけの殺戮の朝が、今、静かに幕を開けるのであった。
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