観客席の男 ―ここまで遊んでくれてありがとう! 作:ザキグン
星降りの遺跡は、夜の方が美しい。
昼のうちは、崩れた柱や風化した壁、草に埋もれた階段が残るだけの、ありふれた廃墟に見える。
だが日が沈めば、その姿は一変した。
空に浮かぶ星々の光が、石床へ刻まれた古代文字へ流れ込み、淡い青白い輝きを灯す。
巨大な円形広間の中央では、青銅と銀で作られた古代の星盤が、音もなくゆっくりと回転していた。
星路、運命、未来、過去、人の生涯や戦争の流れまでを、断片的に映し出す古代文明の遺産。
その星盤の前に、一人の少女が座っていた。
淡い銀色の長い髪に、眠たげな灰色の瞳。
白と藍を基調にした巫女装束には、細い銀糸で星の意匠が縫い込まれている。
小柄な身体を星盤へ預けるようにして、少女――ノーチェは静かに観測を続けていた。
これまで彼女が見てきた未来には、いくつかの大きな流れがあった。
帝国と王国、迫る戦争、聖剣、そして、亡国の王子。
細部に揺らぎはあっても、流れそのものが大きく外れることはない。
だからこそ、未来を読むことができる。星詠みは人々へ道を示せる。
少なくとも、今日までは。
星盤の光が不意に揺れた。
いくつもの星図が重なり、すぐに崩れる。
ノーチェは小さく首を傾げ、星盤へ手を置いた。
【観測対象不明】
もう一度、魔力を流す。
【観測対象不明】
さらに観測を重ねても、返ってくる結果は同じだった。
【観測対象不明】
「……?」
観測できない未来はある。
霧に包まれ、輪郭を失うこともある。
けれど、対象そのものを認識できない現象は初めてだった。
ノーチェは星盤へ両手を置き、普段より深く魔力を流し込んだ。
古代文字が明滅し、円盤の回転が速くなる。
やがて、星盤に刻まれていた文字が乱れた。
見慣れた観測式の上から、まるで別の法則によって作られた文字列が強引に割り込んでくる。
【名称:田中進】
【兵種:《ヒーロー》】
【原作登録:なし】
「……?」
知らない名前だった。
どの国の名簿にも、星詠み神殿の記録にも存在しない。
そもそも「原作登録」という項目が何を意味するのか分からなかった。
さらに、その下へ説明文が現れる。
【説明】
ここまで遊んでくれてありがとう!
君はこの世界のヒーローさ☆
ノーチェは今度こそ、完全に停止した。
星盤だけが回り続ける。
五秒……、十秒……、十五秒。
ようやく、彼女は小さく呟いた。
「……全部、変」
その声に、離れた場所で記録を取っていた巫女が振り返った。
「ノーチェ様。観測結果はいかがでしたか?」
「……変」
「何がでしょう?」
「……全部」
まったく説明になっていなかった。
それから数日後の、フェルマータの昼下がり。
俺は宿の部屋で、机いっぱいに広げた手紙を前に頭を抱えていた。
整理しているのではない。
どちらかといえば、現実逃避に近い。
「何で増えてるんだ……」
差出人は全てミレアだった。
挑戦状、修行報告、敗戦記録、旅先の感想、勝手な師匠への質問。
それらを一通ずつ送ればいいものを、なぜか十二通分の内容を巨大な封筒へまとめて寄越している。
途中から完全に旅日記になっていた。
最後の三枚は、全部挑戦状だった。
「量がおかしいだろうが」
ため息を吐いたところで、部屋の扉が叩かれた。
「タナカ。客だ」
宿の主人の声だった。
「俺に?」
「そうだ」
「借金取りじゃないだろうな」
「女の子だ」
「なんで……」
ヴェスナもミレアなのか、それとも別件だろうか……、いや、別件も何も、やましいことは何もない!
だが、今回くらいは普通の用件であってほしい。
そんな願いは、階段を降りて宿の入口へ向かった時点で消えた。
入口には、小柄な少女が立っていた。
淡い銀色の髪は腰まで届き、白と藍の巫女装束には星を模した刺繍が施されている。
眠たげな灰色の目にも、今のところ見覚えはない。
初対面のはずだ。
ところが少女は、俺の姿を認めるなり、ほんの少し目を見開いた。
「……見つけた」
第一声がそれだった。
「誰?」
少女はしばらく考え、自分を指差した。
「……ノーチェ」
「そうか」
「……うん」
それで会話が終わった。
あぁ、いや、終わられても困る。
俺が次の言葉を探していると、ノーチェは一歩近づいた。そして、俺の頭上――正確には、俺にしか見えないはずの位置へ視線を上げる。
「……ヒーロー」
背筋が凍った。
「待て」
「……?」
「今、どこを見たんだ」
「……ステータス」
今度こそ、完全に俺の思考が止まった。
「な、何で?」
「……読めた」
「何で読めるんだよ!?」
「……普通は?」
「読めない読めない!」
「……そう」
「そうじゃねぇぇ!」
何でそんなに平然としている!?
俺のステータスは、他人には読めないはずだった。
少なくとも、この世界で俺以外に見えた人間は一人もいない。
「何が見えてるんだ?」
「……名前。兵種。説明」
「能力値は?」
「……霞んでる」
「いや……、それでも十分すぎる。説明文を読んでみてくれ」
確認のために言うと、ノーチェは素直に頷いた。
「……ここまで遊んでくれてありがとう」
呼んでくれと頼んだ俺が言うのも何だか、それ以上はやめてほしい……。
「……君はこの世界のヒーローさ」
「それ以上、声に出さないでくれ!」
宿の主人が怪訝そうにこちらを見た。
違う。俺が少女へ妙な文章を暗唱させているわけではない。
「ほ、本当に見えてるのか……?」
「……見えてる」
「な、何で」
「……分からない」
それはそうだろう。
俺だって、この表示の正体を完全には理解していない。
ノーチェは少し考え、今度は俺ではなく、何もない空間へ視線を向けた。
「……あなたには、出生の星がない」
「何だ、それ」
「……過去を辿っても、この世界のどこにも始まりがない」
灰色の瞳が、再び俺を捉える。
「……だから、世界の外から来た人」
心臓が一度、大きく鳴った。
俺は前世の記憶を持ち、この世界をゲームとして知っている。
だが、それを誰かへ話したことはない。
まして、初対面の少女に看破されるとは思わなかった。
「だ、誰から……聞いた」
「……誰も?」
「なら、どうして分かる!」
「……星が、ないから」
本人にとっては、それで十分な根拠らしい。
「……あなただけ違う」
ノーチェは淡々と続ける。
「……みんなには、始まりと先がある。でも、あなたは途中からいる。先も、見えない」
ほんと、嫌な言い方だった。
死相を告げられているように聞こえる。
「先がない、ではなく?」
「……見えない……未来も変」
ノーチェは続いてこう話した。
「ヴェスナと、ミレアは大きく変わった」
「……」
「アルディスの周りにも、なかった分岐が増えてる」
ヴェスナには主を選べと言った。ミレアには七手をつなげろと言った。ルッツを助けたことで、アルディスが将来出会う人間関係にも影響が出る可能性はある。
「そんな大袈裟な」
「……大袈裟じゃない」
ノーチェは珍しく、間を置かずに断定した。
「……未来が、書き換わってる」
ぞわりと背中が粟立つ。
俺は大筋を壊していないつもりだった。死ぬはずの人間を助け、間違った道へ進みそうな人間へ少し助言しただけだ。
それでも、星詠みの少女から見れば、未来そのものを書き換えたことになるらしい。
「……だから来た」
「何をしにだよ……?」
「……観測」
「帰れ」
「……嫌」
「帰れ!」
「……嫌」
「神殿の巫女が、勝手に出歩いていいのかよ!?」
「……星門を使った」
「おぃ、使用許可は?」
「……後で取る」
「それは許可を取ったとは言わないだろうが!」
数日で遠方の遺跡から来られた理由は分かった。
だが、今度は別の問題が発生した。
「宿代は」
「……払う」
「どこから」
「……神殿」
「今すぐ神殿に謝ったほうがいい」
ノーチェは首を傾げた。
こいつ……理解していない、本気で理解していない。
その時、視界へ半透明の表示が浮かんだ。
【新規分岐:発生】
【観測者:接触】
【同行判定:暫定】
【本人の離脱意思:なし】
「本人の意思だけで決めるなよ!」
宿の客たちが一斉にこちらを振り返る。
しまった。声に出ていた。
ノーチェだけが表示を見上げ、静かに頷いた。
「……わたしも、それが気になってた」
「お前もかよ」
初めてだった。
この世界で初めて、俺と同じ方向へツッコミを入れる人間が現れた気がした。
それが一番、恐ろしかった。