観客席の男 ―ここまで遊んでくれてありがとう! 作:ザキグン
再び、槍と鞘がぶつかった。
鳴り響く轟音と共に、俺の身体が先ほどの一合目よりも、更に後ろへ滑る。
たった二合……、なのに、右腕が痺れている。
指先の感覚が、少し遠い。
改めて、目の前の男が原作終盤のままの怪物だと、嫌でも理解できた。
【対象:ディルク・ファルケンラート】
【脅威判定:最高】
【推奨対応:撤退】
【撤退可能経路:なし】
「だから、知ってるよ!」
覆面用の低い声ではなく、完全に素の声を出してしまった。
黒騎士団の何人かが、ほんのわずかに反応した気がするが、見なかったことにした。
ディルクは大身槍《断界》を引き戻す。
本当に大きな武器だ……、穂先だけでも、俺の前腕より長い。
普通なら、一撃を流された直後にはわずかな隙が生まれる。
取り扱う獲物が大きければなおさらだ。
なのに、ディルクにそれがはなかった。
槍を戻した時点で、すでに次の攻撃へつながる構えになっている。
肩、腰、足、そして視線……、どこにも無駄がない。
「再度問う、なぜ抜かぬ?」
ディルクが尋ねる当時に、その視線は、俺の腰へ落ちている。
鞘へ収めた刀。
先ほど見張り塔を崩すために、一度だけ抜いた。
そして今日の制約は――
【刀を抜くのは一度だけ】
もう一度は抜けない。
「すでに一度、抜いた」
俺は覆面時の声へ戻した。
「それが何だ」
「本日は、一度と定めた」
しばしの沈黙。
黒騎士団の列は動かない。
アルディスたちが消えた森からは、避難民の足音が遠ざかっていく。
ディルクは、俺の言葉を笑わなかったし、呆れもしない。
ただ、何かを確かめるように目を細めた。
「制約、か」
くそっ、何で分かるんだ。
普通なら、変人だと思って終わるところだろう。
俺が答えずにいると、ディルクは続けた。
「己の勝ち筋を狭め、その狭さそのものを刃とするか」
そこまで格好よく言われると、恥ずかしいものがあるが、大筋では合っている。
俺の《自主制約》は、ただ不利な条件を背負う能力ではない。
自分で決めた制約が厳しいほど、集中と技量へ補正が入る。
選択肢を減らし、迷いを減らす。
何をしてよいか分からない状況で、やるべきことだけを残す。
それが縛りの意味だ。
視界の端に、新しい表示が浮かぶ。
【《自主制約》継続中】
【制約達成度:高】
【選択肢限定による集中補正】
【派生効果:《一系統収束》】
【補正対象:技/予測/受流/複合動作】
さらに一行。
【再抜刀封印】
【抜刀前姿勢維持】
【対手への擬似選択肢:抜刀】
つまり、実際には使えない抜刀を、相手だけが警戒している。
俺の身体も、抜刀直前の重心を維持し続ける。
腰が沈み、初動が速くなる。
鞘を扱う動きへ、剣術の技量補正が乗る。
相手から見れば、いつ抜くか分からないゆえ、警戒心を解くことができない。
実際には絶対に抜かない。
存在しない選択肢を、ディルクが読み続けてくれる。
実際は、最初からそこまで完全に狙っていたわけではないが、多少なりと採算は取れているはず。
刀を封じるのはかなり痛い。
しかし、刀を抜いたところで、ディルクを正面から斬り倒せるわけではない。
力では負けるし、守備でも負け、さらに持久力でも負ける。
ならば、攻撃手段を一つ残すために意識を分散するより、鞘、体術、魔法、印術、読みへ全部を集めた方がいい。
今の目的は、ディルクを倒すことではない。
アルディスたちが逃げ切るまで、ここへ留めることだ。
倒す力より、死なずに読み続ける精度が必要になる。
計算上は、こちらの方が合理的だった。
問題は一つ。
「計算上の相手より、強すぎるんだよな……」
「何か言ったか」
「いや、独り言だ」
ディルクが口元をわずかに上げる。
だから、楽しそうにするな!
俺は鞘を両手で構え直した。
一合目、二合目の衝撃が腕に残っている。
だが、指は動くし、肩も上がる……、なら、まだ戦える!
ディルクの槍が、静かに持ち上がった。
「ならば、その狭き道。どこまで通じるか見せてもらおう」
「見物料を取るぞ」
「払おう。槍でな」
「物騒な通貨だな」
踏み込み……、だが、今度は突きではない。
槍が低い位置から横へ走る。
受ければ、鞘ごと腕を折られる。
俺は半歩前へ出た。
長い武器は、穂先に近いほど速度が乗る。
ならば内側へ!
ディルクの右手と左手、その間へ鞘を差し込み……柄を押す!
槍の軌道が上へずれ、頭上を黒い穂先が通る。
同時に、ディルクの膝が来た。
「うおっ!?」
身体を捻るが、奴の膝が俺の脇腹を掠めた。
鎧越しとは思えない衝撃が腹へ響く。
懐へ入れば安全……、そんな当たり前の攻略法を、この男は許してくれない。
俺は鞘の先をディルクの顎へ跳ね上げる。
だが、首をわずかに傾けて避けられた。
返す動きで、鞘を胸甲の継ぎ目へ。
それもディルクは、槍の柄を立て、受け止める。
鞘と打ち合ってもびくともしない。
「いい」
ディルクが言う。
「何がだ」
「槍の内へ入りながら、槍だけを見ておらぬ」
「身体全部が武器みたいな男に、穂先だけ見ていられるか」
「ふふ、よく見ている」
だから、嬉しそうにするな!
柄が回り、石突が側頭部へ迫った。
首を沈めて躱せば、風が髪を撫でる。
俺はそのままディルクの足元へ指を向けた。
小さな印が淡く光る。
足裏へ短い風を起こす術式。
踏み込みの軸を、数センチだけずらす。
ディルクの巨体が揺れた。
今だ!
胸元へ鞘を突き込む……、が、届かない!
ディルクは崩れたはずの右足を強引に踏み込み直しやがった。
地面が沈みこませながら、術式でずらした重心を、力で戻してきた。
「力技で戻すな!」
「崩されたまま倒れるよりはよかろう」
「それはそうだけどさ!」
そして、槍の柄が俺の肩へ当たった。
「ッッゥ!!」
骨に響く痛みと共に、身体が横へ飛ぶ。
何とか受け身を取り、地面を転がりつつも、すぐに立つ。
ディルクは追撃しなかった。
できなかったはずはない……、俺が立ち上がるまで待っていたのか。
「手加減かよ?」
「違う」
ディルクは槍を構えたまま答えた。
「立てぬ者を斬る戦ではない」
武人としては立派だ。
敵としては、この上なく面倒な相手だ。
☆
黒騎士団副官は、声を発さず戦いを見つめていた。
団長ディルク・ファルケンラートの槍を、間近で何度も見てきた。
訓練でも。
戦場でも。
そして、一騎打ちでも。
初動を見てから避けられた者は、ほとんどいない。
穂先を受け止めた者はいる。
だが、その者たちは、悉く盾ごと砕かれた。
柄の内側へ入った者もいた。
しかし、膝か石突で地へ沈められた。
槍とは、穂先だけの武器ではない。
それを理解している者ほど、団長の本当の恐ろしさを知る。
しかし、目の前の覆面闘士は立っている。
一合目を受けた。
二合目を流した。
槍の内へ入り、膝を避け、印術を足元へ置いた。
一度見せた技は捨て、次の手へ変える。
そして何より……、彼が我らと相まみえる前に倒した帝国兵は、誰一人死んでいなかった。
見張り塔を崩し、軍道を断ち、王子を逃がしながら、なお殺さぬという制約を守っている。
敵を軽んじているのではない。
殺さずに目的を果たすことを、自らの条件として背負っている。
副官は、自分の槍を握る手へ知らず力を込めた。
団長が、笑っている……。
戦場で笑みを見せない方ではない。
勝機を見出した時、部下が期待へ応えた時。強敵を認めた時。
だが今の笑みは、それらとも少し違った。
少年のようだった。
探していた何かを、ようやく見つけた者の顔。
「副長」
隣の黒騎士が、小さく呼ぶ。
「何だ」
「あの者は、何者でしょう」
「知らぬ」
「閣下はご存じなのですか」
副官は、ディルクの表情を見た。
「いや……」
恐らく、知らない。
だからこそ、あれほど楽しそうなのだろう。
◇
突きが来た……、今度は、先ほどまでより遅い。
が、遅いからこそ厄介だ、途中で軌道を変えられる。
右へ避ける、穂先が追ってくる。
左へ切り返す、また追ってくる。
「誘導弾かよ、くそっ!」
槍が生き物のように向きを変える。
ディルクの手首と肘の操作だけで、長大な穂先がこちらの動きへ食いついてくる。
俺は刀の柄へ右手を置いた。
抜刀の構え。
ディルクの目が、ほんの僅かに柄へ動く。
その一瞬で、俺は左へ抜けた。
存在しない抜刀……成功した!
槍の側面へ鞘を添え、前へ滑る。
狙うはここだ!ディルクの右脇の、胸甲と腕甲の間。
鞘の鐺を突き込む。
金属音が鳴り響くが、手ごたえは浅い。
だが、それでも当たった!
ディルクの身体が一歩下がる。
黒騎士団の間に、初めて小さなざわめきが走った。
「ふふ、届いたな」
ディルクが、自分の脇腹を見る。
「次は深く入れる」
「やってみろ」
二度目。
同じように刀の柄へ手を置く。
今度は、ディルクの視線が動かず、槍が先に来る。
「くそっ、もう学習するな!」
「同じ手を二度使ったのは、お前だ」
「ボスは同じ行動を繰り返すものだろ!」
「……?、何の話だ?」
「こちらの話だ!、気にするな!」
槍を鞘で流すが……ちくしょう、重い。
角度をずらしているのに、腕へ衝撃が残る。
《一系統収束》で精度は上がっている。
初動も見えている。
それでも、ディルクの力と技が凄まじい。
一つずつの攻防で、少しずつ身体が削られる。
右前腕、左肩、脇腹、脚。
避けたつもりでも、風圧と余波だけで痛む。
俺は小さな風弾を放った。
ディルクの顔ではない、足元の砂へ。
土煙が上がり、視界を切る。
それと同時に、俺は同時に左へ回る。
ディルクは振り向かない。
だが、槍の石突が、背後へ突き出された。
見えていないはずなのに、正確に俺の腹を狙ってくる。
鞘で受けるが、身体が浮いた。
「何で分かる!」
「風が変わった」
「なんだよそれ!」
ディルクの長い黒藍の髪が、風に揺れている。
まさか、戦いの中でそこまで利用することができ、その余裕があるのかよ。
俺が着地した場所へ、槍の穂先が落ちる。
地面が抉れるが、俺は跳ねた土を奴に蹴り返す。
目潰し。
ディルクは顔を背けず、籠手で防いだ。
その隙へ印を投げる。
細い紙片が胸甲へ貼りつく。
「爆ぜろ」
小さな衝撃、人を吹き飛ばすほどではない。
鎧の上で音と光を発生させるだけ。
ディルクの姿勢が僅かに止まる。
俺は足元へ滑り込み、鞘で膝裏を払う。
今度こそ崩した。
巨体が片膝をつく。
黒騎士団が息を呑む。
俺は胸甲へ鞘を振り下ろした。
ディルクが片手で柄を回し、槍の中央で鞘を受け止める。
片膝をついたまま、あえなく押し返された……、何だ、その腕力は。
「軽い」
「鞘だからな!」
「刀なら違うか」
「抜かせようとするな」
「抜けばよい」
「抜けないんだよ!」
「ははは!」
ディルクが笑った。
それも、大声だった。
戦場へ響くような、豪快な笑い。
黒騎士団の何人かが、驚いたように奴を見る。
「何がおかしい」
「いや。よい」
ディルクは立ち上がる。
「よいぞ。実に」
「俺はよくない」
「お前は、俺の槍を前にしてなお、次の手を考えている」
「考えないと死ぬからな」
「恐ろしくはないのか」
「怖いに決まってるだろ」
返答は即座に出た。
「槍がでかい。重い。速い。持ってる奴は鬼ステだ。怖くない要素がどこにある」
「鬼……何だ?」
「いや、忘れろ」
ディルクは俺を見つめた。
「恐れながら、退かぬか」
「恐怖と撤退判断は別だ」
撤退できるなら、とっくにしている……、現に表示にもそれが不可能であることが出ている。
【撤退可能経路:なし】
それに、今俺が退けば、黒騎士団はアルディスたちを追う。
少なくとも、十分な時間は稼ぐ必要がある。
「怖くない者が立つのではない。怖くても、まだ選べる手があるから立っているだけだ」
言ってから、少し格好をつけすぎたと思った。
覆面をすると、どうしても口調に引っ張られる。
ディルクは笑わず、静かに頷いた。
「覚えておこう」
「忘れていい」
「ふふ、難しい注文だ」
日は沈み始めていた。
西の空が赤い。
倒れた見張り塔の影が、長く戦場へ伸びている。
アルディスたちの姿は、もう見えない。
ノーチェも丘から移動し、少し離れた岩陰にいる。
未来視を使い続けるのは危険だ。
それでも時折、短い警告だけを送ってくる。
「……下」
槍が足元を薙げば、跳ぶ。
「……上」
跳んだ先へ石突、なら、鞘で止める。
「……後ろ」
着地した瞬間、ディルクの肩が迫る。
体当たり。
避けきれない……、胸で受ける。
「ぐっ」
息が詰まり、身体が数歩下がる。
ディルクはその隙を逃さず、槍の柄を短く持ち替え、連続で突く。
穂先、石突、穂先、横薙ぎ。
一つ一つが、重槍とは思えない速度だった。
鞘で流す、身体を捻る、肘で柄を押す。
風で軌道を変え、足元の印で半歩ずれる。
取れる手段全て使う。
それでも一撃、肩へ入った。
鈍い音と共に、視界が白くなる。
左腕が下がる。
【左肩:打撲悪化】
【可動域低下】
「まだか」
ディルクが問う。
「何が」
「まだ手がある顔だ」
面頬で見えないはずだろ。
なのに、どうして分かる……。
「貴公ほどの者が」
俺は呼吸を整えながら言う。
「なぜ、帝国中枢へ従う」
ディルクの槍が止まる。
完全には止めないが、いつでも動ける構えのまま。
「帝国は、中枢だけではない」
低い声。
「俺の背には、兵がいる。家族がいる。民がいる」
黒騎士団は動かない。
だが、その言葉を聞いている。
「俺が槍を捨てれば、彼らを守る者が一人減る」
「帝国が誤った時もか」
「誤りを正すことと、国を捨てることは同じではない」
迷いのない答えだった。
原作でディルクは、帝国の中枢が間違っていると知りながら、最後まで敵として立つ。
忠義に縛られた悲劇の敵将。
ゲームではそう見えた。
だが現実の彼は、単に命令へ盲従しているわけではない。
背負っているものがある。
部下。
その家族。
帝国で暮らす人々。
正しい側へ寝返れば済むほど、人生は簡単ではない。
「ならば、あの王子を見たか」
俺はアルディスたちが消えた森を示す。
「民を置いて逃げず、兵を使い捨てず、自ら最後尾へ立った」
「見た」
「貴公が背負うものと、同じものを背負う若者だ」
「それと、帝国の敵であることは別だ」
「頑固だな」
「お前に言われたくはない」
再び、槍が来る。
攻防を続けながら、言葉も続く。
俺は穂先を流した。
「貴公の槍は、あの若木を薙ぐより、支える方が似合う」
「俺へ王子の臣下になれと言うか」
「悪くない就職先だぞ」
「しゅうしょく?」
「いや、忘れろ……、とおあれ、帝国が誤った時、貴公は槍をどこへ向ける」
「その時に決める」
「それでは遅いかもしれない」
「ならば、遅れぬよう見極める」
「強い駒ほど、動かす主を選べ」
口から出てから、しまったと思った。
以前、ヴェスナへ言った言葉に近い。
攻略談義のつもりで口にし、彼女の人生を変えてしまった。
また同じことをしている。
ディルクの琥珀色の目が、鋭くなる。
「俺へ、主を選べと?」
「……一般論だ」
「この一騎打ちの最中にか」
「そういうこともある」
「それはないだろう」
正論と共に、槍が迫る。
ディルクは笑っている。
一合ごとに、問いを重ねるたびに。
なぜか、楽しそうになっていく。
やめろよ……、俺は説得しているんだ!
好感度イベントを進めているわけではない!!