観客席の男 ―ここまで遊んでくれてありがとう! 作:ザキグン
ゲームを遊び終えた……、そう思った。
正確には、もう何度目かも分からないエンディングを見終えたところだったんだ。
画面の中では、東の聖王国を失った王子アルディスが、西の帝都を見下ろす丘へ立っていた。
長い戦いを終えた仲間たちが、その背後に並んでいる。
亡国、旅立ち、仲間との出会い。裏切りと和解。
古代の聖剣に、帝国の闇。
そして、三百年前から続く魔王戦争の因縁。
俺が遊び尽くした戦略ゲーム――『聖剣戦記エルドガルド』は、筋だけを見れば実に真っ当な英雄譚だった。
筋だけを見れば、だが。
スタッフロールが流れる画面を前に、俺は椅子の背へ身体を預けた。
今回の条件は、二軍中心、購入武器禁止、能力上昇アイテム制限、死者ゼロ。
もちろん、救える味方は全員生存だ。
「……やっぱり、いないんだよなあ」
エンディング後の人物一覧を眺める。
ヴェスナの名前はない。
ディルクの名前もない。
二人とも敵だった。
ヴェスナは、原作屈指の射程と魔力を誇る《雷公》。
ディルクは、正面突破がほとんど不可能とまで言われた帝国最強の槍将。
どちらも終盤の壁であり、どちらにも救済手段がない。
何周しても、全条件を達成しても、隠し会話をすべて開いても。
説得役になりそうな人物を隣接させても。
攻略本にない条件を疑って何十通りも試しても。
ヴェスナは最後まで皇太子への愛と忠誠を捨てなかった。
間違っていると気づきながら、雷を放ち続けた。
最期には、崩れ落ちる雷宮の中で静かに笑う。
戦場に響く断末魔。
少し遅れて細くなる音楽。
声へ淡い反響が重なり、最後の言葉のあとには、わざわざ数秒の無音まで挟まれる。
あの演出を考えた人間は、プレイヤーの涙腺を壊すことに命を懸けていた。
「説得コマンドを出せよ……」
何度言ったか分からないや。
画面の向こうへ言っても意味はないが、言わずにはいられないんだよ。
「選択肢の一つくらい用意しろ。何で敵専用なんだよ。性能がおかしいだろ。加入したら強すぎるからって、それで死なせていい理由にはならないだろ……」
ディルクも同じだ。
最後まで帝国軍人として立ち、部下を逃がしたあと、一人でアルディスたちを迎え撃つ。
倒されたあとも膝をつかず、槍を支えに立ったまま息絶える。
あちらも声優の演技が凄まじかった。
味方の散り際だけでも十分に泣けるゲームなのに、敵まで全力で泣かせにくる。
開発スタッフには人の心がある。
人の心があるからこそ、正確に壊しにきている。
「ふぅ……、次は何を試すかな……」
終わったばかりなのに、次の周回を考える。
ヴェスナの戦闘前会話を別の順番で発生させるか。
ディルク戦へ特定の槍兵を連れていくか。
原作序盤第二マップの山賊頭を倒さず、一定ターン逃げ回ってみるか。
意味はないかもしれないが……、試していない条件が残っている限り、諦める気にはなれなかったんだ。
やがて、スタッフロールが終わる。
暗転。
通常なら、タイトル画面へ戻る。
だが、その日は違った。
真っ白な画面の中央に、見覚えのない文字が浮かんだ。
『すべての試練を達成しました!』
「……すべて?」
実績なら、すでに全部埋めた。
隠し称号も出しし、設定資料集に載っていた没条件まで試したんだぞ?
『ここまで遊んでくれてありがとう!』
何だか、急に軽くなったな。
さっきまで俺に、ヴェスナを悲劇的に死なせておいて、その温度差は何だよ……。
『君はこの世界のヒーローさ☆』
「星をつけるな!!」
エンディングで人を泣かせた直後に、星をつけるなって!
どういう感情で読めばいいんだよ、笑えねぇよ……。
『特別兵種《ヒーロー》を解放しました!』
「いや、勇者ならもういるだろ?」
このゲームには、主人公アルディスが条件を満たして就く上級職《勇者》が存在する。
表示は同じ意味でも、こちらは明らかに別枠らしい。
名称の装飾も軽いし、説明文だって軽い。
絶対に開発者の悪ふざけだな、こりゃ。
詳細を開こうと、操作機器へ手を伸ばした。
その瞬間……画面が光った。
「は?」
白い光が部屋を埋める。
眩しい。
目を閉じる。
椅子が消えた。
床も消えた。
浮遊感のようなものが一瞬あり――。
背中が痛い……、目覚めた俺が最初に思ったのは、それだった。
次に、土の匂いがした。
草、湿った木。遠くで鳥が鳴いている。
俺は目を開けた。
木々の隙間から、青い空が見えた。
「……どこだ、ここ」
自分の部屋ではない……、当然だ。
部屋の床に苔は生えていない。
立ち上がろうとして、服が変わっていることに気づいた。
簡素な布の上着に。革のベルト。
丈夫そうなズボンと靴。
少なくとも、さっきまで着ていた部屋着ではない。
そして右手の近くには、黒い鞘へ収められた長いものがあった。
見覚えのある形。
「……刀?」
手に取る。
この重さが、下手な作り物ではないことを感じさせる。
黒塗りの鞘に、小さな鍔。
柄へ巻かれた黒い布。
鯉口をわずかに切ると、光を返す鋼が見えた。
「いや、待て!」
なぜ刀がある!?
なぜ俺は森にいる!?
なぜ服が変わっている!?
なぜ腰の反対側に短い刃物まである!?
そして何より……。
「左上のこれは何だ」
視界の端に、半透明の文字が浮かんでいた。
目を動かしても、一定の位置からずれない。
意識を向ける。
表示が広がった。
【田中 進】
【所属:なし】
【兵種:《ヒーロー》】
【状態:混乱/軽度脱水】
【個人スキル:《戦意恒常》《攻略知識》】
【兵種スキル:《全兵装適応》《自主制約》】
最後に、説明文が現れる。
『ここまで遊んでくれてありがとう! 君はこの世界のヒーローさ☆』
「ふざけんなーっ!」
森の鳥が一斉に飛び立った。
「誰がヒーローだ! これは完全攻略のおまけ職だろ! 説明文に帰還方法を書け! 何で状態欄で脱水だけは正確なんだ!」
当然、返事はなかいし、何度呼びかけても、追加説明は出ない。
《ヒーロー》の詳細を意識すると、補足だけが開く。
【特殊兵種】
【全兵装への最低適性を保証】
【戦闘時の精神状態を一定範囲に維持】
【自主的な制約に応じて能力補正を獲得】
「最後の機能、完全に俺のプレイ履歴から作っただろ」
二軍縛りに購入禁止、初期装備限定から特定兵種禁止まで、散々やった。
それを現実でやれというのかよ……。
いや、現実かどうかも分からない。
夢かもしれないし、精巧すぎる仮想空間かもしれない。
ゲーム側から妙な記念品が送られてきただけかもしれない。
そう考えながら、足元の草へ意識を向けた。
【薬草】
【低級回復薬の材料】
【そのまま食べると苦い】
「……ゲームの薬草だ」
近くの木。
【赤樫】
【木材価値:低】
【可燃性:良好】
茂みの奥から、小さな角のある兎が顔を出す。
【角兎】
【敵対性:低】
【食用可能】
【調理推奨】
兎は俺を見て、逃げた。
文字は消える。
「まじ、かよ」
国名も人物も、まだ確認していない。
だが、この表示形式には覚えがある。
『聖剣戦記エルドガルド』のものだ。
ゲームでは味方や敵を選択すると、兵種、能力値、装備、状態が表示された。
完全に同じではない。
薬草の味や兎の調理法までは表示されなかった。
それでも、根は同じものだ。
「ここがゲームの世界なのか……?」
口に出してから、自分で首を振る。
断定はできない。
ゲームがこの世界を元に作られた可能性もある。
俺にだけゲーム風に見えている可能性もある。
少なくとも、画面の向こうにあった平面ではない。
土は湿っているし、風は冷たい。
喉は渇けば、刀は重い。
現実感がありすぎるんだよ。
「まず、水か」
考えるのは、生き延びてからだ。
腰へ刀を差す。
その瞬間、握り方、抜き方、刃の向き、身体の置き方が、知識として頭へ流れ込んできた。
《全兵装適応》。
名前どおりらしい。
だが、知っていることと、できることは違う。
歩き始めて間もなく、それを思い知った。
唸り声が聞こえた。
茂みの奥から灰色の毛。
黄色い目……、そして三匹。
【灰牙狼】
【兵種:魔獣】
【脅威度:低】
【推奨交戦レベル:1】
「低、ね」
ゲームでは序盤の雑魚だった。
初期兵でも倒せる。
経験値稼ぎに使う敵で、弱点は火。
群れの左右から回り込む習性がある。
あぁ、知っている、全部知っている。
だが、画面の中の灰牙狼は、こちらへ牙を向けて唾液を垂らしたりしなかった。
勿論ゲーム越しだったから、臭いもなかった。
喉の奥で鳴る低い音が、腹へ響くことだってなかったさ……。
左の一匹が動く。
右が遅れて回り込む。
知識どおりだ。
刀へ手を掛ける……でも、手が震えた。
「っっ……怖いに、決まってるだろ……」
ゲームなら、攻撃範囲を数えるだけだったけど、今は、喉を噛まれれば死ぬ。
逃げたい……でも、背を向ければ追いつかれる。
中央の狼が飛びかかった。
俺は刀を抜く。
自然と身体が動けば、刃が灰色の胴を通る。
手に感じる抵抗と、温かいものが手へかかる感覚。
狼が地面へ落ちて、鳴き声を漏らす。
そして……、『血』
「うっ……!」
胃が縮み、吐き気が込み上げた。
だがそんな俺を待つこともなく、直ぐに右から、二匹目が来る。
怖い……、足が逃げようとする。
それでも視線は逸れず、思考も止まらなかった。
【《戦意恒常》発動中】
恐怖が消えたわけではないんだ。
心臓は痛いほど鳴っているし、今だって吐きそうだ!
それでも、何故か次の行動を選べてしまう。
右の狼が低く跳ぶ。
刀を振り回せば間に合わない……だから、鞘を左手で抜き、鼻先へ叩きつける。
狼が怯めば、身体を半歩ずらし、刃を下から通した。
二匹目が倒れる。
三匹目が背後から来た。
肩へ爪が触れる……熱い痛みっ!
「あぁぁっっ――!!」
反射的に振り返り、振り返りざまの刀身の背が、偶然狼の頭へ当たった。
……殺しきれない!
灰牙狼が再び牙を剥く。
俺は両手で柄を握り、踏み込んだ。
刃が首筋へ入り、するりと斬ってしまえば……、狼が動かなくなる。
静かになった・……自分の呼吸だけがうるさい。
刀を落としそうになり、慌てて握り直した。
画面の中の赤い演出なんかじゃない……!温かく、臭いのある、本物の血!
「うぷぅっ!……こ、こんなん、無理だろ……うげぇっ!!」
数歩離れた場所へ座り込み、そのまま吐いた……。
薬草を見つけて、狼を倒し、経験値を得て、町へ行く。
ゲームなら数分で終わる序盤。
現実には、最初の雑魚敵三匹でこれなんだ……。
肩も痛いし、怖かった、もす死ぬと思った……。
それでも、動けた。
《戦意恒常》。
便利ではあるし、ありがたい。
だが名前が気に入らない……。
何がヒーローだ!!
ただ恐怖で動けなくならないだけじゃないか!
怖いものは怖い……。
俺は震える手で刀を拭き、鞘へ戻した。
「もぅ……、帰りたい……」
森は何も答えてはくれなかった……。
それから数日、俺は森と街道の間をさまよった。
表示どおり、生の薬草は泣きたくなるほど苦かった。
別の魔物からは逃げ、浅い川で転び、保存食を節約しすぎて腹を空かせた。
ようやく荷馬車へ拾われた時には、ヒーローというより遭難者だった。
そこで初めて、ここがエルドガルド大陸であり、西方のヴァイセンベルク帝国領だと知った。
年号を聞き、さらに頭を抱えた。
原作開始までは、およそ三年。
ゲームと同じ国名に、同じ通貨。
同じ兵種に同じ魔法。
ただし、ゲームには名前も出なかった村や町が、いくつも存在していた。
人々は普通に暮らしている。
笑い、働き、喧嘩し、病気になり、腹を空かせる。
画面の中の駒ではない。
それを理解するまで、それほど時間はかからなかった。
交易都市へ着いてからも、数日は仕事を探したが、問題は身分証明だった。
出身地を説明できないし、保証人も当然いない。
文字は読めたが、翻訳補助のような何かが働いているだけで、筆跡はひどい。
港の荷運びは定員。
商会の雑用は紹介状が必要。
傭兵登録では実戦経験を聞かれ、狼三匹と答える勇気はなかった。
そして、問題は金になった。
「あと二日か……」
安宿の狭い部屋で、残った硬貨を数える。
食費を削れば三日。
宿代を払えば二日。
帰る方法を探すにも、まず生きる必要がある。
そこで見つけたのが、地方闘技場の飛び入り募集だった。
勝てば賞金。
身分不問。
武器自由。
ただし顔と名前が記録される。
「顔を隠せばいいか」
我ながら、なぜそうなった。
今なら分かる……もっと穏当な仕事を探すべきだったんだ。
しかし当時の俺は、手元にあった黒い布と装具を見てしまった。
転移時に一緒に置かれていたものだ。
黒い頭巾。
固定の甘い面。
やたら長い外套。
胸元へ大きく縫われた金色の妙な紋章。
前世で見た子ども向けヒーロー番組の意匠に、どこか似ていた。
おそらく《ヒーロー》職の初期装備だったのだろう。
着てみると外套の裾を踏んだ。
面は少し俯くだけでずれた。
袖の布は刀の柄へ絡みそうになった。
「くそ……絶対、笑われるよな」
当然笑われた、かなり笑われた。
初めて闘技場へ入った時、客席から遠慮のない笑い声が降ってきた。
この世界のどの国にも属さない装束。
見たことのない面に、黒い外套、そして腰の刀。
当時の俺は、今ほど堂々と歩くこともできなかった。
格好がおかしい自覚があるので、足取りも微妙に縮こまっていた。
相手は笑っていたし、実況だって困っていた。
試合が始まっても、俺は華麗とはほど遠かった。
長すぎる外套を避けながら間合いを取り、相手の能力表示と動きを何度も見比べる。
相手は初撃に力を込めすぎる癖があった。
大振りを一度かわし、次の一歩だけを狙う。
俺は自分へ、刀を抜くのは一度だけという条件を課した。
何故そう思ったのかは当時はわからない……、その思考が誰かに操られたものなのか……、普通なら、勝つためなら自身への制約など愚の骨頂だ。
だが、ゲームの縛りプレーの影響だったかはわからないが、自身への制約を課すと、様々な恩恵を得られた。
【自主制約成立】
【制約強度:小】
【技・速さ補正:小】
抜刀は一度。
相手の武器を弾き、喉元で止めた。
足運びは危うかったし、刀を止めた腕も震えていた。
それでも、観客の笑いは消えた。
完璧だったからではない。
異様な武器を持った初心者が、一瞬だけ別人のような動きを見せたからだろう。
少し遅れて、拍手が起きた。
賞金を受け取った。
宿代と食費を確保した。
それだけのはずだった。
まさか、その試合を一人の少女が見ていたとは知らなかったんだ。
「待ってください」
闘技場の裏口を出たところで、声を掛けられた。
振り返れば、黒に近い紫色の外套をまとった少女が立っていた。
年齢は、十六か十七ほど。
フードの下から淡い銀髪が覗いている。
顔立ちは若い。
それでも、身分の高い者だとすぐ分かった。
立ち方に言葉遣い、そして、こちらを見る目。
育ちの良さは、簡素な外套では隠せないものなんだな。
「何か?」
覆面を着けたまま、声を低くする。
初めてなので、演技はかなり不自然だったと思う……。
「先ほどの試合を拝見しました」
「そうか」
「なぜ、相手を傷つけなかったのです?」
「必要がなかった」
少女は少し黙った。
「勝つために必要な力だけを使った、と?」
「そうだ。……いや、左様」
えっと……、左様で合っているのか?
「あなたほどの力があれば、もっと多くのものを得られるでしょう」
「例えば?」
「地位。名誉。国からの庇護」
「不要だ」
「……どうして?」
真剣な顔だった。
単なる好奇心ではない。
俺は少し考えた。
「名誉は、宿代にならぬ」
「や、……宿代?」
「食費にもならぬ」
少女が目を瞬く。
冗談だと思ったらしいが、俺は至って本気だ。
「国へ仕えるおつもりもないのですか」
「ない」
「それほどの力があるのに?」
「力を持つ者が、必ず国へ仕えねばならぬ道理もあるまい」
少女の瞳が、わずかに揺れた。
しばらく迷ったあと、彼女は問いを重ねる。
「強い者の力は、国のために使われるべきではないのでしょうか」
「誰かを守るために使うのは悪くない」
「では――」
「だが、強さを持つだけで、その者自身まで国のものになるわけではない」
少女が息を止め……、何かを言いかける。
その時。
彼女の右手にある指輪が、紫色に光った。
「――っ!」
少女が手を押さえる。
空気が震え、銀髪が浮く。
白い光が毛先を走る。
「下がれ!」
反射的に叫ぶと同時に、雷が落ちた。
俺は地面へ転がった。
少女の周囲へ、何本もの雷が走っている。
彼女自身も苦しそうに胸を押さえていた。
表示が開く。
【名称:ヴェスナ】
【所属:ヴァイセンベルク帝国宮廷魔術院】
【役務:国家指定雷術士候補/皇太子婚約者】
【兵種:雷術士】
【将来兵種候補:《雷公》】
【魔力成長限界:40】
【状態:魔力回路暴走/触媒汚染】
【危険度:極大】
【原作登録:帝国軍・終盤登場】
【触媒汚染:外部術式】
【自然暴走ではない】
「ヴェスナ……?」
知っている……嫌というほど知りすぎている。
原作終盤の人気ボス。
大陸最大級の射程に、複数部隊を一撃で焼く雷魔法。
皇太子への愛ゆえに、最後まで敵として立ち続けた女。
ディルクと並び、仲間にしたかった敵将として人気を二分した人物。
だが、目の前にいるのは若い少女だ。
原作開始は、まだ三年近く先。
原作なら、彼女はここで死なない。
なら、誰かが助ける。
あるいは自力で収める。
そう考えた瞬間、表示が赤く変わった。
【魔力回路損傷率:31%】
【周辺被害予測:拡大】
【救済条件:外部放電/触媒術式切断/本人の出力停止】
少女が悲鳴を上げる。
原作なら生きる……、だから助けなくていい。
そんな理屈が、人間の悲鳴を前に通るわけがなかった。
「くそっ!!」
俺は刀を抜き、雷の中へ入った。
全身の毛が逆立つ。
皮膚が焼けるように痛い!
刀を石床へ突き立てるが、それだけでは足りない。
補助刀で、刀身を中心に三本の溝を刻む。
《全兵装適応》が示した、最低限の放電印。
雷を俺の身体へ通すのではない。
刀へ集め、三方向へ逃がす。
それでも漏れた電流が腕を焼いた。
少女の指輪から、さらに魔力が噴き出している。
【汚染触媒:右手中指・第二指輪】
【外部術式接続点:魔石台座と環の接合部】
【接続点切断を推奨】
「右手を出せ!」
少女は聞こえていない……、だから、腕を掴んだ。
当然、雷が身体へ流れ込んだ。
「がぁっ!!」
息が止まり、視界が白くなる。
【自主制約を設定しますか】
意識する……、暴走が収まるまで、刀も魔力も身体能力も、他者への攻撃には一切使わない!
【自主制約成立】
【制約強度:中】
【魔力制御・属性耐性補正:中】
少しだけ身体が動く。
補助刀の切っ先を、魔石台座と指輪の環の接合部へ当てる。
「……っ、切るぞ!」
返事はない。
指へ触れない角度を選び、一点だけを断つ。
金属ではなく、そこへ絡んだ外部術式が裂ける感触があった。
指輪から紫色の魔石が外れた。
光が弾け、雷が一瞬だけ膨れ上がり、刀と三本の溝を通って地面へ流れた。
腕が焼け、膝が落ちる。
それでも手を離さない!
「止めるんだ!」
少女へ叫ぶ。
「俺が雷を逃がす! お前は止めろ!」
「でき……ない……」
「できる!」
根拠は表示されている。
【本人の出力停止:可能】
【必要条件:自己意思による制御】
「これは、お前の雷だろ!」
少女の瞳が開く。
「誰かに出されたものじゃない! お前が止めるんだ!」
雷が揺れ、少しずつ弱まる。
光が細くなり……、最後の一条が刀へ落ち、地面へ消えた。
静寂の中、俺は刀を支えに立っていた。
くそっ!腕は痺れるし、服の一部は焦げ焦げだ!
少女は地面へ座り込んでいる。
表示を確認する。
【状態:安定】
【魔力回路損傷:軽度】
【触媒汚染:解除】
「よかった……」
息を吐いた瞬間、力が抜け……、俺は座り込んだ。
少女――ヴェスナが、俺を見ていた。
「なぜ……」
「何が?」
「なぜ、助けたのです」
「目の前にいたからだよ」
「私は……帝国の雷です。いずれ、帝国の敵を焼くための」
「誰が決めたよ?」
「て、帝国が……」
少し間が空く。
「で、殿下、が……」
皇太子レオポルト。
原作の元凶側。
ヴェスナが愛し、最後まで離れられなかった男。
ヴェスナは自分の右手を見つめた。
「先日、私は帝国の町へ雷を落としました」
「人を狙ったのか?」
「違います!」
即座に否定した。
「鉱山都市で、税と徴兵に反発した住民が総督府へ押しかけました。軍は反乱と判断し、私は鎮圧部隊へ随行しました」
彼女は指揮官ではなかった。
表示を見れば分かる。
国家指定術者候補。
最小限の被害で戦意を折るための、若い切り札。
「命じられたのは、市門と武器庫の破壊です。人へは当てませんでした。そのおかげで突入は避けられ、死者も少なく済んだと聞いています」
「それなら、何が気になる?」
ヴェスナは唇を噛んだ。
「市門の向こうに、子どもがいました」
それだけ言って、黙る。
「怖がっていたのか?」
小さく頷いた。
「母親にしがみついて、私を見ていました。私は人を狙わなかった。でも、あの子には……同じことだったのでしょう」
雷を落とした怪物に見えた……、言葉にしなくても、伝わった。
「後で記録を読んだのです」
ヴェスナは途切れ途切れに続ける。
「住民の訴えには理由がありました。冬を越せないほど税を取られ、家族を徴兵されていた。それでも、公式記録には《反乱》と、私が鎮めた功績しか残りませんでした」
「帝都では褒められた?」
「はい」
ヴェスナの声が沈む。
「帝国に必要な力だと。少ない犠牲で争いを終わらせたのだから、誉れに思うべきだと」
「貴女は、そう思えなかった」
「思うべき、なのです」
答えは早かった……、だが、それは、自分へ言い聞かせるような声だった。
「私が行かなければ、もっと多くの人が死んでいたかもしれない。だから正しい。正しいはずなのに……あの子の目が忘れられません」
ヴェスナは顔を上げる、紫紺の瞳に、迷いがあった。
「私は帝国を愛しています。守りたい民がいます。尊敬する軍人も、誇るべき歴史もあります。殿下のことも、お支えしたいと思っています」
「ならば、命令を疑うことが怖いのか?」
ヴェスナは、しばらく答えなかった。
やがて、かすかに頷く。
「殿下は、責任はご自分が負うと仰いました」
その声が、少しだけ柔らかくなる。
愛しているのだろうな。
「私の雷は、殿下が正しく使う。私は迷わず、隣にいればよいと」
優しい言葉だ……一見すれば。
だが、原作を知る俺には、その言葉の行き先が分かっているんだ。
ヴェスナは最後まで、自分の正しさを皇太子へ預ける。
間違いに気づいても、選び直せない。
「命令に迷う私は、帝国を愛していないのでしょうか……?」
ヴェスナが尋ねた。
「殿下は迷わなくてよいと仰います。でも、迷わなくなることが正しいとは、どうしても思えないのです」
あぁ、もう……重い!どうして初対面の覆面男へ、そこまで聞んだよ……
いや、助けた直後で、正体不明だからこそ言えるのかもしれない。
俺は政治家でもなけりゃ、軍人でもない。
当然、人生相談の専門家でもない。
ただ、原作のヴェスナの末路を知っているだけだ。
彼女の性能を見て、毎周回「加入させろ」と愚痴っていたプレイヤーだ。
だから、最初に出たのはゲームの言葉だった。
「強い駒ほど、指示どおりに動かすだけでは駄目だ」
「……こ、駒?」
「い、今のは忘れろ」
やっべ!完全に失言だ!
人を駒と呼ぶなって、俺!
「国を好きでいることと、命令を全部正しいことにするのは、たぶん違う」
ヴェスナが俺を見る。
「少なくとも、迷うのは見えているからだろう」
「あの子の顔も、命令の裏側も」
「何も見ずに従う者より、貴女の迷いの方が信用できる」
ヴェスナは何も言わなかった。
俺も、次の言葉を探す。
「民を守るための雷が、民の声を消すために使われたなら、迷うのが当然だろ」
「では、命令を拒めと?」
「何でも拒めとは言わぬ」
そこまで単純ではない。
ヴェスナが行かなければ、本当に死者が増えた可能性もある。
「だが、正しさまで他人へ預けるな」
「正しさを……」
「命じた者が責任を負うと言っても、雷を受けた者が見るのは、命じた者ではない」
ヴェスナの表情が固まる。
「実際に雷を放った、貴女だ」
厳しい言葉だったと我ながら思う。
だが、そこだけは他人へ渡してはいけないんだ。
「貴女の雷は、貴女のものだ」
「でも、私は帝国の魔術師です」
「立場はそうだろうさ」
所属と所有は違う。
「誰を守るか。何を狙うか。いつ振るうか振るわないか」
俺は砕けた指輪を見る。
「最後に選ぶ責任だけは、他人へ渡すな」
ヴェスナは何も言わない。
「強い者ほど、誰に使われるかで、最悪にも最善にもなる」
原作のヴェスナは、最悪の使われ方をした。
本人は最後まで善良だったのに。
「だから、動かす主を選べ」
「私が……選ぶ?」
「そうだ」
「すでに選んだ後でも?」
レオポルトを指しているのだろう。
「選び直せばよい」
ヴェスナの瞳が揺れた。
「主が正しくなくなったなら。あるいは、自分が間違えたと思ったなら」
そもそも、原作のヴェスナは性能がおかしい。
あれほどの射程と魔力を持つ人物を、敵専用に固定するなよ。
説得会話の一つくらい用意しろって!
しかも忠誠心を利用され、最後には死亡ときた!
開発スタッフはほんと、人の心がないわ!
さっきまで人の心があるから正確に壊しにきていると思っていたが、やはりないのかもしれない。
俺は原作への愚痴を、それらしい言葉へ直して伝えただけだった。
ヴェスナは、人生の答えを授けられたような顔をしていた。
いや……そこまで立派なことは言っていないって。
俺は立ち上がろうとした。
足に力が入らない。
膝が一度、地面へ戻った。
ちくしょう~・……格好がつかねぇ!!
「……だ、大丈夫ですか?」
「問題ない」
問題はある。
すっげぇ、全身が痺れているが、覆面姿なので、ここは強がるしかない!
「あなたは、誰なのです」
ヴェスナが尋ねる。
「名は……、必要あるまい」
「私にはあります」
真っ直ぐな目だった。
名乗るべきではない。
原作の重要人物へ、転移して間もない時期から本名を教えるのは危険すぎる。
俺は背を向けた。
「ま、待ってください!」
歩く。
一歩目は問題ない。
二歩目も何とか。
三歩目で足がもつれた。
壁へ手をつく。
見られていないことを祈る。
「ほ、本当に大丈夫ですか……?」
ちくしょ~、見られていた!
「も、問題、ない」
俺は、その場を離れた。
町を出る前に、少し離れた通りからヴェスナを確認した。
帝国の迎えらしい馬車が来ている。
従者たちが彼女を囲んでいた。
表示を開く。
【ヴェスナ】
【状態:安定】
【触媒汚染:解除】
【新規分岐:発生】
【価値観変動:自己選択】
【俺への関心:極大】
「え?……極大?」
命を助けた直後だ、関心くらい上がるだろう。
でも、きっと数日で落ち着くだろうさ。
原作開始までは、まだ三年近くある。
一度会っただけの覆面男で、名前すら知らない。
さらに顔だって、見てもいない。
そんな相手の言葉が、終盤の敵将の人生へ影響するはずがない。
「うん、大筋には影響しない」
馬車へ乗る直前、ヴェスナは一度だけ振り返った。
砕けた指輪の跡へ手を添え、何かを呟く。
ここからでは聞こえなかった。
ただ、表示の《自己選択》だけは消えなかった。
この頃の俺は、本気でそう思っていた。
ただ宿代を稼ぎ、目の前で苦しんでいた少女を助け。原作への愚痴を、それらしい言葉へ直して伝えただけだと。
まさか数年後。
原作では終盤まで待つはずだった帝国最強の雷が、俺を捜して戦場へ現れるとは。
その時の俺は、知る由もなかった。
某手ごわいシミュレーションの影響を受けてる作品、「こいつ絶対アイツ枠だ!」を笑いながら見ていただけますと幸いです。
本当に楽しいですよね、あの作品!