アグネスタキオンと冬月、あと提督兼トレーナー 作:AIのタンクもどき
中央トレセン学園からさほど離れていない地域に位置する「ゆこま温泉郷」。観光地としてだけでなく、URAの保養施設という側面も持ち合わせており、学園の生徒たちが湯治に訪れることもある。医療技術の発展に伴うウマ娘の治療法やリハビリ手段の多様化により、一時期は衰退の一途を辿っていたが、学園の生徒数名を中心としたPR活動や源泉の開発によって、賑わいを取り戻していた。
そんな温泉郷の中にある「ゆこま旅館」の一室で、アグネスタキオンは浴衣の袖をパタパタと揺らしながら、座椅子に深く身を預けていた。
「ふぅン……やはり温泉というものは、熱力学的なエネルギー量も多く、含まれる成分がもたらす肉体への効果も極めて優れているねぇ」
湯上がりの火照った肌に、窓から吹き込む夜風が心地良い。今回、Tと冬月がこの旅館をある理由で利用するという話を耳にしたタキオンは、置いて行かれることをを良しとせず、物凄い難色を示した。結果、Tに根負けさせる形で、無理矢理この地へと連れてきてもらったのだ。
もっとも、部屋自体はTや冬月とは別室を割り当てられている。タキオンは先程も大浴場で極上の温泉を存分に堪能したばかり。夕食の時間を待ちながら、部屋でひとりくつろいでいた。
タキオンは冷えた麦茶を喉に流し込む。いつもならTにちょっかいをかけにいくところだが、今日は違った。
「それにしても『関わるな』ねぇ。いくら提督とはいえ、こんな歴史ある温泉宿の奥座敷で偉い人との会食だなんて。相手が誰かは聞かされなかったが……まるで昔のドラマのような、随分と古典的で回りくどいやり方じゃないか」
口元に不敵な笑みを浮かべ、タキオンは面白いことが始まりそうな予感にワクワクしていた。Tからは絶対に首を突っ込まず、部屋で大人しくしているようにときつく釘を刺されていて、それに従うつもりではあったが、タキオンの持つ強い知的好奇心が刺激されるのは仕方ないことだった。
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その頃。タキオンのいる部屋から幾つも部屋を隔てた場所にある奥座敷。美しく磨き上げられた漆塗りの膳を挟んでTと対面していたのは、日本のレース史上初のクラシック三冠ウマ娘、セントライトだ。
座敷に漂うのは、懐石料理の香りと、静かな緊張感。襖を隔てた隣室には秘書艦として、そして今日は護衛としての職務も帯びた冬月が、静かに食事を摂りながらいつでも動ける態勢で待機している。艦娘としての強固な気配が、Tの背後を無言で守っていた。
「ベンガル湾の事態とサトノ家の飛行機に関する対応は、実に見事だったと聞いております。■■トレーナー……いえ、■■提督。先日、サトノ家が関わるパーティーに出席したのですが、皆様も一様に胸を撫で下ろしておられましたよ。さぁ、今宵は堅苦しい話は抜きにして……」
セントライトは朗らかな笑顔を浮かべつつ、徳利を傾けようとする。しかしTはそれを穏やかな、それでいて明確な手つきで辞退した。軍事組織の指揮官たる提督として政府高官などと対面することも多いTは、このような場についてはある程度慣れていた。だが、実力のあるトレーナーやレースで華々しい活躍を残したウマ娘でさえ気圧されるという、あのセントライトからの厚意を断るというのは、並大抵のことではない。
「恐れ入ります。ですが申し訳ありません、私は一滴もお酒が飲めないものでして。お気持ちだけ有難く頂いておきます」
「I apologize.(失礼いたしました) 卿は実に真面目なお方なのですね」
「いえ、体質的にアルコールを受け付けないだけですよ」
セントライトがお猪口の日本酒を飲んでから、Tは湯呑のお茶に口を付け、そして二人は膳の上の料理に箸を伸ばした。堅苦しい話は抜きに、と言いつつ、会話の内容はそういったものがしばらく続いた。学園の警備や周辺地域の安全について、深海棲艦の脅威によるウマ娘たちのトレーニングやレース界への悪影響。
「才能の原石たちが武力によって打ち砕かれるというのは、あってはならないことですから」
落ち着いた様子で、しかしどこか遠いところを見つめるような目で、セントライトは語る。
話題が世間話へシフトしてから、しばらく経った頃だった。
「Come to think of it.(そういえば) 近頃はわたくしたちのような者の間でも、鎮守府が主催する催し物が噂になっておりましてね」
「……催し物ですか」
Tの目が僅かに細められる。鎮守府は世界各国の政府や国連などの国際機関とは連携してこそいるものの、それらとは独立した軍事組織だ。その運営には秘密結社のような機関が関わっている、などという怪しい話も流れている。そういった事情から来る世間の警戒心を解くためか広報には力が入っており、イベントの主催や商業的な企画なども度々行っている。艦娘たちがその実態についてはともかく世間にある程度認知されているのは、報道だけではなくこれらの広報活動によるところもあった。
「かつて旧海軍の鎮守府が置かれていた都市で大々的な催事を行ったかと思えば、量販店や娯楽施設での商品展開を企画したり。首都圏の会場を使用して、ウイニングライブのようなこともしていると」
セントライトは食後の甘味として提供された練り切りに手を付けつつ、それ以上深く追及することはしなかった。
「英国貴族の出とはいえ軍事に関わる身ではないわたくしにとっては、あまり気にするようなことではないのでしょう」
Tは否定も肯定もせず、練り切りに菓子楊枝を刺しながら言った。
「……そうですね。上が何を考えているかは、前線にいる私にもさっぱり分かりません」
襖の向こうの隣室から、かすかながら冬月が湯呑みを置く音が聞こえた。
「して、卿がお連れの……隣の部屋で待機しているお方も、艦娘とお聞きしております。とても優秀な秘書でもあるとか」
「冬月ですか……というより、よくお解りになりましたね」
「レースを前にしたウマ娘とは毛色が異なりますが、それと近いものが、漂っていますもの」
先程から存在は察知していて、あの湯呑を置く音をきっかけに話を切り出していたのだ。ウマ娘の聴力と、覇者の感覚は侮れないとTは再認識する。するとセントライトは微笑んだまま、しかしどこか真剣さを感じる声で言う。
「艦娘の中には刀剣を扱える者も居る、とも聞き及んでおります」
「確かに一部の者が刀剣を扱うことができますし、貴女が居合の達人というのも存じ上げています。ですが冬月は剣術については心得がありません。大変申し訳ないのですが、相まみえるのは控えて頂けませんでしょうか……」
Tはこのようなところで闘志を出されても困ると思い、抑えた。