アグネスタキオンと冬月、あと提督兼トレーナー 作:AIのタンクもどき
ある昼下がり、中央トレセン学園の校舎に通じる石畳の通路。そこで繰り広げられていたのは、いつものといえばいつもの、しかし当事者にとっては災難以外の何物でもない光景であった。
「さあさあ、遠慮はいらないよアヤベ君!君のその美しくも繊細な肉体構造、そして類稀なる走力の源泉……!研究者として、実に惹かれるものがあってねぇ!ほんの少しでいいんだ、簡単な測定に付き合ってくれないかい!?」
「……断る、と言っているでしょう。離して……」
白衣の裾を羽ばたかせながら、怪しげな計測機器を手に詰め寄るのはアグネスタキオンだ。対するアドマイヤベガは、心底不快そうに眉をひそめ、冷ややかな視線を向けながら一歩、また一歩と後退っていた。普段から周囲との間に壁を作っている節がある彼女にとって、タキオンのような常識外れな暴走をしてくる相手は苦手な部類だった。不穏な気配を察して脚に力を込め、その場から立ち去ろうとするアドマイヤベガであったが、タキオンは執拗にその進路を塞ごうとする。
「そう言わずに頼むよ!君の脚部のデータは、ウマ娘の可能性を押し広げるための貴重なサンプルになるんだ!なぁに、命まで取ろうというわけじゃない、ちょっとした薬物の反応テストと」
「おいタキオン」
後ろから聞こえてきたのは、呆れを含んだ男の声だった。書類を手にしたTが冬月を従えて通りかかったのだ。Tはタキオンとアヤベの間に割って入ると、タキオンの前に立った。
「トレーナー君!せっかくの素晴らしい研究の機会を邪魔しないでくれたまえ!」
「邪魔をするなと言いたいのはこちらだ。嫌がっている相手に無理強いをするなと、いつも言っているだろう。冬月、頼む」
「了解だ」
Tの短い指示を受けた冬月は、無駄のない素早い動作でタキオンの背後に回り込むと、その白衣の首元を容赦なく掴んだ。
「離したまえ冬月君!私の知的好奇心を邪魔するつもりかい!?引っ張らないでおくれよ!」
「往生際が悪いぞ」
叫ぶタキオンを、冬月はまるで荷物でも運ぶかのように淡々と引きずっていく。
その嵐のような騒がしさが遠ざかっていくのを見届けた後、Tは深々と溜め息をつき、残されたアヤベに向き直った。
「すまなかったな、うちの担当が失礼な真似をして。怪我とか、変なものを飲まされたりはしていないか?」
「……大丈夫。あの人がああいう人なのは、知っているから」
アドマイヤベガはどこか遠くを見るような、冷たくも繊細な瞳をTに向けた。
「……それじゃ、失礼するわ」
「ああ。気をつけてな」
短い言葉を残し、アドマイヤベガは静かな足取りで立ち去っていく。Tはその背中をしばらくの間、無言で見送っていた。髪をなびかせ、背中にどこか影を纏ったようなその佇まい。静寂の中に秘められた、痛烈なまでの緊張感。
(……なんだろうな、この感覚は)
Tは胸の奥に、薄く引っかかるような妙な既視感を覚えていた。どこかで見たような、そんな感触。だが、その答えを即座に手繰り寄せることはできず、Tは首を傾げながらトレーナー室へと足を進めたのだった。
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翌朝のトレーナー室。Tは執務机に向かい、鎮守府から送られてくるリモートの報告書に目を通していた。その傍らでは冬月が、自身の机で整然と資料の分類作業を進めている。そして室内のソファーに深く腰掛け、長机の上に一冊の分厚い本を広げているのはタキオンであった。珍しく実験器具も注射器も持たず、熱心にページをめくっている。
タキオンが読んでいるその本は、Tが私費で購入した歴史的な艦船の図鑑や、一般に開示されている鎮守府の広報資料であった。先日の艦娘専用の飲料の件以来、タキオンの好奇心は艦娘という存在そのものへも向いていた。放置しておけばTの執務机にある機密資料や鎮守府直通の通信機器を勝手に漁りかねないため、Tが私物の書籍や開示済み資料を本棚にまとめて、タキオンに与えていたのである。
「ふむ……実に興味深いな」
ページをめくる手を止め、タキオンがぽつりと呟いた。ソファーの上で脚を組み、顎に手を当てながら、長机の上の本を覗き込んでいる。
「トレーナー君。少々尋ねてもいいかい?」
「なんだ……機密に関わること以外なら答えてやるが」
Tは執務机から顔を上げずに答えた。
「この加賀という艦艇についてなのだがね。八八艦隊計画とやらにおいて、当初は戦艦として設計・起工されたと書かれている。だが、戦艦として造られていたのが、なぜ空母として完成したんだい?それに2番艦も造られていたそうだが、そっちはどこへ?」
タキオンの問いにTはペンを置き、椅子の背もたれに深く体を預けた。
「……『ワシントン海軍軍縮条約』、というものを知っているか?」
「名前くらいは、世界史でね」
「その条約によって、建造中だった加賀型戦艦の『加賀』と『土佐』は、いずれも廃艦とすることが決定したんだ。だが、条約の内容に基づき、戦艦などの大型艦を航空母艦へ改装する動きが各国で見られた。当初、日本海軍が空母への改装対象として選んだのは、天城型巡洋戦艦の1番艦『天城』と2番艦『赤城』の2隻だったんだ」
「ふむ。そこに加賀の名前はないね」
「……だが、関東大震災が発生した」
Tの声のトーンが、少しだけ低くなる。
「工廠のドックに居た天城は、地震によって台座から脱落し、その衝撃で竜骨などを損傷し、致命的な状態に陥った」
「竜骨、かね」
「人間で言えば背骨のようなものだ。船の構造を支える最も根本的な骨組みだな。修復不能と判断された天城は、そのまま廃艦、解体処分が決まった」
「背骨を破壊されたようなものか。ヒトやウマ娘で言えば……いや、これ以上は止めておこう」
タキオンが静かに頷く。ヒトやウマ娘の背骨が破壊されれば生きることも難しい。それを想像して、少しばかり悪寒が走ったのだ。
「天城の代わりに、急遽空母への改装対象になったのが加賀だったんだ。そうして加賀は空母として生まれ変わった」
「なるほど、運命の悪戯というわけか。では、土佐は?」
「土佐は標的艦とされた。攻撃による損傷状況などがデータとして活用されたが、最後は海没処分されたよ」
トレーナー室に、しばしの静寂が流れた。冬月は静かに書類を整理する手を止め、目を伏せている。冬月は大戦末期の生まれで戦間期のことを知らないし、駆逐艦なので加賀たちとは艦種が違うが、同じ日本海軍の艦としてTの語ったことを静かに受け止めているようだった。
タキオンは本に視線を戻し、そこに載せられた空母の白黒の写真を眺めた。
「姉妹艦……生まれてこれなかった妹というと、ヒトやウマ娘でもよく聞く話だ」
「……ああ」
Tは短く応じながら、脳裏の奥で何かが弾けた。昨日見かけたあのウマ娘、アヤベの後ろ姿。そして、胸に芽生えたあの妙な既視感。その正体が、今この瞬間に鮮烈な繋がりとなって一本の線で結ばれたのだ。
(そうか……そういうことか)
彼女もまた、タキオンと同じように屈指の素質を誇りながら、脚部の限界によってトゥインクルシリーズの最前線から身を引くこととなったウマ娘だ。そのため、Tは彼女の担当トレーナーと度々話をしている。その会話の中で、彼女が背負う過去について聞いたことがあったのだ。
「彼女には……生まれてくることの出来なかった、妹がいるんだ」
アヤベは、生まれてこられなかった妹の存在を心の奥底に抱え込み、自らが走ることで、自らが苦しむことで、妹への贖罪を果たそうとしていたのだと。表向きは静かで、感情を滅多に表に出さない冷徹な佇まいを見せているが、その内面には激しい感情が渦巻いている。様々な体験の末に罪悪感を背負うことは止めたらしいが、内面の感情の動きが大きいのは今も変わらないという。
(……加賀も、似たような雰囲気を纏っているな)
Tは鎮守府にいる空母の艦娘、加賀の姿を思い浮かべた。感情の起伏を見せず、常に誇り高く振る舞う、第一航空戦隊の空母。天城の妹で共に一航戦として戦う空母赤城や、八八艦隊計画の中で先行して建造された戦艦の長門型姉妹と関わりはあっても、彼女の口から妹である土佐の名を聞いたことは一度もなかった。土佐の最期や、天城の廃艦により妹を置いて自分だけが就役したことについて、彼女が多くを語ることは決してない。
だが、彼女が戦場で見せる様子や、静かな佇まいの裏にある揺るぎない覚悟。それは一航戦の誇りというものかもしれないが、生まれてこられなかった妹の影を背負う、アドマイヤベガの姿とも重なって見えたのだ。
(加賀も……言葉には出さずとも、妹のことや自らの生の理由を、ずっと背負い続けているのかもしれないな)
人間、艦艇、そしてウマ娘。姿や形は違えど、残された者が背負う想いの重さは、きっと同じなのだろう。Tは深く息を吐き出し、腕を組んでじっと天井を見つめた。
「……トレーナー君?」
不意に、目の前に影が落ちた。気がつくと、ソファーから立ち上がったタキオンが長机を挟んで身を乗り出し、Tの顔を覗き込んでいた。
「どうしたのかね、急に黙り込んで」
「……いや。何でもないさ」
Tは我に返り、組んでいた腕を解いて執務机の上のペンを握り直した。
「ただ、物思いにふけっていただけだ。それよりタキオン、本を読むのは構わんが、借りたらちゃんと元の場所に戻しておくんだぞ」
「またそうやってはぐらかすのかい、トレーナー君!」
タキオンは不満そうに頬を膨らませた。