昼休みの麻帆良学園、その敷地の端にある、普段は誰も立ち入らない古い演習場。
ここで二人が「秘密の特訓」を始めてから、すでに1ヶ月以上の月日が流れていた。
冬の澄んだ空気の中、二人は数メートル離れて対峙する。
「いくよ、トータくん!」
愛衣が鋭い視線を向け、自身の内なる魔力を練り上げる。
「おう、いつでも来い!」
トータが不敵に笑い、いつでも動けるよう身構えた。
愛衣が小さく息を吸い込み、その声を響かせる。
「――メイプル・ネイプル・アラモード!」
始動キーが唱えられた瞬間、目に見えない戦闘の火蓋が切って落とされた。
「おっしゃあ、先手勝負!」
トータが爆発的な踏み込みで、正面から一直線に突っ込んでくる。風を切り裂くような容赦のない突撃。
だが、今の愛衣は慌てない。即座に呪文を紡ぐ。
「『魔法の射手・火の五矢(サジタ・マギカ・セリエス・フラメア)』!」
愛衣の身体の周囲に、パチパチと音を立てる真っ赤な火の矢が5本、円を描くように展開される。
それと同時に、愛衣はしなやかなバックステップを踏み、トータの突進の軌道から自らの身体を大きく引いた。
「ハッ!」
展開した5本の矢のうち、まずは1本だけをトータに向けて放つ。
直線的に飛ぶ火の矢は、トータへの牽制としては十分だった。
「っとお!」
トータは速度を落とすことなく、上半身をわずかに捻ってその1本を慌てず回避する。
だが、その一瞬の回避運動によって、トータの突進の軸がわずかにブレた。
愛衣はその隙を見逃さず、さらにバックステップを重ねてしっかりと距離を確保する。
「へへっ、距離を取っても無駄だぜ!」
トータは即座に体勢を立て直すと、演習場の起伏や周囲の障害物を巧みに利用し、左右へのステップでこちらの的を絞らせないように撹乱しながら、再び猛スピードで肉薄してくる。
「分かってるよ……トータくんの動きなら、もう何度も見てる!」
迫り来るトータに対し、愛衣は周囲に浮遊する残りの矢から、一気に3本を選択して放った。
シュッ、シュッ、シュウゥッ!
時間差をつけ、トータの回避先を予測して空間を埋めるように放たれた3本の火の矢。
「うおっ、マジか!」
トータは目を見張り、紙一重の連続ステップとアクロバティックな跳躍で、なんとかその3本をすべて避けてみせた。衣服の端がかすかに焦げるほどの、鋭い対空攻撃だった。
これで愛衣の周りにある矢は、残り1本。
(今ので4本避けた! 残りは1本、それさえ避ければ俺の間合いだ!)
トータが勝利を確信した、その瞬間。
「これで終わりじゃないよ!」
愛衣は残った最後の1本の火の矢を、あえてトータではなく、自分の足元の地面に向かって真っ直ぐに叩きつけた。
ドオォン!!
激しい炸裂音と共に、演習場の乾燥した土が派手に舞い上がり、二人の視界を一瞬で遮る濃い砂煙が発生する。
(チッ、目潰しか!?)
トータが砂煙の手前で一瞬足を止め、警戒する。
その砂煙の向こう側で、愛衣は息を整えながら、素早く次の呪文を口の中で紡いでいた。
トータの猛攻を迎え撃つため、その双眸に強い光を宿らせ、一気に出力を高めていく。
(『魔法の射手(サジタ・マギカ)』……ッ!)
愛衣の周囲の空気が、ジリジリと強烈な熱を帯びていく。彼女は砂煙に紛れ、さらにトータから距離を取るように位置を変えた。
直後、砂煙の奥から、再び火の矢が真っ直ぐに飛来した。
それも、一気に3本。
シュバババッ!!
「そこかっ!」
トータは飛んできた3本の軌道を見極め、鋭い身のこなしで難なく回避。
そして、矢が放たれた光景から愛衣の正確な位置を特定した。
「見つけたぜ、愛衣!」
トータは勝利の道筋を確信し、一気に砂煙の中へと飛び込む。
視界の悪い砂煙の奥、愛衣の姿がぼんやりと見えた。
その瞬間、愛衣の周囲から、さらに2本の火の矢が同時に放たれた。
(――っ!?)
トータの背筋に冷たいものが走る。
その2本は、ただの目眩ましではなかった。
1本はトータの胸元を正確に貫く直撃コース。そしてもう1本は、トータがそれを避けるために動くであろう退路を完全に読んだ、先回りのコースへ放たれていた。
一瞬の隙も、逃げ場すらも与えない、まさに勝負を決めに来た愛衣渾身の波状攻撃。
「くっ……おぉぉっ!!」
だが、トータはそれを上回る野生の勘を発揮した。前進の勢いを強引にねじ曲げ、地面に文字通り這いつくばるような姿勢でスライディング。衣服を激しく焦がしながら、その強烈な2本を紙一重で完璧に回避してみせたのだ。
床に激しく着地し、トータはニヤリと不敵に笑う。
(――かわした……っ!!)
先ほどの3本、そして退路まで完全に塞ぎにきた本気の2本。愛衣の猛攻を、今の一瞬で完全にすべて捌ききった。
これ以上の攻撃が続くはずがない。
全ての矢を撃ち尽くした愛衣には、もうトータの接近を阻む術は残されていなかった。
トータは勝利を確信し、爆発的な勢いで床を蹴った。一気に愛衣の懐へと飛び込む。
「もらったぁ、愛衣!!」
完全にトータの勝ちパターンだった。勝利を疑わないトータの手が、愛衣の肩へと届こうとする。
しかし、至近距離に対峙した愛衣は、逃げようとも、怯えようともしていなかった。
その唇の端が、不敵に小さく吊り上がる。
「――本当に?」
「え……?」
トータが怪訝に思った、その刹那。
愛衣の身体の真後ろ――完全に視覚的な死角となっていた場所から、ゴゥッ! と激しい熱風を伴って、隠されていた「6本目」の火の矢が飛び出してきた。
「なっ……!?」
完全に予想外の攻撃。
全ての矢をかわし、愛衣の弾数は尽きたと思い込んでいたトータは、完全に反応が遅れた。
一瞬にして視界を真っ赤な炎が埋め尽くす。
死角から放たれた火の矢は、トータの鼻先のわずか数センチという、文字通りの『寸止め』の距離でピタリと停止し、その圧倒的な熱量でトータの顔を照らし出した。
静まり返る演習場。
トータの目の前でパチパチと燃える火の矢を見つめながら、トータは硬直した。
「……私の、勝ちだね! トータくん!」
愛衣がパッと顔を輝かせ、火の矢を霧散させると、その場でぴょんぴょんと飛び跳ねて大喜びした。
「やった、やったぁぁー! 初めてトータくんに一本取れたよー!!」
トータは呆然としたまま、自分の鼻先を指で触り、それから深く息を吐き出して、負けを認めるように笑った。
「あはは……参った、完璧に一本取られたわ。まさか、いつの間にか『6本』も出せるようになってただなんてな……。愛衣、すげぇよ。マジで強くなったな!」
「ふふん、毎日トータくんにボコボコにされてたわけじゃないからね! 練習の成果だよ!」
胸を張って嬉しそうに笑う愛衣。その表情には、1ヶ月前にはなかった、魔法生徒としての確かな自信と誇りが満ち溢れていた。
ピょんぴょんと跳ねて喜ぶ愛衣の姿を見つめながら、トータは今しがた行われた特訓の内容を、頭の中で静かに振り返っていた。
(……凄まじいな、今の立ち回り)
まず、愛衣は最初の激突で、矢をあえて5本しか出さなかった。
その後の砂煙の中でもきっちり5本の枠の中で攻撃を組み立て、トータの中に『愛衣の最大本数は5本だ』という先入観を完璧に植え付け、錯覚させていた。
そして何より、最後の6本目の矢を鼻先で寸止めしたことだ。
あれを完璧にコントロールして止めてみせたということは、彼女には最初から、全ての矢をトータに本気で当てる気(傷つける気)はなかったのだ。
だが、特訓の最中、砂煙の奥から飛んできた直撃コースの矢や、退路を塞ぎにきた2本の矢は、明らかにトータを本気で仕留めるための、容赦のない速度と威力を持っていた。
(――ってことは、だ)
つまり愛衣は、それらの本気の矢がトータには当たらず、トータがそれらを死に物狂いで『絶対に避ける』ということまで完全に確信していたのだ。
強敵であるトータが全ての攻撃を捌ききり、5本を使い切ったと確信して油断した瞬間に、死角から本命の6本目を叩き込む。
愛衣は戦いが始まる前からこの高度な策を準備し、自分が頭の中で描いた「戦術シミュレーション」の通りに、寸分狂わず戦闘をコントロールしてみせたのだ。
ただ魔法の出力を上げるだけではない。
相手の裏をかく戦略を練る力、こちらの動きの癖を見極める正確な観察力、そして実戦の最中にその構想通りに動かす圧倒的な作戦立案能力。
(あいつ、ただ真面目に練習してただけじゃねぇ。俺に勝つために、そこまで頭をフル回転させてやがったのか……。とんでもねぇ奴だぜ)
トータは心の中で、愛衣の魔法使いとしての非凡な才能と努力の結晶を、最大級の賛辞と共に深く称賛していた。
「いや、マジでさ。ただ本数を増やしたんじゃなくて、俺がどう動いてどう油断するかまで、全部愛衣の計算通りだったんだろ? 完敗だよ。ただ強くなったんじゃなくて、戦い方がめちゃくちゃ格好よくなったわ」
トータがド直球に、感服した様子でじっと目を見て褒め称えると、さっきまで勝ち誇ってドヤ顔をしていた愛衣は、一瞬で顔を真っ赤に染めた。
「え、あ……う、うん。トータくん、絶対に5本避けた時点で『勝った』って顔すると思ったから……。で、でも、本当にそこまで綺麗にハマるなんて思わなくて、その……っ」
さっきまでの凛とした魔法使いのオーラはどこへやら、愛衣は急に照れ臭そうに視線を泳がせ、人差し指同士をツンツンと合わせながらモジモジし始めた。
トータの裏表のない真っ直ぐな言葉で褒められたことが、予想以上に嬉しくて、同時に恥ずかしくてたまらないといった様子だ。そのギャップが、たまらなく初々しくて可愛らしい。
トータはそんな愛衣の様子を見て、微笑ましく笑いながらツナギのポケットに手を突っ込んだ。
「よし! 昼休みが終わるまでまだちょっと時間もあるし、なんか甘いもんでも食べに行くか。俺の負けだし、購買のクレープ、奢ってやるよ!」
「えっ、クレープ!? 奢ってくれるの!?」
愛衣はパッと顔を上げ、現金なほどにその瞳をキラキラと輝かせた。
「おう、なんでも好きな味選べよ!」
「やったぁ! じゃ、じゃあね……期間限定のイチゴチョコホイップ、頼んじゃおうかな!」
二人は並んで古い演習場を後にし、学園の購買へと向かった。
トータから手渡されたクレープを、愛衣は「んむ……!」と幸せそうに頬張り、口の端に少しだけホイップクリームをつけながら「美味しい!」と満面の笑みを浮かべる。
初めてトータに勝利した高揚感も手伝って、その姿はどこからどう見ても、普通の、最高に可愛い女子中学生そのものだった。
昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴る少し前、クレープを食べ終えた二人は購買の近くで足を止めた。
「あー、美味しかった! ごちそうさま、トータくん」
愛衣はハンカチで口元を拭うと、少しはにかみながらトータを見上げた。
「今日の特訓……その、付き合ってくれてありがとう。また、明日からもよろしくね?」
「おう、こちらこそな! 明日は負けねぇから覚悟しとけよ!」
トータがカチッと親指を立てて見せると、愛衣は嬉しそうに「うん!」と頷き、午後からの授業に向けて、一足先に自分の教室がある校舎へとタッタッタと走って戻っていった。
遠ざかる愛衣の後ろ姿を、トータは見送る。
今日の彼女の成長は本当に凄まじかったなと、もう一度心地よい敗北感に浸りながら、トータが用務員室へ戻ろうと踵を返そうとした――その時だった。
「――君、少しいいかな」
渋く、よく通る低い声が背後から響いた。
トータが振り返ると、そこに立っていたのは眼鏡をかけた大柄な黒人男性だった。
カチッと綺麗に整えられた角刈りの髪に、少々厚めの唇。麻帆良学園で教師をしている、ガンドルフィーニ先生だった。
「お、ガンドルフィーニ先生じゃねぇか。どうしたんだ?」
トータがいつも通り気楽に声をかけると、ガンドルフィーニ先生は眼鏡の奥の目を少しだけ細め、数歩近づいてきた。
その佇まいを見て、トータの脳裏に、この秘密特訓を始めてまだ数日しか経っていなかった頃の記憶が、鮮明に蘇ってきた。
それは、まだトータと愛衣が互いの呼吸すら掴めず、手探りで特訓をしていた頃の昼下がりだった。
愛衣と「また明日な!」と解散し、一人で演習場を後にしようとしたトータの前に、ガンドルフィーニ先生がヌッと立ちはだかったのだ。
その手には、パチパチと青白い魔力の光が宿っていた。
いつでも魔法を放てる体勢を崩さず、ガンドルフィーニ先生は角刈りの頭をピクリとも動かさず、警戒心むき出しの鋭い視線をトータにぶつけてきた。
『……トータくん、だったかな?私の教え子である佐倉くんを連れて、一体何を企んでいる?』
低く地を這うような声。記憶喪失で、素性も分からない謎の少年が教え子に急に近づいたのだから、魔法先生としての防衛本能が働いたのだろう。
『企む? 何も企んでねぇよ。俺たち友達になって、ただ魔法の特訓をしてるだけだぜ?』
トータが両手を上げて無実を主張したが、真面目で頭の硬いガンドルフィーニ先生の警戒は解けなかった。
『口では何とでも言える。記憶のない君が学園にいるだけでも異例なのだ。これ以上、私の大事な教え子に近づけさせるわけにはいかない。悪いが、彼女との特訓は今日限りでやめてもらおう』
有無を言わせない教師としての威圧感。
『え、ちょ、ちょっと待ってくれよ。俺たち本当に何もしてないって!』
トータはもう一度大声で否定した。だが、ガンドルフィーニ先生は険しい表情を崩さず、こちらの言葉を信じる様子は微塵もなかった。
(あー……だめだ。このおっさん、めちゃくちゃ頭が硬てぇ。これ以上言葉だけで「怪しくない」って言ったところで、絶対に伝わらねぇな……)
言葉だけではこれ以上の進展はないと察したトータは、少しだけ肩の力を抜くと、真っ直ぐに先生の目を見つめ返した。
『……分かったよ。おっさんが俺を怪しむのは、愛衣のことが心配だからだもんな。口でいくら言っても伝わらねぇのは分かった。だったらさ――』
トータは不敵に、けれど濁りのない笑顔を浮かべた。
『明日から、おっさんのその目で、実際に見にきてくれよ。俺たちが何をしてるかさ』
そのトータの言葉を受け、ガンドルフィーニ先生は何も言わずに魔力を消し、その場を去った。
それからというもの、彼は毎日、愛衣に決してバレないよう気配を完璧に殺しながら、古い演習場の遠くの物陰から二人の特訓の様子をずっと見守り続けていたのだ。
そして今日まで、そのことについて一言も何も言わずに過ごしてきた。
「先生、あの一件からずっと、毎日見に来てくれてたんだろ?」
回想から戻ったトータがそう尋ねる。
ガンドルフィーニ先生は、静かに眼鏡の位置を指で直した。
「……ああ、その通りだ、トータくん」
先生はそこで一旦会話を区切って、遠くの古い演習場のほうを静かに見つめた。トータもまた、「やっぱりな」と小さく笑いながら先生の次の言葉を待つ。
しばらくの沈黙の後、ガンドルフィーニ先生はトータに向き直り、真摯な面持ちで頭を下げた。
「だが、まずは謝らせてくれ。最初の頃、君を危険因子だと決めつけ、あんなに攻撃的な態度を取ってしまって本当にすまなかった。大事な教え子が何か危ない目に遭っているのではないかと、少し焦っていたのだよ」
大人の、そして教師であるガンドルフィーニ先生が、一等の中学生である自分に深く頭を下げる。
トータは慌てて手を振って笑った。
「気にすんなって、おっさん! 先生が自分の生徒を守ろうとするのなんて、当たり前のことだろ? 俺は全然怒ってねぇよ!」
トータがカラッと言い放つと、ガンドルフィーニ先生は顔を上げ、少し驚いたように、それから優しく唇を綻ばせた。
「そう言ってもらえると助かる。……それから、もう一つ。佐倉くんの件で、君に礼を言わせてほしい。本当に、ありがとう」
「え? 礼?」
またしても頭を下げられ、トータは今度こそ戸惑って首を傾げた。
「いや、礼を言われるようなことなんてしてねぇよ。俺はただ、愛衣に付き合ってもらって、一緒に遊んで……いや、特訓してただけだぜ?」
「いいや、君の存在が彼女を変えたんだよ」
ガンドルフィーニ先生は穏やかなトーンで語りかける。
「彼女には元々、同じ魔法生徒の優秀な先輩である高音くんのようになりたい、という目標があった。だがそれは、どこか漠然としたものであり、いつか辿り着ければいいという長期的な目標でもあった。……実際、彼女の魔法の成長が、少し伸び悩んでいたのも事実だ」
先生は遠くの校舎へと視線を向け、それから再びトータを見つめた。
「だが、君との特訓をきっかけに、彼女には新しい、とても明確な目標ができた。その目標のために、彼女の毎日の魔法練習には驚くほど力が乗るようになった。今日の君との戦いのように、彼女の魔法の精度も本数も、信じられないほどに伸びてきている」
トータは目を瞬かせた。
「新しい目標……? なんだよそれ。愛衣、俺にはそんなこと一言も言ってなかったけど」
純粋に疑問を口にするトータに、ガンドルフィーニ先生は少しだけ悪戯っぽく、厚めの唇を吊り上げて笑った。
「君に、褒められることさ」
「……え?」
トータの思考が一瞬、停止する。
「彼女はね、君に『すげぇ』と褒められたいから、必死に新しい魔法を学ぶんだよ。
君に認められたいから、魔法の練度をぶっ倒れるまで、限界まで上げにかかる。
君のあの一切の裏表のない、驚いた顔や喜ぶ顔が見たいから……。彼女は今日、君に勝てるほど強くなったのさ」
ガンドルフィーニ先生の言葉が、トータの胸の奥にストンと落ちていく。
思いもしない、けれど何よりも腑に落ちる言葉だった。
ただの特訓の相手だと思っていた。けれど、自分という存在が、あのはにかみ屋で一生懸命な女の子にとって、それほどまでに大きな原動力になっていたなんて。
「俺に、褒められたいから……」
トータは小さくその言葉を繰り返し、自分の胸のあたりをそっと押さえた。
なんだか、気恥ずかしいような、けれど体の奥底からじんわりと、熱くて温かい嬉しい気持ちが、どこまでも広がっていくのが分かった。
顔が少し熱くなるのを自覚して、トータは照れ隠しに頬をポリポリと掻いた。
そんな少年の初々しい反応を見て、ガンドルフィーニ先生は満足そうに頷き、身を翻した。
「とはいえ、君の身体能力は相変わらずデタラメだからね。何があるかは分からない。担任の目の届かないところで教え子に怪我をさせるわけにはいかないから……これからも時々、特訓を見にこさせてもらうよ」
「おう……! 好きにしてくれよ、おっさん!」
トータが少し照れながらも元気に手を振ると、ガンドルフィーニ先生は背中で軽く手を挙げ、午後からの授業の準備のために、ゆっくりと歩み去っていった。
夕暮れが近づく学園の片隅で、トータはもう一度、愛衣が去っていった方向を見つめた。
(あいつ、俺のことを考えて、あんなに頑張ってくれてたんだな……)
今日の愛衣の、あの執念に満ちた鮮やかな戦術。
これからさらに新しい魔法を学び、どんどん強くなっていく彼女の姿を想像すると、自然と胸の奥が熱くなってくる。
「ヘヘッ……気抜いてたら、簡単に抜かされちまいそうだ。俺も頑張らねーと」
トータは自分の両頬をパチンと叩いて気合を入れると、いつもの負けず嫌いで前向きな笑みを浮かべた。
「ま、まずは仕事仕事っと」
そう言って、ツナギのポケットに手を突っ込みながら、トータは用務員室への帰り道を元気よく歩き出すのだった。