アグネスタキオンと冬月、あと提督兼トレーナー 作:AIのタンクもどき
秋雨が降り続ける東京。トレセン学園も暗い雲に包まれている。
そんな中でアグネスタキオンは、白衣のポケットに怪しげな薬品の入ったアンプルを忍ばせ、いつものように軽やかな足取りでトレーナー室へと向かっていた。
「今日のトレーナー君はどのような反応を見せてくれるかな?」
口元に不敵な笑みを浮かべながらドアを開ける。
「やぁやぁトレーナー君!今日こそ私の……」
だが、その賑やかな声は、部屋に足を踏み入れた瞬間にすっと呑み込まれた。部屋を包んでいたのは、しんと静まり返った心地よい沈黙であった。
「おや……?」
タキオンは室内の様子を静かに窺った。執務机の奥では、Tが背もたれに深く体を預け、腕を組んだまま心地よさそうに瞼を閉じている。静かな、規則正しい呼吸の音だけが聞こえていた。
そしてその隣。秘書艦の冬月もまた、椅子に深く腰掛けた状態で眠りについていた。その華奢な肩には、暖かそうな緑色のモケットが丁寧にかけられている。
ここのところしばらく、深海棲艦の出現に際しての出撃や、鎮守府へ戻っての仕事は無かった。だが、9月の頭まで欧州への派遣を含む大規模な作戦を行っていたこともあり、事務書類、予算申請、訓練の報告書といったものが山積みになっていたのだ。
その書類の山を片付けるために、Tと冬月は机に向かい続けていた。9月末になってようやくそれらが片付いたので、ここ数日は空いている時間に仮眠をしているのだ。
「ふぅン……なるほどねぇ」
タキオンは足音を消し、猫のように静かに二人の元へと歩み寄った。いつもなら一瞬で自身の気配を察知して飛び起きてくる冬月だが、今は俗に言う赤疲労、疲労が重なっている状態のためか、白い睫毛を伏せたまま小さく寝息を立てている。
(……これは、チャンスじゃないか)
タキオンの瞳に、研究者としての旺盛な知的好奇心の光が灯る。ウマ娘とも異なる出自を持ち、時に計り知れない身体能力をや超常的な性質を見せる艦娘という存在。その不可思議な存在をこれほど間近で、かつ無防備な状態で観察できる機会など、今後二度と無いかもしれない。
(呼吸の周期は、ヒトやウマ娘のそれとさほど変わらない。では……次はこれだね)
タキオンは音を立てないよう細心の注意を払いながら、微睡む冬月の間近へと顔を寄せた。彼女の胸元へと自身の耳を静かに近づけ、心音を直接聞き取ろうとしたのだ。トン、トン、という人間の鼓動。そうした生物としての脈動を予想していたタキオンだったが。
シュゥゥゥ……ゴオォォォ……
「……!」
タキオンは思わず目を見張った。冬月の胸の奥深くから聞こえてくるのは、血液を送り出す心臓の音ではない。
それは、重油が凄まじい熱量で赤々と燃焼するボイラーと、高圧の蒸気が噴きつけられ回転するタービンの、地響きのように重厚な駆動音だった。
何千トン、何万トンもの鋼鉄を洋上で奔らせるための、艦艇の心臓部。可憐な少女の姿となって眠っているこの瞬間ですら、彼女の胸の奥の機関室は、力強く鋼鉄の鼓動を刻み続けていたのだ。
「おやおや……」
タキオンは、自身の唇から漏れ出そうになった感嘆の声を、極限まで小さな呟きへと抑え込んだ。
「……実に、実に愉快で面白い存在じゃないか。この細い身体に機関を内蔵し、稼働させ続けているとはねぇ」
研究者としての本能が、今すぐ彼女を自らの研究室へと運び去り、聴診器やサーモグラフィー、あらゆる測定器を全身に当てて構造を調べ尽くしたいと激しく主張する。
だが、すぅすぅと穏やかな寝息を立てる冬月。そして、その横で完全に力尽きたように眠っているTの安心しきった寝顔。その光景を見つめているうちに、タキオンの口元に浮かんでいた歪な笑みは、いつの間にか穏やかで、少しだけ不器用な温かさを帯びたものへと変わっていった。
「……まぁ、いいさ。トレーナー君たちの貴重な休憩時間なんだ」
タキオンはゆっくりと身を起こし、冬月の肩からずり落ちかけていたモケットを、そっとその首元まで引き戻してやった。
「またつまみ出されるのも嫌だし、今日はおとなしく引き上げるとしよう」
タキオンは風のささやきのような小さい声で呟くと、静かに戸を閉め、誰も起こすことなくトレーナー室を後にした。