観客席の男 ―ここまで遊んでくれてありがとう!   作:ザキグン

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ヒーロー、大地に立つ!\(^^)/ 第一章、完

人間は長時間、終盤の敵将に槍で殴られ続けると、世界へ求めるものが少なくなる。

 

柔らかい寝床に、温かい食事。

そして、鍵の掛かる板戸。

何より近くに、ディルク・ファルケンラートという化け物がいないこと。

最後の条件だけは、自分の努力で確かめようがなかった。

 

「……閉まる」

ノーチェが板戸を閉めた。

木枠と板が噛み合い、がたん、と音を立てる。

少し待ってから、また開ける。

 

「……開く」

「板戸だからな」

「……もう一回」

「何を確認しているんだよ……」

 

ノーチェは答えず、また閉めた。

 

がたん……、開ける。

ぎい……、閉める。

また、がたん。

 

「壊すなよ~」

「……大丈夫」

「宿の設備で耐久試験をしないでくれ」

 

黒騎士団が西へ退いたあと、俺たちは王国側の救護兵と合流した。

自力で歩けると言ったのだが、右腕と左肩を見た救護兵に無言で荷車へ載せられた。

反論しようとしたら脇腹が痛み、結局そのまま街道を運ばれた。

辿り着いたのは、戦場から十分に離れた小さな宿場だった。

 

名も知らないし、地図にも大きくは載っていない。

石造りの立派な旅籠ではなく、木造二階建ての古びた宿だ。

板戸には細かな傷があり、床板は歩くたびに軋む。

寝台は藁詰めで、部屋には、小さな卓と椅子が二脚。

 

窓の外には厩と井戸。

豪華さとは無縁だったが、屋根があるし、壁がある。

そしてなにより、帝国最強の槍将がいない。

もうそれだけで、今の俺には、王宮より価値があった。

 

「……槍、入ってこない」

ノーチェが板戸へ手を添えたまま言う。

「普通の宿へ槍は入ってこないと思うぞ?」

「……黒い人は?」

「来ない…、いや、来るな……」

「……探す、って」

「来るな」

「……次は、刀を抜かせるって」

「思い出させるなよ!」

 

ディルクは撤退したし、黒騎士団も西へ戻った。

ここは戦場から離れているから、一晩で追いつける距離ではない。

理屈では分かっている。

それでも、板戸の向こうから大身槍《断界》が突き出してきても、今ならあまり驚かない気がした。

それくらい、あの男の印象が強すぎたんだ。

 

俺は寝台の端へ腰を下ろした。

全身から力が抜ける。

「痛っ……」

身体を曲げた瞬間、脇腹が痛んだ。

息を吸うだけでも少し響くし、左肩は上がりにくい。

右腕の指先は、まだ感覚が鈍い。

戦いが終わった直後は興奮で動けたが、安全な場所へ着いた途端、身体が一斉に不調を訴え始めた。

 

 

「……見る」

ノーチェがこちらへ来る。

「何を」

「……怪我」

「宿の主人が治療師を呼んでくれる」

「……その前」

 

ノーチェは卓の上へ青銅の星盤を置けば、旅袋から包帯と傷薬を出す。

星詠み神殿を出る時に持ってきたのだろうか、職場を離れる準備だけは良い。

 

「手当てできるのか」

「……見たこと、ある」

「自信が不安になる答えだ……」

「……動かないで」

 

外套と籠手を外し、右腕の袖をめくる。

赤黒い痣がいくつも浮いていたが、骨は折れていないと思う。

ただし《断界》を何度も鞘で流した影響で、前腕全体が腫れている。

 

ノーチェが薬を塗る。

「……痛い?」

「それなりには……」

「……我慢」

「うぅ、辛いな……」

 

包帯を巻かれる。

 

一周、二周、三周……おい。まだ巻くんかい!?

 

「待ってくれ!」

「……何?」

「巻きすぎだって!」

「……守る」

「何から守るんだよ!」

「……黒騎士。もっと厚かった」

「比較対象を黒騎士団にしないでくれ!」

 

さらに一周されれば、右腕が白い筒のようになった。

「鎧じゃねえか、これ……」

「……守備、上がる?」

「包帯を重ねても守備は上がらない」

「……少しは?」

「気分の問題……」

 

ノーチェは少し考え、巻いた包帯を一周だけ戻した。

たった一周だけだった……俺は諦めた。

技術が巧いとは言えないが、それでも、ノーチェの指は慎重だった。

未来を見ている時とは違い、目の前の傷だけを確かめている。

 

「……死ななくて、よかった」

不意に、ノーチェが言った。

俺は彼女を見る。

淡い銀髪が俯いた顔へ落ちている。

「簡単に死ぬつもりはないさ」

「……槍、刺さる未来。たくさん、あった」

「見えていたのか?」

「……途中から、多すぎて分からなかった」

 

未来が分岐しすぎて読めない、一騎打ちでも、何度かそう言っていた。

俺とディルクが互いの動きへ対応するたび、次の未来が変わる。

未来視に頼り切れなかったのは、むしろよかったのかもしれない。

ノーチェの警告は助かった。

だが、全ての答えを受け取って戦ったわけではない。

 

「怖かったか?」

「……うん」

「それでも残ったのか」

「……うん」

「逃げてもよかったんだぞ?」

 

ノーチェは顔を上げる。

「……進も、逃げなかった」

 

呼び方が変わった。

これまではタナカ、あるいは、ヒーロー。

今、初めて自然に名前で呼ばれた。

 

「逃げ道がなかっただけだよ」

「……同じ」

「違う」

「……同じ」

 

言い返す気力なんてなかった……、俺は視界へ意識を向け、自分の状態を開く。

 

【田中 進】

【兵種:《ヒーロー》】

【HP:31/68】

【魔力残量:9%】

【状態:全身疲労/右前腕感覚低下/左肩打撲/肋骨亀裂疑い/軽度失血】

【装備損耗:外套・中/籠手・小/鞘・大】

 

「引き分けでこれかよ……」

敵兵の大半と戦ったわけではない。

ディルク一人だ。

あの男一人を足止めして、この有様。

原作終盤の壁という評価は正しかった……むしろ、ゲーム画面の数字では足りていなかった。

 

現実のディルクは、判断する。

学習すれば会話するし、こちらの目的まで読んでくる、それが、能力値以上に厄介だった。

表示が切り替わる。

 

【《自主制約》終了判定】

【敵兵死亡数:0】

【抜刀回数:1】

【保護対象の離脱:成功】

【戦闘目的:達成】

【総合判定:成功】

 

続いて、新しい項目。

 

【選択肢限定下での戦闘経験を獲得】

【鞘術・体術・風術・印術の複合精度が上昇】

【派生奥義候補:《緋月・無刀返し》】

【装備への負荷:甚大】

 

「候補のままでいいって」

「……奥義」

「見ないでくれ」

「……緋月」

「読むなって!」

「……無刀返し」

「繰り返すなよ!」

「……使わない?」

「できれば二度と使いたくない」

 

あれは、状況が全て噛み合って成立した技だ。

 

刀を抜けない。

鞘へ戦闘技術が収束している。

風術と加速印を使える。

ディルクが全力で一直線の突きを放つ。

 

どれか一つ欠けても、同じ形にはならない。

それに、鞘が耐えれない。

壁へ立てかけた刀を見ると、鞘には大きな亀裂が走っていた。

表面だけではなく、内部の木地まで傷んでいる。

これは、専門の職人に直してもらう必要がある。

ただ問題は、この世界に刀の鞘を直せる専門職がいないことだ。

また武器職人へ構造から説明するのか。

以前、古代文明の武器だと誤解されたが、次は《緋月を封じる黒鞘》などと論文を書かれかねない。

 

「戦術としては正しかった」

俺は自分へ言い聞かせる。

刀を残していても、ディルクへ勝てたとは思えない。

制約で得た集中と受け流し精度がなければ、夜明けどころか数合で終わっていた。

「もう一度やるかと聞かれたら、絶対に嫌だが」

「……次は、刀」

「次はない」

「……槍の人、あるって」

「あいつが勝手に言っているだけだ」

「……表示も」

「表示を根拠にするな」

 

【再戦イベント:発生予定】

「予定に入れるなよ!」

 

 

 

 

 

 

 

宿の食堂では、豆と麦を煮込んだ雑炊が出た。

肉はほとんど入ってなく、塩味も薄い。

それでも温かい……、今の俺には、それだけで十分だった。

 

「うまい……」

 

思わず漏れた。

琥珀亭の煮込みには及ばないが、戦場で冷えた保存食を齧るより何倍もいい。

向かいに座ったノーチェも、一口食べる。

「……おいしい」

「今は何でもうまく感じるな」

「……煮込みも、食べたい」

「フェルマータへ戻ったらな」

 

言ってから、少し止まる。

戻る……、当然、そのつもりだった。

フェルマータの宿、琥珀亭、闘技場。

俺がこの三年間で作った生活。

原作開始を見届けたら、またそこへ戻る予定だった。

 

だが、もう原作は始まっている。

 

しかも俺の知っている形ではない。

アルディスの開始地点は変わったし、帝国軍の侵攻経路も変わった。

ディルクと黒騎士団まで序盤へ出てきた。

俺がフェルマータへ戻り、観客席へ座り直せば済む状況ではない。

 

食堂の入口が開けば、冷たい風とともに、旅人が三人入ってくる。

商人風の男に、護衛らしい若者、そして杖をついた老人。

三人とも席へ着くなり、戦場の噂を話し始めた。

「ベルン砦の方は、王子が脱出したらしい」

商人が声を潜める。

「帝国の黒騎士団に囲まれたんじゃなかったのか」

「それが、正体不明の剣士が現れたそうだ」

 

早い、噂が広がるのが早すぎるって。

護衛の若者が身を乗り出す。

「聞いたぞ。黒い仮面の男だろ?」

「そうだ。《彼》と呼ばれているらしい」

 

なぜフェルマータの呼び名まで届いているんだよ!?

黒騎士団の報告か?王国兵が知っていたのか?

あるいは闘技場の観客が戦場にいたのか?

「古い見張り塔を、一刀で真っ二つにしたとか」

違う、断じて違う!

 

「塔を倒したのは投石だって」

思わず小さく言う。

ノーチェがこちらを見る。

「……支柱も」

「そうだ。俺は支柱を斬っただけだ」

「何の話だ?」

近くの客が振り返った。

「あぁ……独り言です」

 

老人が話を続ける。

「それだけではない。黒曜の軍神ディルクと、百余合もの間、渡り合ったそうだ」

斬り合ってはいないって……、俺はほとんど鞘だった。

「一晩中だと聞いたぞ」

商人が目を丸くする。

「いや、三日三晩だったという話もある」

どうしてそうなったよ……、俺は内心頭を抱えていた。

 

 

「その覆面男、赤い月を呼び出したらしい」

もう、匙を置きたくなってきたわ。

 

「……緋色」

ノーチェがつい、口を挟んでしまった。

商人がこちらを見る。

「お嬢ちゃんも見たのか?」

「……見た」

「おい。ノーチェ!」

「……綺麗だった」

「やめろって!」

 

老人の目が輝く。

「では本当なのか!」

「布です」

全員が俺を見る。

「外套の裏地が風で翻っただけです」

「なぜそこまで知っている?」

「詳しい御者でした」

 

便利だな、御者、全て押しつけられる。

護衛の若者が卓を叩いた。

「きっと古代の奥義だ! 緋色の月で大槍を包んだんだろう!」

 

大体合っているのが、すげぇ腹立たしい!

「技の名前は?」

「知りません」

即答したが、ノーチェが口を開こうとする。

俺は匙で彼女の口元へ雑炊を運んだ。

 

「……ん」

「食べていろ」

「……熱い」

「すまん」

 

少し冷ましてから、もう一度渡す。

技名まで一般へ広まるのは避けたい。

帝国軍の正式記録には残ったし、黒騎士団は全員聞いている。

そこはもう諦めるしかないが、民間伝承にまで《緋月・無刀返し》が載れば、闘技場で必殺技を求められる。

 

「緋月を見せろ!」

「今日は無刀返しか!」

 

そんな声が客席から飛んでくる未来が見える……絶対に嫌だ!

 

「もう盛られてるや……」

俺は額を押さえた。

ノーチェが雑炊を食べながら答える。

「……綺麗だったから」

「美しさは誇張していい理由にならない」

「……格好よかった」

「もう言うなって」

「……神様も、最高って」

「俺はそいつの評価は聞いていない……」

 

まだまだ旅人たちの会話は続く。

 

王子が生き延びた、黒騎士団が撤退した。

正体不明の男が帝国兵を一人も殺さなかった。

話は少しずつ形を変えながら、すでに街道を走っている。

完全に消すことはできない。

進路を変えることも、聞いた人間の記憶を奪うこともできない。

俺がやったことは、もう俺だけのものではなくなってしまった。

 

 

 

 

 

 

食事を終え、俺達は部屋へ戻る。

ノーチェが卓へ地図を広げた。

俺は椅子へ座り、リュームリア西部の位置を指でなぞる。

 

アルディスたちは東の森を抜けた。

その先で、残存兵力と避難民をまとめるはずだ。

原作では王都南部から脱出し、古い水道橋を経て東方の村へ向かう。

そこで最初の仲間と出会う。

 

だが、今は違う。

位置がずれているし、同行する兵士も違う。

さらに、避難民まで抱えている。

 

「……追う?」

ノーチェが尋ねると、俺はしばらく地図を見る。

アルディスと会ったし、言葉も交わした。

真っ直ぐな目だった。

俺が道を開けた後、その道を自分の責任で進むと答えた。

本物だった……彼こそが、誰かの前に立てる人間、そう実感した。

 

「追わない」

「……助けない?」

「必要なら助ける」

「……同じ?」

「同行はしない」

 

俺は地図の上で、アルディスたちが向かうと思われる東方の道を示す。

 

「アルディスは、自分で仲間を集める」

「……知ってる未来?」

「元はな」

 

原作では、亡国の王子が各地を巡る。

村を救い、傭兵を雇い、旧臣と再会する。

山岳諸国の支持を取りつけ、仲間との信頼を積み上げ、やがて解放軍を作る。

その過程に意味がある。

 

最初から俺が隣にいれば、戦力は上がるし、詰む場面も減ると思う。

だが、《彼》の名声がアルディスより先に広まればどうなる。

王子の軍ではなく、正体不明の英雄が率いる軍に見える。

俺が否定しても、周囲がそう受け取る。

アルディスが自分の力で人々の信頼を得る機会を奪う。

 

「それに、俺が知っている異常は、アルディスの進路だけではない」

 

地図の西側へ目を移す。

ヴァイセンベルク帝国。

 

本来なら終盤まで帝国側に立ち続けるはずだった者。

俺の余計な言葉で、選択を変え始めた者。

原作より早く力を得た者。

そして、本来なら最後まで交わらないはずだった者。

名前を並べるだけで頭が痛い。

 

「原作から外れた人間が、増えている」

「……進のせい?」

「大半はな」

 

全く否定できない。

村を救った、道が残った、侵攻経路が変わった。

軽い助言のつもりで、誰かの進む先を変えた。

ノーチェに至っては、俺の説明文を読んで神殿を飛び出した。

本人の判断だと言いたいが……、原因は俺だ。

「アルディスのそばにいれば、他の場所へ手が届かない」

 

「……別の道?」

「そうだ」

 

俺は地図の余白へ線を引く。

アルディスの進路とは重ならないが、離れすぎない。

情報を集められ、必要なら救援へ向かえる距離。

 

「アルディスは表を進む」

王国を再建して人々を集める。やがて、国と国を動かす。

 

「俺たちは、その道の外で崩れそうな場所を塞ぐ」

ノーチェが地図を見る。

「……陰から?」

「そうだ」

「……秘密の軍?」

「違う」

「……別働隊」

「違う」

「……裏の解放軍」

「絶対に違う!」

 

何で軍にしたがるんだよ、今二人しかいないじゃないか。

俺とノーチェ、特に片方は自称一般人。

もう片方は、神殿から無断でついてきた巫女だ。

軍ですらなければ、組織ですらない。

 

「必要な異常を調べるだけだ」

「……旅?」

「まあ、そうなる」

「……一緒に?」

 

そこで、話を止める。

今後の方針を決める前に、一つ確認しなければならない。

 

「お前は神殿へ戻ってくれ」

ノーチェの表情は変わらなかった。

「……嫌」

「予想どおりの答えをしないでくれ」

「……戻らない」

「星降りの遺跡には、お前の仕事があるだろう?」

「……ここにも、ある」

「俺の観測か」

「……うん」

 

ノーチェの未来視が役に立ったのは間違いない。

侵攻が始まっていることを最初に見抜いたし、アルディスの未来を探した。

塔が崩れる入口を見つけたし、ディルクとの戦いでも、危険をいくつも警告した。

俺一人なら、どこかで死んでいた可能性はある。

だが、それと同行を認めることは別だ。

 

ノーチェはまだ若く、身体は華奢。

未来視を深く使えば、頭痛と視界不良を起こす。

どう見ても、戦場向きではない。

 

「次は死ぬかもしれないんだ」

「……今回も」

「そうだ、今回だって死んでいたかもしれないんだ」

「……でも、いた」

「それは……」

 

ノーチェは少し考える。

短い言葉を選ぶ時の沈黙。

 

「……進、一人だと」

「ん?」

「……誰かを助けて、自分を忘れる」

言葉に詰まった。

 

「忘れていない」

「……槍の前に、残った」

「アルディスたちを逃がすためさ」

「……刀、使えないのに」

「制約の恩恵があったんだ」

「……怪我、たくさん」

「結果、そうなっただけさ」

「……逃げ道、ないって出てた」

 

……ステータスを見ていたのか。

ノーチェは俺のステータスを一部読める。

戦闘中も、表示を見ていたらしい。

 

「……未来を見る人、必要」

「深く見すぎれば、お前が倒れるぞ」

「……止める人も、必要」

ノーチェが俺を指差す。

 

「俺かよ」

「……うん」

「止まると思うか」

「……少し」

「少しか」

「……あと」

 

ノーチェが空になった器を見る。

食堂から持ってきたわけではない。

思い出しただけだろう。

 

「……煮込みを、一緒に食べる人も」

 

最後だけ、声が少し柔らかかった。

観測対象で、世界の外から来た異物。

俺への印象など、最初はそれだけだったはずだ。

 

でも、今は違うらしい。

そして俺にとっても、ノーチェは単なる未来視の道具なんかでは、決してない。

 

戦場で一人ではなかった。

短い声が届いた。

危険を教えた。

馬鹿な技名を聞かれた。

全部覚えられた。

……、助かった。

 

「それでも、神殿の許可は必要だろ」

「……後で取る」

「先に取ってくれ」

「……急いでた」

「毎回それで押し通すな」

 

ノーチェは黙るが、戻る気はない。

無表情に近いが、こういう時だけ妙に頑固だ。

 

「なら、お前の神様へ聞くのはどうだ?」

「……何を?」

「神殿へ戻るべきか、俺についてくるべきか」

半分はやけだった。

星詠み神殿の巫女なのだから、神託が本当にあるなら戻れと言うはずだ。

世界の外のお告げとやらも、さすがに無断同行を推奨しないだろう。

 

 

 

「……分かった」

ノーチェは星盤を卓の中央へ置けば、両手を添えて、目を閉じる。

左眼へ淡い金環が浮かび、青銅の星盤に刻まれた文字が、淡く光った。

 

部屋が静かになる。

板戸の隙間から、夜の風が細く入る。

 

しばらくして……、ノーチェが口を開いた。

 

「……賽は投げられた」

「急に格調高い言葉がでてきたな!?」

聞いたことのある表現……、後戻りできないという意味。

 

何だか、すっごく嫌な予感がする。

 

「……ヒーロー」

「……おい、ちょっと!」

「……大地に立つ」

「ちょっとまってくれ!」

 

「……顔が書かれてる」

「……顔?」

 

ノーチェが目を開けると、\(・・)/、と表現するかのように、いきなり勢いよく万歳のポーズをした。

 

「なんだよそれぇ!?神様が顔文字を使ってのか!?」

「……顔文字?……よくわからないけど、神様はきっと喜んでる」

「何をだよ!」

「……物語が、動いたから?」

「物語として数えるな!」

 

完全に運営のお知らせみたいで、神託ではない。

 

「それを神様だと思うのはやめた方がいい……」

「……神様」

「神様はもっと荘厳であれ!」

「……賽は投げられた」

「そこだけ荘厳にするな!」

 

嫌な予感がさらに強くなった俺は、すかさず自分のステータスを開いた。

 

【田中 進】

【所属:なし】

【兵種:《ヒーロー》】

【状態:負傷/疲労/説明文への警戒】

 

状態欄が正確すぎる。

更に下へ送る。

 

【同行者候補:ノーチェ】

 

「候補になっている」

ノーチェが隣から覗く。

「……うん」

「うんではないわ!」

 

さらに下。

【物語進行:第一章完了】

「勝手に区切るな!いや、一区切りついたのかもしれないが、表示するな!」

 

そして、問題の説明文。

 

以前は、

『ここまで遊んでくれてありがとう!

君はこの世界のヒーローさ☆』

だった。

 

文字が揺れれば、新しい文章へ切り替わる。

 

 

【説明】

『賽は投げられた!ヒーロー、大地に立つ!\(^^)/最初の仲間と、世界を救う旅へ出よう!』

 

 

俺は停止した、ノーチェも表示を見ている。

「……仲間」

「まだ決めていない」

 

文字はさらに続く。

【新規機能:《同行者編成》】

【第一同行枠:ノーチェ】

【状態:正式化待機】

 

「待機するなって!お前は、これでいいのか」

ノーチェは表示を見る。

「……うん」

「危険なんだぞ」

「……知ってる」

「神殿へ戻る道もあるから」

「……戻らない」

「俺についてくると、また変な表示を見ることになる」

「……見たい」

「そこは否定してくれよ」

 

ノーチェは、ほんの少しだけ笑った。

 

即答ではないし、勢いでもない。

それでも、自分で選んでいる。

だから少しだけ、俺も怒る勢いを失う。

 

「なら、条件がある」

「……何?」

 

俺は指を一本立てる。

「無断で深い未来視を使わない」

「……うん」

「体調が悪い時は隠さない」

「……うん」

「危険な時は、俺が退けと言ったら退く」

ノーチェが少し止まる。

「……状況による」

「今、うんと言ってくれ」

「……努力する」

 

 

二本目。

「神殿へ定期的に連絡する」

「……後で」

「定期的という言葉を理解しているか」

「……たぶん」

 

三本目。

「他人の食事を勝手に取らない」

「……取ってない」

「俺の煮込みを食べた」

「……一匙」

「量の問題ではない」

 

 

四本目。

「人前で俺のステータスを読まない」

「……うん」

「特に説明文と奥義名」

「……緋月」

「今、言わなくいていい!」

「……無刀返し」

「今分かった……。そこは絶対条件だぞ!」

ノーチェはわずかに頬を膨らませた。

 

 

「最後」

俺は手を差し出す。

「勝手についてくるのではなく、俺の旅の仲間として来てほしい」

ノーチェが自分自身の手を見て、次に、俺の顔を見る。

 

そして、ゆっくりと、俺の手に自分の手を重ねた。

小さくて、冷たい。

だが、しっかり握り返してくる。

 

「ノーチェ。これから、よろしく頼む」

「……うん……よろしく、進」

 

表示が更新される。

【第一同行枠:ノーチェ】

【状態:正式加入】

【関係:観測対象】

 

文字が揺れた。

【関係:旅の仲間】

 

今度は叫ばなかった。

その文字を少しだけ見てから、表示を閉じる。

 

板戸の外で、風が鳴った。

宿の夜は静かで、戦場の音は聞こえない。

 

俺とノーチェ。

正式な旅の仲間は、まだ二人だけだ。

でも、それで十分だった。

少なくとも、その時はそう思っていた。

 

 

 

 

 

 

翌朝。

卓の上へ地図と手帳を広げる。

身体はまだ痛いが、昨夜よりはましだった。

ノーチェは窓際の椅子へ座り、星盤を膝へ載せている。

俺は今後の方針を手帳へ書く。

 

【アルディスへ直接同行しない】

【原作の異常箇所を調査】

【侵攻経路変更の原因を確認】

【過去に関わった人物の動向を把握】

【帝国中枢の計画を探る】

【必要時のみ介入】

 

これでいい、原作主人公の物語を奪わないが、放置もしない。

世界の外側から崩れた部分だけを直す。

 

「これでいい」

ノーチェが手帳を覗き込む。

「……仲間、増える?」

「今は考えない」

「……二人?」

「二人だ」

「……小規模」

「軍ではない」

「……個人の実力は?」

「俺は一般人だ」

 

ノーチェが黙ってこちらを見る。

「何だ」

「……一般人は、軍神と朝まで戦わない」

「例外もあるさ」

「……塔も倒さない」

「忘れてくれ……」

 

ノーチェは納得していない。

俺は手帳へ大きく書き足した。

 

【少人数で行動】

【組織を作らない】

【解放軍ではない】

 

「これで完璧だな」

ノーチェが読んでいる。

「……否定、多い」

「大事なことだからな」

視界の端に文字が浮かんだ。

 

【暫定行動単位:二名】

【組織判定:未成立】

 

「そうそう、これだ。これでいい」

俺は初めて表示へ素直に頷いた。

次の一行が出る。

 

【将来的拡張性:高】

 

「余計なことを書くな!」

朝の宿へ、俺の声が響いた。

階下から宿の主人が叫ぶ。

 

「怪我人なら静かに寝てろ!」

「すみません!」

ノーチェが小さく頷く。

「……拡張性、高」

「読むな」

「……増える?」

「増やさない」

「……未来」

「見るな」

 

ノーチェは、ほんの少し笑った。

板戸の向こうには、朝の街道がある。

アルディスは別の道を進むし、帝国も動く。

俺が変えてしまった人々も、それぞれの場所で選び始めている。

 

俺はいずれ、観客席へ戻るつもりだった。

必要な時だけ手を出し、終われば消えるつもりだった。

だが、どうやらもう遅いらしい。

 

賽は投げられた。

ヒーロー、大地に立つ。

 

顔文字だけは、絶対に認めない。

俺は手帳を閉じた。

隣では、最初の旅の仲間が星盤を抱えている。

 

「行くか」

「……うん」

「まずはフェルマータだ」

「……煮込み」

「それから情報整理だ」

「……煮込みの後?」

「そうだ」

「……麦酒も?」

「お前は飲むなよ?」

「……一匙」

「匙でもだめだからな!」

 

ノーチェが星盤を抱えて立ち上がる。

俺も傷んだ身体を庇いながら、背負い籠を持った。

新しい旅の始まりにしては、格好がつかない。

刀の鞘は割れかけで、外套は裂けている。

さらに、包帯だって厚い。

そして同行者は、神殿へ無断で飛び出した巫女。

 

それでも、一人ではない。

それだけは、悪くなかった。

 

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