元殺し屋がバイオ事件に巻き込まれる話   作:オッパッピー

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場面転換する時に◇を使っています。


第一章 ラクーン事件
Chapter1 静かな夜


 夢を見た。

 

 冷たい雨が降っている。

 

 幼い少年は、薄汚れた路地裏で膝を抱えていた。

 

 腹が減った。

 

 寒い。

 

 それでも家へ帰ろうとは思わなかった。帰ったところで、何もないからだ。

 

 酒臭い父親。

 

 無関心な母親。

 

 食事を与えられない日も珍しくなかった。

 

 やがて父親は少年の腕を乱暴に掴み、一台の黒い車の前へ立たせた。

 

 スーツ姿の男が降りてくる。

 

「本当にいいんだな?」

 

「ああ。好きにしろ」

 

 父親は迷いなく答えた。

 

 分厚い封筒が渡される。

 

 中身を確認すると、少年を見ることもなく踵を返した。

 

 母親も同じだった。

 

 一度も振り返らない。

 

 少年は小さな背中を見送りながら、ようやく理解した。

 

 ――捨てられた。

 

 男が肩に手を置く。

 

「今日からお前の親は組織だ」

 

 車のドアが閉まり、景色が遠ざかっていく。

 

 その日から少年は名前ではなく、番号で呼ばれるようになった。

 

 ◇

 

 薄暗い訓練施設。

 

 十数人の子供たちが整列している。

 

 全員が無言だった。

 

 教官が机の上へ一丁のリボルバーを置く。

 

「生き残りたければ覚えろ」

 

 乾いた銃声。

 

 一人、また一人と倒れていく。

 

 教官の冷たい声だけが響く。

 

「迷う者から死ぬ」

 

 ◇

 

 有栖次郎は静かに目を開けた。

 

 見慣れた白い天井。

 

 午前六時。

 

 ラクーンシティの朝はまだ静かだった。

 

 夢の内容はほとんど覚えていない。

 

 だが、胸の奥に残る重苦しさだけは、いつまでも消えなかった。

 

 ベッドから起き上がり、顔を洗いに洗面所へ向かう。

 

 鏡にはツリ目と三白眼が印象的な青年が映っていた。

 

 切れ長の目元は鋭い。

 

 しかし顔立ちそのものは整っており、どこか女性のような中性的な雰囲気を漂わせている。

 

「……また女顔って言われそうだな」

 

 苦笑する。

 

 アメリカでは初対面で女性と間違えられたり、年齢より若く見られたりすることも少なくない。

 

 そのたびに訂正するのも、少し面倒に思っている。

 

 髪を整え、黒いスーツへ袖を通す。

 

 紫のカッターシャツ。

 

 磨き上げられた革靴。

 

 最後に肩掛けホルスターへ愛用のリボルバー銃『S&W M29』を収める。

 

 用心棒という仕事柄、護身用として携帯する許可は得ている。

 

 もっとも、この銃を本当に使う機会は滅多にない。

 

 使わずに済むなら、それが一番だった。

 

 ◇

 

 朝のラクーンシティは活気に満ちていた。

 

 通勤する会社員。

 

 登校する学生。

 

 ジョギングを楽しむ老人。

 

 巨大企業アンブレラの本社を抱える街だけあり、景気も良い。

 

 有栖次郎は、その人混みの中をゆっくり歩く。

 

 目的地は繁華街の一角にある『J's Bar』。

 

 知人の紹介で雇われた、小さなバーだ。

 

 裏口から店へ入ると、店長がグラスを磨いていた。

 

「おはよう、アリス」

 

「おはよう」

 

「悪いな。今日も仕込みを頼めるか?」

 

「もちろん」

 

 次郎は上着を脱ぎ、エプロンを身につけた。

 

 冷蔵庫から食材を取り出し、包丁を握る。

 

 トントントントン……

 

 均一な厚さ。

 

 寸分の狂いもない。

 

「相変わらず見事な包丁さばきだ」

 

「昔、料理を教わる機会があってな」

 

「これならいつでもレストランを開けるな」

 

「褒めすぎだろ」 

 

 次郎は照れ臭そうに笑った。

 

 厨房を磨き、仕込みを終え、店内を掃除する。

 

 几帳面な性格らしく、椅子の位置まできっちり揃えていく。

 

「本当に助かるよ」

 

「仕事だからな」

 

「用心棒を雇ったつもりが、料理人までやってくれるとは思わなかった」

 

「暇な時間に体を動かしてるだけだ」

 

 穏やかな笑み。

 

 誰も、この青年がかつて血塗られた世界で生きてきた人間だとは想像できない。

 

 ◇

 

 昼が近づくにつれ、店内は賑わいを見せ始めた。

 

「アリス、このシチュー最高だ!」

 

「本当にレストランを開けるんじゃないか?」

 

「ありがとう」

 

 次郎は軽く頭を下げる。

 

 料理を褒められるのは嫌いではない。

 

 誰かがおいしそうに食べる姿を見ると、不思議と胸が温かくなる。

 

 その時だった。

 

 店の扉が乱暴に開く。

 

 酒臭い男が三人、肩をぶつけ合いながら入ってきた。

 

「酒だ!」

 

「酒を飲ませろ!」

 

 店内の空気が張り詰める。

 

 店長が困ったような表情を浮かべた。

 

 次郎は静かにカウンターを出た。

 

「いらっしゃい」

 

「あ?」

 

「悪いけど、昼間は酒を出していないんだ」

 

「ふざけんな。金なら払う」

 

「店の決まりでね」

 

 男の一人が胸ぐらを掴む。

 

「てめぇ、女の癖に生意気なんだよ!」

 

 周囲の客が息を呑む。

 

 それでも次郎は表情を変えなかった。

 

「離してくれ」

 

「嫌だと言ったら?」

 

「……それは困る」

 

「だったらどうする!」

 

 拳が振り上げられた。

 

 次の瞬間、男の体が宙を舞った。

 

「ぐあっ!」

 

 床へ転がる。

 

 店内が静まり返った。

 

「肩は外れてない。安心してくれ」

 

 淡々と告げる。

 

 残る二人が飛びかかる。

 

 次郎は半歩だけ動き、一人の腕を掴み、もう一人へぶつける。

 

 互いに頭をぶつけ、二人まとめて倒れ込んだ。

 

 わずか数秒。

 

 それだけで勝負は終わっていた。

 

「もう帰ってくれるか?」

 

 三人は悪態をつきながら店を出ていった。

 

 

 ◇

 

 午後、店内のテレビではニュースが流れ始めた。

 

『ラクーン郊外で相次ぐ行方不明事件です──』

 

 画面にはアークレイ山地が映し出される。

 

 規制線。

 

 慌ただしく動き回る警官たち。

 

『被害者には身体の一部を食いちぎられたような傷跡があり──』

 

(食いちぎられた?食われたではなく?)

 

 次郎はテレビへ目を向けたまま眉をひそめる。

 

 獣の仕業にしては妙だ。

 

 被害者が急増していることも引っ掛かった。

 

『アンブレラ社は地域の安全確保に全面協力すると発表しています』

 

 店長が感心したように腕を組む。

 

「やっぱりアンブレラはすごい会社だな」

 

 客たちも口々に頷いた。

 

「世界一の製薬会社だからな」

 

「こういう時は頼りになる」

 

 しかし、次郎だけは何も言わなかった。

 

 胸の奥に、小さな違和感が残る。

 

 ――嫌な予感がする。

 

 ◇

 

 夜も更け、店内の客足はようやく落ち着きを見せていた。

 

 壁掛け時計の針は午後十時二十五分を指している。

 

 店長はグラスを磨き終えると、小さく肩を回した。

 

「今日はこのくらいで上がっていいぞ、アリス」

 

 次郎は時計へ目を向ける。

 

「でも、まだ閉店まで時間がある」

 

 店長は笑って肩をすくめた。

 

「今日は客も少ない」

 

「後片付けくらい一人でできるさ」

 

「たまにはゆっくり休め」

 

 次郎は少しだけ考え、小さく頷く。

 

「……分かった」

 

 エプロンを外し、黒いジャケットへ袖を通した。

 

 肩掛けホルスターのリボルバーを確認する。

 

 続いて腰のシースへ収めたコンバットナイフの位置も確かめた。

 

 これは長年の癖だった。

 

「じゃあ、お先に」

 

「ああ。また明日な」

 

 店長は軽く手を振る。

 

 その時、カウンターに座っていた常連客のマークが笑い掛けてきた。

 

「アリス、次もシチュー頼むぞ」

 

「ありがとう。次はもう少し多めに作っておくよ」

 

 店内に小さな笑い声が広がる。

 

 それが、この店で交わす最後の何気ない会話になるとは、誰も思っていなかった。

 

 ◇

 

 店を出ると、生暖かい夜風が頬を撫でた。

 

 ラクーンシティの夜は、まだいつもと変わらない。

 

 ネオンが街を照らし、仕事帰りの人々が談笑しながら家路を急いでいる。

 

 次郎は胸ポケットへ手を入れ、煙草の箱に触れた。

 

「……そういえば禁煙しろって言われたばかりだったな」

 

 苦笑しながら箱を戻す。

 

 店長の顔が浮かび、自然と笑みがこぼれた。

 

 住宅街へ続く道をゆっくり歩きながら、昼間のニュースを思い返す。

 

 アークレイ山地の行方不明事件。

 

 身体を食いちぎられた被害者。

 

 アンブレラ社。

 

 理由は分からない。

 

 それでも胸騒ぎだけは消えなかった。

 

「……考え過ぎか」

 

 そう呟いた、その瞬間だった。

 

「助けてぇぇぇっ!誰かぁぁぁ!」

 

 住宅街の方角から、女性の悲鳴が夜の静寂を切り裂く。

 

 次郎は足を止めた。

 

 続いて聞こえてきたのは、男の怒鳴り声だった。

 

「来るな!来るなぁ!」

 

 迷う理由はない。

 

 次郎は静かに息を吐く。

 

 そして悲鳴の聞こえた方向へ、一気に駆け出した。

 

 これが、ラクーンシティ崩壊の始まりだった。

 

 

――Chapter1・完――

 




主人公の紹介

有栖次郎
年齢:28歳(1998年当時)
出身:日本
前職:殺し屋
愛称:アリス
苦手:丁寧な英語
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