アグネスタキオンと冬月、あと提督兼トレーナー 作:AIのタンクもどき
秋の気配が色濃くなった放課後。中央トレセン学園の旧理科準備室には、薬品の臭気に混ざって、深く香ばしい珈琲の香りが漂っている。アグネスタキオンは溶液の比重を測っており、マンハッタンカフェは自ら淹れたコーヒーを静かに口へと運んでいた。
静寂に包まれていた部屋の扉が、控えめなノックの音とともに開く。
「失礼しまーす……タキオンちゃん、今ちょっと大丈夫かな?」
顔を覗かせたのは、穏やかな笑みをたたえたダンツフレームであった。
「やあ、ダンツ君じゃないか。どうしたんだい?」
「……実はね、タキオンちゃんにちょっと聞きたいことがあって」
ダンツフレームは少し困ったような、探るような表情で視線を巡らせた。
「あのね……タキオンちゃんのトレーナーさんとよく一緒にいる、あの白い髪の人……冬月さん、って言うんだっけ?」
ダンツフレームの口から出た名前に、ピペットを握っていたタキオンの手がピタリと止まった。
「ふむ?冬月君のことかい。それがどうかしたのかね?」
「あの人が、どういう人なのかなって思って。少し前に、よく似た別の白い髪の人が、代わりに学園へ来てたことがあったでしょ?」
「ああ、そうだったね」
「その人が学園の食堂に居た時なんだけど……一緒にいたポッケちゃんが、もう信じられないくらい震えちゃってて」
ダンツフレームは眉尻を下げ、心配そうな面持ちになった。
「ポッケちゃん、普段から冬月さんを見かけるたびに、幽霊にでも出くわしたみたいに怯えて避けてるの。あの時も、人間でもウマ娘でもない変な気配がするーって真っ青になってたから……いつもあんな調子だと、見てて放っておけないよ。タキオンちゃんなら何か事情を知ってるんじゃないかと思って」
ダンツフレームの純粋なお人好しゆえの心配。その言葉を聞きながら、タキオンは顎に手を当てて思考を巡らせた。
(……なるほどねぇ。ポッケ君の直感は、あながち間違ってはいないわけだが……)
冬月や涼月が艦娘であり、霊的な性質を持つ存在であることは事実だ。だが、そのことを勝手に言いふらそうものなら、Tからどれほど雷を落とされるか分かったものではない。
タキオンは曖昧に笑い、白衣の袖が余った両腕を広げた。
「ダンツ君の心配は尤もだが、あいにく私の口から軽々しく語るわけにはいかない話でね。ひとつ言えるのは、彼女たちが危険な存在ではないし、ポッケ君に危害を加えるようなことは無いということさ。この件は私から一度、トレーナー君に伝えて善処を求めておく。それでいいだろう?」
「……うん、タキオンちゃんがそう言ってくれるなら」
ダンツフレームは納得したように頷き、一礼して旧理科準備室を後にした。
カフェはマグカップをテーブルに戻しながら、タキオンに目を向けた。彼女は持ち前の霊感によって、冬月たちの素性について気付いている。だが、背負っている事情の複雑さを察し、口を挟むことはなかった。
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同日、夕陽が差し込むトレーナー室。冬月は所用で学園の外へ出ており、Tは一人で執務机に向かっていた。そこへ予告もなく扉が開き、タキオンが入ってきた。
「やあトレーナー君。少々、耳に入れておきたい事があってね」
「真面目な顔をしてどうした?変な実験の話なら断るぞ」
「人聞きの悪いことを言うなよ。先程、ダンツ君が研究室を訪ねてきてね……ポッケ君に関する話をされたのさ」
タキオンは打ち合わせ用テーブルのパイプ椅子に腰掛け、先ほどの顛末を手短に話した。
「……なるほどな。ジャングルポケットが、冬月に怯えているのか」
Tは指の腹で眉間を揉みほぐした。
「ポッケ君は霊的な事象を極端に嫌がって怖がる割に、妙に霊感が鋭いところがあるんだ。ダンツ君の言う通り、冬月君から何かを感じ取って怯えているんだろう」
「なるほど。だからといって、艦娘について正直に説明するのもな……余計にオバケだ怪物だとパニックを起こすんじゃないか?」
「だろうね。しかしだ、このまま放置しておけば、ダンツ君やポッケ君の周辺から『トレーナー室には得体の知れない怪異が居る』などと、尾ひれのついた妙な噂が学園で広まりかねないよ」
「……それは避けたい」
話は膠着した。Tが腕を組んで唸っていると、タキオンが諦めたような口ぶりで提案した。
「ここはひとつ、荒療治を試してみるというのはどうだい?」
「……お前がそれを言うと、ロクな予感がしないんだが」
「『幽霊の正体見たり枯れ尾花』というだろう?正体が見えないからこそ、想像が膨らんで恐怖が肥大化するんだ。なら、物理的に対面させて、直接言葉を交わさせればいいのさ。実体があり、言葉を話し、君の執務を補佐しているだけの秘書だと……そう認識させてしまえば、少なくともオバケ扱いすることは無くなるはずだよ」
「直接対面、か……」
Tは窓の外を見やり、しばらく思考を巡らせた後、小さく息を吐いた。
「……わかった。『秘書艦』ではなく、『秘書』ということだな」
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翌日の午後。旧理科準備室の外の廊下から、荒っぽい足音が近づいてきた。
「おいタキオン。急に呼び出してさ、何の用だよ」
勢いよく扉を開けて踏み込んできたジャングルポケットは硬直した。部屋の中に居たのは、いつものように実験器具を弄っているタキオンと、静かにソファに座っているカフェ。そして、部屋の中で背筋を真っ直ぐに伸ばして立っている白い髪の少女、冬月であった。
「……!な、なんで、あの真っ白なヤツが……!?」
ジャングルポケットの顔から血の気が引いた。尻尾が逆立ち、背筋に強烈な悪寒が走る。本能的な恐怖に突き動かされ、すぐさま逃げ出そうとする。だが、その襟首をタキオンの手が掴み取った。
「まあまあ、待ちたまえよポッケ君!せっかく君のために場を設けたというのに、挨拶もなしに逃げ出すのは失礼というものじゃないか?」
「離せタキオン!なんであいつがいるんだよ!マジでヤバい気配がすんだって!離せよ!」
じたばたと暴れるジャングルポケットの前に、冬月が静かに一歩を踏み出した。その白い瞳には、一切の敵意も威圧感もない。冬月は淡々とした佇まいのまま、小さく頭を下げた。
「初めまして。君がジャングルポケットか」
「……っ!?」
凛とした声が室内に響く。
「私の名前は冬月。提督……君たちの言うトレーナーの秘書として、外部から帯同し、トレーナー室での執務を補佐している者だ。君が私の気配に対して酷く怯えていると聞き、誤解を解くために足を運んだ」
「ひ、秘書……?」
ジャングルポケットはタキオンに首根っこを掴まれたまま、目を丸くして冬月を凝視した。
「私は君を害する意図は無い。業務のために学園内を行き来しているだけだ」
冬月の言葉には、嘘や誤魔化しのない実直な響きがあった。ジャングルポケットは依然として顔色を蒼くしていたものの、相手がしっかりと足をつけて立ち、理路整然と言葉を話し、礼を尽くしている姿を目の当たりにして、強張っていた肩の力をわずかに緩めた。
「……あ、ああ……そう、なのかよ……」
「威圧感を与えてしまったことについては詫びさせてもらう」
冬月は謝意を込め、もう一度頭を下げた。
冬月が旧理科準備室から静かに出ていくと、部屋には再び静けさが戻った。掴まれていた襟首を解放されたジャングルポケットは、その場にへたり込みそうになりながら、荒い息を吐き出した。
「……用件がそれだけなら、俺はもう行くからな……!」
ジャングルポケットは足早に部屋を飛び出していく。残された室内で、カフェが静かに口を開いた。
「……タキオンさん。今のは、一時的な気休めにしかならないと思います」
カフェの静かな指摘に、タキオンはため息をつく。
「わかっているさ。だが、正体不明の怪異として恐れられるよりは、互いにとって幾分か御しやすいというものだろう?」
タキオンは再び机の上の実験器具へと向き直るのだった。