ノーライフ•トゥ•ラブ〜幽閉された吸血鬼のお嬢様と、不死身と言われた人間について〜 作:おじぇ
牢獄の分厚い石壁が崩壊し、立ち上る濃い砂煙の中に、ツンとする漆黒の煤と石灰の匂いが混じり合う。
アレンは視界を遮る灰に細められた目で、煤けたドレスのまま、瓦礫の山を無邪気に飛び跳ねるセラの姿を捉えていた。彼女の手には、崩れた宝物庫から引っ張り出してきたであろう、豪奢なフリルが波打つ深紅のドレスが握られている。衣服が擦れ合う、絹特有の衣擦れの音が静まり返った監禁部屋に響いた。
「ふんふふーん♪ なにを着ていこうかなー」
鼻歌を歌いながら、自らの身体にドレスを宛がう少女の背中に向けて、アレンは喉の奥から絞り出すような低い声をぶつけた。
「……おい」
セラはぴたりと動きを止め、ドレスを胸に抱いたまま首だけをくるりと後ろへ回した。彼女の真紅の瞳が、きょとんとした丸みを持ってアレンを見つめる。
「んー? どうしたのアレン?」
アレンはこめかみに浮き出た青筋を指先でトントンと叩き、自身の乱れた呼吸を整えるように深く息を吐き出した。
「どうしたの。じゃない。なぜドレスなんか取り出してるんだ」
セラは小さく唇を尖らせると、抱えていたドレスの裾をふわりと広げて見せた。その生地からは、長い間仕舞い込まれていた高級な香油の、甘く重たい残香がかすかに漂う。
「あら、お出かけには相応の、おめかしをして行く。淑女なら当然――ってお姉様が言ってたよ?」
「遊びに行くんじゃないんだぞ」
アレンは腕を組み、足元に転がる尖った石屑をブーツの先でガリガリと削るように踏み潰した。その冷徹な眼差しは、少女の甘い見通しを咎めている。対するセラは、ドレスを持ったまま大袈裟に肩をすくめ、地べたに這いつくばる自身のボロボロの衣服を忌々しげに見下ろした。
「そんなことは分かってるよー。だからって、こんなボロボロの衣装で人前に出るなんて、失礼でしょ?」
「にしても、だろ。もう目立たない服装はないのか?」
アレンは眉間を深く寄せ、崩れた壁の向こうに広がる闇へ視線を走らせた。風が通り抜けるたび、冷たい湿気が二人の肌を撫でていく。
「えー? これが一番地味なんだけどなぁ……」
セラはドレスの襟元をいじりながら、納得のいかない様子で小首を傾げた。
「金持ち特有の感覚のズレか。仕方ない。今はそのままでいいが、後でもっと目立たない服装に変えるからな」
「可愛くなきゃヤダよ」
セラはアレンに向けてツンと顎を突き出し、ふいと顔を背けた。アレンは頭痛を堪えるように片手で額を押さえ、首を横に振る。
「わがまま言うな」
「それよりも、アレンはもう少しお洒落しないと駄目じゃない?」
不意にセラが間合いを詰め、アレンの目の前で立ち止まった。彼女の鋭い視線が、アレンの全身を品定めするように上下に動く。
「俺はこれでいいんだ」
「だってその服も、けっこうボロボロだよ」
セラの細い指先が、アレンの外套の引き裂かれた裾に触れた。乾いた返り血が固まり、ゴワゴワとした不快な硬さを持った布地だ。
「だから俺はこれで――」
「そうだ!!」
セラはポンと手を叩き、弾かれたように顔を輝かせた。その勢いにアレンがわずかに上体を引いた瞬間、少女の身体が不自然なほど静かに、夜の闇へと翻る。
「ワーウルフの執事が着てた服なら、アレンにちょうどいいサイズかも!!」
「おい!? ってもう居ねえ……」
アレンが伸ばした手は、虚しく冷たい空気を掴んだだけだった。足音ひとつ残さず消え去った少女の残響に、アレンはただ顎の骨を軋ませる。そして数秒と経たないうちに、頭上の暗闇からかすかな風が吹き下ろし、セラの小さな影が再びアレンの目の前に舞い降りた。彼女の両腕には、仕立ての良い漆黒の燕尾服がうずたかく抱えられている。
「お待たせっ!! 着れそうな服を持ってきたよ!!」
「着ないと、言ってるだろ!!」
アレンは差し出された衣服に目もくれず、完全に視線を逸らした。
「えー、絶対に似合うのにぃ。今アレンが着てるみたいな、あからさま怪しい格好より、こっちのほうが怪しまれないんじゃない?」
セラは不満そうに声を張り上げ、アレンのボロをまとった肩を指差した。
「たしかに今の格好よりは、目立つかも知れないけどさー」
「だが、その量をどうやって、拠点まで持っていくつもりだ?」
アレンはセラの腕に抱えられた、到底一人では抱えきれないほどの厚手の衣類の束を睨み据えた。セラはフッと勝ち誇ったような笑みを浮かべ、薄い唇の隙間から小さな牙を覗かせる。
「それなら大丈夫!! 見てて!!」
少女がふっと息を吹きかけると、その腕に抱えられていた燕尾服の束が、ボヤリとした紫黒色の霧へと姿を変えた。チリチリと細かな魔力が爆ぜる冷たい音が鼓膜を震わせ、次の瞬間には、霧はセラの胸元へと吸い込まれるようにして完全に消失する。
「服が消えた……どこにいったんだ?」
アレンの目が、驚愕にわずかで見開かれた。彼は思わず、セラの平坦な腹部のあたりを凝視する。セラは自慢げに胸を張り、自分の身体を両手で軽く叩いてみせた。
「私たち吸血鬼って、霧――ていうか、薄い魔力の集合体になって消えることができるんだけど。その時ってきてる服とか、身につけてるアクセサリーとかも霧になるんだよね」
セラはそこまで言うと、いたずらっぽく片目をウインクしてみせた。驚くアレンの視線を一身に浴びながら、セラはさらに楽しそうに鼻を鳴らす。今度は彼女が指先をパチンと鳴らすと、何もない空間から再び紫黒色の霧が湧き出し、一瞬で先ほどの燕尾服がその形を取り戻した。ずっしりとした布地の重みがセラの腕に戻る。しかし、アレンが手を伸ばしかけた瞬間、セラは「あはっ」と小さく笑って、再び服を霧へと変えて消し去ってしまった。
「それでね。霧になった物は一時的に、私たちの魔力と混ざって、体の中にしまっておくことができるの」
セラは一着の燕尾服を出すと、今度こそ完全に服を体内に収める。そして満足げに自分の胸元を小さな手のひらでぽんぽんと叩いてみせた。
「つまり、物なら何でも、体の中に隠すことが出来ると?」
アレンの言葉に、殺し屋としての警戒心が混じる。彼は無意識のうちに腰の短剣の柄へ手を伸ばし、その冷たい金属の感触を確かめていた。
「そうそう。あっ、でも生物は駄目なんだよね。死体とかは仕舞えるんだけどねー」
セラは何でもないことのようにあっけらかんと言い放つ。アレンの身体が目に見えて硬直した。彼の目が、怪物を映す鏡のように冷たく据わる。
「……まさかとは思うが、死体を持ってたりはしないだろうな」
「流石に、そんな気持ち悪いことしないよー!! 失礼しちゃう!!」
セラは両手を激しく振り、嫌悪感を露わにして顔をしかめた。その露骨な態度を見て、アレンは柄から手を離し、小さく息を吐き出す。
「分かった。その服を寄越せ」
アレンが手のひらを上に向けて差し出すと、セラは待ってましたと言わんばかりに表情をパッと和らげた。
「着る気になったんだ。はい、どーぞ!!」
再び霧が集い、アレンの手の中にずっしりとした上質な布の重みが戻る。アレンはその生地の滑らかな肌触りを確認し、諦めたようにそれを肩に掛けた。
「思えば、お前を吸血鬼だと知っているのは、今や俺だけだからな。代わりの服を買うまでの間、ドレスを着た子供と一緒にいるなら、付き人を装うほうが疑われないだろう」
「そう言えば、これからどこに行くの? 早速、誰か殺す?」
セラは目をキラキラと輝かせ、期待に満ちた表情でアレンの顔を覗き込んできた。その無垢な瞳には、純粋な「暴力」への渇望が宿っている。
「まずは、今回の依頼主の元へ、人間など居なかったと問いただしに行く」
アレンの口調は冷淡そのものだった。彼は踵を返し、崩れた壁の向こうの暗い回廊へと歩みを進める。
「殺さないの?」
セラはトコトコとその後を追いかけながら、つまらなそうに眉を下げた。
「依頼は無効だし、俺を
「ふーん。お父様なら家族全員さらって、夜のフルコースにしてたけどなー。そういう時は、私にも少しだけ、持ってきてくれたし」
セラはかつて味わった「食事」の味を思い出すように、小さな舌先でペロリと唇を湿らせた。
その言葉を聞いた瞬間、アレンの足がピタリと止まる。彼は振り返り、少女の底知れない狂気を含んだ笑顔をじっと見つめた。鉄の錆びたような血の匂いが、一瞬、鼻腔をかすめた気がした。
「……お前らが狙われてる理由が、今のでなんとなくわかったよ」
アレンは深くため息をつくと、今度こそ迷いのない足取りで、闇の奥へと歩き出した。
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