第一話:衝撃
液晶ディスプレイが放つ、刺すような青白い光だけが、六畳のワンルームを不気味に照らし出していた。
壁に掛けたアナログ時計の秒針が、カチ、カチと無機質な音を刻んでいる。
時間はすでに午前二時を回っていた。
遮光カーテンを閉め切った室内は、まるで外界から切り離された密室のようだ。
「なぁ、今のシーン、マジでキツくないか? 心臓に悪いって……」
ヘッドセットの向こうから、大学の友人である拓海の少し上ずった声が鼓膜を揺らす。
私たちはDiscordの画面共有を使い、海外の新作オカルト映画を同時視聴していた。
一人暮らしの寂しさを紛らわせるための深夜の通話だったが、その目論見は見事に外れていた。
映画のクオリティが高すぎるのだ。
「ああ、久々に本気でゾッとするアタリ映画だな。あの生々しいカメラワーク、絶対に夢に出るわ……」
私はマウスを握る手にじっとりと汗をかきながら、苦笑いを返した。背筋にまとわりつくような嫌な冷気が、さっきからずっと消えない。
映画はいよいよ終盤、物語の全ての謎が解け、主人公が最悪の怪異と対峙するクライマックスを迎えていた。
画面の中の古い洋館は暗闇に包まれ、不穏な高音のストリングス(弦楽器)の音がBGMとして流れ始める。その音は狂ったように不協和音を奏でながら、じわじわとボリュームを上げていった。
(絶対に、何かが来る――)
画面の向こう側の「何か」の気配が、音の波となって画面から溢れ出し、私の部屋の空気までをも支配していく。私も拓海も、完全に画面の恐怖に呑み込まれていた。
ヘッドセットの向こうから、拓海の荒くなっていく呼吸が微かに聞こえる。
私もまた、唾を飲み込むことすら忘れて画面を凝視していた。
音量が最高潮に達する。
不快な高音が脳髄をギリギリと締め付け、画面の主人公が恐怖のあまり絶叫し、怪異が牙を剥く――まさにその刹那だった。
――バァン!!!
映画の爆音に負けないほどの、強烈な打撃音が響き渡った。
それはPCのスピーカーからではない。私の真後ろにある窓ガラスからだ。
「……え?」
あまりの衝撃に心臓が跳ね上がり、呼吸がピタリと止まった。
私の住んでいるのは、築二十年を超える木造アパートの二階だ。
窓の外に小さなベランダはあるものの、隣の建物とは大きく離れており、下から人が登れるような足場などどこにもない。
こんな深夜二時に、二階の窓ガラスが外側から激しく叩かれるなど、あり得ないことだった。
「おい、今の音……お前のとこか!? 何なんだよそれ!」
ヘッドセットから拓海の切迫した声が響く。感度を調整しているはずのマイクが、その衝撃音を明瞭に拾うほど、音はハッキリと室内に鳴り響いていたのだ。
私が硬直している間にも、怪異は待ってくれなかった。
――ドンドンドンドンドンドン!!
先ほどよりもさらに激しさを増した音が、ガラスを叩き割らんばかりの勢いで打ち鳴らされる。
「うわっ!?」
あまりの恐怖と衝撃に、私は弾かれたように椅子ごと後ろを振り向いた。
しかし、私の視界を遮ったのは、ぴったりと閉め切られた厚手の遮光カーテンだけだった。ガラスが内側にたわむほどの強烈な衝撃で、カーテンの裾が微かに揺れている。だが、その布一枚の向こう側で、一体「何」が狂ったように拳を打ち付けているのかは、全く判別できない。
鳥の羽ばたきなのか、それとも、人間の手なのか――。見えないからこそ、最悪の想像が脳内を埋め尽くしていく。ガタガタとサッシが激しく振動し、部屋の空気がビリビリと震えていた。
私は恐怖で心臓を激しく波打たせながらも、その正体不明の恐怖から目を背けたくて、自分自身を必死に欺くように、震える声でマイクに向かって言葉を絞り出した。
「……と、鳥か何かだろ。こんな時間だし、風に煽られた鳥が迷ってぶつかったんだよ……」
必死の強がりだった。
しかし、マウスを握り直した右手はガタガタと震え、額からは冷や汗がポタポタとデスクに滴り落ちている。
背後からカーテンを突き破って迫ってくるような、言葉にできない『邪悪な気配』に、精神が崩壊しそうだった。
「ただ……ちょっと気味悪いし、今日はもう落ちるわ」
拓海の「おい、待てって!」という制止の声を遮るように、私は狂ったようにマウスを操作して通話を強制切断した。そのままPCの主電源ボタンを押し込む。
ブツン、という音と共にモニターの光が消え、部屋は一瞬にして完全な暗闇に包まれた。
私は逃げるようにベッドに飛び込み、布団を頭から被った。ガタガタと震える体を丸め、両耳をちぎれんばかりの力で強く塞ぐ。
これは夢だ。映画を見すぎて神経過敏になった私が作り出した、タチの悪い幻聴だ。明日の朝になれば、すべて笑い話になる。
自分にそう呪文のように言い聞かせながら、襲いかかる恐怖から逃れるように、私は意識を無理やり闇の奥へと沈めていった。