観客席の男 ―ここまで遊んでくれてありがとう! 作:ザキグン
陽が落ち、夜へと切り替わろうとした。
だが、今なお俺達はぶつかり合っている。
ディルクが槍の石突を地面へ一度打てば、副官が即座に動く。
「第一列、休息。第二列、警戒。交代は半刻ごと」
「はっ」
黒騎士たちが一斉に動き、松明を灯す。
騒がず、必要な者だけが馬を下り、水を飲み、装備を確認する。
残る者は周囲を警戒しながら、一騎打ちを見守る。
ディルク本人は戦い続けている。
部下へ無理をさせない……、立派な指揮官だ。
だからこそ、原作で死ぬのが許せなかった。
「部下は休ませるのだな」
槍を避けながら言う。
「当然だ」
「自分は?」
「俺は望んで戦っている」
「望んでるのかよ」
「これほどの相手を前に、休めるものか」
「休んでくれ。俺は休みたい」
「はは、断る」
知っていた。
黒騎士団の視線が痛い。
歓声もなければ、野次もなく、ただ静かに見ている。
それが余計に嫌だった。
闘技場の観客なら、翌日には話を盛るが、黒騎士団は軍事記録へ残す。
足運びから、術式。
それこそ発言まで全部、正確に覚えていそうだ。
「観客はいらないんだよな……」
「何か言ったか」
「貴公の部下は暇なのか」
「俺の戦いを見るのも、彼らの鍛錬だ」
「……教材にするな」
再び槍が迫る……、夜になっても、ディルクの動きは鈍らない。
むしろ研ぎ澄まされている。
俺の手札を知った分だけ、判断が速くなっていた。
一度見せたものへ、次から必ず答えてくる。
だから俺は、同じ技を使えない。
使えば破られる、だから手札を組み替えるしかない。
風で砂を上げ、印で足場を変え、鞘を囮にして肘を入れる。
ディルクは肩で受け、槍の柄で押し返す。
小太刀は、見張り塔へ向かう途中で使ったまま回収できていない。
そして当然……、刀は抜けない。
魔力も減ってきた。
【魔力残量:38%】
【右前腕:感覚低下】
【左肩:可動域低下】
【肋骨:亀裂疑い】
【鞘:損耗率47%】
このままでは、鞘が持たない。
木地へ補強を施した特製だが、《断界》と何度も打ち合うためのものではない。
一方、ディルクも無傷ではなかった。
頬に浅い傷ができ、右籠手の留め具が一つ壊れている。
胸甲には鞘の打痕、左足の運びが、ほんのわずかに遅い。
外套も裂けていた。
だが、それだけだ。
HP70に、守備36……、ステータスだけ見ても、持久戦では、明らかに向こうが有利。
このままでは負ける。
かといって、ここで刀を抜けば制約違反。
その瞬間、《一系統収束》も抜刀前姿勢の補正も消える。
刀は使えるが、判断と受け流しの精度が落ちた状態で、ディルクの間合いへ残る。
抜刀中に斬れる保証もないし、むしろ押し切られる可能性が高い。
解除は逃げ道ではない、継続しても、身体が先に壊れる。
ならば、一手で流れを変えるしかない。
「考えているな」
ディルクが言う。
「戦闘中だからな」
「違う。決める手を」
「敵に教えると思うか」
「教えぬから、楽しみなのだ」
奴は、心の底から本当に楽しそうに笑った。
☆
ノーチェは岩陰に座り、星盤を抱えていた。
左眼の金環は消えている。
未来視を続けすぎて、もう遠い先は見られない。
それでも目を離さない。
進とディルク。
二人の未来は、途中から枝分かれが多すぎて追えなくなった。
槍が進を貫く未来。
進の鞘がディルクの喉へ届く未来。
黒騎士団が動く未来。
誰も動かない未来。
進が制約を破って刀を抜く未来。
最後まで抜かない未来。
どれも、直前まで確定しない。
「……変」
ノーチェは小さく呟く。
星盤の上では、二つの星が近づきすぎていた。
ぶつかり、離れ、そしてまた、近づく。
どちらも、相手の軌道を変えている。
未来を読む側からすれば、迷惑な二人だった。
「……でも」
綺麗だった。
動きに無駄がない。
大きな黒い槍が、夜を直線に切る。
その周囲を、緋色を隠した黒い外套が舞う。
まだ、進は本当の緋色を見せていない。
ノーチェには、次の一手でそれが開く断片だけが見えた。
「……言う」
誰が、何を、かはわからない……。
だが、なぜか、それだけははっきり見えた。
☆
ディルクの構えが変わった。
これまでより、槍を身体へ近く置く。
穂先は低く、柄はほとんど動かない。
大きく振りかぶらず、力を溜めているようにも見えない。
だからこそ、危険だった。
黒騎士団の空気が変わる。
休んでいた者まで立ち上がった。
副官が目を細める……、皆、知っている構えらしい。
俺も原作でも見た。
ディルクの決着技。
派手な演出はなく、槍を回さないし、叫びもしない。
全身の力を、最短距離で穂先へ集める。
防御を貫き、盾すら砕く。
回避した相手の背後まで、衝撃が抜ける。
ゲーム上では、防御補正の一部を無視する高威力技。
【奥義準備:《断界一槍》】
「受けるか」
「避けてほしいのか」
「否」
「なら聞くな」
実際には避けたい、全力で!
だが後ろには、アルディスたちが通った森がある。
もう十分に離れているはずだ。
それでも、この一撃が地面を抉り、森の入口を崩せば、別働隊の進路を開くかもしれない。
それに、ここで避ければ、ディルクは追撃へ移れる。
受け流し……その上で、こちらの鞘を届かせる!
やることを一つにしろ。
正直、怖い……、手が震えていし、心臓が速い。
《戦意恒常》は、恐怖を消してくれない。
ただ、怖いまま選ばせてくれる。
俺は刀の柄へ右手を添え、抜刀前の構えを取る。
足元へ、残った魔力で最後の印を刻む。
半歩だけ前へ押し出す加速印。
風を鞘へ薄くまとわせる。
摩擦を消すほどではない。
槍の表面を滑らせるための、ごく細い膜。
前世の特撮やゲームで、主人公たちは技名を叫んでいた。
格好をつけるためだと思っていた。
実際、半分はそうだろう。
だが、今なら少し分かる。
恐怖で散りそうな意識を、一つへ集める。
身体へ、次にやる動作を教える。
声にした名前へ、自分を預ける。
「恥ずかしいから嫌だったんだけどな……」
「何がだ」
「こちらの話だ」
俺は息を吸う。
技名……いや、ゆっくり考えている時間はない。
頭の中に、前世の安っぽい必殺技表示が浮かんだ。
制約を固定する。
ディルクへ、全力の一撃を受けると伝える。
「奥義――」
黒騎士団の視線が集まる。
ノーチェが岩陰で顔を上げる。
ディルクの琥珀色の目が、僅かに見開かれる。
「《緋月・無刀返し》」
言ってしまった!……えぇい、後悔は後だ!
ディルクが踏み込む。
音が消えた……、そう感じるほど、速かった。
《断界》の穂先が、夜を一直線に裂く。
避けない。
槍の内側へ、一歩。
『死ぬ』……身体がそう叫ぶ。
それでも前へ。
鞘の先を、穂先の側面へ触れさせる。
正面から受けず、風が槍の表面を滑る。
ディルクの力は殺せない。
殺そうとすれば、こちらが砕ける。
ならば、向きを変える。
腰を回す。
鞘を円へ。
槍の直線を、円の中へ巻き込む。
漆黒の外套が大きく開いた。
裏地の緋色が、月明かりの下へ翻る。
一瞬。
夜の戦場に、緋色の輪が浮かんだ。
月……、真円ではない。
風と布が作った、歪な緋色の月。
槍がその内側を滑る。
穂先が俺の頬を掠めたが、貫かれていない。
足元の印が光る。
半歩……たった半歩だけ、身体が前へ押し出される。
通常なら入れない、ディルクの懐。
右手は刀の柄。
両手で鞘ごと刀を返し、鐺を胸甲へ送る。
届く!……その瞬間。
ディルクが笑った。
大身槍の石突を地面へ突き立てる。
土が弾け、槍を支点に、巨体を強引に回転させた。
胸甲が僅かにずれ、俺の鞘は中央を外れ、左胸へ触れる。
同時に……、回転した槍の石突が、俺の脇腹へ迫る。
止まった。
鞘の鐺が、ディルクの胸甲へ触れている。
石突が、俺の脇腹へ触れている。
あと数センチ、互いに打ち込めば、重傷。
静寂があたりを包み、松明の炎が揺れる音まで聞こえた。
黒騎士団は、誰一人動けない。
そして、ディルクの目は、俺のすぐ近くにある。
驚きと喜び。そして、確かな敬意。
「相打ちか」
「否」
ディルクが答える。
「互いに、止めた」
「似たようなものだろ」
「違う」
槍をゆっくり引く。
俺も鞘を戻す。
その瞬間、亀裂が走り、鞘の表面が割れる。
完全には壊れていないが、もう一度《断界》を受ければ砕ける。
ディルクは自分の胸甲を見る。
鞘の鐺が触れた場所に、丸い打痕が残っていた。
「《緋月・無刀返し》か」
えぇい、復唱するな!
黒騎士団副官が、小さく呟く。
「緋月……」
別の騎士。
「無刀返し」
だから覚えるなよ!
「忘れよ」
「ふふ、無理だ」
「努力しろ」
「これを忘れられるほど、俺の記憶は鈍くないさ」
「鈍くなってくれ」
黒騎士団の視線が、俺の外套へ集まっている。
先ほどの緋色の円を思い返しているのだろう。
あぁ、やめてくれ!あれは技術的には、風と鞘と足運びを組み合わせただけだ。
外套が開いたのは、ほとんど偶然だって。
緋色の月など、狙って演出したわけではない。
技名も、その場でつけただけ。
だが、彼らの目には違って見えたらしい。
団長の最強の一撃を、刀を抜かず、緋色の月を描いて返した。
最悪だ……、伝説になる条件が揃いすぎている。
「見事な技だ」
ディルクが本当に嬉しそうに言う。
「次は破る」
「次を作るな」
「なぜだ?」
「一度見れば十分だろう」
「一度で足りるものか」
表示が浮かぶ。
【ディルク・ファルケンラート】
【対象への評価:好敵手】
【再戦意思:最高】
【関係性イベント:固定】
「ふざけんな……」
「何だ」
「こちらの話だ」
どれだけ戦っていたのか……、身体は限界に近い。
腕が重いし、息を吸うたび、脇腹が痛む。
ディルクも、最初と同じではない。
呼吸が少し深く、左足へ負担がある。
胸甲に打痕と、籠手も壊れている。
それでも奴は、まだ戦える。
俺も、あと一手か二手なら動ける。
だが、戦う意味はもう薄い。
アルディスたちは十分に離れた、ディルクも分かっているはずだ。
奴は森の方角へ視線を向け、それから槍を下ろす。
「ここまでだな」
俺は警戒を解かない。
「追わぬのか」
「追撃の機を逸した」
ディルクは淡々と答える。
「重騎兵を夜明け前の森へ入れれば、地の利を失う。王子はすでに離れた。ここから追っても、得るものより損耗が大きい」
合理的な判断だ、俺を気に入ったから、私情で見逃すのではない。
戦術的に、追撃の価値が消えたからだ。
「責任は俺が負う」
黒騎士団の副官が一歩前へ出る。
「閣下。我らも同じ判断です」
「報告書に余計な情を入れるなよ?」
「承知しております」
信頼されている。
ディルクが部下を守るし、部下もディルクの判断を理解している。
本当に、良い軍だ……、敵でなければ。
「勝てなかったのは、初めてだ」
ディルクが言う。
俺は鞘を下ろした。
「私も勝っていない」
「だからよい」
「何がだ?」
「次がある」
「ない」
「いいや、あるさ」
「作るな」
ディルクは笑った。
また、少年のような笑みだった。
「お前は次も、俺へ問うのだろう」
「何を」
「槍の向け先を」
俺は黙る。
一騎打ちの最中、何度も言った。
帝国が誤った時、誰を主とするか。
そして、アルディスを見ろ、と。
俺にとっては、原作で救えなかったディルクを生かすための説得だった。
だが彼は、別の意味で受け取っている。
一合ごとに、魂の在り処を問われたと。
まずい……また余計なことを言った気がする。
「一般論だ」
「一騎打ちの間に繰り返す一般論があるか」
「世の中は広い」
「面白い男だ」
「面白がるな」
ディルクは大身槍を肩へ担いだ。
「名を聞いていなかったな」
「聞いただろう」
「答えを得ていない」
「なら、そのままでよい」
「《彼》と呼ばれているそうだな」
どこで知ったよ……、いや、帝国の情報網なら、闘技場の噂くらい拾っていてもおかしくない。
「好きにしろ」
「では、《彼》」
もう定着しやがった!
「次は、刀も見せてもらう」
「断る」
「ならば、抜かせよう」
「嫌だ」
「楽しみだ」
「会話が成立していない」
黒騎士団が撤退準備へ入る。
号令は短い。
負傷者を確認を行い、馬列を整える。
倒れた塔の迂回路を確保し、一糸乱れず動く。
副官がディルクへ尋ねた。
「閣下。上層部への報告は」
ディルクは少し考える。
「敵陣に底知れぬ伏兵あり。追撃は時期尚早」
「承知しました」
伏兵も何も、一人なのだが。
いや、ノーチェもいたから、実質は二人か?
どちらにせよ、底知れぬ軍勢ではない。
「正体不明の闘士については?」
副官の問いに、ディルクが俺を見る。
「《彼》でよい」
いや、よくないって!
「交戦記録へ、技名も記載しますか」
「無論だ」
「無論ではない!」
俺が口を挟むが、副官は真面目な顔でこちらを見る。
「軍の正式記録だからな」
「忘れろ」
「事実を改変することはできぬ」
「記憶から消せよ」
「それは困難だな」
黒騎士団は、こういうところまで真面目だった。
副官が確認する。
「奥義《緋月・無刀返し》」
「繰り返すな」
「表記に誤りは」
「確認を取るな!」
ディルクがまた笑った。
黒騎士団の数名も、ほんの僅かに口元を緩めている。
笑うなよ……、俺は必死なんだ!
恥ずかしい技名を軍事記録へ残されようとしている、重大事だろうが。
黒騎士団は整然と西へ向きを変えた。
ディルクが最後までこちらを見ている。
「また会おう」
「会わない」
「なら次は、こちらから探す」
「探すな」
「ふふ、楽しみにしている」
「だから聞け!」
ディルクは満足そうに去っていった。
黒い軍列が、夜明け前の街道を進む。
やがて、倒れた塔の向こうへ消えていく。
静寂後、俺はその場へ座り込んだ。
「……終わった」
岩陰から、ノーチェが出てくる。
星盤を抱え、ゆっくり近づいてきた。
「……勝った?」
「引き分けだ」
「……向こうが、引いた」
「撤退しただけだ」
「……王子は、助かった」
「それが目的だ」
ノーチェは俺の前へ立つ。
少しの間、黙っていた。
「何だ」
「……格好よかった」
嫌な予感がした。
「何が」
「……緋月」
「忘れろ!」
「……無刀返し」
「繰り返すな!」
ノーチェは小さく両腕を動かした。
鞘を回す真似らしい。
外套がないので、緋色の月は出ない。
「……こう?」
「やめろって!」
「……奥義」
「だからやめろと言っているだろ!」
視界の端に表示が浮かんだ。
【新規奥義候補:《緋月・無刀返し》】
【認知者:ディルク/黒騎士団/ノーチェ】
【伝承発生率:高】
「何で伝承になるんだよ……」
ノーチェが首を傾げる。
「……綺麗だったから?」
「美しさで軍事記録へ残すなよ」
「……神様も、好き」
「どこに書いてある」
ノーチェが俺の頭上を見る。
表示が一行増えた。
【演出評価:最高】
「ふざけんなーっ!」
夜明けの戦場に、俺の声が響いた。
飛び立った鳥の群れが、白み始めた空へ散っていく。
必殺技なんて、言うんじゃなかった。