スカイリムCC:釣り師の痴人 作:アーマーブレイク大好きおじさん
マルドロとフィオナの姿が、雪原から消え去った。
その場に残されたのは、激しい戦いの爪痕と、荒い息を繰り返すアルバートだけだった。
私はしばらく、その光景を遠くから見つめていた。
先ほどまで周囲にいた深遠の暁の信徒たちとドレモラは、すでに片付けてある。
こちらの戦いが終わった時には、アルバートとマルドロの決闘は佳境に入っていた。
加勢するべきか。
そう考えなかったわけではない。
だが、あの二人の戦いに割って入るのは、どうしても躊躇われた。
互いに傷つき、血を流しながら、それでも一歩も譲ろうとしなかった二人。
あれは単なる敵同士の戦いではない。
互いの信念をぶつけ合う、二人だけの決闘だった。
ならば、私がすべきことは邪魔をしないことだろう。
……もっとも、結果としてアルバートが死ぬまで見届けるつもりだったわけでは無かったのだが。
ともあれ、今はもう決着がついた。
私は雪を踏みしめながら、大斧の鎧の男――アルバートのもとへ歩み寄った。
「アルバート。立てるか?」
「……ああ。なんとかな」
返事はあったものの、その声には疲労が色濃く滲んでいた。
身体のあちこちに傷があり、鎧も裂けている。
呼吸も荒い。
先ほどまでの激しい戦いを思えば、無事とは到底言い難い状態だった。
私は彼の前にしゃがみ込む。
「少しじっとしていろ。」
そう告げて、両手に魔力を集めた。
「《治癒の手》」
淡い光が掌から溢れ、アルバートの身体を包み込んでいく。
裂けた傷口が塞がり、流れ続けていた血が止まる。
乱れていた呼吸も、少しずつ落ち着いてきた。
ただし、失われた体力まで一瞬で戻るわけではない。
これだけの傷を負って、あれほどの戦いを続けたのだ。
しばらく休ませる必要があるだろう。
「……助かる」
アルバートは、歪んだヘルムは脱ぎながら短く礼を言った。
思った通り、彼は街でたびたび接触していた長髪のノルドだった。
それから、何かを考えるように俯いた。
しばらくの沈黙。
やがて、彼はぽつりと口を開いた。
「……なあ、ファイザル」
「なんだ?」
「俺を、殴ってくれ」
アルバートの表情は真剣だった。
「理由を聞いても?」
「……マルドロが消えた時、俺は――……ほっとしたんだ」
アルバートは、雪の上に落ちた自分の手を見つめた。
「あのねぇちゃん――フィオナに連れていかれた時だ。
あいつが逃げたことに、俺は……安心しちまった」
彼の拳が、ぎゅっと握り締められる。
「このまま戦ってたら、どっちかが死んでた。
俺だって、あいつを殺したいわけじゃなかった。
昔からの友人なんだ。
できることなら、こんな形で決着なんかつけたくなかった」
そこまで言って、アルバートは苦々しく笑った。
「けど、俺はブレイズの人間だ。
あいつは俺たちの計画を止めようとしてる。
俺たちのやり方が間違ってると思ってるからだ。
……それなのに、俺は、あいつがいなくなって安心した。
あれ以上戦わずに済んで、ほっとしたんだ」
彼は顔を上げた。
「こんなんじゃ駄目だろ。
俺は自分の信じる未来のために戦ってるんだ。
なのに、こんなところで迷ってどうする。
だから……殴ってくれ。
俺の目を覚まさせてくれ」
私は黙って彼の言葉を聞いていた。
なるほど。
彼は己の弱さを罰してほしいのだ。
信念を掲げ、敵と戦い、その命を奪う覚悟を持つ。
それが自分の役目だと考えている。
だからこそ決着がつかなかったことに安堵した自分を許せないのだろう。
だが。
「その気持ちは、捨てない方がいい。」
私は殴らなかった。
「……なんだって?」
「彼が昔からの友人なら、殺したくないと思うのは当然だろう。
自分の信念を曲げたくないことと、相手に死んでほしくないことは、必ずしも矛盾しない。」
「でも、あいつは……」
「我々の敵だ。ブレイズの進む道を阻もうとしている。それは事実だろう。」
私は言葉を継いだ。
「だが、敵だからといって、相手の死を望まなければならないわけではない。
当然戦わなければならない時はある。
殺さないといけない時があるのも分かる。
それでも、相手が死なずに済んだことを喜ぶ気持ちまで、捨てる必要はない。」
アルバートは何も言わなかった。
ただ、私の言葉を聞いていた。
「君が信じる未来のために戦うのなら、その未来に何を残したいのかも考えておけばいい。」
少しだけ、アルバートの表情が変わった。
自分を責めるために固く結ばれていた口元から、ほんのわずかに力が抜ける。
「……お前、意外とまともなこと言うんだな」
「失礼な(プンスコ)。」
「がははは!密偵の話では、少し癖のある奴だって聞いていたんだがなぁ」
誰だ、そんな失礼なことを言ってたやつは。
ドロカーンか?
ともあれ、アルバートの顔色はよくなってきた。
私は小さく息を吐き、彼の肩に残っていた傷を癒やした。
「よし。ひとまず、これで大丈夫だろう。」
「助かるぜ」
そう答えながらも、アルバートはヘルムを被り直しながら、ゆっくりと立ち上がった。
足元にふらつきはない。
まだ疲労は残っていそうだが、歩くくらいなら問題なさそうだ。
さて。
私はそこで、少し離れた場所に横たわる大きな影へと目を向けた。
今回の本来の目的――ファングタスクである。
雪に埋もれかけた巨体は、改めて見ると実に立派だった。
これだけ大きければ、街に持ち帰るのも一苦労だろう。
……まあ、私なら問題ないが。
「さて、帰るとするか」
私はファングタスクのそばまで歩き、その身体に手を掛けた。
そして、何の気なしに持ち上げる。
ずしりとした重量が腕に伝わったものの、想像していたほどではない。
転生者の身体能力というのは、つくづく便利なものだ。
「おい、待て。お前、一人で運ぶつもりか?」
「そのつもりだが?」
「いや、俺も持つ。さすがにそれくらいはさせろ」
アルバートはそう言うと、ファングタスクの反対側へ回った。
「では、頼もうかな。」
私たちはそれぞれ身体の一端を持ち上げ、雪原を歩き始めた。
普通の人間なら、数人がかりでも運ぶのに苦労する獲物だろう。
しかし、私たちは二人とも転生者だ。
この程度の荷物なら、少々重いというだけで済む。
しばらくは、雪を踏みしめる音だけが続いた。
やがて、アルバートがぽつりと口を開く。
「……なあ、ファイザル」
「なんだ?」
「お前って元日本人なんだよな?」
どうして急にそんな話題になるのか分からないが、まあいいや。
「ああ。そうだ。」
「じゃあ、ラーメンって知ってるか?」
ラーメン。
当然知っている。
前世の日本では、もはや国民食といっても過言ではない料理だった。
醤油。
味噌。
塩。
豚骨。
地域によって特色があり、店ごとにこだわりがあり、一杯のために行列ができる。
あの奥深い料理を、まさかスカイリムで思い出すことになるとは。
「……それがどうかしたのか?」
「いや、ちょっと聞きたくてな。
実は俺、前世じゃ料理人だったんだよ」
「おおう?」
思わず、アルバートの方を見た。
料理人。
この世界で料理といえば、肉を焼いたり、鍋で煮込んだり、塩や香草で味を整えたりといったものが中心だ。
もちろん、それらも立派な料理である。
しかし、前世の知識を持つ人間が料理人だったというのなら、話は別だ。
「アメリカで働いてたんだ。
いろんな料理を作ったが、日本食のレストランにいたこともある」
「……日本食のレストラン?」
「ああ」
私は思わず、ファングタスクを持つ手に力を込めた。
アメリカの料理人。
それだけなら、正直なところ何とも言えない。
だが、日本食のレストランで働いていたというのなら、多少は期待できるのではないだろうか。
ラーメンのような料理を再現できるかどうかはともかく、少なくとも日本食の知識があるのは心強い。
「もしかして、ラーメン屋だったのか?」
「いや、寿司屋だぞ」
「そうか……」
少しだけ期待がしぼんだ。
いや、まだだ。
寿司を扱う店でも、料理人なら出汁や食材の扱いには慣れているはずだ。
スープを一から作るとなれば話は違うが、まったくの素人というわけではないだろう。
そんなことを考えていると、アルバートが得意げに笑った。
「まあ、心配するな。俺の料理人としての腕は本物だぜ」
「……それは……頼もしいな。」
「礼くらいはさせてくれよ。
ファングタスクを使って、とびきりうまいラーメンを食わせてやる」
「ファングタスクで、ラーメン?」
「ああ。豚骨ラーメンって知ってるだろ?」
「もちろん知っているが……。」
私は、運んでいる獲物へ視線を落とした。
ファングタスク。
巨大なホーカーである。
豚ではない。
だが、見ての通り脂肪もたっぷり蓄えている。
おデブである。
骨から出汁を取ることだって、理屈の上では可能だろう。
そもそも、スカイリムに豚骨ラーメンが存在するはずもない。
ならば、ホーカーの骨を煮込んでスープを作るという発想は、決して悪くない。
むしろ、前世の知識を持つ者だからこそ生まれる料理かもしれない。
「……ホーカーの骨からスープを取るわけか。」
「おっ、分かってるじゃねえか!」
アルバートが嬉しそうに声を上げた。
ちなみになんだけど、日本においてラーメンの作り方は結構認知されているんですよ。
「そういうことだ! この世界の食材で、前世の味をどこまで再現できるか。料理人としては腕の見せどころだろ?」
「確かに、それは興味深いな。」
少なくとも、ここまでは期待できそうだ。
問題は、麺をどうするか。
小麦粉はある。
かん水に相当するものが手に入るかは分からないが、製法を工夫すれば、それらしいものは作れるかもしれない。
スープに合わせる具材も考える必要があるだろう。
チャーシューの代わりにホーカーの肉を使うのは当然として、香味野菜や脂の扱いも重要だ。
……いかん。
考え始めると、どんどん楽しみになってきた。
この世界に来てからというもの、前世の料理を再現する機会は何度かあったが、ラーメンとなると話は別だ。
あの濃厚なスープ。
麺に絡みつく脂。
噛むほどに旨味の広がる肉。
想像しただけで、口の中に唾液が湧いてくる。
「よし。期待しているぞ、アルバート。」
「ああ、任せとけ!」
彼は胸を張った。
そして、実に自信満々な声で言い放った。
「カリフォルニアの料理人の技術を見せてやるぜ!」
「…………。」
…………カリフォルニア?
私は無言で彼を見た。
カリフォルニアの料理人という肩書きから、私の脳裏に浮かんだものは――。
アボカド。
カニカマ。
マヨネーズ。
海苔。
そして、酢飯。
場合によっては、揚げた酢飯。
――カリフォルニアロール。
……いや、偏見だ。
偏見である。
そもそもカリフォルニアロールだって、れっきとした寿司の一種だ。
寿司の形など、時代や地域によって変化してきた。具材が違うというだけで否定するのは間違っている。
それを寿司ではないと断じてしまうのは、寿司原理主義者の狭量な考え方だろう。
分かっている。
分かっているのだが……。
一度浮かんでしまった疑念は、なかなか消えてくれない。
もし、これから出てくるのがラーメンの名を借りただけの別物だったら?
見た目だけを真似た料理というものはいくつもある。
肉じゃがだってビーフシチューを真似て作られた、言わばビーフシチューもどき。
たしかに肉じゃがは美味しい。
しかしそれはビーフシチューとは別物の美味しさだ。
「……ちなみに、ラーメンを作った経験は?」
「店では出してなかったな。
だが、知識はある。
信じてくれ。」
「…………。」
期待値が、音を立てて崩れ落ちた。
いや、まだ判断するには早い。
料理の腕と、ラーメンを作れるかどうかは別問題だ。
むしろ、未知の料理に挑戦するからこそ、思いもよらない発見があるかもしれない。
それに、ホーカーの骨を使ったスープなど、私だって実際に味わったことはないのだ。
ここはひとつ、彼の腕を信じてみようではないか。
……信じて、いいんだよな?
「まあ、楽しみにしておくよ。」
「おう! 期待してろ!」
アルバートは、何の疑いもなく笑っていた。
その自信に満ちた表情を見て、私はひとつのことを確信した。
この男、料理に関しては相当な自信家らしい。
そして、その自信がホーカーラーメンにおいてどれほど役に立つのかは――。
我々はその自信を解き明かすべくウィンドヘルムに向かった。
☆★☆★☆★☆★
ファングタスク討伐から二日後の夜。
私は指定されたウィンドヘルムの一軒家に向かっていた。
結局、ファングタスク討伐を執政に報告したら、現地調査やら何やらで結構時間を盗られてしまった。
ゆっくりホーカーラーメンの完成を待つはずだったのに。
まあ、討伐の報酬はきっちり受け取れたし、ファングタスクの死体もアルバートが料理に使う分を確保したうえで、残りは街の人々に分配することになった。
無駄なく活用されるなら、討伐した甲斐もあるというものだ。
……それにしても。
ホーカーラーメン。
この二日間、私は何度もそのことを考えていた。
ホーカーの骨から取った出汁。
小麦粉から作った麺。
そして、豚肉ならぬホーカーの肉を使ったチャーシュー。
想像するだけで、なかなか魅力的な組み合わせだ。
もちろん、前世の豚骨ラーメンと同じ味になるとは思っていない。
むしろ、同じ味にならないからこそ興味があるとも言える。
問題は、作る人間である。
アルバートは料理人だったという。
日本食のレストランで働いていた経験もあるらしい。
しかし、ラーメンを作ったことはない。
しかも、お気に入りの寿司はカリフォルニアロール。
……いや、だからといって料理の腕まで疑うのは失礼だろう。
それに、彼は私に礼をしたいと言っていた。
その気持ちを無下にするつもりはない。
仮に、多少ラーメンとは違うものが出てきたとしても、それはそれで楽しめばいい。
そう自分に言い聞かせながら、私は目的の家の前で足を止めた。
木造の、こぢんまりとした一軒家だった。
窓からは暖かな明かりが漏れ、煙突からは細い煙が立ち上っている。
そして。
――ふわり。
風に乗って、なんとも食欲をそそる香りが漂ってきた。
「……お?」
思わず足が止まる。
肉の香ばしさ。
香味野菜の甘い香り。
それに、長時間煮込んだスープ特有の、濃厚で奥行きのある匂い。
少なくとも、ただ肉を煮込んだだけの香りではない。
これは……。
私は、無意識のうちに玄関へと歩み寄っていた。
――コンコンコン。
扉を叩く。
「おう! 待ってたぜ!」
勢いよく扉が開いた。
現れたのは、すっかり見慣れた長髪のノルド――アルバートだった。
前までと違うのは少し小綺麗になっていることだろうか。
まぁ、その辺は料理人だしね。
プロだしね。
「来たな、ファイザル! さあ、入ってくれ!」
「……随分と張り切っているな。」
「そりゃそうだろ。二日もかけて仕込んだんだからな!」
二日。
その言葉に、私の期待が少しばかり膨らんだ。
ホーカーの骨を煮込むなら、確かにそれくらいの時間をかけてもおかしくはない。
もっとも、単に長く煮込めばいいというものでもないが、少なくとも手間を惜しんでいないのは確かなようだ。
私は家の中へ足を踏み入れた。
室内には、食欲を刺激する香りが充満していた。
暖炉の火が揺らめき、木製のテーブルには二人分の食器が用意されている。
そして、部屋の奥。
大きな鍋が、ことことと音を立てていた。
「……あれがスープか?」
「ああ。ホーカーの骨を中心に、肉や香味野菜も使ってる。
脂が強すぎると食べにくくなるから、そこは調整したぜ」
アルバートは得意げに説明した。
「骨から旨味を引き出して、肉の風味を重ねる。
そこに野菜の甘みを加えて、香辛料で臭みを抑える。
まあ、材料が違うから、前世の豚骨スープとまったく同じにはならないけどな」
「……なるほど。」
どうやらただスープに麺を入れただけのものをラーメンとは思っていないらしい。
少なくとも、ラーメンの理屈――論理的ラーメン製造方法は理解しているとみていいだろう。
私は鍋に近づき、そっと蓋を持ち上げた。
もわっ、と湯気が顔に触れる。
白濁したスープの表面には、細かな脂の粒が浮かんでいた。
その下には、骨や肉から溶け出した旨味が凝縮されているのだろう。
香りは豚骨に似ている。
だが、どこか違う。
豚の脂が持つ甘い香りよりも、もっと力強く、野性的な匂いがする。
これがホーカーの風味なのか。
「……いい香りだな」
思わず、そんな言葉が漏れた。
「だろ?」
アルバートは満面の笑みを浮かべた。
「まあ、スープだけじゃ完成じゃない。麺もちゃんと用意してあるぜ」
当たり前である。
麺のないラーメンはラーメンではない。
”無”だ。
そう言って、彼は台所の作業台を指差した。
そこには、小麦粉で作られた麺が並んでいた。
均一な太さではない。
ところどころに微妙なばらつきがあり、見た目だけなら手打ちの田舎そばを思わせる。
だが、それでいい。
専用の製麺機も、かん水もない環境だ。
前世と同じ麺を作る方が難しいだろう。
「かん水っていうヤツが手に入らなかったから、食感は少し違うと思う。
だが小麦粉の配合と練り方で、できるだけコシを出してみた」
「そこまで工夫したのか。」
「せっかく作るんだ。妥協はしたくねぇからな」
……ふむ。
思った以上に本格派だ。
私は、先ほどまで胸の片隅に抱いていた不安を、少しだけ引っ込めた。
「よし。じゃあ、そろそろ食べてもらおうか!」
アルバートは鍋の前に立つと、手際よく麺を茹で始めた。
湯の中で麺が踊る。
頃合いを見計らって引き上げ、湯を切る。
器に注がれる白濁したスープ。
その上に盛り付けられる麺。
さらに、薄く切ったホーカーのチャーシュー、刻んだ香味野菜、香ばしく焼いた脂身が添えられていく。
最後に、アルバートは表面へ少量の香味油を垂らした。
――完成。
目の前に置かれた一杯を見て、私は思わず息を呑んだ。
白く濁ったスープ。
その中に沈む麺。
半分に切られたゆで卵。
表面に浮かぶ脂が暖炉の明かりを反射し、肉の断面には艶がある。
見た目は、確かにラーメンだった。
ただし、豚骨ラーメンとは少し違う。
ホーカーの肉は豚のチャーシューよりも赤身が濃く、脂身も厚い。
香味油の香りも独特で、食欲をそそる一方、未知の料理を前にした緊張感もあった。
――ゴトリ。
「さあ、召し上がれ!」
アルバートが胸を張る。
「ホーカーラーメンだ!」
私は椅子に座る。
机の上には蓮華と箸が置いてあった。
わざわざ箸まで用意したのか。
「先に言っておくが、ラーメンは啜るぞ。
啜るのが礼儀だからな。」
念のため先に言っておく。
西洋のスープを啜るのはマナー違反だが、日本の麺料理は気持ちよく啜って食べるべきなのである。
「いただきます。」
まずは、スープからだ。
蓮華を手に取り、白濁したスープをすくう。
――とぷり。
悪くない。
シャバシャバでもなければ、ドロドロでもない。
ちょうど良い具合だ。
では、一口。
「…………!?」
――濃い。
いや、濃いなんてものじゃない。
舌に触れた瞬間、骨髄の旨味と獣肉の脂が一気に押し寄せてきた。
豚骨ラーメンを思わせる白濁したスープ。しかし、その味わいは前世で知っていたものとは明らかに違う。
もっと野太く、もっと荒々しい。
海獣特有の力強い肉の風味が、濃厚な脂とともに舌の上へ広がっていく。
長時間煮込まれた骨の旨味はスープの奥深くに溶け込み、唇にはゼラチン質の粘りがまとわりついた。
表面を覆う香味油が、さらに味を押し上げる。
ニンニクと香草の香り。
その奥にある、焼いた肉の香ばしさ。
こってりしているのに、ただ脂っこいだけではない。
濃厚な旨味が幾重にも重なり、次の一口を誘ってくる。
「……うまい。」
思わず、呟いていた。
「おっ!」
アルバートの顔がぱっと明るくなる。
「本当か?」
「ああ。豚骨ラーメンとは違うが、これはこれでうまい。」
私はもう一度、スープを口に運んだ。
やはり、違う。
前世で食べた豚骨ラーメンを、そのまま再現した味ではない。
けれど、違うからこそ、この一杯にはこの一杯の魅力がある。
ホーカーの骨と肉。
この世界で手に入る香味野菜と香辛料。
そして、アルバートが積み重ねた工夫。
それらが合わさって、前世にはなかった味を生み出している。
……なるほど。
私は匙を置き、箸を手に取った。
次は、麺だ。
麺を持ち上げると、表面に濃厚なスープが絡みついていた。
私はそれを口へ運び、すすった。
――ズズズッ!
麺は、前世のラーメンとは食感が違った。
かん水を使っていないせいか、弾力や風味は控えめだ。
その代わり、小麦の香りがしっかりと感じられ、噛むほどに素朴な甘みが広がる。
そして、麺に絡んだホーカーのスープが、その味を引き立てていた。
これは、これでいい。
いや、むしろ、この濃厚なスープにはよく合っている。
――ガブッ……
次に肉を頬張る。
ホーカーのチャーシューは、豚肉のチャーシューとは違っていた。
脂身は濃厚で、赤身には野性味のある旨味が詰まっている。
噛むほどに肉の味が広がり、スープとはまた違った満足感があった。
その肉をスープに浸し、麺と一緒に食べる。
――ずるずるずるずるずる!
最高だった。
これは、前世のラーメンではなくホーカーラーメン。
豚骨ラーメンとは全く別物だが、これも美味しい。
だが、まだ終わりではない。
丼の中には、肉以外にもいくつかの具材が盛り付けられている。
私は箸を動かし、まずは刻まれた香味野菜をつまみ上げた。
緑色の葉と白い茎。
リーキ(西洋ネギ)だ。
そのまま口に運ぶ。
――シャキッ。
瑞々しい歯応えとともに、爽やかな香りが広がった。
おお、これはいい。
濃厚なスープと脂の旨味に満たされていた口の中が、一瞬でさっぱりする。
それでいて、噛むほどに野菜特有の甘みが感じられ、スープの力強い味わいを邪魔しない。
もう一度、麺をすする。
今度は、香味野菜をたっぷり絡めて。
――ズズッ!
濃厚なスープの旨味。
小麦の素朴な風味。
そこへ、野菜の爽やかさとシャキシャキした食感が加わる。
なるほど。
この野菜は、単なる彩りではない。
濃厚なスープを最後まで美味しく食べるための、立派な名脇役だ。
野菜の香りが濃厚なスープを引き締め、次の一口を新鮮に感じさせる。
今度は丼の端に半分に切られた卵が見えた。
白い卵白の中心から、黄金色の黄身が覗いている。
半熟。
なんとなくアメリカ人はナマモノが苦手なイメージがあるので固茹での卵が出てくるものだと思っていた。
杞憂であった。
反省。
私は箸でそっと持ち上げ、まずは黄身の部分を少しだけ口にした。
――とろり。
舌の上で、濃密な黄身がほどけた。
卵特有のまろやかなコク。
ほのかな塩気。
そして、黄身の持つ自然な甘み。
それらが一体となって、口の中に広がっていく。
これだけでも十分に美味しいが、せっかくだ。
残った卵を、スープへゆっくりと沈める。
半分に切られた卵の断面に、白濁したスープがたっぷりと絡みついた。
私は蓮華で卵をすくい、スープと一緒に口へ運ぶ。
「……っ!」
とろりとした黄身が舌の上でほどけ、濃厚なスープと混ざり合う。
ホーカーの骨から溶け出した力強い旨味。
脂の甘み。
そこへ、卵のまろやかなコクが加わる。
先ほどまで荒々しく感じられたスープが、ほんの少しだけ優しい味わいに変わった。
卵ひとつで、ここまで印象が変わるとは。
お見事。
卵を一口。
麺を一口。
スープをもう一口。
気づけば、箸と蓮華が止まらなくなっていた。
しかも、丼の中にはまだ香ばしく焼かれたホーカーの脂身が残っている。
私はそれを箸でつまみ、麺の上に載せた。
表面には、焼き色が付いている。
噛めば香ばしさが弾け、その直後に濃厚な脂の甘みが口いっぱいに広がった。
肉の旨味とはまた違う、脂そのものの旨味。
それがスープに溶け込むことで、麺の一口一口まで味わい深くなっているのだ。
……参ったな。
こんなものを食べてしまったら、しばらくは普通の食事では物足りなくなりそうだ。
私は丼を覗き込んだ。
残っているのは、わずかな麺と具材。それに、白濁した濃厚なスープ。
ここまで来たら、最後まで味わい尽くすしかない。
私は再び麺を持ち上げ、たっぷりとスープを絡めて勢いよく啜った。
――ズズズッ!
小麦の香り。
ホーカーの骨から溶け出した旨味。
脂の甘み。
そして、香味野菜の爽やかさ。
それらが一つになって、口の中を満たしていく。
最後に残ったスープを蓮華ですくい、ゆっくりと飲み干した。
ふう……。
思わず、深い息が漏れる。
満足感とともに、腹の底からじんわりと熱が広がっていく。
私は空になった丼を見つめた。
……完食だ。
「どうだ、ファイザル!」
向かいに座るアルバートが、待ちきれないといった様子で身を乗り出してきた。
私は顔を上げる。
「……おかわりはあるか?」
「ははっ! その顔なら聞くまでもなかったな!」
アルバートは豪快に笑った。
「もちろんだ。鍋にはまだたっぷり残ってるぜ!」
――やはり、この男。
カリフォルニアの料理人、なかなか侮れない。
その後、私は遠慮なく二杯目を平らげた。
アルバートは終始ご機嫌で、料理人時代の話を聞かせてくれた。
私も、前世で食べたラーメンの話をいくつか返した。
窓の外では、相変わらずウィンドヘルムの冷たい風が吹いている。
けれど、暖炉の火が揺れるこの部屋は、驚くほど居心地がよかった。
……まあ、これだけ美味いものを食べさせてもらったのだ。
今日くらいは、彼の自慢話にも付き合ってやるとしよう。