観客席の男 ―ここまで遊んでくれてありがとう! 作:ザキグン
ベルン砦東側。
王国軍の防衛線は、限界に近づいていた。
帝国の重装兵が盾を並べ、少しずつ押し込んでくる。
王国兵の槍が盾へ弾かれ、帝国軍の後方から矢が飛ぶ。
アルディスは剣で一本を打ち落とし、近くの兵士へ叫んだ。
「盾を上げてください!」
光をまとわせた剣で帝国兵の槍を斜めに流す。
そのまま踏み込み、盾の縁へ柄頭を当てた。
帝国兵が体勢を崩す。
倒すためではない、防衛線へ戻る時間を作るためだ。
「殿下、東の森へ火が!」
「まだ北側は燃えていません! 避難民を分けて通してください!」
「黒い部隊が動きました!」
その報告に、周囲の兵士たちの顔が強張った。
帝国黒騎士団。
名を聞いただけで、王国兵の間に動揺が走る。
誰もが知っている、帝国最強の重装騎士団。
《黒曜の軍神》ディルクが率いる、大陸屈指の精鋭。
アルディスも、その名は知っていた。
王国の軍学では、遭遇した場合、正面戦闘を避けるべき部隊として教えられる。
だが今、避ける場所はない。
なぜなら、背後には避難民がいる。
「殿下だけでもお逃げください!」
老騎士が叫ぶが、アルディスは首を振った。
「僕一人が生き延びても、ここにいる人々を見捨てた王子に、誰がついてきてくれるんです」
「ですが、このままでは全滅します!」
それは分かっている。
怖い……、判断を誤れば、全員死ぬ。
自分が残ることが本当に正しいのか。
王族として生き延び、後から軍を立て直すべきではないのか。
いくら自問自答しても、答えは出ない。
それでも、目の前で倒れようとしている兵を置いていくことはできなかった。
「西側の隊を下げます。東門へ集中を」
「敵が押し込みます!」
「僕が支えます」
アルディスは前へ出た。
帝国兵の重槍が突き出されるが、剣へ光をまとわせ、正面から受ける。
衝撃が肩へ響く。
傷めていた右肩が悲鳴を上げるが、それでも退かない。
二撃目、三撃目。
王国兵が左右から支える。
防衛線は薄い……、それでも、まだ崩れていない。
その時。
帝国弓兵の列から、矢が一斉に放たれた。
黒い雨のように、空を覆う。
「盾を!」
間に合わない。
アルディスは剣を振り上げた。
光の膜を広げる。
すべては防げない。
そう思った直後……、風が横から吹いた。
強くはなく、矢を跳ね返すほどではない。
だが、軌道がわずかにずれた。
王国兵の頭上へ落ちるはずだった矢の多くが、盾や地面へ突き刺さる。
同時に、帝国弓兵の弦が何本も切れた。
細い刃が飛んだわけではない。
何かが風のように走り、弦だけを断っている。
「何が……」
王国兵が息を呑む。
帝国重装兵が再び前へ出る。
その先頭の槍が、突然横へ流れた。
黒い鞘が槍の腹へ添えられている。
漆黒の外套に、顔を覆う面頬。
腰には、異質な片刃の武器。
アルディスの呼吸が止まった。
覚えている。
少年の頃、お忍びで訪れた闘技場。
誰も勝てないと思った大男を相手に、力ではなく流れを変えて戦った覆面闘士。
「あの人は……」
《彼》
帝国兵が鞘で手首を打たれ、武器を落とす。
別の兵が斬りかかる。
《彼》は半歩だけ身体をずらし、その背を押した。
帝国兵同士がぶつかる。
斬らない、倒しても、殺さない。
一つ一つの動きが、戦場の隙間を作っていく。
左の帝国兵が退けば、王国兵が一歩下がれる。
弓兵の射線が途切れれば、避難民の荷車が東へ進める。
あれは、敵を倒すためではない。
道を開いている。
アルディスは、その意図を悟った。
「全隊、東へ!」
兵士たちが彼を見る。
「彼が作った道を使ってください! 前列から順に下がるのではなく、負傷者と避難民を先に!」
黒い覆面闘士が、一瞬だけこちらを見る。
目が合った。
アルディスは確信する、間違っていないと!
《彼》は敵を倒しに来たのではなく、自分たちを逃がすために来た。
「盾兵、三歩下がって交代! 弓兵は森の入口へ! 火の薄い北側を確保してください!」
王国兵が動くが、《彼》が作った一瞬の隙を、アルディスの命令が撤退路へ変える。
一人ではできない。
どちらか片方だけでも成立しない。
戦場の流れが、今……、静かに変わり始めた
☆
俺は帝国兵の槍を鞘で流し、柄頭を鳩尾へ当てた。
男が息を詰まらせる。
倒れる前に肩を押し、後方の兵へ預ける。
殺さないし、深手も負わせない。
普通に斬った方が圧倒的に早い。
だが、敵兵にも生活がある。命令でここへ来た者もいる。
それに、死体が増えれば帝国軍の怒りが強くなる。
追撃を諦めさせたいのであって、復讐心を煽りたいわけではない。
「……右」
ノーチェの声が遠くから届く。
振り向かず、右へ身を沈める。
頭上を矢が通過した。
地面へ手をつき、そのまま脚を払えば、帝国兵が転ぶ。
立ち上がる前に、武器だけを蹴り飛ばす。
「……三人、来る」
「数まで言えるようになったか」
「……左、遅い」
三人のうち、左の一人だけ踏み込みが遅い。
そちらを起点に崩す。
中央の槍を鞘で外へ、右の剣を小太刀の峰で止める。
左の兵の胸当てを蹴り、三人まとめて押し返す。
未来視は正確な答えではないが、必要な情報を絞れば強力だ。
「やるじゃないか」
覆面の中で呟く。
ノーチェから返事はない。
遠くで星盤を抱えたまま、次の危険を探している。
王国軍は東へ移動を始めた。
アルディスの判断が速い。
こちらの意図を説明していないが、それでも、戦場の変化から目的を読み取った。
やはり主人公は彼だ。
俺が作ったのは、一歩分の余白だけ。
道へ変えたのはアルディスだ。
「さて」
北の見張り塔へ目を向ける。
近くで見ると、かなり古い。
石材の間に補修跡がある。
帝国兵が上部へ木製の足場を追加していた。
塔の基部には、水路の痕跡。地面の一部が沈んでいる。
ノーチェが示した右から二つ目の支柱。
確かに、荷重が集中しているな。
ただ斬るだけでは足りない、上からの衝撃が必要だ。
投石器を見れば次弾が装填されている。
狙いは恐らく、砦の東門。
あれを少しずらすか。
俺は袖の触媒へ指を触れた。
短い風。
投石器を壊せるほどではない。
だが、発射直後の石弾へ横から力を加えれば、軌道は変わる。
問題は、塔へ当たる角度。
「ノーチェ!」
彼女が顔を上げる。
「今から飛ぶ石が、塔のどこへ当たる」
左眼に金環が浮かぶ。
数秒。
「……上。左側」
「崩れるか?」
「……まだ」
なら、弱点を作るしかない。
俺は塔の基部へ走った。
帝国弓兵が気づき、上から矢が降るが、足を止めない。
一本を鞘で弾き、もう一本は外套へ掠らせる。
三本目が肩へ向かうが、印用の小太刀を抜き、峰で打ち落とす。
塔の支柱へ到達すれば、俺は右手を刀の柄へ置く。
今日、一度だけ。
ここで抜けば、もう使えない。
ディルクが来ても、黒騎士団が来ても、だ。
自分で決めたんだ。
「一度で十分だ」
狙うは、補修で継ぎ足された支柱の、石と石の境目。
一閃。
刃が石材の隙間へ入る。
浅く、塔を斬り倒すような力はない。
それでいい。
斬った隙間へ、風の印を流し込む。
空気が内部で膨らめば、亀裂が広がる
そして、帝国軍の投石器が石弾を放った。
俺は石弾に、風を当てる。
巨大な石がわずかに軌道を変え、砦の門ではなく、塔の上部へ衝突する。
轟音と同時に、塔全体が揺れた。
そして、支柱の亀裂が一気に広がり、古い補修箇所が砕ける。
木製の足場が傾く。
帝国弓兵が悲鳴を上げ、反対側の退避梯子へ殺到する。
「倒れるぞ!」
塔が街道側へ傾いた。
ゆっくりと、巨大な影を戦場へ落としながら。
石と木材を撒き散らし、帝国軍と避難民の間へ倒れ込む。
大地が揺れ、土煙が上がる。
街道が完全に塞がれ、帝国兵の進軍が止まる。
黒騎士団の騎馬も、倒れた塔の前で停止した。
「違うからな」
誰にともなく呟く。
「俺が斬ったのは支柱一本だ。塔を倒したのは老朽化と投石と重力だ」
王国兵の方から歓声が上がった。
「塔を一刀で!」
「《彼》が塔を斬った!」
「だから違うって……」
当然、聞こえていない。
後世で盛られる未来が見えた気がした。
避難民の列が、東の森へ入っていく。
火は北側まで回っていない。
王国兵が消火しながら道を確保している。
アルディスは最後尾に残っていた。
負傷した兵士へ肩を貸し、自分で歩かせている。
俺は刀を鞘へ戻し、そちらへ向かった。
近づくにつれ、アルディスの顔がよく見える。
原作の立ち絵より、少し幼い。
汗と煤で汚れている。右肩を庇っている。
それでも碧い目には、まだ力があった。
「あなたは……」
アルディスが言う。
「あの日の」
覚えているのか。
少年時代に一度見た、闘技場の覆面闘士を。
こちらは原作で何度も見ている。
だが、アルディスにとってはたった一度の記憶だ。
少し、嬉しいな……。
覆面時の低い声を作る。
「立ち止まるな、若き王よ」
自分で言っておいて、格好をつけすぎた気がした。
しかし、今さら訂正できない。
「なぜ、僕たちを」
「助けたのではない」
アルディスが瞬く。
「では、なぜ」
俺は彼の背後を見る。
避難民、負傷兵、王国の旗。
「道を塞ぐ石を、一つ退けただけだ。進むのは貴公らであろう」
頼むから、これで納得して逃げて欲しい。
本人を前にすると何を話せばいいか分からない。
支援会話を全部見た。成長率も知っている。おすすめ装備も転職条件も分かる。
だが、初対面の推しと何を話すべきかは、攻略本に書いていない。
アルディスは俺をまっすぐ見た。
やがて、深く頷く。
「はい」
良い返事だった。
「では、この道は僕たちが必ず先へつなぎます」
そう……、これが主人公。
渡された一手を、自分の責任へ変えられる。
内心で感動していると、背後からノーチェの声が届いた。
「……来る」
その瞬間、地面が揺れた。
不規則な振動ではない。
整った足音、蹄、重甲冑。
倒れた塔の向こう……、土煙の奥に、黒い軍旗が並ぶ。
黒騎士団。
塔が倒れた程度では、完全には止まらない。
左右へ展開し、迂回路を確認している。
ただし、すぐには進まなかった。
軍列が中央から静かに割れる。
黒い騎士たちが、一頭分ずつ左右へ動く。
その間を、一人の男が歩いてきた。
黒曜石のような重甲冑。
長い黒藍の髪。
手には、大身槍《断界》。
ディルク・ファルケンラート。
遠くで見た時より、さらに大きい。
身長だけではない。
一歩ごとに、周囲の空気が押されるような感覚がある。
黒騎士団の先頭が、彼の後ろで停止した。
誰一人、命令を待ってざわつかない。
倒れた塔に、倒れている帝国兵。
その全員が生きていること。
ディルクは一目で状況を理解したらしい。
「見事だ」
低い声が、戦場へ通る。
「我が兵を殺さず、軍道のみを断ったか」
……気づくのかよ。
原作終盤ボスの観察力を、序盤から全開にしやがって。
ディルクの後ろで、副官らしい黒騎士が一歩前へ出た。
「閣下。王子を追いますか」
ディルクは俺から目を離さない。
「不要だ」
「しかし、勅命は」
「この男を越えずして、追撃は成立せん」
副官は一度だけ俺を見る。
異論も、焦りもない。
「承知しました。全隊、待機」
命令が伝わるより早く、黒騎士団の槍が一斉に立てられた。
金属音が重なり、一糸乱れない。
何で全員、納得しているんだ。
大将が正体不明の覆面男と戦うと言い出したんだぞ。
一人くらい止めろ。
いや、止めたところで止まる男ではないんだろうが……。
ディルクが言う。
「よい部下たちだろう」
「だからこそ、余計にここへ連れてくるな」
思わず素が漏れた。
覆面の低い声ではあったが、言い方が完全に俺だった。
ディルクの口元がわずかに上がる。
「同感だ。彼らを退けさせるに足る武を、お前が持つならな」
アルディスが前へ出ようとする。
「僕も残ります」
「行け」
即座に言った。
「しかし、あなた一人では――」
「貴公がここへ残れば、私が道を開けた意味が消える」
アルディスが言葉を失う。
「民を連れて進め。それが貴公の戦いだ」
彼は拳を握った。
残りたいのだろう。
恩人を置いていくことを嫌う性格だ。
だが、ここで戻れば避難民と兵士を危険にさらす。
アルディスは王子だ。
自分の気持ちより、背負う者を優先しなければならない。
やがて、彼は深く頭を下げた。
「このご恩を、忘れません」
「忘れよ」
忘れられるはずがない返しをしてしまった。
案の定、アルディスは強い目で俺を見る。
「それは、できません」
だろうな……、彼はこういう男だ。
「殿下!」
老騎士が呼ぶ。
アルディスは一度だけ俺を見て、森へ向かう。
そして、王国兵たちも続く。
これでいい。
主役は生き延びた。
ここから先は、予定外の後始末だ。
ディルクが大身槍を構える。
穂先がわずかに下がる。
それだけで、前後左右の逃げ道が塞がれたように感じた。
「名を聞こう」
「名乗るほどの者ではない」
「ならば、俺が勝手に覚える」
「勝手に忘れろ」
「それは難しいな」
どいつもこいつも、なぜ忘れてくれないんだよ。
ディルクの視線が、俺の腰の刀へ落ちる。
「抜かぬのか?」
抜けない……、今日の制約で、刀を抜くのは一度だけ。
塔を倒すために、もう使った。
なぜ終盤ボスと戦う前に、刀を使用済みにしている。
今日の縛りを決めた俺を殴りたい。
「貴公を相手に、刃が必要とは限らぬ」
精いっぱい格好をつけた。
内心では、必要に決まってるだろ、と叫んでいる。
だが、ディルクは笑わなかった。
ただ、嬉しそうに目を細める。
「そうか」
大身槍が持ち上がる。
「ならば、試そう」
「その前に、一つ問う」
少しでも時間を稼がなければ。
アルディスたちを少しでも遠ざけさせるためにも。
ディルクは待った。
「芽吹く前の若木を薙ぐ勝利に、貴公の槍は誇りを見出すのか」
黒騎士団の間に、わずかな緊張が走る。
だが、ディルクは怒らなかった。
言葉を正面から受け止める。
「戦場で若さは免罪符にならぬ」
「左様。だが、育つ前の敵を刈ることと、育った敵を越えることは同じではない」
「俺に王子を待てと言うか」
「貴公の槍が、本当に強者を求めるならば」
ディルクの目が鋭くなる。
「巧いな」
「何がだ」
「言葉でも間合いを取るか」
ばれていやがる。
アルディスたちを逃がすための時間稼ぎだと、最初から分かっている。
それでも話に付き合った。
この男は、ただ命令へ従う武器ではない。
俺の言葉の意味を測っている。
ディルクは槍を正眼へ構えた。
「ならば、お前が示せ」
空気が変わる。
「王子を生かす価値と、その言葉を口にするだけの武を!」
地面が沈んだ。
踏み込み……、速さだけなら、俺の方が上、数値上は。
だが、あの槍の長さと重量だ。
一歩で間合い全体が敵になる。
逃げる方向を選ぶより早く、穂先が胸へ迫る。
鞘を両手で構える。
受けるな。流せ!
分かっている!
分かっているのに、触れた瞬間、腕へ衝撃が突き抜けた。
鞘と槍が衝突し、なり日響く轟音。
足元の地面が割れ、身体が後ろへ押される。
【対象:ディルク・ファルケンラート】
【脅威判定:最高】
【推奨対応:撤退】
【撤退可能経路:なし】
「くそっ!知ってるよ!」
完全に素の声が出た。
槍の圧力を斜めへ逃がす。
穂先が肩口を掠める。
外套が大きく翻り、裏地の緋色が露わになった。
逆にディルクは、一歩も下がっていない。
なのに、俺の腕は痺れている。
たった一合。
それだけで分かる。
鬼ステ。槍S。力三十八。守備三十六。
数値は嘘をついていなかった。
ディルクの顔に、初めて明確な笑みが浮かぶ。
厳格な軍人のものではない。
それは……、強敵を見つけた武人の笑み。
「ようやく会えたな」
「初対面だが」
「ならば、今日からだ!」
何が今日からなのか聞きたくない!
後方では、黒騎士団が微動だにせず立っている。
大陸最強格の槍将と、大陸に名を馳せる最精鋭部隊。
原作終盤の戦力が、そのまま原作で言う第一章へと来ている状況。
そして俺は、自身に課した制約で、刀を抜けない。
「本当に難易度調整をしろよ……」
ディルクの槍が再び動く。
今度は、先ほどより速かった……。
進の己に課す制約。
縛りプレーの時の名残のスキル。
本来であれば、この極限状態で刀を抜かないなど、愚の骨頂。
でも、制約には制約の、メリットもあります。
それはまた、次回にて!
ディルクに、果たしてロー〇ンツパンチが、炸裂するのか!